天気の子のレビュー・感想・評価
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音楽×映像美×脚本=新海誠!
天気の子【IMAX 2D】
鑑賞日 2019 7/19【IMAX 2D】、7/23【IMAX 2D】
新海誠監督作品は「君の名は。」しか見たことがないが、「君の名は。」は個人的に良作であったことと、本作の予告編で鳥肌が立って感動するほどだったのでとても大きな期待を込めていた。まず映像美は「君の名は。」と変わらず素晴らしいし、今回は空から落ちるシーンもあるのでさらに映像美が引き立っているよう感じた。またハッピーエンドなのかわからないようなラストも個人的には大満足で、鑑賞した後に少しモヤっとして結局主人公の穂高の「選択」は正解だったのかと考えさせられるのも色々な推測が立てられる映画としてすごく面白いと感じる。さらに「君の名は。」のキャラクターのカメオ出演も死ぬほど嬉しく、登場シーンでは開いた口が塞がらなかった。あの2時間の間で穂高と陽菜の絆を表現して鑑賞者に納得させるのも上手。だが、少し穂高の家での理由などを上映時間を伸ばしてもいので表現しても良かったのではとも思う。
王道行かぬ映画
初上映当日鑑賞し、本日まで自分の中で反芻し、ふっとあることに気づいたのでレビューいたします。
正直、鑑賞当日の感想は3つだけ:
1、「君の名は。」の後日談を知れてよかった。
2、期待通りのクオリティー。
3、世界を引き換えにしても思い人を選ぶという思いつかぬ結末は新しい。
しかし、よくよく考えたら見落としたことがある気がする。
大ヒットの「君の名は。」のかげにある本作は、確か「君の名は。」ほど感動的な物語ではなかった。
という点で評価されないレビューが多いと見受ける。
しかし、本作の新しい物語の終わり方から、「君の名は。」とは異なる何かが訴えかけている。
それは、「傲慢な全体主義への批判」ではないかと思う。
鑑賞の際、終局までは世界を引き換えに彼女を救うという選択肢がある、と考えもしなかった。
何故なら、自分の中に既に「1人を犠牲にしても世界を救うべきだ」という先入観が存在したと思う。
しかし、この一見に正しい価値観が通ったのは、その1人の犠牲という代償を払うのはあくまで少数であり(この映画では2人)、それ以外の多数派は実質、タダで世界を取り戻してもらったことになるからである。
従って、本作の一見納得できない主人公の選択は、主人公が思う社会の人々が持つ傲慢な全体主義、つまり世界が元通りになれば自分と関係のない1人が犠牲になってもいいという自分が損しない卑怯な考え方への反逆であると思う。
犠牲のリスクが個人に限定する「1人を犠牲にしても世界を救うべきだ」という全体主義は、多数派の利己的な考えで成り立ち、傲慢なものである。
自分はこの傲慢な全体主義に囚われ、主人公の立場でありながら(見ている映画はこの人が主人公だから自然にこの人の立場になる)、世界を引き換えに彼女を救うという選択肢を取れなかった。
だから主人公がこの選択肢を取ったのを「新しい」と思った。
この映画はこの「新しい」ことを我々観衆に訴えかけているのではないか。
だから映画の最後のあのセリフについて、許されても罪を感じるという王道より、我々観衆が持つ傲慢な価値観に反し、堂々と世界より彼女を選ぶという王道行かぬことを主張したと自分が思う。
何故主人公にとって彼女が世界より重いかについて、本作から申し上げることがたくさんありますが、新しくないので割愛します。
長文失礼。
雨・雨・雨…
家出して東京に来た16歳の帆高少年と母を亡くし
働きながら弟と2人で暮らす陽菜に起こった不思議な物語。
記録的な雨続きの東京の空に一筋の光を見つけた陽菜。
廃ビルの屋上に祠があり願いを込めて鳥居をくぐると体が宙に舞い上がった。空と繋がった瞬間だ。水滴の魚達が天気の神の使いのようだ。
綺麗な映像と音楽でワクワクが止まらない。
家出少年のバイト探しの難しさや寝泊まりするネカフェ代も尽き路地裏のごみ箱と並んで座る様子なんか見てるとこうして犯罪に手を染めていくのだろうか?と心配になる。
まぁ、そこはアニメだから偶然知り合った男を頼って住み込みで働くと言うラッキーな話。
『100%の晴れ女』陽菜と出会い帆高は彼女の為にネットで一儲けを思いつく。
晴れを願う人の為に有料で晴れにする仕事だ。
依頼は次々と舞い込んだ。
晴れを願う人がこんなにたくさんいるなんて!
