Fukushima 50のレビュー・感想・評価
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見てよかった
全体的に見やすい映画だった。3時間あっても足りない要素を端的にまとめていたと思う。また予算の制限を感じつつも良い出来だと思った。白組を中心としたCGVFXも自然で良かった。
これを見た人はきっと当時のことを思い出すことだろうと思う。ニュースで散々見た内容はどこかリアリティがなかったが、この映画によって当時の記憶と相まってよりリアルに感じることができた気がした。
おいおい、こんなところに決死隊って誰も行きたくないだろ!!って普通に思ったし、職員の当時の対応に頭が下がる思いで見ていた。
昨今では、経済活動を維持するため「原発」しか電力不足の解決策はないという所まで来ている。日本は何かと「核」と縁がある。非核三原則までして、核から離れたいのに離れられない。核を抱いてゲームやインターネットに興じないと行けない時代である。
学校の道徳の時間などに見たい映画だと思った。
真実味のあるストーリー
未曾有の災害に襲われた時の政府の対応や、命令系統の混乱、各々が各個人の保身に走る様子がリアル過ぎて現実溢れる人間関係と現場で働く人間の責任感とプライドには涙無しでは見られない作品です。
最後は天災のせいにするオチです
見るべき映画
良い映画になったはずの素材、物語・構成の貧弱さにガッカリし落ち込んでしまった
若松節朗監督による2020年製作の日本映画。
配給:松竹、KADOKAWA。
原作は未読だが、出演俳優は一流どころだけに、相当にガッカリさせられた。
3.11の原爆事故、あれが起きた原因、その事実を捻じ曲げるために作られた映画なのかとも疑ってしまった。
まず、首相の描かれ方がアンフェアで、まるで首相のせいで事故が起きた、もしくは悪化したかの如き描かれ方であった。当たり前であるが、事故自体が起きたのは原発行政および東京電力の長年の安全性軽視に起因し、当時の首相は全く関係ない。映画でも少し描写されているが、事故が起きた時の東電本社首脳の無責任・無能ぶりを知れば、首相が現場責任者に会いに行ったり、東電本部に乗り込むことは、良く理解できるところ。原作に起因するのかも知れないが、原発行政の責任を守るためなのか、意図的に首相を悪く描いている様に思えた。
何よりも、原発事故の原因を俺たちはいつか驕り自然を舐めていたと、安易に総括しているのが、情けない。非常電源さえ、水が来ない様な高い位置に置いていたら、電源喪失は防げていた訳で、本質的には確率が低いが重要な危機に念のために備える精神さえあれば、防げた事故に思える。これだけの大災害を起こして、あの集約では、未来のための教訓に全くなっていない。多くのお金と時間をかけて作った映画なのにと、本当に情けなく思ってしまった。
現場の人間が献身的に命がけで頑張ったことは、事実だとは思う。だけど、どうして、主人公による娘の結婚反対のエピソードを、物語の中心にぶち込んでくるのだ。日本映画の本当に悪い癖により、稀有の物語性を薄めてしまっていた。純粋な職業人・技術者としての責任感、プライド、使命感、仲間意識、リーダーシップ、そういった部分だけで物語を構成して欲しかった。ドラマチックな展開の事実と世界でもまれにみるような献身的な50人の物語だけに。
報道等で見聞きしてた吉田昌郎所長、随分と魅力的なリーダーに思えた。渡辺謙演ずる所長も良い味は出していたが、もっと突っ込んだ脚本によるリーダー像を是非とも見たかった。とても残念であった。
原作門田隆将、脚本前川洋一、製作代表角川歴彦、エグゼクティブプロデューサー井上伸一郎、製作堀内大示、大角正、布施信夫、井戸義郎、丸山伸一、安部順一、五阿弥宏安、飯塚浩彦、柴田建哉、岡畠鉄也、五十嵐淳之。
企画水上繁雄、企画プロデュース椿宜和、プロデューサー二宮直彦、撮影江原祥二、照明杉本崇、録音鶴巻仁、美術瀬下幸治、衣装加藤哲也、へアメイク齋藤恵理子、サウンドデザイナー柴崎憲治、編集廣志良、音楽岩代太郎。
演奏五嶋龍、長谷川陽子、東京フィルハーモニー交響楽団、特撮三池敏夫。
VFX監督三池敏夫、スクリプター幸縁栄子、キャスティング椛澤節子、技術指導平野勝昭
