天気の子のレビュー・感想・評価
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何度観てもこの作品に惹きつけられる
劇場で3回、レンタルで1回観ました。
君がいればどんな世界でも大丈夫。俺が君にとっての大丈夫になる。そう思いたいな。
世界っていうと大袈裟だけど、仕事の環境とかにも言えるんじゃないかな。
ひなさんの再開するシーンは何度観ても鳥肌が立つほど心が動きます。
東京がこんなにも綺麗で切ない場所だと言うことを監督がどの作品でも教えてくれます。
自分勝手で美しい
私にとってすごく大切な作品になりました。
昨年夏に映画館で1日に2回観て、今回VODで2回観ました。
この作品のマイナスな評価で散見されるのが「主人公が自分勝手すぎる」という意見。
「君の名は。」と比較して、どうして「天気の子」は賛否両論だったのか。
(もちろん大ヒットしましたが)
どうして「自分勝手すぎる」と言われてしまうのか。
それは、「君の名は。」が“君のついでに世界を救う物語”だったのに対し、
「天気の子」は“世界ではなく、たった1人の君を選ぶ物語”だったからであると思います。
「青空よりも、俺は陽菜がいい!」
このセリフがこの映画のすべてだと私は思います。
青空は、みんなが望むもの、世界が望むもの。公共の利益っていういい方は変かな。
とにかくそういうもの。多数決を取ったら、もしかしたらこっちが勝ってしまうかもしれない。
例え、1人の命が犠牲になるとしても。
実際、途中で須賀さんは、帆高を追い出したことを非難する夏美さんに向かってこう言いました。
「人柱1人で天気が元に戻るんなら、俺は歓迎だけどね。俺だけじゃない、本当はお前だってそうだろ?ていうか皆そうなんだよ。誰かがなにかの犠牲になって、それで回っていくのが社会ってもんだ。」
これは“世界”の側の意見です。
でも人間誰だって、「自分が1番大事」ではないですか?
須賀さんも、自分が娘と会いたいから、帆高を追い出しました。
人間はみんな行動の選択の根本は「自分のため」です。
これを知り合いに話したら以前、
「でも私は妻や子どものためなら命だって差し出せます」
と言われました。
でも結局それだって「自分が妻や子どもに生きてほしいから」という気持ちに基づいていますよね?
自分のために行動することは、人間として当たり前のことです。
その気持ちを押し通したり振りかざしたりしたら自分勝手ということになるのかもしれません。
でも「自分勝手だ」「悪だ」「正義だ」と評価するのはいつも世界のほうです。
世界と言っても、ただの多数派です。世界の利益の裏にはいつも犠牲があります。
帆高は間違いなく自分を優先しました。
「青空よりも、俺は陽菜がいい!」
この判断を知ったら世界は非難するかもしれません。
「自分勝手だ!」と。
私は「お互い様だよ」と言い返したいです。
いつのまにか“天気の子大好きな”私たちは、
映画を見ながら世界側ではなく帆高側についています。
陽菜ちゃんに生きていてほしいと気づかぬうちに願っています。
「自分勝手だ」というマイナス評価、それはたぶん世界の、
多数派の視点に立ってこの作品を観ているからです。
新海誠監督もこの2つの視点を持つ人がいて、
酷評される可能性も十分に理解していたと思います。
「君の名は。」はまさに“君のついでに世界も救った物語”でした。
それに対し、「天気の子」は“世界ではなく君を選ぶ物語”と言えます。
でもどちらも、主人公の目的は「君を救うこと」ただそれだけです。
世界なんて、君に比べればどうでもいい。
ついでに救われた世界が称賛し、君の代わりに犠牲になった世界が批判する。
主人公たちにはどうでもいいことです。
君さえいればそれでいいんです。
この気持ちが、すごく美しいと私は思います。
「君が世界を敵に回しても僕は」なんていうベタなセリフも、
「そっち側」に立ててしまう私たちには大好物です。
世界を敵に回すことなんて、きっと私たちには一生ありません。