爽やかな青春ラブストーリー。これで終わるならいいんだけど。
帆高は以前路上のごみ箱の中から銃を拾った。
陽菜を助ける為に路上で銃を発砲した事で帆高は警察から追われていた。同時に陽菜達も子供だけで暮らしていることが警察に知れ、児相に保護されそうになる。
3人は逃げた。
晴れを願う力を使い過ぎすると神隠しにあうという伝説や、天気の巫女は異常気象を正常に戻す人柱など嫌な話が現実となる。目覚めると陽菜の姿が無い。
雨は止み夏らしい晴れ間が。
帆高の必死の抵抗。
ただ陽菜に会いたいだけだ!
あの廃ビルの屋上へ…
天気なんてどうでも良い、陽菜に会いたい。
3年後
島に戻り無事に高校を卒業し、東京の大学に進学した帆高と陽菜の再会。
東京はあれからずっと雨続き。
水上バスが移動手段。
皆んなビル、マンションの上の階に引っ越している。
水没都市になるのかな?
瀧くん出てたね。
オメラスから歩み去る人びと問題
オメラスから歩み去る人びとの問題をある意味解決しようとする結論。ネタバレですが、延々同じ場所にいると大雨なので、砂漠など世界各地を放浪して、必ず雨降らせます 商売もできるだろうと思う。新海誠監督は、本当はもっと伝えたいこともあるのだろうけれども、悪魔メフィストフェレス=川村元気に作品が売れるかわりに作家としての魂を売っている。なので誰にでもわかりやすいように、簡単なストーリー展開となっています。
この作品は、雨と天使の梯子と年下の女子、音楽の一体感を楽しむ映画なので、映画館での鑑賞が適している作品だと思います。
『君の名は。』と合わせた一つの問いかけ
になっていると感じました。
『君の名は。』と『天気の子』は、筋書きがほぼ同じ。起:boy meets girl、
承:互いに惹かれ会う2人
展:超常的な厄災により離れ離れ、
結:無謀で勇気ある行動の結果結ばれる。
安心して見てられるし、見てて気持ちが良いですよね。今回もまた泣いてしまいました。
しかし、同じ様な作品でも過程が決定的に違います。
前回の君の名は、文句なしの大団円。厄災に気づいた主人公は周りの人を巻き込み大切な人、その周り皆をその危機から救いました。
一方の天気の子は、ヒロインを救う事を決めた事により、世界の形を決定的に変えてしまいました。あの決定で東京のどれだけの人に悲劇が訪れたか。それは昨今のニュースを見ても想像に難くありません。
今回の作品が賛否が分かれるだろうと新海先生が言っていたのは、まさにこの部分なのかと思いました。主人公の若い行動によって、2人は良いけど周りはどうなん…っていう物語。いや、全然大丈夫じゃなくない、みたいな。
こうして二つの物語を対比し、
君の名は。は二人が結ばれる過程で人も救われて素晴らしい。
天気の子は二人が身勝手な行動をした結果他の人が不幸になってて素晴らしくない。
と、そう思いますか?と問われている様に感じました。
もう大人になれよ少年、と小栗旬が言ってました。大人になる事は、自分の気持ちに折り合いをつけれる様になる事だと思います。
東京に住む名も知らない900万人と、好きになった少女。前者を正しく選べるのが大人なのでしょうね。
『自分の身勝手で周りに迷惑をかけてしまうかもしれない。それはいけない。』
『この特別な感情は一時的な物。良い人だってまた次がある』
何度かこんな言い訳を吐いた後に、正当化された自分に安心し、一人の少女を正しく死なす事が出来るんです。
特に日本は個人の為に集団を乱される事を嫌います。
母子の為に会社を休むと職場に迷惑がかかる。
いじめを学校に訴えると周囲の輪を乱す(狙われる)。
自分や本当に大切にしなきゃいけない人より、無意識に周りを大切にしてしまうんですね。
そんな風に大人になってきた自分だから、天気の子を初め見て手放しで素晴らしく思えないと感じてしまったのでしょう。
でも、少年の自分はそうは思わなかったはずで、後先考えず自分自身や自分にとって大切な人を救う無謀で勇気ある選択が出来た筈です。
何故なら、元々僕らは一人一人幸せになる事を目的としているはずなのですから。
周囲に与える影響が良くても悪くても、あくまで自分達は大切な人の為を第一に考えて行動すべき。
当然代償は軽くない。そんな時に『大丈夫』な存在になれるようにお互いに努力していこう。
当たり前な事だけど、忘れていた大事な事を学べました。
大丈夫だよ!