ラインプロデューサー梶川信幸、音楽プロデューサー小野寺重之。
佐藤浩市(伊崎利夫)、渡辺謙(吉田昌郎)、吉岡秀隆(前田拓実)、安田成美(浅野真理)、緒形直人(野尻庄一)、火野正平(大森久夫)、平田満(平山茂)、萩原聖人(井川和夫)、吉岡里帆(伊崎遥香)、斎藤工(滝沢大)、富田靖子(伊崎智子)、佐野史郎(内閣総理大臣)、堀部圭亮(加納勝次)、小倉久寛(矢野浩太)、石井正則(工藤康明)、和田正人(本田彬)、三浦誠己(内藤慎二)、金井勇太、増田修一朗、堀井新太。
3・11最悪の事態から日本を守り抜いた男たちの記録
3・11~最悪の事態から日本を守り抜いた、男たちの記録
忘れもしない2011年3月11日。
マグニチュード9。最大震度7の大地震が東日本を襲った。
大津波に家は、車は、人は流されて、死者1万6000人。
家を失い避難民は40万人を超える未曾有の災害だった。
(今、避難生活の場は全国に及ぶが、関東に1万8000人。
東北各県に1万3000人が住んでいる。
県外の避難者数は福島県からが2万7000人、宮城県からが3400人。
岩手県からが770人。
これだけの多くの人が故郷を追われた)
この映画は福島第一原発に焦点を当てた映画です。
そのとき福島第一原子力発電所では、津波と地震によって全交流電源を喪失した。
そのため原子炉を冷却できなくなった。
この映画「FUKUSHIMA 50」は3月11日日から丸五日間。
不眠不休でメルトダウン(炉心溶溶)を防ぐため、手動で《ベント》を実行した、
中央制御室当番長・伊崎利夫(佐藤浩市)の下で働く男たちと、
指揮をとった第一原発所長・吉田昌郎(渡辺謙)など50名の命懸けの日々の記録です。
《ベント》とは、格納容器の外へ気体を放出して、圧力を下げて、結果、爆発を防ぐ作業です。
私はその日、3月11日。経験したことのない揺れの地震に驚きました。
午後2時42分でした。
福島第一原発が大変なことになっている・・・それは翌日知ったと思います。
テレビ・ニュースでは原子炉建屋の映像が望遠カメラで逐一、流されていました。
やがて原子炉の1号が爆発。
ニュースもパニックでした。
続いて3号機が大爆発。
絶体絶命のピンチでした。
この頃、吉田所長のインタビューもたびたび流されて、男っぽい頼りになる印象。
東電の本店は終始、官邸との間に挟まって、右往左往していた。
当時の総理大臣・菅直人は、真っ先に事故現場の第一原発に自衛隊ヘリコプターで
乗り込みました。
後々、総理大臣が邪魔だった。
彼の指示はむちゃめちゃで、ベントが遅れたり、原子炉をメルトダウンを遅らせるための海水注水を、突然「中止せよ!!」など、目を覆うばかりの横暴ぶりだった。
しかし現場の最前線で指揮をとる伊崎と現場作業員や、吉田昌郎所長は最悪の事態だけは避けたいと、奔走する。
何より勇気を持ち、死を覚悟してベントを開けに真っ暗な原子炉建屋に開けに行った作業員。バルブは焼けつき、手動でベントを開けるしかなかった。
(この場面が本当にハラハラしました・・・生きて帰れるの?と、)
メルトダウンはもう目前でしたね。
彼らは本当に命懸けで、よくぞ行ってくれましたね、感謝しかありません。
原子炉2号機が爆発していたら、今の日本はなかったです。
それは東日本の壊滅を意味していた。
最悪・東日本は放射能で汚染されて半径25キロメートルには住めず、
5000万人の人々が避難民になるところでした。
福島原発の1号機では廃炉の手順に11年経った今も苦戦して遅々として進みません。
狭い日本に原子力発電所は54基。
廃止・解体中(26基)
稼働しているのは9基。
建設計画中と建設中止と錯綜しています。
廃炉のプルトニウムの捨て場も困難な中、核のゴミをどうするつもりなのでしょう。
東日本大震災以上の地震と津波が来る確率は、考えたくないですが、
かなりの確率であるでしょう。
天災は万全の備えをしても、人間の力ではどうすることも出来ない破壊力があります。
(日本が世界の活火山の7・7%を有する世界有数の火山国なのを、恨みたくなります。)
これはみんな見ないと。
面白いかと言われるとそうではないんやけど、見てよかった。