だから天気の子はどこまでいっても他人事で、ただひたすらに美しくしいのだと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
エネルギーのある映画
話の細かい点にツッコミ所満載だったり、大多数を巻き込む選択をしたことだったり、粗みたいなものも多いけど、それ以上に、自分の人生を選択していくエネルギーに満ちた作品だと思いました。
異常な人たちの交差
レンタルで鑑賞
この映画を構成するもの
①風景描写
②臭いポエム
③スポンサーへの気遣い
④強く、そして歪に隠された異常性欲
この4つがこの映画の基本構成だ。
これが目まぐるしくRADWIMPSの音楽に載せ
爽快感なく繰り返される。
やはり、新海誠がどの邦画監督より優れているのは
16才童貞男子の異常で歪な性欲を描くこと。
15才の少女と交わりたいという一心は
日々、童貞のパワーの蓄積になり
遂には、喪失。
そしてそのピストンは
東京という一都市を凹ますほどの
強烈なピストンだった。
で、幕を閉じる。
要約すれば最高なのだが
問題は、主人公というかこの映画の語り手が
その異常性欲を恥ずかしいものと捉え
ゴミみたいなポエムで上塗りする。
このポエムがあまりに苦痛で見るのが辛かった。
映画とは内臓を見せつけるもの。
新海誠もそろそろ皮膚を裂き
その独特の性への情熱を見せつけて欲しい。
誰よりも凄く醜く、究極のエロスが描けるだろう。
その可能性を感じた。
好きでした。
君の名はの方の作品ということで話題にもなっていたため見ました。
出てくる人たちがなんかすごく愛着の湧く方ばかりで、見ていてすごく入っていける感じでした。
晴れ女の力を持つ女の子。
その子と共に行動をして、晴れてほしいという依頼を受けて、仕事をしていましたね。
その依頼の最中、初盆だから晴れてほしいって依頼をくれたおばあさんの孫がどうみても、君の名はの主人公だと気づいて、わーーーでした。
その後も、晴れ女に誕プレを買いに行ったアクセサリー屋さんの店員さんが、君の名はの女の子でしたね!
ちゃんと赤い紐を頭に巻いてました。
そういうの楽しくて好きです。
内容としては、鉄砲使うシーンが、エッとなりましたが、本当に人を守りたくて好きで一緒にいたくての、若い愚かさからくる、打つ気はなくても、人へ銃を向けてしまうことや、色々な葛藤が垣間見えました。
その子を救うために、救ったら今後雨が止まない世界がくる、それでも僕は君といたいって、そんなに想われてみたいもんですね!
なんだか好きな映画でした。
何故こんなにロングラン?
令和2年1月。未だに私の地域の映画館では上映中です。
観たのは結構前です。
主人公が何故家出をしてきたのかは描かれず、一人で東京を当てもなく彷徨うのが序盤。
お金もあまり無い時に入ったお店で食べ物を分けてくれたヒロインを後に助けてから物語が変動します。
今回様々な会社がタイアップしているのかチラホラ。特にバニラの広告カーがバニラのBGMと共に出た時はちょっと萎えました。
現実とファンタジーを上手く織り交ぜる事で引き込む映画なのではと思うのですが、流石にやり過ぎ感があり、入れるならもうちょっと主張を下げて欲しい。
物語はヒロインが天候を晴れに出来る力を持ち、それを利用して商売を始めますが、実はヒロインの存在と引き換えの能力だった…というもの。
主人公は雑誌編集をしている須賀という男性にとあるきっかけで出会います。晴れ女の商売以前はその須賀さんの下で記事を作成しています。
この須賀さんの考察で奥さんが晴れ女だったのではないかというモノをいくつか見ましたが、私は否定します。
理由は作中で事故死と須賀さんが口にしている事もですが、晴れ女について調べていた際、神社の晴れ女に関する伝説を聞いた時の須賀さんの反応がノーマルだからです。
心当たるのならば、ここでその反応があっても伏線的におかしくないと思います。
なのでその考察を見た時はロマンチストだなと思いました。
