ドラゴンクエスト ユア・ストーリーのレビュー・感想・評価
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やっぱりドラクエのテーマは名曲だわ
お金払って映画館でドラクエのテーマ聴いてきた。と思うしかないかなぁ。アイドルの歌を無理矢理付けられなくて安心したわ。これだけは評価できる。それにしてもこれほど音楽に負けてる映画も珍しいよね…
本職の声優さんを使わなかったのは 観客の大半がゲーム経験者だろうから 棒だろうが滑舌が悪かろうがストーリーは追えるからいいでしょ…ってことでいいのかな?
悪評酷評のオンパレードなのに何故観に行ったかと言うと…
うーん…やっぱり劇場でテーマを聴きに…
…以上
※ネタバレ推奨映画です!、何故ならラストの前で席を立つことが選択できます。
昔、2か月かけてクリアした人間ですが
1時間半の映画に圧縮するなら冒頭や前半は こうなるわな といった感じでした。
後半のオリジナル合わせたバトルシーン等はさほど気にならず熱中して見ることができました。
ここまでなら好きな作品ということも加味して90点代でした。
関わった人たちみんながかわいそうなラストでした。
多分みんなが脚本の表紙だけ見て内容を選んだんでしょうね、オチまで見ていれば炎上するのは分かっていたはずです。
どうあっても100点が取れる作品にできない元ネタなので、正直ネームバリューを加味しても60点取れれば成功と言える作品で高望みしすぎましたか?
選ぶ側も高得点がとれる見込みの少ない作品の責任を取りたくないので、実績のある点だけで映画には詳しくないと言って監督を選んだ、
そんな作品の監督したくなかった人は小説パクって クソみたいなラストを作って 候補にも選ばれないと思ったら選ばれてしまった、そんなラストです。
はい か いいえ でラストをみるのがえらべたらなぁ、と思い。
見ないことが幸せだと思います。
一度は見て見てから(笑)
こんにちは、LEOです。
先週「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」見てきました。
知り合いからは見ない方がいい、やめとけなどの意見を貰いそりゃ観たくなるのが本能(笑)
そんななか行って参りました。
感想はまぁ最後はなしかなーくらいの感じでした。
客観的に言うと
グラフィックは良し、起承転結もあり良しって感じです。ではなぜそんなに言われるかと言えば、この5をしたことある人が見ると度肝を抜かれるラストの展開。これに尽きるかと...
ただ、起承転結はあるのでドラゴンクエスト5わしたことがない人が見たら普通の映画になるようにかんじました。
正直勧められるかと言えば勧めにくいですが、見て見れない事はない映画なので、地上波などであれば是非見て見てはいかがでしょうか?
二度寝さんと同じく
大好きなⅤの世界観が、クライマックスで壊されました。
素晴らしいCGで、ゲレゲレはじめキャラクター全ての完成度の高さ、最高でした。
超序盤のパパスとゲマのくだりで早くも涙したのですが、クライマックスがただただ残念でした。
あと、主人公の子供は2人の双子です。ここは外して欲しくなかったです。女の子のスクルトがどれだけ重要か涙
回復要員が1人もいない…
同じ監督で、王道のⅤの世界観がどうしても見たかったです!
何度もいいますが、キャラクター、戦闘シーンは最高でした!