水が好きなので水の描写の美しさに心がときめいてしまった。タルコフスキーの「ノスタルジア」を思い出した。水といったら自分にとっては海なので、一緒に泳ぐサカナの大群も嬉しかった。アニメ音痴で予備知識ゼロだが、途中で祖母の声は倍賞千恵子さんだと確信した。東京は昔っから埋め立てで作ってきた町なんだから元に戻るだけという彼女の言葉がキモのような気がする。だから「ひなさん、僕達は大丈夫だよ」は過去に立脚して未来に向かう言葉になることができて、いつも私達が使っている「大丈夫」と全く別物だった。
拳銃は唐突だったけれど、子どもや弱い人に優しくないどころか排除したり虐める社会なんだから、自分を守るための道具なんだと思いたい。
それにしても笑える箇所も沢山あった。この急坂はあそこ、あの線路沿いの風景お馴染み!よく行ってた映画館!「角海老」が「丸海老」になってる!「ビオレ」や「ニベア」が綴りも音も変えてるけど容器でそれとわかったり。ほだかにとって、東京は最初は恐い町だったと思うけれど、そんなことない場所も沢山あるよ。新盆の時に分かってくれたかな。
あ~、面白くて美しくて笑って泣いて見終わっても余韻に浸れて幸せだー!
人が選べる選択には限界がある
#天気の子
この作品を観て、往年の新海誠先生を彷彿とした系譜を感じ得た。
冒頭の始まりは先生特有の世界観、背景の説明
起承転結におけるベースとなる起・主人公、ヒロインと
それを取り巻く事情を語り始めた
今回は最近の作風と違くベースとなる場所を定めるところからだった
その中で出会う人々がキーマンとなっていく
特に冒頭に出会う男性はこの作品において重要であり且つ考察をしている皆様においても重要となっていく
承では、出会ったヒロインをとおして彼らの日常に変化を起こしていく先の未来に何が起こるかわからなくとも漠然とした前進であっても彼らは喜んで進んでいくだろう、その選択が正しいと思うのだから
転では自分達が行ってきたことが、触れてきたものが
結果として帰ってくる
自分が選んだからこそ見落としていた
まさに近くにヒントは、答えに近づき気づき得ることは多かったというのに
ここで未成年である彼らに人が敷いた法が、自然に於ける摂理が重くのしかかって
選択を強いる
結においては、彼らの答えがそのまま未来へとなる
人としての結果を自然に現れる結果を受け止めてゆく
その中で傲慢である答えは世界においては儚くも自身を取り巻く世界においては想像を絶する重しがある事を知るが同時に自身を動かす原動力であることを認識する
答えを決めるのは、動くのは自分なのだと…
昔が好きだ〜と語る自分からすれば
歪んでいても美しく、選択肢があるようで何もできない結果を映し出す先生の世界観に魅せられていた
今作においては、人は人であり
ある意味純粋であった
その上で世界を歪めおとしいれた
その結果が、昔の作品を観た時に感じた魅力に近く
個人的にはとても好み、節目で見ていきたい
浄化であり振り返りさせてくれる好みと一本となり得ました。 末筆
素敵な出逢い そして 大人になること
誰もが、大人にならなければいけない時がある。
人によって抱える問題も、環境も違うが、乗り越えなければならない。
そんな時、もし大切な人と一緒に乗り越えることが出来れば、乗り越えた先の世界がどんな世界だとしても、良い事なんだ。と感じさせてくれた作品でした。
帆高は、変わり果ててしまった東京の姿に責任を感じていたが、陽菜と再会することで、この世界を受け止め生きていくことを決意したと思います。
そんな素敵な出逢いをしてみたいものです^ ^
私も目を背けていた問題に、どんな形でも良いから行動を起こそうと思いました。
自分が子供だったら純粋な気持ちで観れたかな
観ている途中で気がついたが
大人視点で観ている自分が嫌だなぁ
って思いました。
個人的なことで
本筋から少々離れてしまいますが
自分は佐賀県在住でして
大雨で沈む東京と
先日、佐賀県を襲った大雨の記憶が
重なって少々胸が苦しいかった
また時間を置いて改めて見ると
今回感じたものとは違う感想が
感じられるような気がします。
頭が固いとついてけない
愛にできることはあるんだろうけど、ここまでやっちゃっていいのかよ、愛のためって言ったら何やってもいいの?