恐らく須賀さんは愛する奥さんの事や昔の自分の事で深い心残りがあり、主人公を見ているとその心残りから刺激されるものがあった為、突飛な行動をしたのだと思います。
世界は主人公がヒロインを望んだ為に大きく変化してしまうのですが、それを後悔なんてせずに生きていくという結末です。
いつかの作品で、新海監督が視聴者が望むものが分かった気がするの様な発言をされており、映画もヒットしておりますが、正直にそこまでのものを感じませんでした。
描かれていない部分(主人公の家出の理由、須賀さんの過去、拳銃の存在にまつわる事など…)が多い為、共感の部分が刺激されづらかったかと思います。
映像美は、リアル過ぎる広告まで素晴らしかったです。
主人公が一人上京して東京で生きていこうとする大変さ。私も似た様な経験があり、苦さが込み上げていましたが、拳銃の存在により現実と映画の落差を感じました。
映画なので勿論、創作物なのは分かっていますが、拳銃の存在で一気にこれは作ったもの感を受けてしまったのです。
なので私の中では作中、拳銃はずっと違和感でした。
主人公は一人東京を生きて行かなければならず、且つ拳銃も隠して生きていかなければいけないってどれだけ大変に生きてるの…。
拳銃を二度目にぶっ放した時、人生終わったなと思いました。
そしてヒロインを迎えに行く方法が的確過ぎる。よく思いついたなと褒めたい位です(馬鹿にはしてません。本当よくそれで迎えに行けたなと…)。
ファンタジーなのでツッコんではいけないかもしれませんが、もう少しこうしたらこうなる的な伏線が欲しい。
例えば以前も居たという晴れ女の伝説から思い当たる方法を神主から聞く機会があったとか…大人になってしまったからなのか、ファンタジーがファンタジー過ぎると感じました。
子供に戻ればもっと素敵な作品だと思ったかもしれません。
新海監督の作品の中で一番印象の薄い作品です。
危なっかしくてふんわりした奇跡
見るつもりは全然なかったけど、公開から半年経って鑑賞。
きっかけはポン・ジュノの「パラサイト」や「ジョーカー」と比較して言及していた人がいて(貧困や雨、街の描き方について比較されていた)気になったから。
「君の名は」でどはまりした私が言うのもなんだけど、「天気の子」はやはりすごく若い子たちを楽しませるために作られていて、大人の私は入り込むのはやや苦しかった。
美しい映像とRADWIMPSの音楽でドラマチックに演出されてるけど、実際の出来事は小規模、現実的で、その分「おいおいそりゃダメでしょ」と突っこみたくなるところが多い。
ただ、主人公たちが危なっかしい分、大人のキャラクター達が鑑賞のよりどころになった。
思えば、主人公たちが起こす奇跡はふんわりとしていて、廃ビルの屋上から踏み入れた幻想的な雲の上の世界も、ひなの体が透けてしまう現象も、2人にしか見えていない。2人だけの夢や幻想だとしても、何も不思議じゃない。
周りの大人たちはやはり2人の奇跡を本気で半年信じず、でも「そこまで強い思いがあるなら」と応援している。そこには共感できた。
それにしても、東京の閉塞感が妙にリアルで、「君の名は」からの変化にちょっぴり切なくなった。
きっと「大丈夫」
2019年の国内興行収益の第一位は「天気の子」だったと知った2020年の正月。「アニメなのが日本っぽいなぁ」と思いつつ、「あれ?この作品まだ上映してるんだ」っと気が付いて映画館に足を運びました。やー、面白かった!正直あまり邦画自体を映画館で観る習慣がなく観てもたまに誘われていくぐらいで、本作に関しても特に大した理由もなくスルーしていたのですが、これは映画館で観て良かったです。
いやはや最近のアニメって本当に綺麗ですよね。雨の表現の仕方とか、光の差し込み方とか、人物と背景の動きとかホント凄まじいです。特にあの花火大会のシーンは以前見たドローンで撮影した花火大会の動画を思いだしました。よくできてるよなぁ。