ストーリーの問題です。
クライマックス以上に前半が致命的
酷評が気になって耐えきれず鑑賞。そういう態度で観に行くか、かつて味わった愉しかった時間を手軽に取り戻したくて観に行くかで、評価は大きく変わるだろう。もちろん圧倒的に後者が観に行くわけだが。
いまの形になった理屈はあれこれ想像できるが、知名度に依ったファン向け作品である以上、王道から逸脱する意義が見えない。観客はシャラマン映画を観に来ているのではなく、やっぱりあの世界に浸りたくてやってきているのだから、そこに冷水をぶっかける真似はいただけない。
それ以前にそのゴールを目指したために、前半が映画として致命的に破綻していたことのほうが気になった。
尺の制約のもと、逆算して見せたいところを原作が持つ膨大なエピソード群から抽出しているため、中盤までの状況描写や、キャラクターと観客の感情の推移に必要な間を端折る端折る。
その結果、エピソードが細切れなのに、そのひとつひとつがお定まりに満ち、あらゆるものが異様な軽さを伴い、いまここで観ているはずなのに何ひとつ確かな感想が残らない。
ゲームの物語はやはり数十時間の体験を伴ってこそ。それを2時間にも満たない形にするなら、全体の圧縮ではなく一部を抜き出すだけにするか、いっそ1クールくらいの連続ドラマにして例のクライマックスを迎えたなら、単に賛否が分かれる程度で、ここまで酷評されなかっただろう。
ただ、おもに監督が批判に晒されているようだが、企画の時点、もしくは全体像が見えた時点でこの結果を読めなかった製作委員会がダメ。絵は魅力的だし、戦闘シーンは贅沢。監督は制約のなかで奮闘したほうではないか。
あまりの酷評が珍しくて見に行ってみましたが・・・
映画サイトの口コミがあまりの酷評が多く、
一体どう行った映画なのかが興味があって見に行ってみました。
でも、わざわざ映画館にお金を払ってまで見に行く価値はなかったな、、という感想です。
ロードオブザリングが大好きなのですが、CGなどは比べるべくもなくチープですし、いい意味でゲーム的なのでしょうが、ゲームがわからないので、好みが分かれると思います。(私はあまり好みではありませんでした)
映画館でなければといった迫力もあまり感じられなかったですし、
このくらいの映画ならもっと迫力がある映画はやまほどありますしね。
ストーリーも、オチがよくわからない感じになっていて。???がいっぱいでした。
場面がポンポンとんでいきますし、最後は切り替えが早すぎて難しかったです。
怖いものみたさで行ってみましたが、レンタルが出てから見ても十分でした。
口コミの猛プッシュもなんだかですね。。
ライオンキング見ればよかったな。
観る価値がある。ここは譲れません。
この映画は人によって捉え方が異なり、感想にバラつきがありますので、俺のレビューは皆さんにとっての映画の面白さを保証するものではありません。あらかじめご了承ください。
ただ、色々ボロカス言われてますが、誰がどう言おうと、この映画は一見の価値があると思います!
【原作DQ5の思い出】
この映画の原点となったDQ5は、コントローラーを兄と奪い合ってセーブの進みを競ったり、兄が別の世界線で異なる嫁をもらうために俺のセーブデータを消して空きをつくったことで殴り合いのケンカになったり、その結果ゲームハードとカセットを親に隠されて兄弟ふたりで泣いて謝ったりと、色々と思い出深い作品です。
あのころの何倍もゲームできる時間が増えたのに、あのころのほうが濃密なゲームライフを過ごしていた気がします。
【映像化への感想】
作品への思い入れも人一倍強く、思い出補正も加わって、映画の「このわざとらしいほどのドラクエ観!」の再現度には感涙の思いがしました。2Dだった世界を現代の技術で3D化すると、ここまで再現できるのか!という驚きと、ハイテク技術の集大成ともいえるような再現なのに、どこか懐かしいゲームの雰囲気を残し、漂わせている点が、心の琴線をビンビン刺激してくれるのです。これは俺の貧弱な語彙力では表し切れません!
徹夜でこの世界をどっぷり冒険したいと思うほど、わくわくするさせてくれる出来でした。
【ボリューム・進行速度への感想】
物語は100分という制限の中ではボリュームがあり、急ぎ足で進んでいきますが、そのスピード感は心地よいものでした。
【二つの客層へのバランス】
原作を多重回数プレイ済みのファンにとっては、幼少期の視点やその他各々が思い入れの深いイベントにももっと時間を割いて欲しかった等の不満が残るかも知れません。しかし、ライトプレイヤーや全く原作をしらない人たちにとっては、これ以上つめこむと情報過多な映画となっていたでしょう。
