火口のふたりのレビュー・感想・評価
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熱演は買いますが...
三大欲求を気を使わない相手と。
愛があるSEXって気持ちいい
こんなラブストーリー初めてだ
高校の文化祭作品?
役者の奮闘ぶりは認めるし、彼らの責任ではないのだがそれが作品の質に繋がっているかと言うと、完全に空振りに終わっている。
ラストの幼稚な終わり方は、まさに高校の文化祭作品のよう。音響も立体感、空間がまるで感じられず波の音もセリフもあの時の声も同じ平面から聞こえてくる。
前半に散りばめた疑問に対し、本の文章そのままのように、だらだらセリフで説明されてもねえ。低予算なのかもしれないが、カメ止めには及びもつかない。
数ある肝心?の場面もリアリティが全くない。
感じているのに乳首は普段どおり、絶頂期にも顔や首筋が紅潮するでなし、バスの中でタオルを敷くらい気が回るなら、抜いた指が濡れているくらいしないと。
ということで、色々気になって没入はできないけど、時間がたっぷりあって1000円なら話の種にはまいっか。
下田逸郎のlove song
生殖の行方
女優の裸で客をつる映画かと思って最初は興味がなかったが、故郷の秋田を舞台にするということで足を運んだ。
秋田の玄関引き戸の音、あー秋田だ、と。内装の部材、間取り、柄本佑の実家は秋田に多くある典型的なつくりで懐かしかった。
柄本佑は秋田弁がうまかった。多分、瀧内公美は発音ができなかったのだろう。母音が違うからね。
震災の話が出てきたとき、最近この話題を映画にすることが多いなと、話題の強引さを感じたが、実はそうではなかった。震災のときの傍観者だった秋田をうまく表現していたと思う。もちろん、ボランティアなど協力したひとも少なくないだろうけれど、秋田は何かにつけて傍観者であったような、そんな孤立感を感じていた。
戊辰戦争のときは東北の中で新政府側についたし、“やませ”の吹かない秋田は岩手、宮城に冷害が起きてもほとんど被害を受けない。そして今回の震災もそう。「東北」とくくられるなかに秋田はなにか”悲劇とは無縁”の居心地の悪さを感じてしまう。
そんな第1次産業の豊かさにかまけて戦後の高度経済成長、バブル経済などの好況からは取り残され、テレビで流れてくる「日本」はべつの国のことではないか?フィクションではないか?と思うほど日常と乖離した世界だった。おそらくこの映画に出てくるような富士山の噴火や首都直下地震、東南海地震など、日本に壊滅的な事件が起きたとしても、秋田はまた傍観者のように日々暮らすことだろう。
厳しい冬をじっと黙ってしのげば豊かな大地の恵みを享受していける、テレビに映っている繁栄や時代を追い求めさえしなければ。そうするうちに、子供達は故郷を離れ、空き家の町となり、そして人の代わりに熊が里にやってきた。
そんな人生に多くを求めない土地柄で性愛を欲望のはけ口とした逸話は郷土書の棚をみれば散見する。実際にそのような県民性と言えるかはわからない。子供のときにしか秋田にいなかったせいだろうか。性欲に溺れている郷土の知人は一人しかいない。それが他県より多いのか、少ないのか。
「身体の相性がいい」とは実際にあると友人から聞いた。男が一方的にやりたいのはわかるが、相手もそうらしいとのこと。それは幸せでなによりだ。この映画に出てくるような性のむさぼりはあっても不思議ではないし、目新しいものでもない。食と排泄、生と死(盆踊り)、動物的とも言える根源的欲求をさらけ出しても、この映画に嫌悪を感じさせないのはさすがだな、と思った。写真をとる性的嗜好とそれをとっておく嗜好。この性における男女の微妙なずれがこの歳になっても未知の部分である。
お互いの身体を求め合う時期はどのカップルも経験することだろう。だが、そのあと、とくに子供をもうけてから、女性は裏切りのように性欲を拒否するようになることは少なくない。予想外の豹変に男は困惑するばかりだ。この映画の幸せな性愛、瀧内公美の子供願望は原作者、脚本家など、男の想像の範囲だが、なんだか最近これらがあやしい。
川上未映子や村上紗矢香を読んで、「産む性」に対する違和感が女性の中にあると知らされた。女性が時折見せる性愛への嫌悪がこのためかもしれない。
人工授精はすでにできる。人工子宮ができれば女性はそれから解放されるかもしれない。女性はそれを望んでいるのだろうか。
女性の本願は「男性の欲望からの解放」なのか。古代では文明を築くために略奪の対象だった。宗教的戒律、恋愛という昇華のもと、暴性は否定されてきたがロリータ・コンプレックスなどの異常性癖は文学として存在を認められつつも、法は否定している。男はロマンスだと思っていたキャリアがらみの恋愛は#MeTooで大きな勘違いだったと。普通の恋愛をしても、実は性愛は求めていないのではないか。子供をつくるためにも、できれば性行為はしたくないのでは。男性社会が作り上げた「恋愛像」、「家族社会」を女性に擦り込んで、実は南アジアの集団レイプと変わらないことを品良くやっているのが現代社会なのかもしれない。モア・リポートの「女性の性欲」など本当は社会習慣が作り上げた幻想で、本当は単性生殖、アマゾネス社会を求めているのではないかとすら考えてしまう。