とりあえず少年がまっすぐに好きな女の子の為に走る姿は良い!なんかグっときます。帆高が警察に捕まった時、陽菜が15歳だったと知って「俺が一番年上じゃないかよ」とショックを受けるシーン。あれぐらいの年齢の時って1、2歳差ってとっても重要で、一番年上なのに何もできなかったって感じる帆高に男気を感じました。島が何だか窮屈で外に出たいって気持ちも、片田舎に生まれて外に出たくって勢い余って海外を2年程放浪した自分にはあの頃の気持ちを思い出すようでよくわかります。
陽菜もいい子でしたよね。自分の体調の変化ってきっと早いうちに気が付いてて、それでも人を笑顔にできる仕事ができて良かったって。あの素直さって子供ならではですよね。でも子供二人だけで生きるのは大変でも、きっとこの日本にリアルに存在する問題なんだろうな。貧困の問題ってなかなか関わる事がないのですが、それで体を売ってたりする子がいる現実。格差というか、すごく日本の現状を浮き彫りにされている感じでした。
時折「今の子供達の将来って大変だよな」っと思ったりする事があるんですよ。毎年のように異常気象で大きな災害が起きてて。昨年台風19号の災害ボランティアに行ったのですが、その被害の凄さを生で見てみる本当に言葉を失うんですよね。自然の猛威って本当に本当に怖ろしくって。ただ地球温暖化にせよ、これまでの積み重ねでそうなっている訳で。もちろん大人たちとしては次世代に荒れた世界なんて残したかったはずもなく、ただ日々を忙しく生活していたらいつの間にかこういう状態なってしまっていて。
だからって自分に何かできるかっというと問題が大きすぎてわからなくって。例えば環境活動家のグレタさんに「あなたたち大人が!」って責められても「そんな事言われてもなぁ」と居心地の悪い気分になるだけだったり。もちろんエコに気を使うのは大事だとしても、次世代に豊な自然を残すには?と考えると答えなんて出なくって、勝手に思考の袋小路に嵌ってしまう気分・・・。
でも本作の最後「大丈夫」って言葉で、自分のない頭で考えなくても、きっと「大丈夫」なのではないかと思い、なんだかスッとしました。何だかんだで色々あるかも知れないけど、その時代その時代で人々はたくましく生きていくはずですしね。災害でしんどい目にあっても立ち尽くしても、そこからまた立ち上がる人がいるように、多少環境が変わる事はあってもきっと「大丈夫」なのではないか?そう思えます。私たち大人も日々の細かな努力を続ける事を忘れず、少しでも「大丈夫」な天気を次世代に残していきたいものです。
再鑑賞履歴
2022/10/1
Imaxにて
ジブリみたいになれるのか?
「言の葉の庭」以外の新海誠作品を視聴しています。
「君の名は」以降、ウジウジ感がなく、
楽しくテンポよくみられるようになった気がします。
新海作品の好きなところは、背景の空気感と色彩の豊かさ。
本作でも、雲の切れ間から光が差す場面の空気感の描写、雲の上の世界が目前に広がる場面の豊かな色彩(雨が続く暗い世界との明白な差)に感動しました。
さて、「天気の子」は、スタジオジブリのように、5年後・10年後に繰り返し見られるのか…
5年後、10年後の視聴者が、少年・少女の心理に共感できるか、設定を楽しめるかが重要と思います。例えば「魔女の宅急便」のキキの心理には、いまだに共感できます。
アラサーの私は、「天気の子」の主人公たちの出会いや居候生活、最後の捕り物などに荒唐無稽さを感じ、少し鼻白んでしまいました。
ヒロインが中学生だったという展開も、びっくり以上に、「え?そんなキャラクター設定無茶苦茶じゃない?」と混乱してしまいました。
繰り返し見て楽しめるか、というと私は「うーん」というところです。
皆さんはいかがでしょうか。
人生に影響を与える次回作を期待
ボーイミーツガールなジャンルの作品として非常に楽しめた。作画・音楽・脚本・演出・演技など素人目には悪い点を挙げることができない。
しかし鑑賞後何も残らない。鑑賞した人間の生き方に働きかけるような強い意志は感じられず、名作と評価するには足りないものがあるように思う。
・罪を犯してでも大切な人を救え=野生回帰?