これは俺たちDQ5ファンだけでなく、幅広い層の人たちに観てもらえるように作られたものです。100分に納めるため、バランスをとったと考えれば仕方のないことです。
俺は多重回数クリア済みのプレイヤーでしたが、見終わってなお、「もっとずっとこの世界に居たい」と思いました。まだ食い足りない、と思わせるあたりは、絶妙なバランス加減だったのではないかと考えています。ライトプレイヤーにとっての意見も聞きたいところですが、俺としては納得できる仕上がりだと思います。
【問題のラスト】
さて、ここからが後世に語り継がれそうな、問題となっているラストシーンについてです。
どのタイプの人もそれなりの打撃をうけるであろう場面が終盤にあります。
ラスボスはミルドラースなのですが、こいつがトチ狂ってしまい、ゲームならではのメタ的要素による暴言を放ちます。これまで積み上げてきたモノはただのセーブしてないデータであり、今まさにノーセーブの状態で電源スイッチに手が伸びる!という唐突な裏切りが待っています。今までの感動は、冒険は、体験は、全部ニセモノだったの?えぇ...、ゼロにしようとおもえば出来ちゃうような、価値のない出来事の積み重ねだったの?と全員が戸惑ったでしょう。これはもちろん原作のDQ5には存在しない展開です。
こんな事実をいきなり映画限定のオリジナル要素としてブチまけられたことに、メンタルが耐えられなかった人たちが、主にこの映画の低評価帯の皆さんです。(もちろん、その他の理由で低評価としてる人もおりますが、圧倒的多数派は上のような人たちです。)
結果としては、リセットは回避されますが、俺たちはゲームのキャラクターだったのか・・・という事実は残ります。
しかし、それでもプレイヤー(俺たち)にとってはゲームもまた人生であり、ここで生き続けていけばいいんだ!という健気でたくましい主人公一行には、いくぶん励まされました。
そうです。俺たちはデータが消えてもまた一から世界を何度でも救いますし、その都度成長します。ゲームを通してだって、人は大人に成長してゆける。そう信じたいと思いながら、爽快なカタルシスを体験して映画館を後にしました。
たしかに、俺のようには捉えられず、ただ呆然としている人も多かったです。映画を楽しめなかったのならドラクエ好きとして残念に思いますし、彼らの悲しみや怒りには同情します。
でも、色々な捉え方があると思います。俺は、誰がなんと言おうと楽しめました。今、この感動を誰かに分かち合いたいと強く思っています。
【感動の共有を阻害する連中め】
感動の共有も、映画のこきおろしも、レビューサイトの醍醐味だと思っています。もちろん、節度は守ったうえで、ですがね。ここは交流もできるし、随筆家を思わせるアジのある言い回しや、関西弁によるギャグ風の投稿など、評価も考え方も方言も違う他人の書く文章は、まさに千差万別、読んでいてとても楽しいです。
ただ、上に書いたとおり、俺はこの映画の感動を分かち合いたい気分で文を進めています。
ここの高評価帯の人たちは、みんなそんなシンプルな考えでレビューを書いてるんだと思います。
そんな気分のところに、同じ評価帯の人が軒並み工作員認定なんてされてるの見たら、誰だって不快に思い、反発すると思います。
俺は高評価帯の肩を持ちます。
荒れる原因となったのは怒りに身を任せて過激派に成り下がった一部の低評価帯です。
...ただ、仲裁する気はないです。
レビューを見て、罵詈雑言にムカっ腹の立ったすべての投稿者に進言したいです。(低評価帯、高評価帯含む。)
場の空気を荒らし始めたのは、明らかに口の悪い一部の過激な低評価帯の投稿者群です。ただし、原因となった投稿者群は、多分もうこのサイトすら見てないような過去の人たちです。
自分の書いたことに責任をとらなくていい世代の文章だと思います。そんな下らない連中の言うコトに、高評価帯の皆さんはイチイチ反応しないことです。どーせ文句言ったって見てもらえない上に、別の過激ではない低評価帯の皆さんまで刺激していますよ。
結果どうなりました?
おたがいに言った言わないの荒らし合いが勃発しています。見ていて不愉快な言葉ばかり使うのは、やはり怒って文字を打つ低評価帯の一部のようですが、彼らとも、もはや分かり合おうとしなくていいと思います。なぜならば彼らは過去の荒らしほど、罵詈雑言や噛みつきをしていないと思えるからです。
お互いに工作だと決めつけて張り合って罵り合ってる様は、ドラクエについて語りたい俺にどれだけガッカリ感を与えたと思いますか?
救いようのない事態に、DQ5ファンとしてとても残念に思います。
いろんな意見があっていいと思いますが、ボチボチ矛を収め、お互いの意見を尊重して作品についてレビューしましょうよ!