「望まない妊娠」から「望まない性行為」からの逃走。「草食系」はそんな時代の男の進化なのかもしれない。
瀧内公美の性欲は男の幻想か、女の秘めた願望か、どちらに属するものなのか悩ましい時代になった。
すればするほどしたくなる
体の言い分
結婚を間近に控えた女性とその元彼。2人のセックスを延々と見せられるわけではない。もちろんセックスの場面は多いし、AVすれすれの表現もあった。
でも根底にあるのは愛情と背徳感と肌の相性だ。これに共感できないと性欲に狂った男女が非道徳的な行為を続けてるとしか思えないだろう。
2人の関係も徐々に明かされることで、過去のことがつながっていく流れはいい。ただ、最後の展開はどうなんだろ。あまりにも突拍子すぎて戸惑ってしまった。それでも体の言い分に従って行動する2人が微笑ましかった。個人的に嫌いじゃない。
あと、セックスシーンも大胆な演技だったし、素晴らしいと思うが、やってない感がたまに見えて萎える。残念だった。
瀧内公美さんは頑張ったね。
映画の入りは斬新で非常に良かったが、写真が上手すぎるし、神様目線。
映画を盛り上げる筈が、逆に映画にケチをつけてしまい、
アイデアは良かったが、残念。
ちゃんとしたプロのカメラマンではなく、携帯写真か
アルバムにしないで、回想シーンでのスチル扱いにした方がよかった。
両演者の演技は非常に良かったが、公美さんはすべて、柄本さんは何シーンか食事のシーンで左手を使わずに映画の質を落とした。
映画の中まで、そんなことしなくていい
明るい未来である結婚と富士山の噴火という明日をもしれぬ日々、
に対して食事と行為を重ね合わせたいのだろうが、脚本は力不足。
挿入歌・BGMおよび、撮影はかってのATG映画のようでよかった。
この映画を観たら、ショーケンさんの「恋文」が観たくなった。
そして、写真集は買ってみたくなった。
若い頃の熱い想いを呼び起こさせてくれた映画に感謝‼️
先ずは、オープニングのセンスの良さgoodです。この映画は正解のない人間の性欲・食欲・睡眠欲の3つの欲求を映像化してくれた映画だと思います。柄本佑君と若かりし頃の自分を重ね合わせて…グイグイ映画の中に引き込まれました。こんな映画を観たかった。荒井監督ありがとうございます。間もなく60歳を迎える年齢となりますが…私の20代を映画化してくれてありがとう。まさに正解のない愛の形の1つだと思います。今回で3回目の観賞ですが…もっともっと観に行きます‼️
瀧内公美さんは綺麗で上品な女優
身もふたもないけど
瀧内さん演じる女の方は、最初から婚約者と別れるつもりで柄本くん誘ったんじゃないかな。
柄本くんが秋田に帰って来てるって聞いて、ふと思いついたのか、タイミングは分からないけど。富士山の件も既に知ってて、本当に好きな人と一緒にいたいと思ったか。
女の方は一回関係持ってしまえば、いくら一日だけとか言っても男が絶対に食いつてくる自信があったと思う、ゲームみたいな感覚で。あれだけ魅力的な美人はそうはいないよ。
最初からえらい薄着だし、結婚直前に自分の生活圏内でいとことは言え男と親密に出歩くのはあんまりしないよ…田舎だと(都会でも)人の目が一番怖いから。
とにかく柄本くんは瀧内さんの想いに全て絡め取られた感じはした。
大体、あんな写真大事に取っててアルバム作ってる女なんてめちゃくちゃ怖いよ。本当に結婚するつもりならもっと前に捨ててる。忘れられない男だとしても、普通の女なら割り切って捨てると思う(私なら捨てる)。
でも魅力的なんだよな。不器用だけど自分の欲望が分かってる。自分に出来ないから憧れるのかも知れない。
「忘れてはないけど思い出すこともない」
原作は未読。印象的なキービジュアルがそそり、鑑賞意欲が湧いた。鑑賞前に付近で開催している関連写真展を覗く。出典数は少なく、内容もこれといって気を惹く印象は薄い。かなり振れた画像もあり、この辺りも何か意味付けしているのだろうと予想はつく。
