劇場公開日 2019年8月23日

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火口のふたり : 映画評論・批評

2019年8月13日更新

2019年8月23日より新宿武蔵野館ほかにてロードショー

若いふたりの〝身体の言い分〟を全肯定する、すがすがしいまでの淫らさ

荒井晴彦は、過去にとらわれた男と女の移ろいやすい関係を濃密なエロティシズムを介して描き出す脚本家だが、「身も心も」(97)「この国の空」(15)に続いて脚本・監督をつとめた「火口のふたり」は、その自家薬籠中のモチーフがもっとも大胆かつシンプルに抽出された秀作といってよい。

十日後に結婚する直子(瀧内公美)は故郷の秋田に帰省した昔の恋人・賢治(柄本佑)と久々に再会し、つかの間、激しいセックスに溺れる。

冒頭から聴こえてくる、ヒロインの内心の欲望の反響のような、伊東ゆかりの歌う「早く抱いて」(作詞・作曲:下田逸郎)の甘やかな歌声に、まず魅了される。偶然を装いつつ、ふたりの官能の日々をピンナップした一冊のアルバムを見せること、危うさを察知して部屋を出ていきかける賢治に対し、真剣な眼差しで、ソファを何度もバンバン叩く異様に長いショット、そして「今夜、あの頃に戻ってみない?」という抗しがたい誘惑的なフレーズ。

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映画は、終始、直子の周到な企みによって深く静かに進行する。戯れだけの確信犯なのか、無意識による復讐なのか。〝不在〟の婚約者が戻るまでの五日間という限定された時間のなかで、ふたりはむさぼりあうように激しい性愛に耽る。ただし、そこには陰湿さや粘着的なイメージは微塵もない。まさに若いふたりの〝身体の言い分〟を全肯定する、すがすがしいまでの淫らさが際立って印象的なのだ。柄本佑は困惑と野放図さが同居するキャラクターを見事に演じているが、瀧内公美のしなるような肢体と繊細な演技が圧倒的にすばらしい。

ラストに至って、いささか唐突に終末論的、黙示録的ビジョンが提示されるものの、全篇を通じて〝死〟の気配は遍在していたように思う。とりわけ、900年続く〝亡者踊り〟と称される西馬音内盆踊りの行列の間を、ふたりが走り抜けるシーンで一瞬、画面がスローモーションとなり、さらにストップモーションとなる場面はこの上なく美しい。まるで、生と死の淵を彷徨する、このふたりの妖しい道行のようであった。

高崎俊夫

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