だあぁもう説教くさくなりました。オッサンの戯れ言だと思って下さい。駄文失礼しました。
この粉飾されたリアル世界を超えていくための良作
この作品はドラゴンクエストというとても一本でまとめるのは困難な作品を適切に編集してドラゴンクエストの世界を描いている。
最後の最後の部分は賛否あるかもしれません。ただふつうに描き普通に終わってもおそらく普通の感動にしかならず、今作のラストと比較して何ら度合いは変わらなかったと思います。
普通のドラゴンクエストは土台が小説ではなくゲームなのでボスキャラ二連発なのです。この作品はドラゴンクエストというおとぎ話をもちいて、リアルな世界をなんとなく生きてしまっている人たちに生き方を問い直す。という大きな使命を果たしている良作です。
この映画を観た記憶を消したい
スクエニの映画はよくやらかしてますが、知人がスクエニに勤めているのと、一つ前の作品のFFの光のお父さんが良かったので観に行きました。
観終わった結果は散々でした。
スクエニでは社内でこの映画のレビューを上げる運動をしてるらしいので反発して書き込ませてもらいます。
まず、冒頭にゲーム画面が映る意味がわからない。せっかく3dの綺麗な画像に出来る技術があるにもかかわらず何故作らなかったのか謎です。
次に物語の進行が駆け足過ぎて一つも感情移入出来ない。
このゲームをプレイした事ない方はもっと意味不明だったと思います。
この作品を作った監督はドラクエ5をした事が無かったらしく
仕方なくプレイした人らに内容の聞き込みをしたとインタビューにありましたが、本当に聞き込みをそのまま映像にして端折った内容でした。
極め付けはラストのあれ。
原作どころかゲームやアニメが好きな人間自体に理解がない監督なのだろうなと感じました。
映画とはビジネスなのだし、対価を得て満足が得られなければ非難を受けるのは大人として当たり前です。
それなのに「大人になれ」と侮辱した彼らがビジネスを否定して子供のように視聴者に責任転嫁したり、工作をするのは恥ずべき事です
皆様のレビューを見て…8/23追記
初めて書き込みます。
40のおっさんが子どもと見て来ました。 皆さんはどんな結末を予想して映画館へ足を運ばれたのでしょうか気になります。
自分は、CMを見てビアンカとフローラとのオリジナルストーリーが全面に出て、ゲマを倒すぐらいを予想していました。 なので、映画本編は内容を詰め込み過ぎでドラクエ5をプレイしていない人は、かなり置いてけぼりを喰らうモノだと思いました。
全てのレビューを見たわけではありませんが、共有出来る部分と出来ない部分がやはりあります。 皆様片を批判する訳でなく、自分個人としての意見として見て頂けたら幸いです。
酷評の代表とも言える「大人になれ」
エヴァでも似たことありましたよね(笑)
確かにドラクエでするべきではなかったと思います。理由は年齢層の違い。
監督のメッセージとしては受け入れれましたが、子どもは突然データだVRだと言われても理解出来ず、?が飛び交ってました。
自分自身もこの瞬間は苦笑してしまいました。 その後、子どもと映画の感想を話したのですが、ラスト10分までは自分も子どももドラクエの世界に入り、映像も展開も音楽も間違いなく楽しんでいました。
そして、どういう展開だったら良かったのかと考えると、
ゲマを倒す直前にミルドラース(ウィルス)が登場すれば良かったのではないか
と思いました。 そうすれば、『ゲームだって現実だ』という主張も伝わったのではないかと。
その意志を抱いて、ゲマとの激戦を戦い抜き、天空のつるぎで魔界の門を閉じ、プサンあたりが「『今回は』ゲマを倒し、魔界の門を封じミルドラースからの脅威から世界を救った」という終わり方だったら、ここまでの酷評はなかったのでは?と思いました。
実際、伏線も分かりにくかったのも問題だと感じました。 オババの薬が一番のポイントだったのかもしれませんが、そうするとフローラの行動が理解出来ません。
変化の杖でタネ明かしの時、スラりんが横に居れば良かったのではないかと思いました。
その他、ゲマがオーブを潰すシーンは必要だったと思うし、ビアンカ、フローラが出てきた時も前半のカットをフラッシュバックさせれば分かり易かったのでは?