って思ってしまうくらいには、自分は頭の固い大人になってしまったのかなと感じてさみしくなった。
新海誠といえば、普通の人が考えもつかないくらいロマンティックでドラマティックな思想の持ち主だってことは他の作品も観て予習済みだったし、現実でどうかってことより、より美しく派手に表現する新海誠ワールドにどっぷり浸るための心の準備もできていたはずだったのに、結局は全部が終わった後に「これでよかったの?」って思ってしまった。負けた気分だ。
本当の愛なら、言葉はそんなにいらない
内容は大人向けだけど、子供にも分かりやすいようにという親切心からか、登場人物の気持ちや行動を補足するような説明的セリフ(例えば「僕は彼女に会いたいんだぁ~❗」とか)が多すぎます。
そのせいで彼ら彼女らの言動に深みがなく、何だか軽い感じになってしまい残念でした。
また、東京の環境を激変させるほど「世界を変えてしまった」自覚がありながら、そんな世界ででも「僕たちは大丈夫」と、抱き合って再会を喜んでいるのには、「お前ら周りが見えないバカップルか❗」とツッコミたくもなります。
ただ「時に若さ故に、盲目的に突っ走ってしまう男女の愛」というのを隠れたテーマとしているとすれば、さすがは新海監督だぜ……と恐れ入るところなのですが😥
あとついでに、警察の無能さを、徹頭徹尾・遠慮なしに描いてフォローもしない、という反権力的姿勢は、わりと格好いいと思いました
大人になっちゃったけど、この映画が好き
中学生の頃というのは、この作品の言葉を借りると人柱というものに弱いと思う。
弱いというかある種のかっこよさを感じてしまうというか。
世界が誰かの犠牲のうえに、成り立つということへの妙な憧れである。
家出をした少年が猥雑な東京の街で出会ったのは、祈ると天気を晴れにできる不思議な力を持った少女だった。
しかし、当然のことながら天気はタダでは晴れにならず、彼女は力を使い果たしてこの世界からは消えてしまう。
彼女が消えるぐらいなら、天気なんてずっと雨でいいと強く願った少年は、少女を世界果てから引きずり戻すのだった。
たったこれだけの内容。
でもたったこれだけが、ストレートに伝わってくる。
そして、中学生の頃にこんな映画があればよかったのにって思っていた、まさにそのもの。わくわくする気持ちがよみがえってくるような。
怪しげな仕事をしている地下のスナックを事務所がわりにしているおじさん。そこで働くちょっとセクシーで破天荒な姉さん。
歌舞伎町の夜、新宿の目ネオン、廃墟の非常用階段。
そして、世界と関わる重大なちからを持った少女。
キャラクターの行動の根拠がない、いつ好きになったのかわからない 、発砲はいかがなものか、などツッコミたくなる気持ちも分かる。
けれど、たまたま出会った二人が、
世界をちょっと狂わせてしまったことぐらい大丈夫なのだろう。
世界はもとから狂っているのだから。
そう思わせてくれる良いファンタジー作品だった。
私は好きです。
余談ですが、ラスト近くでアントロポセンについて調べていたようなので、彼なら真剣にあの世界の気象の謎に挑んでくれるのかも。てるてるぼうずを作っていた彼が、彼女を救って物理で雨を解決する未来も悪くない。
リアリティーが邪魔
この作品は「君の名は」を見ている見ていないで評価に差が出ると思います。このレビューは見た側の一個人の意見です。
展開や手法が前作とかなり似ていると感じました。同じ監督なので当たり前ですが、それにしても似過ぎていると感じました。
期待せずに見ましたが、期待せずに見て丁度良いかなと思います。「君の名は」を見ていない人からすれば、映像も綺麗だし音楽も良いので楽しめると思いますが。
恋愛描写が前作より色濃かったかなと思います。
少しそこがクドく感じましたし、その描写が雑だったかなと思います。
勢いのあるどうしようもない「感情」を「物理的」に表現するためだったのかな?と思いますが、それでも拳銃を軽く使っていたと思います。「重そうで軽い」ではなく「軽そうで重い」様に描いて欲しかった。難しいんですかね。
あとこれは前作を見た時は良い感じましたが、あまりにも実在の物を使い過ぎかなと思います。
リアリティーを出すのは良いと思いますが、それで作品に入り込めなかったです。
個人的にですが、思いっきりスポンサーなのかなと変に勘ぐってしまうほどだったので嫌なところでした。
結構悪い点を書きましたが、前作同様料理の作画やBGMを含めた音楽はとても良かったです。
それだけにもったいない作品だったと思います。
キャラクターが大きな声で叫んだり、涙をだらだらと流したり、ドラマテ...