・多数の利益よりも、一人の大切な少女を救う
・主人公とヒロインは「君の名は」を彷彿とさせるゼロ年代テイスト
個人的にポイントと思われるものを列挙したが、新規性もなく、メッセージ性も薄い。
世間が求めるものが「君の名は」であり、少年と少女が結ばれる感動を観たいと言われればそれまでであるが、それは娯楽として消費されるものであって作品としてのアイデンティティを見失う。
深海監督であれば大衆人気とメッセージ性を両立したもうワンランク上の作品が可能であると思うので、次回作を期待したい。
呪いの言葉
「大人になれよ、少年」
帆高を観ていて、私も須賀と同じ事を思いました。だけど、そんな事を思った大人の私は、ラストで誤魔化しの自分と向き合う事になるのです。私は「大人だから」という呪いの言葉でどれだけ大きな代償を払ってきたのか。私は「大人だから」という呪いの言葉によって、天候が狂いディストピアを作っていた事にも今まで気づく事が出来なかったのか。
今、日本を支配しているのは「○○だから」という呪いの言葉。それが現代日本の閉塞感を作り出しているのだと思います。誰もが均一的な社会の中で、晴れ女は異物の存在で、排除の対象になる存在です。晴れ女を助ける人間もまた、この世界では排除の対象になります。
だけど、晴れ女という異形を救おうとする帆高の様な人間は、ずっと昔から昔話でも文学でも映画でも漫画でも普遍的に描かれてきました。誰かを助ける人は、昔からとても尊敬されてきた人間です。それに、異形を排除することは、ファシズムにも繋がります。排除ばかりする社会にいるから生きるのが苦しいんだという当たり前の事を「天気の子」は、思い出させてくれました。
感性や感情を使う表現者は、大衆の気持ちも異形の気持ちも想像できてしまう才能の持ち主です。いわば、晴れ女と同じなのではないでしょうか。そのせいか、アマゾンに住む異形を描いた「シェイプ・オブ・ウオーター」から聞こえてきた祈りと同じ様な祈りが、「天気の子」からも聞こえた気がしました。
馬鹿が見るためのアニメ映画
本当に見ている間退屈で、
つまらなかった、終始主人公
が、犯罪をやりまくるのが
頭が悪すぎて苛立ちを覚える。
もうちょっとキャラクターの心情
を掘り下げ、なんでこのキャラ
は、こうゆうことをするのか
ちゃんと説明し、分かりやすい
ようにした方がいいと思います。
後スポンサーに気を使いすぎてい
て、重要なシーンがないので、
話しが繋がらない部分が多く
あります。
こういう設定はこれきりにすべきかな
君の名は。を見てないので比べようがないのだけど、普通に感動しました。
ただストーリーがなんとも寓話的というかご都合主義というか、わらしべ長者じゃないんだからとツッコミ入れたくなってしまった。
最近家出人を監禁する事件が流行ってるのに、この安易なストーリーはちょっとダメでしょ。
ヒロインの少女の境遇に比べて、多分主人公の少年はそれ程悲惨な理由も無く家出したのでは?と想像できる。
そもそもなんで少年を家出人にしたのかも、理解不能。別に元々東京に住んでて行き場を失ってる少年でも、充分説得力はあったはず。
家出した未成年が良い人に巡り会えて人生が開けるって、昔でも宝くじ当てるより難しくなかったか?
自分の長年生きてきた経験値として、家出を繰り返してた放蕩娘が、その後どんな悲惨な末路を辿ったかも知っている。
これ程有名な映画だと影響力も大きいので、安易にマネする未成年が増えない事を、老婆心ながら祈るのみです。
作品自体は悪くないので、今後はこういう絵に描いた餅みたいな設定にしないで欲しいと願います。
今の日本の現状を投影した映画
劇場で観てきました。
「君の名は。」からの注目を浴びて、前回のような恋愛ストーリーを
想像していましたが、今回の作風は少し違いました。
この映画は、今の日本、おおきく言えば世界で起こっている異常気象を
日本の童話と絡めて描いた作品だと感じています。
その中に、あくまでも恋愛的なストーリーは、おまけ的要素で
描いているように、私には感じました。
ただ、主人公の陽菜が、自分の想いや運命を受け入れて
言えずに時がたつのは、グッとくるものがあります。
この「天気の子」、兎にも角にも雨が降り続けます。
とても異常な気象ですが、これはまさに今の日本で起こっています。
夏で言えば、異常な暑さ!