ゲレゲレに至っては一度襲われるが、ゲレゲレが気付き、ビアンカのリボンをリュカに見せて気付かせるとか
ラストは愛を語るなら、パパスとマーサの穏やかな笑顔の演出も不可欠かと。
素人がこう思うんだから、製作側の練りが浅いんだと感じる。でも、じゃあ今までのドラクエ作品にはどんな感情があったのかと自問自答するのに辿り着いた。
アベルのドラクエ、ダイの大冒険、ロト紋…
その他のコミック、書籍、ドラマCD…
絵も違えば、ストーリーも違う。 他人がプレイしている他人のセーブデータって表現は納得出来る。VR機械に入っている誰かがリュカと同じ顔でなければ、顔を見せなければ、自分ももぅ少し感情が離れなかったと思う。
ただ、これも一つのドラクエ作品なんだと皆様のレビューを見て落ち着きました。
賛否両論の真ん中を行く、気持ち悪い感想になっていますが、アレはないで~と否定だけでは誰得?な状態だとも思います。
まぁ、…声の演出には否定的なんですがね… リュカ、MAXライダー
フローラ、オババの方が上手いやん
スラりん、突然加持さんに
パパス、ぬわ~!!感がイマイチ
マーサ、聞いてられなかった
サンチョ、ガラスの仮面よりセリフあったね
良かったのは、セリフはキチンと聞き取れたことかな。
総評すると、タイトル負けしてる。 リュカの体験記程度ではないだろうか。
ストーリー、演出はイマイチ
けど、映像はドラクエの世界へ確かに引き込まれました。
音楽は、すぎやま氏が場面に合わせた選曲だと思います。
見る価値とすれば、DVDやBRを買う程ではない。家に5.1chの音響があれば、レンタルで十分。
まぁ、この映画に一番つっこむなら、幼少期スキップなら奴隷から始まるんとちゃう?
※追記
高評価の方に聞きたいのですが、
ラストのウィルスを倒したのは、スラりんが勝手に突然飛び出して来て、ロトのつるぎを渡してくれたから打破出来ただけで、プレイヤーの「リュカ」だけでは何もする事が出来なかったはず。
そこに達成感が生まれるのは、どういった解釈をすればいいのかが不明です。
あと、プログラムに逆らったフローラの行動も何だったのかも、良ければ教えて頂きたい。
以上、長文で拙い文章でありましたが自分が感じた気持ちです。
監督は勇者じゃなかった
シリーズ屈指のロマン溢れるストーリーをこんな言い訳みたいな結末で消費して欲しくなかったです。
製作サイドの方々は、ドラクエという「ゲーム」をどう映画に落とし込むかに囚われすぎたんですかね。
もっとお話自体のパワーで押し切って欲しかった。
作り方次第では日本の「ロードオブザリング」になれたのに、つくづくもったいない。
監督には、王道を王道として描き切る勇気と覚悟を持って欲しかったです。
受け入れられず悲しい。
大好きなドラクエを受け入れられず悲しいです。この映画ならドラクエVを題材としてほしくなかったです...(;_;) オリジナルですべて制作してほしかった。 ラストシーンはみなさんの評価のとおりです。期待していたユアストーリーってこういうことじゃなかった(;_;)
原作漫☆画太郎だと思って見ればいい
幼年期のショートカットはやむを得ないし、それに伴いキラーパンサーとの再会やフローラとビアンカを選ぶ苦悩が伝わり辛くなってるのも仕方ないだろう。 ゲマを中心としたパパス、主人公リュカ、息子アルスの大河的な因縁の付け方は、やはり原作が良いためか、美麗なCGで演出されると興奮と感動を覚える。
が、しかし。 再三指摘されてるが、あのオチはなんだ? 君たちの物語だからVRの世界だと? それは百歩譲って許そう。
で、ミルドラースがウィルスだと? 僕は飽きれて笑ってしまった。
そしてこの脚本家が「このオチなら感動と話題性間違いねー!!!」という自信の元に制作されたと思うと寒気がした。 ここのCGスタッフも含めて、「こんなオチ何が面白いの?」ってツッコム人いなかったの?
井浦新はミルドラース役やってくださいって言われて渡された台本が「俺はウィルス」って台詞見て死にたくならないの?