キャラクターが大きな声で叫んだり、涙をだらだらと流したり、ドラマティックな音楽がタイミングよく流れるから、見ている人が感動するのではない。それらはただの「演出」であって、しっかりとした世界観に裏打ちされた脚本があってこそ、効果を発揮するものだと思います。
前作の「君の名は」に比べると、脚本の出来が著しく劣化、他の方も書いているように、「なんでこーなるの?」ってのがきちんと説明されていないため、騒ぎ続けるキャラたちの誰にも感情移入できないまま、どんどん描写だけが進んでいきます。
「なんで女性主人公は晴れ女になったの?」「晴れ女になったときに病床にいた人はそのあとどうなったの?」「なんで男性主人公は島から出たの?」「なんでゴミ箱の中にピストルがあったの?」「なんで東京には雨が降り続けているの?」「なんで女性主人公は人柱であることがわかったの?」「なんで人柱になると消えるの?」、などなど解決されない疑問が山積みです。
芸術作品だったらこれでOKでしょうけど、娯楽作品としてはどうでしょう? 正直、途中で寝ちゃいました。
これが本当に、あの精緻な「君の名は」を作った新海監督の作品なのでしょうか? なんかのパロディじゃないでしょうか?
肝心の描写も大したことありません。
たとえば空を舞う主人公たちにまったく「浮遊感」がないのです。宮崎駿があれだけこだわってきた空中シーンをあえて導入するわけですから、宮崎にはなしえなかった新しい浮遊感を提示すべきでしたが、残念ながらそれはなし。スタジオジブリもほっとしているでしょう。
マクドナルドをはじめとしたあちこちに出てくる企業タイアップのカットも興ざめです。
企業に媚び、大衆に媚び、自分の前作に媚びた…そんな悲惨な作品。残念です。
男の子視点の新海節、女性視点では…
新海節とも言える男の子の視点、心の描き方は流石という仕上がりです。
地方の島出身の家出少年が新宿・歌舞伎町で100%晴れ女とボーイミーツガールという作品。
作中にはそろそろ毎回お馴染みになってきたスターシステムで「君の名は」の登場人物たちがちらほら出てきましたので、前作も観ている方はそんな所も楽しめるかと。
映像の美しさに関しては元々定評がありましたが、ジブリ解散の時期と前作の製作時期が重なったことから元ジブリスタッフをかなり抱えての今作への着手は作中の至る所に伺えます。
背景の描写やヒロインの弟とかはもろジブリ少年だし、警察官とか中年の描き方も素晴らしい。
ポスト宮崎駿ではなく、ここからは新海誠としての作品に期待したいですね。
最大の懸念というか疑問はヒロインはいつ主人公のこと好きになったのかという点。
最近の新海作品はそこがいつもご都合主義というか、主人公好き→ヒロインも好き→何かトラブルが起きて、解決して両想いでめでたしめでたし、このパターン。
女性キャラの視点が欠けている気がする。「秒速五センチメートル」の時はヒロイン視点で語られているのだが…。
女性はその辺りどう思っているのかなー。
私はこの作品をビル4階分の巨大スクリーンが名物のグランドシネマサンシャイン(池袋)で観ましたが、大正解でした。
4Kで高精細なだけでなく、巨大スクリーンで登場人物の景色を見上げるシーンでは自分もまるで景色を見上げているような錯覚を覚えました。音響設備もさることながらこの没入感は通常のスクリーンでは想像さえできないでしょう。
これからは作品に合わせて劇場選びも作品を楽しむ上で重要なポイントになるでしょうね。
「平成のレクイエム、令和の黙示録」
「平成のレクイエム、令和の黙示録」
これは「敗北の平成」へのレクイエムである。そして「昭和」へのノスタルジー、始まってしまった「令和」という時代の黙示録だ。つまり2019年の日本の気分がきわめて精緻に映し出されている作品である。
課題先進国の今を切り取った作品として、どの程度の普遍性が世界に認められるのか。アカデミー賞の評価を待ちたい。
「天気の子」は「景気の子」
全編にわたって東京に降り続く雨は「敗北の平成」失われた30年の日本の停滞そのものだ。「景気の気は気分の気」というが、好景気を「晴れ」、不景気を「雨」と置き換えればわかりやすい。
冷戦終結後のグローバル化に翻弄される日本。音を立てて変化する世界を前にすでに大人たちは当事者能力を失ってしまった。昭和の残照から平成に生きた人々は現実を直視せず現状維持で逃げ切りを図っている。彼らが使う「終活」という妙な言葉はこれまでのニッポンの店じまいを意味するのかもしれない。
「夢よもう一度」トーキョー2020は「陽菜」。