秋を通り過ぎての急な冬と、日本の四季が崩れています。
ただ、これを真面目に描くとドキュメンタリ-となってしまいます。
注目するセリフや背景には
1人の子の命より、大勢の人の幸せを選択する言葉が今の時代背景だと感じました。
何が正しいより、自分の正解を信じるしかありません。
異常気象の正常化には、実は自分達の知らないところで
若い少女の命が、ささげられているという、自分たちの何気ない生活の裏には
知らない誰かのストーリーがあることを描いています。
当たり前と思っていることの背景には、そうではないことがあると!!
そして、雨がやまないことは、
将来の地球が描かれていると共に、こうなることはわかっていて
そうなっても人は生きられることも描いている気がします。
ここは、希望ですね。
今と異なる状況になったとしても人は適応できるものだし、今のままだと異常気象は止められないものだと。
企業も色々と、その観点に関しては、考える時代となっているはずです。
投資家や起業家だけでなく、私たちも考えていかなければならない時代、いや、取り返しのつかない段階まで来ているとの警告な気もします。
ここに注目してみてみると、見え方が大きく異なると思います。
私としては、純粋に見ていただきたいので、ストーリーの裏側の構成として、参考になればと考えています。
世界がどんなことになろうとも、自分の大切な人だけは守りたい!
これは、素敵な想いで共感できます。
もう一人の主人公、帆高の大勢でなく、1人を守り通り想いも描かれているので、
あなたならどうするのかを含めてみてみたら、いかがでしょうか。
主要登場人物の共通点が ほっておけない で。
主要登場人物の共通点として ほっておけない というのがあるかと。
夕食がスープ一杯の子をほっておけない
家出少年をほっておけない
飼い主がいないであろう猫をほっておけない
子供だけで生活しているのをほっておけない児童相談所
帆高にほっておいてくれと言われても 結局はほっておかなかった神様(脚本家)
大丈夫だと言ってても そうではなさそうな陽菜をほっておけない帆高
「他人の人生より 自分の生活が大事だろ」と言っててもほっておけない須賀
警察に保護された児童(凪)をほってけなくて救出しに行く
警察に再度捕まりそうになっている帆高をほっとけなくてバイクで救出する
廃ビルについた帆高をほっとけなくて警察に連れて行こうとする
廃ビルで高井刑事に取り押さえられた帆高を自由にする
普通の人ならば ほっておくのに 登場人物は ほっておかなくて
それが続くから違和感を感じて 面白くないと思われる人がおられるかと
普通の人ならばほっておくのに 登場人物はほっておかない そのような状況を考えるのに思いっきり苦労されただろうなと。
一回目の鑑賞では話についていけなくて 予想していたのと思いっきり違う話で
泣けなかったけど 2回目以降は話が分かっているので 泣けました
2回目以降が面白い映画って珍しいなと
7回目でも新しい発見ができて 良いなと。
ネットで調べると新しい見方がわかって 良いなと。
グランドエスケープの歌詞の解釈が 100人いたら100通りあって
ネットで歌詞の考察 意味を見たけど 人によって思いっきり異なっていて 良いなと。
自分の大切な物語は何か、考えさせられる物語
まずストーリーについて。
君の名は。同様に舞台が日本である事は言うまでもないですが、あくまでファンタジーと捉えなければ、この作品を100%楽しむことは出来ないと思います。
ですが、リアリティに富んだ登場人物達の立場に、自身の経験を重ねずにはいられず、感情移入させられてしまいました。
新海監督が『政治、教育、メディアでは絶対に言えない事を天気の子では描く』と情報番組のインタビューでお応えしていましたが、まさに作中のラスト、帆高が自分達の住む世界全体の幸せより、たった一人の愛する女性である陽菜救う事を選択します。
僕達の住む現実世界では、物事を多数決を取る民主主義で決められていく事がほとんどですが、その中で割りを食わせられ、気持ちや考えを封殺されてしまった事は誰でも経験した事があると思います。
だからこそ真っ直ぐに、自分の大切な人を向かって、周りの喧騒にもお構いなしに走る少年に涙がこみ上げて来ました。