一部の界隈ではメタ的な構造は賞賛を得る流行りの展開なのかもしれないが、リアルタイムにプレイした客って子供の頃にやったドラクエがついにCGで再現される!あの頃の脳内の思い出を如何に現代で技術で蘇らせてくれるんだろう?っていう期待感を持って映画館に足を運んでるんだよ。 その人たちが、「俺はウィルスだ」「俺はアンチウィルスだ」ってやり取り見て、すげー!!!ってなる訳ねえだろ。
漫☆画太郎さんが罪と罰や星の王子様の漫画をギャグで書いてるけど、アレと同じと思って見たら楽しめるかも?エンドロールにアドバイザー漫☆画太郎って書いてトラックオチにでもしてくれた方が幸せな作品です。
DQⅤをプレーしたことある別の監督が作っていたら満点になり得る作品だったという意味で2
キャラのCGと戦闘は悪くなかったから0評価ではないが、全体的に脚本が酷すぎた。
調べてみて、監督(脚本)がDQⅤを未プレイと聞いて激しく納得した。
※詳細なネタバレもあるので、未視聴の方はブラバ推奨です。
まず、原作未プレイを置いてきぼりにする端折りっぷり。
では、原作ファン向けだったかというと、原作ファンの皆さんがお怒りのとおり、未プレイ監督の独りよがりな意見の押しつけで、誰向けの作品なのかわからない。
かろうじて見れる映画になってたのは舞台がDQⅤで、DQの音楽使っているから音楽が良いだけで、この映画特有の部分、監督がいじった部分はことごとくダメだった。
多くの皆さんがラストがダメだったというけれど、それだけではないと思う。
逆にラストが納得できるものだったから評価5というレビューもみるけれども、その評価は誤っているとしか思えない。
その理由はラスト以外の点も問題だらけである上、ラストの部分もヒューマンドラマとしてみたとしても、矛盾だらけの酷い脚本だったからだ。
まず、ラスト以外の問題点だが、
たとえば、主人公がビアンカに「俺の背中を任せられるのはお前だけだ、レヌール城でもそうだったように」と度々、端折った部分を無理矢理に補完する説明口調なセリフが出てくる。
開始早々すれ違っただけの関係のフローラが主人公に一目ぼれしたり、幼なじみ扱いされて主人公が行方不明の間、夜な夜な泣いていたという謎の改変、サンタローズで主人公を見たサンチョが突然泣き出してゲーム後半再会時のセリフを言ったり、ヘンリーが奴隷になった後も生意気なままだったり、かと思ったらピンチになったら駆け付けるだのご都合主義なことを言い出したり、
序~終盤まで要所要所で視聴者を白けさせるセリフや改変が出てくる。
ここまで酷い脚本だったのはひとえに原作を遊んだ経験がないからで、もしそうじゃなかったらこうはならないと思う展開ばかり。
特に私の中で、最も「そうはならないでしょ」と思ったポイントは、「幼少期の省略」だった。
皆さんはDQⅤで印象に残っているところはどこか、聞きたい。
もちろん人によってそれぞれだろう。
けれども、私の友人含めて共通していたのは、「幼少期がとても印象に残っている」という点だった。
「幼少期」はゲームの中でも、裏ボスを倒すまでの全過程でみたらかなり短い。だからこそ、監督はここをカットしたんだと思うけれど、私にとってはここが一番DQⅤで思い出深いポイントだった。
もっとはっきり言えば、私にとってDQⅤが映画化すると聞いて一番見たかったのは幼少期だった。
というか、もし仮に映画の設定どおり、VRゲームとしてDQⅤをプレーし、ゲーム主人公の記憶を追体験できるのだとしたら、私はほとんどのプレーヤーが幼少期を省略することはないと確信している。
それほどにDQⅤの幼少期の完成度は高い。
冒険のドキドキ、ワクワク、友情、家族の愛情、初恋、それら全部がこの短い期間に詰まっていた。
私の人生の中でも暖かくて幸せな感情をこのゲームからもらったと思う箇所でもあった。
ここをカットした時点でこの映画に対する評価は地の底に落ちたし、ここをカットすることを選択した監督はDQⅤの魅力を何もわかっていないと確信した。
今回の映画のメインは結婚相手の選択になっているが、そもそも映画だけの経験でいえば、フローラもビアンカもほとんど話したこともなければ、そのキャラクター性も掴めない相手で、選ぶもクソもない。
特にビアンカとの絆は幼少期がもっとも大事なはずで、ビアンカを選ぶのなら、幼少期をやらないと話しにならない。
私も主人公と同じような年齢の頃、DQⅤをプレーして、幼なじみのビアンカに出会って、お姉ちゃんぶってるところとか、わざわざ起こしに来てくれるところとか、かといっておばけが怖くなると主人公に泣きついてくるツンデレなところとか全部が可愛くて、これが私の初恋だったと言っても過言じゃない。