みんなに100%の晴れが続いた時代。東京タワー、新幹線、万博、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、マイカー、エアコン、電子レンジ、ビデオデッキ。記憶の中ではバブルまで甘い。
なかでも国民の集合的記憶として無条件のポジティブイメージが与えられているのが1964東京オリンピックだ。だからこの物語の舞台は代々木になる。陽菜がひとときの晴れ間をもたらすチカラを得るのもこの場所である。代々木は再びハレの舞台としての神通力を求められているのだ。
奇跡的に再開発を逃れて老朽化した姿を残すビル。存在そのものが昭和へのオマージュだ。時空を超えて今にもショーケンや水谷豊が飛び出してきそうに思える。帆高が陽菜を追いかけて階段を駆け上る。その姿はかつての日本の青春時代そのもののようでまぶしい。「君の名は」といい新海誠は記憶のダブルミーニングに長けている。
「夢よもう一度」2020東京オリンピックにはわかっていながら、期待をしてしまう自分がそこにいるだろう。
分厚い雨雲のすきまに一瞬の晴れ間がさす。トーキョー2020は「陽菜」である。「陽菜」は光であり、成長であり、再びの「太陽の塔」なのだ。
「帆高」は戦後日本人の集合意識である。
神津島から東京へ出てきた中学生「森嶋帆高」は、高度成長期以来、日本中から都会を目指した若者である。帆高が島で全力でつかもうとした「光」。フルスピードで追いかけるものの「光」は島から海の向こうへと逃げていく。帆高が追いかけた「光」は日本が、日本人が、戦後(もしかすると明治以来)追い求めてきた「経済的成長」そして、その果実としての「物質的豊かさ」なのだ。2019年の日本で「光」を求めるピュアさにリアリティを与えるには「島」から来るぐらいの設定が必要だったのだろう。
「須賀」という世代
フェリーで出会い、東京で帆高の面倒を見ることになる須賀という男。晴れを知りながら、自らは果実を手にすることができなかった間に合わなかった世代である。だからイマドキ自分と同じように「光」を追いかけ大都会に迷い込んだ少年をほっておくことができない。現実に「成長」はもはや幻とわかっていながらも、少年の姿にかつての自分を投影してしまう。フェリーではたかっておきながら二度見でもするように連絡先を教える。さらに天野陽菜の登場で、もう一度「自分」も「晴れ」を追い求めてみようかと思ってみたりする。だから、少年に対してとる態度は決して一貫していない。わずわらしい警察沙汰から免れようとドライに利己的に接する一方、発砲した少年を逃がす手助けまで行ってしまう。土砂降りの現実の中で、もがき葛藤する令和の大人の姿を垣間見ることができる。
戦後日本 アメリカはどこにある。
陽菜と帆高の出会う場所が「マクドナルド」である。アメリカは戦後日本の新たなアマテラスであり、ガーディアンであった。だから、陽菜はマクドナルドとともにあり、帆高にとってはセーフティーネットとなっていた。ビッグマックはそのシンボルなのだ!しかし、帆高も陽菜もマクドナルドから放り出されてしまう。
マクドナルドの外はむきだしの性や暴力が支配する弱肉強食の世界だ。少年はひょんなことから手にする暴力装置を陽菜を守るために使ってしまう。グローバル資本主義の下でわれわれはどのような選択をするのだろうか。何をどのように守るべきなのだろう。銃を手にした少年はさながら核を手にした日本に見える。
成長をみんなで追い求め続けた結果の荒野 2019年の日本
作品に登場する人物の背景は戦後日本のアンチテーゼの様だ。シングルファーザー、ネットカフェ難民、児相、風俗、ブラック就活。「標準世帯」や「終身雇用」などどこにもない。
1973年の「日本沈没」で小松左京は近未来の日本を描いた上で沈没させた。しかし「天気の子」では具体的な未来が描かれることはない。今あるものが沈んでいく。それでも東京タワーは残り、スカイツリーは沈む。すでにオリンピックよりも先にリメイクを終えたスカイツリーの存在はフェイクということだろうか。平成のチープさが浮かび上がるノアの洪水とバベルの塔を足して2で割ったような絵面である。田端は代々木の逆サイドにあるもう一つの聖地として「アララト山」になるのだろう。
「天気の子」は令和の黙示録である。
2020東京オリンピックや2025大阪万博は日本に一時的な活況をもたらすだろう。しかし、誰もが気づいている。ろうそくの火が消える寸前の炎ということに。老若男女が「晴れ女」にすがったように、一瞬痛みを忘れる延命治療のようなものだ。100%の晴れが続くことなどこれから先は無いし、これまでだって本当は強烈な光にはその分影があることに気が付かないふりをしていただけなのだ。
帆高は最後に代々木会館の階段を駆け上り、鳥居からダイブして陽菜を追う。