それだけなら良くあるストーリーですが、プラスに自分の大切な物と、他人の大切な物、それらを天秤に掛ける事の難しさと苦悩を上手く描けていたからこそ、ラストは感動出来たのだと思います。
音楽について。
放映前にテーマソング5曲は事前に聴いておきましたが、正直イマイチだと思っていました。
君の名は。を超えてはいないと。
ですが、劇場で映像を観ながらとでは印象がガラリと変わり『この曲が良い、この曲じゃないとダメだ』と思わせられる程にマッチしていました。
RADWIMPSの野田さん、監督が仰っていましたが『音楽に合わせて映像を変える』レベルで世界観と音楽を極限まで組み上げていたそうで、映像美と合わせて圧巻の一言です。
比較してしまうな…
君の名はにくらべると動機があいまいな感がある。
なんで少年が家に帰りたくないのか、あんなにまわりを振りまわす理由がなさすぎるし、すぐに消えてしまう小さい魚?みたいなものも空の上に生態系があるとかの話だけで実態や少女とのつながりがなさすぎる。
拳銃に関してはただ警察に追っかけられるために出てきたアイテムのように見えた。
ただ雨や光の表現の美しさや人物の動き方の心地よさだけで2時間見ていて楽しめてしまう。
少年少女の一瞬の美しさみたいなものはより強くあらわれていたのでまた期待して映画館に観に行きたい。
長い時間かけてもいいから丁寧な話作りをした次の作品が観たい。
設定が気になりすぎて入ってこない
キャラクター設定だけでも気になるところがありすぎました。。。
(ネタバレあり)
主人公はなぜ家出をしたのか
・もうあそこに帰りたくない
・ヒロインにおごってもらったハンバーガーが16年で一番美味しい夕飯
っていう位だから相当殺伐とした家庭環境なのかDVでもされていたのかな?って想像するも
その割には性格が素直で人をすぐ信じるしゴミも拾って戻そうとするよい子で捻くれた所が全くない。
この主人公の設定描写がほぼ無いので想像するしかないのですが、そうすると彼の性質と矛盾してくる。
そのあたりを冒頭から「?」ってなってしまい、スタートから躓きました。
ヒロインは結局15歳(17歳でも問題ですが)
母親が他界して子供だけ(小学生つき)で残されたら間違いなく大人たちが動くはず。
アパート二人暮らしがちょっとでもできていたのがおかしい(1年以上していた)
マックでバイトがクビになったからと水商売やろうとする?
マックバイトで賄えていたくらいの金銭だったらいくらでも他にバイトがあるでしょう
っていうか中学校どうした?
あと10代の子が2~3歳誤魔化すこと自体に無理がある
お金がないのにヒロイン弟が私立っぽい小学校に行ってる(東京で公共機関使う小学校は公立ではない)
この弟、見たところ小学校低学年なのに
性格がまったく小学生じゃない、性格やセリフにあまりにも無理がある
警察はねとばしてたし、本当は大人なんじゃないかな…。
あと主人公が「先輩」って呼んでるのがちょっと気持ち悪かった。
子どもを子ども扱いしないことで大人から逃げている罪悪感を誤魔化している感じがしてしまう。
他にも色々と気になりすぎて
感情移入できる前にRADの歌が始まって
置いて行かれたまま、終わりました。
小栗旬がめちゃくちゃうまかったです!!
仮レビュー
世界のため、なんてそんな善意で生きてない。
みんな自分のために生きてる。
自分の役割が欲しい。
娘に会いたい。
好きなあの子に会いたい。
生きたい。
お金が欲しい。
姉のと共に生きたい。
今日だけは晴れにして欲しい。
晴れを犠牲にして、雨の振り続ける世界に変えてしまった。
けれど東京は確かに沈んだけど、ここは元々海だった。
元に戻るだけ。
そう言い聞かせる主人公。
自分のエゴで世界を変えた。
神社で人柱の話を聞いても晴れを望んだ。
元々はかなり期待値が薄かった。
9月に入って、近所の小さな映画館でまだ公開していたので重い腰を上げたけど、後悔はなし。
新海誠の描写が好きなので、1度は見ようと思っていたけど、これはやっぱりもっと大きなスクリーンのある映画館で見るべきだった…。
君の名はの下地がなくてもおもしろかった。
人ってみんな自分のために生きてるんだ。
しかもこれを16歳の少年がおこなっているのがリアルでいい。
人柱として受け入れた女の子を引き戻すのは独善的かもしれない。
全737件中、101~120件目を表示