夜寝静まった村の探索やレヌール城のお化け退治という名のデート、
幼少期のビアンカとの冒険はレヌール城攻略だけじゃなく、ブーメランや茨の鞭を買うまで何夜もかかるところ、マップ上行ける範囲を冒険しつくしたところも含めて記憶に残ってる。
そうしてレヌール城が終わってビアンカと別れたときは本当に寂しくて、どうにかビアンカに会う手段はないものかと模索したのも覚えている。
こうした過去に関するエピソードの紹介が一切ないままビアンカを選ぶというのはあまりにもビアンカの魅力をわかっていないし、ビアンカの魅力を見せる気がないとしか思えない。
映画で表現されているビアンカの魅力は何でも言い合える関係とのことだが、そうした関係になった部分を見せずして、なにを言っているのだろうか。
映画ではビアンカの幼少期エピソードを全てカットした上で、ビアンカとよくわからないいきさつで再会した上、よくよく考えたらやっぱりビアンカが好きだったとかいう脈絡も何もない気づきを得て結婚が進んでいくわけだが、はっきり言ってあり得ない。
映画を見ている限りでは、主人公の悩みには全く共感が持てなかった。そもそも当初は悩んですらいなくて、フローラに求婚した後に謎の薬を飲んで、悩み始めるという超絶白ける展開。
後にネタバレがあるのだが、薬を飲むと「フローラを選ぶ」、「自己暗示」とかいう白けるメッセージウィンドウが出てきて、さらにその奥までダイブしていき、やっぱりビアンカとなるわけだが、映画をみているときには「フローラを選ぶ」「自己暗示」というところで、「は?なにそれ?意味不明」となる。本当に好きとかじゃなくただの自己暗示ってなんだよ、バカにしてんのかとすら思う。
そんでもって、映画後半に元々現実の主人公が、VRゲームを開始する前にフローラを選ぶという暗示をしていたからこうなったということが判明するわけだが、これで「メッセージウィンドウの伏線回収できたし、納得!すっきり!」となるかといえば、全くならない。
むしろ、この主人公は、リアルにどっちが好きかを本気で悩み、葛藤していたというものではなかったと判明して、かえって不愉快になるだけ。
結婚エピソードを見ていたときに主人公の悩みに共感を持てなかったのはあまりにも当然だった。
しかも、そうしたVRゲーム開始前に設定していた自己暗示を、まったく説明されず、わけのわからない理由でもって破壊するという理解不能な展開。
こんなリアリティもなく、ただの茶番劇だったというオチをつけるなら、なんで劇中の貴重な時間をここまで割いたんだろうか。
それこそ「幼少期」のように全部カットして「ビアンカが嫁になりました」という結論だけのほうがまだマシ。
「この映画の結婚相手を選ぶエピソードが良かった」という評価をちらほら見かけるが、本当にそうなのだろうか?と、激しく疑問を感じる。
こんな何のドラマもなく、人間らしいリアルな葛藤も悩みもない茶番劇をみて何が面白いのだろうか。
しかもオチ以外の点でも、一度はフローラに求婚しておきながら、ビアンカに求婚するとかいう一途でもなんでもない浮気性な主人公のサマまで見せられて、不愉快になるばかり。
普通、求婚した以上、それを翻して婚約破棄するなら誠心誠意本人に対して謝るのが筋ではと、主人公の品格まで疑う。
同じ町の宿屋でビアンカとの結婚式をあげて、フローラに真実がバレることをしておきながらルドマンの好意に甘えて旅立つとかどんだけクズなのか。しかも、全部フローラの自己犠牲でしたというオチを付けるから、主人公のクズっぷりが一層際立つ。
子供の教育に良くないからこの映画は子供には見せられない。
ああいうオチにするなら主人公が直接フローラに謝罪に行って、そこでモシャスしてネタバレするって展開で良いのでは?
ラストの大人になれとかいうセリフの当否以前に、監督には普通の良識人になれと言いたい。
DQという影響力ある題材を使って、婚約相手に謝ることなく婚約破棄するクズ主人公にすることによる社会的影響を考えて欲しい。
謝罪という嫌なことから逃げておきながら、「キミは勇者」とか吐き気を催す。遠回しにキミは社会的に責任を果たすことはできない、ゲームの中でいきってるただのガキと言っているだけにしか聞こえない。
終盤で伏線回収する系は、あざやかに、かつ、爽快に回収して物語を展開するのが本当にうまい脚本だけれども、伏線を回収した結果、より不愉快にするのは二流以下じゃないだろうか?