「もう二度と晴れなくたっていい! 俺は陽菜がいい!」2人は翼が溶けたイカロスのように2019年の東京にゆっくりと落ちていく。われわれはもう飛ぶことはできないのだろうか。
「愛にできることはまだあるかい 僕にできることはまだあるかい」
「愛にできることはまだあるよ 僕にできることはまだあるよ」
☆世界経済に占めるGDPの割合
平成元年 米国 28% 日本15%
平成31年 米国 25% 日本 6%
☆世界の時価総額上位50社
平成元年 日本企業32社
平成31年 1社 トヨタ 人口減少 増えているのは国債のみ
この先は個人的な幸福の追求しかないのだろうか。
かつての夢の焼き直しではない、新しい天と新しい地。まるっきり新しいシンニホンをわれわれは創ることができるのだろうか。「天気の子」は令和の黙示録である。
何かを変えたいと思った帆高と陽菜の物語
天気の子2回目観ました。1回目は公開初日に足を運び感動したのを覚えています。2回目は登場人物の心情や細かい描写を観察しながら鑑賞しました。
まず、「この映画は天気を通して何を伝えたいのか?」というテーマで考えてみました。天気というのは、雨が降ったり止んだり、晴れたり雪が降ったりと本来人間がコントロールできないものです。
今回の作品では東京が異常気象に見舞われ大雨の日々が続きます。これは、帆高と陽菜の心情を表していると私は想像します。島から離れ、なんの当てもなく東京に来た帆高。母親を失くし、中学生でありながら(帆高には18歳と嘘をついていた)弟と二人で生活をするためにアルバイトをする陽菜。2人とも何か希望を持てない日々を送っていた。そんな心情が異常気象に映し出されたのかと思います。
そんな中、陽菜は特殊な能力を持っていました。「どんな大雨でも晴れにする」能力です。その能力で帆高と陽菜は、「雨で困っている人たちのところで晴れにする」サービスを提供します。困っている多くの人たちを助けて、感謝されます。帆高と陽菜は人助けをして、初めて自分の生きがいを見つけることができたのだと思います。
この作中で、帆高が「僕たちは世界の形を変えたんだ」というセリフがありますが、天気を変えることで多くの人を助けたことから生まれたセリフだと思います。本来、天気は人間がコントロールできないもの。それを変えて、多くの人を助ける。言い換えれば、「人生や運命も自分の手で変えることができるんだ」というメッセージが込められているのだと思います。
2016年に公開され新海誠が監督をつとめた「君の名は」と今作「天気の子」を比較するレビューがネット上に多く見られます。僕の感想としては、構成はほぼ同じという印象を受けます。人生にとって大事な人と出会う→その大事な人と会えなくなる→再び会いたいと願い行動を起こす。二作ともこの流れで展開されます。異なる点といえば、東京に対する印象が違うという点です。「君の名は」では東京は憧れの都市という視点で描かれていますが、「天気の子」では「東京って怖い。」という視点で描かれています。この設定が作品のコンテンツを大きく象徴しています。「君の名は」まっすぐ明るい未来に向かうイメージ。「天気の子」は暗闇から抜け出すイメージ。その点が大きく違う点でしょう。
超絶スマッシュつまらない
この映画を悪くいうと、反論が100倍来そうだから本当に迷った。
しかし、私と同じように「あれ?これつまらないの自分だけ?」と思って低評価を探しまくっているレビュー難民がいるはずだ。そんな人の為に書こうと思う。
最近はちょっとした小遣い稼ぎに、観てもいないのに「最高!最高!」とひたすら褒めちぎる偽物レビューも多いので、決してサクラに惑わされてはならない。
自分の感じたことこそ真実で、それが全てだ。
まず圧倒的に中弛みする。本当にダルダル。
賛否両論だとかそんなレベルじゃない、結末どうのじゃなくて、最後まで観るか悩むほどにダレている。時間の無駄感がすごい。
前半80点中盤評価に値しない後半30点映画。
前半は、日本人のミュージカル好きの心を捉えて、音と映像の融合が素晴らしかったと思う。
雲間から光が差し込んで、東京の街並みや、あらゆる人々の生活を次々と照らしていく様は多少力技と言わざるを得ないが、生理的感動を引き起こすには十分な演出だった。
このシーンは泣いてしまった。
ただ、穂高くんが家出をする意味がわからない。顔に傷があったことから、何か訳あり感をもたせるものの、特にそれについて語られる事もなく…家出をするほどの強い動機は感じられなかった。東京に行き場がなくて、街を彷徨う様も「東京ってこえー」という、一度は口に出したい田舎者の憧れの言葉を繰り返してるだけで、東京の冷たさを表現するのには無理があるか。東京の怖さはその無関心さにあり、チンピラに絡まれる事ではない。