二人劇で進行する本作は、一言で言えば“ダメな男女の爛れた5日間の会話と性愛”という事に凝縮される。従兄妹という関係性、羞恥プレイ、野外プレイ、そしてハメ撮りと、セクシャリティの度キツさが目立ち、そしてオチがあまりにも素っ頓狂な、富士山爆発という設定の乱暴な飛び方が風味を濃くしているが、実は話す内容は明け透け無い本音の気持のぶつけ合いである。他人ではなく、一時期は兄妹同然に育ち、きっかけは分らないが男女の関係に陥る。その中で感じてきたお互いの思いを、その後のそれぞれのついてない人生を経てやっと語ることができたというストーリーなのである。通常モードならば、5日間若い頃の自分達を振り返りながら、諦めながら、そして期間限定の恋愛というか労り合う行為を享受しながら、けじめをつけるラストなのだが、突然の状況変換に於いて、自分達が一番自然でいられる居場所がお互いの隣だった事に覚悟を決める展開はかなり斬新であり、原作に於いてもレビューでその辺りは相当叩かれているのを調べると出てくる。確かに今作品は、真面目で誠実な性質の保守系からすれば決して赦される人物ではない。そこには感情移入も共感性も微塵もない。スクリーンで描かれているのは官能的とは言い難いリアルを表現しようと努力している俳優達だけである。恋人通しの肌の重ね合いというより、兄妹での悪戯が度を超してしまい、人間にとって通常備わっている生殖本能、それを補完する“快楽”機能の扉を開いてしまった雰囲気を漂わせているのである。いわゆる“立ちバック”での挿入シーンのオーバー演技(あんなまるで銛で魚を突き刺すようなリアクションならばお互い怪我するだろうw)の真意も多分、同意を基での近親相姦ならばこうなのではないかという表現なのだと思う。すっかり歳を取ってお互いが空気みたいな存在の倦怠期の夫婦の枯れ方に相似していると感じる。それより遙かに若いのだから、性欲に対してはどん欲であることのバランスの悪さがこの作品の居心地の悪さに由来しているかもしれない。そう、この作品は観客に敢えて負のイメージを投げかけることでそのアンバランスさを印象付けるアトラクションなのである。メッセージが強烈な程、印象度も又高い。一種の炎上演出とまでは言わないが、表現の自由を保つにはこれも又総合芸術なのである。兄妹ではなく従兄妹という絶妙な立ち位置の中で起きる奇妙な“繋がり”はそれでも家族としての“繋がり”を大事にしたいこの二人にとって自然な成り行きなのであろう。東北大震災の際にそれ程天災を被らずに済んだ“秋田”、富士山が爆発しても火山灰の被害は最小限で済む“秋田”、そんな微妙な立ち位置の地元住民達は、そんな中途半端さに苛まれつつ、それでもうらはらであるその隠さねばならぬ“幸福”を密かに愉しんでいる逞しさを感じさせる、そんな作品であった。ちなみに原作での舞台は九州とのことなので、また意味合いも違ってくるのであろう。自分は舞台設定の変更は正解だと強く思った次第である。
50代以降にはどう見えたか?
ありがちな主題だと思うけど
タイトル前のプロローグがつまんないんだよね。「こりゃ駄目かな」と思ったんだけど、段々と作品に入っていけんの。
この二人、身体が求め合ってるだけじゃなくて、心も求め合ってるよね。特に女の人はそう。
でも『いとこ同士だし、途中からは一緒に住んでたようなもんだし』ってタブー感があったりして、色々考えすぎて、過去には別れましたと。
お母さんが『一緒になれば良いなって思ってた』ってことが解って『なんだよ、別に、タブーじゃないのかよ』って後悔すんの良かった。でも、そんなこと気にしてたから別れたんだろうな。そして「結婚ってタイミングもあるよな」って思ったし、この二人が結ばれないのはしょうがないと思った。
そしたら、ここからドカンといって、なんだか結ばれる話にしてきたね。ここの描き方は小説家はすごいなと思ったよ。
観てて「誰かに対して強い性衝動を抱く」って、別に悪いことじゃないと思った。でも、なんか、おおっぴらにしちゃいけないとこあるよね。
そして、その性衝動と既婚か未婚かってのは、関係ないんだよね。性衝動は人間が本来持ってるもので、結婚制度って後から社会の安定のために作られた制度だろうから。でも制度やそこから導かれる常識にしばられちゃう。
その辺も観てると考えて面白かったよ。
新しいアダムとイブの物語
「性欲」「食欲」「睡眠欲」をストレートに描いていて色んな意味で気持ちいい作品でもあり、刹那的で寂しさが残り、見終わったあともずっと2人のことを考えてしまう。
1度は火口で死んだはずの二人が亡者踊りのように死に切れず彷徨い続け、最後は富士山と共に成仏したのか、それとも生き返り新しい命へと繋いだのか。
セックスシーンもリアリティがあって良かった。ここまでセックスの滑稽さも含めて描写するのって珍しく、宣伝文句の印象とは違い、笑えるシーンも多く2人のかけあいを楽しむ映画でもある。
瀧内公美は「彼女の人生は間違いじゃない」「日本で一番悪いやつら」に続いての熱演。ハードなセックスシーンが必要な作品なので、やっぱり瀧内公美ありきの映画と言える。もっといろんな作品に出演しててもよい凄い女優だと思う。
舞台挨拶で拝見しましたが、映画での印象とは少し違う可愛らしい方でした。監督が「人には男、女、女優の3種類がいる」という話をされていましたが、まさに瀧内公美は女優なんだと感じた。
ちなみに監督にお聞きしたところ賢治が実家で読んでいた本は柄本佑の私物でたまたま持っていたジェイムス・エルロイの「ホワイト・ジャズ」とのこと。
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