せっかくDQⅤの素晴らしいストーリーをことごとく改悪するバカな脚本家(監督)だなと思う。
つづいて、ラストの部分含めた脚本全体の問題点であるが、
この映画のダメなところとして、冒険譚ではなかったことがよく指摘されている。
私もその通りだと思う。
子供から大人まで楽しめるDQ映画にするのであれば、最後まで冒険譚を貫くべきだった。
そして、冒険譚にするのであれば、一番冒険がワクワクする瞬間である駆け出しの「幼少期」は欠かせないし、ラストの余計な部分を省いて「幼少期」を入れていればここまで酷評はされなかっただろう。
この映画はラストに急に冒険譚ではなく、ヒューマンドラマに変化するのであるが、これが冒険譚を楽しみにしていた視聴者を裏切ることになった。
しかも、私からすると、そうしてわざわざ改変したヒューマンドラマが、上記のとおりあまりにお粗末で、不愉快になる伏線回収しか存在しないから、この映画を評価する気になれない。
その上、視聴者を白けさせる世界背景を説明するだけの長々としたセリフがラスボスからペラペラ告げられる始末。
今回のラストに納得したという方々は果たしてこんな説明口調なセリフ回しも含めて面白いと思ったのだろうか?
本来そうした背景・世界設定の説明は、物語を見せながら自然と視聴者に理解させるように展開しなければいけないのに、説明口調なセリフを、よりにもよってラストにラスボスの口から言わせるのは脚本家として一番やってはいけないことではないだろうか?
そんなのはラノベでやってくれと思うチープな脚本。というか、最近のラノベをアニメ化して失敗する例も、原作で出てくる設定説明部分を主人公が長々説明して白けるからなのだが、この映画も同じ過ちをしていると言わざるを得ない。
しかも、そうしてDQⅤの世界に無理やり登場させた裏設定だったからこそ、ウィルスの目的も曖昧だったし、その背景にある思想も不明だから、敵意含めて感情移入しようがない。
そもそもウィルスが忍び込んだのが、DQⅤのVR空間であるなら同時にプレーしている勢もいるわけで、何故に今回の主人公だけが戦っているのか意味不明。
というか、ゲームでバグが発生した際にプレーヤーが解決するというのは聞いたこともない。本来戦うのはゲームの運営スタッフで、中にいるプレーヤーはサバメンテでフリーズする中でただ解決を待つしかないはず。
映画では、本来、中にいるプレーヤーにはどうしようもない問題を無理やりワクチンプログラムが登場してそれを使って主人公がウィルスと戦うことにさせているけれど、結局ワクチンあるならやっぱり主人公が戦う意味なくない?と思うばかりで、冒険譚の要素を無理やり挿入してきたな、と失笑しかなかった。むしろ、こんな形でロトの剣を使われて残念だった。
他にも矛盾点は多数だが、最後の「ゲームも一つの現実」という言葉は映画化に消極だった堀井さんが監督を説得し続けてようやく入れてもらった言葉と聞いた。
この言葉を理解できていなかった監督が作った物語で、最後に監督以外の者の言葉で終わる、それこそがこの映画最大の矛盾点といえるだろう。
総評だが、この映画は評価すべき点はCGと戦闘だけで、脚本はDQⅤの魅力を全くわからず、かえって下げることしかできない監督が作った酷いものだった。
きちんとDQⅤをプレーし、その魅力を理解した脚本家が作っていたなら、このキャラCGと戦闘の表現を活かして最高の冒険譚にもできたと思うと残念でならない。
ガッカリはしたけれど
『ドラクエ』を謳い文句に、ファンのノスタルジックな部分をくすぐって客を呼び込んでおきながら、最後のクライマックスがあれでは……。
ただ、作品の評価はともかく、監督らの人格否定までエスカレートするのはいかがなものかとも思います。
で、わりと冷静に下した採点は上のとおり
稀に見るクソ映画
賛否両論どころか否定的意見しか出てこないクソ映画でした。
普通に終わらせれば良かったのでは?
あの演出、ストーリーを最後に入れて観客の期待を悪い意味で裏切ったことに気づいてないのは本当に痛々しい。
こういうところがポケモン系との違いですね。
売れない作品しか出てこない。
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