船を上から大写しにする場面は、「血と骨」の朝鮮から出稼ぎにくるシーンが頭に浮かんだけど、まぁ関係ないですね。
後はですね、ここが真の賛否両論なのかもしれませんが、知ってる風景と広告が出過ぎ。本当に出過ぎ。気が散って散って、物語に入り込めない。
映画としてのエンタメ性がないんですよね、つまらない高校生の日記をダラダラと見せられているような。もう少しファンタジーあってもいいじゃん、っていう。
「トランスフォーマー」でも唐突に中国産の牛乳を飲むシーンは、やはり興醒めでしたからね。
これがもしかしたら今時の若者には「あ!ここ知ってる!」って現実とのリンクや身近な感じが刺さるのかもしれません。
西野◯奈の歌詞のように、読書感想文を読んでるようなあの感じが良いのかも。
表現って何なんでしょうね。
個人的にショックだったのは、サリンジャーのライ麦畑でつかまえて、が出てしまったことです。あれを見たら凄く期待しちゃいますよ…
サリンジャーを汚された感さえしました。
中盤に入ると、弛みはじめます。
アパートに遊びに行くシーンで、狭くてもボロくても出来る限り可愛くしている、ささやかな乙女心を表したつもりなんだろうけど、
なぜか下手くそと感じました。同じような描写ですと「ジョゼと虎と魚たち」のようなトキメキといじらしさには敵わなかったな、って感じでした。
弟くんはせっかく良いキャラなのに、途中から「先輩」と呼びはじめて、キャラの押し付けにウンザリしました。
不要な設定が多すぎましたね、「レオン」で殺し屋がミルクが大好きで泣き虫って設定が滑っていたのと同じものを感じます。
後は、私自身が性描写が少し苦手な事もあり、一回だけならまだしも繰り返し繰り返し出現する性描写には、ゲップが出そうになります。
さて、いよいよクライマックスです。
最初に登場したときは「若い子なんだな」ぐらいに感じたヒョロい穂高くんの作画が、更に崩壊していきます。線路を走るところではペラッペラの紙人形のようになった穂高くんがペチペチ走ります。
新海監督の作品は人間に体重が感じられないとは前から気になっていましたが、今回はその極値をいってました。
「トレインスポッティング」や「ミッションインポッシブル」のような強い疾走感が大好きなので、あの吹けば飛ぶよなペチペチ感は見ていて辛かった。実写とはもちろん違いますが、そういうと「トトロ」で、メイがトウモロコシ持って走るシーンはしっかりと体重を感じられましたからね。
あとこれは有名な映画評論家の方も書いていましたが、銃というメタファーって必要だったのか?ってことです。
天候を変えまくったせいで、国家の弾圧で追われる、とかならワクワクもしますが、
銃?銃なの?そこが問題の頂点にあるの?
急に極大から極小の世界に戻されます。
これじゃ焦点が散らばると思われても仕方ない。テーマが置き去り感が凄いです。
ヒロインに会いたいあまりに暴れる穂高くんは、思春期の熱意というより、狂人に見えます。いや、それは狙ったのかもしれません。恋とは狂気なのだと。
でもね、正直引きました。うわぁ…って感じ。
しかし二人が絡まりながら抱き合いながら落ちていくところは素晴らしかったです。
セリフなくてもいいぐらいよかった。
最後、ラストシーンですが「それから3年雨が降り続けた」のとこは、なぜか吹き出してしまいました。しかし、これエヴァを彷彿とさせるな。セカンドインパクト以降、年がら年中夏になってしまった世界、失われた東京。
それでも普通にお花見を楽しもうとしたりする人間の強さ。
ディストピアって、何故か憧れますよね。
この新しい世界のシーンはとても良かったです!
というわけで、散々なこと言ってますが
実は2回目観たら面白いんじゃないかな?と思いました。やはり知ってる街やいつもの広告をダラダラ見せられるのは、気が散ります。
2回目なら慣れて、そこを気にせずストーリーに没頭できるのかもしれません。
ありがとうございました!!
良くも悪くも新海ワールドって感覚
瀧くんや三葉の大人になったあと、…
晴れ女とされていた天野春菜。
しかしその正体は人間の姿でいると、晴れることがなく雨が降り続ける、まさに天気の子。
しかし、天に向かって祈りを捧げると
そのある1点の地点のみ晴れる不思議な能力の持ち主だと思われていたが…。
「君の名は。」新海誠が織り成す、
新たなるジャンルのファンタジーにも思えた。
気になる方は1度視聴された方が納得が行くと思います。
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