原発関係者の方々がこんなに頑張ってくださっていたんですね。
浅はかだけど、防災しようと思った。
人に勧めたい映画。
ストーリー 85点
配役 80点
音楽・映像 95点
全体 85点
この映画の目的が不明
Fukushima 50」この映画は、事実を描いていないのに、さも?事実であるかの様に描いている?、その目的は何なのか?、思うに、自民党政権のプロパガンダと思いたくなるが、制作側はそこまで考えては射ないだろうと思う、
ドキュメントでは無い、アクションでも無い、社会派映画でも無い、人間ドラマでも無い、目的が不明である、映画製作ではあってはならない、愚策であると思う
この映画に登場する、吉田所長は、お亡くなりになった方を批判をしたくはないが、
原子力設備管理部長だった頃吉田昌郎氏はそんな津波は来るわけ無い、と打ち消した事実がある。
逆に、映画では、名前を不明?にしているが、当時の政権は、必死に行動していた。
映画で描いている、トンチンカンな喜劇的政治家は存在しない。
もう一つ付け加えたい、
事実では、
1号機の中央制御室で運転員や当直副主任は非常用復水器の停止を全交流電源喪失直後の早期から知っていた、
ところが、吉田所長は、復水器が作動しているものと思い込み基本的確認を
怠り、被害は拡大した事実がある。
俳優は、批判がありそうな映画には出ない事があるが、
この映画は政府向きで批判なし、と判断したのだろう。
コロナ禍の今こそ観るべき作品
コロナ禍の今こそ観るべき作品である。本作は、東日本大震災時の福島第一原発事故の顛末を描いてはいるが、話しを敢えて大きくせず、原発事故の最前線にいた福島第一原発の技術者達の行動にフォーカスしている。その分、様々な困難に立ち向かっていく技術者たちの壮絶な姿が浮き彫りになり、心に強く刻み込まれる作品になっている。
2011年3月11日。巨大地震が発生し、福島第一原発は大津波に襲われて、電力を喪失し原子炉冷却ができずメルトダウン(炉心溶融)の危機が迫っていた。所長の吉田昌朗(渡辺謙)は陣頭指揮を取り、伊崎(佐藤浩市)とともに、放射能汚染という危機に立ち向かっていくが、そこには想像を遥かに超える苦難が待ち受けていた・・・。
政府と東電・東京本社の意向に翻弄され、最前線で苦闘している吉田たちの想いはなかなか伝わらない。それでもなお、彼らは、諦めず、粘り強く、果敢に危機に挑んでいく。何故か。彼らは、我が子のような愛情を降り注いで、自らの手で育てた原発を守りたいという強い意志を持っているからである。どんな苦難があっても彼らは挫けない。原発とともにあろうとする。我が子を守る親のように。そんな彼らの行動には、技術者魂という言葉が相応しい。
また、科学技術の進歩とともに、最近、様々な手法が導入され、ものづくりもスマートになってきた。泥臭くやらなくても済むようになった。しかし、本作のように電力喪失になれば、殆どの文明の利器は使えなくなる。五体と五感を総動員して、人間が自ら考え、自ら行動するしかない。伊崎たちにはそれができた。彼らには、自分たちが創り上げてきた、自分たちの分身のような原発を加害者にしたくないという、強い意志があった。強い意志が彼らを突き動かした。
本作は、福島第一原発事故での技術者たちの姿を通して、極限状況における意志の力の大切さを強く主張している。コロナ禍という極限状況にある今こそ大事にしたい主張である。
福島原発事故
原発事故のほんの一部分だと思うけれど、観て緊迫感迫ってきてあの時の気持ちを思い出しました。地震でもうあんな思いはしたくない。被災している人がいるのに近寄れない原発事故は二度とゴメンですね。
日本人はみな見るべき映画
原発問題は何ら収束していない。私が本作と向き合う時、自身が一体どのような感情へいざなわれるのか、恐ろしくさえあった。いちばん避けたいのは、何か安易な感動に涙して、そこで示された着地点に満足してしまうこと。そうなったならばもうおしまいだと思った。自分も。この映画も。ただ本作はそのようなものではなかったと思う。
9年前、TV中継を目にする私は、あそこに命がけの人々がいることを知りながら、頭でその意味を理解するのを避けていたように思う。本作は等身大の人間の行動や感情を突きつけ、同じ血の通った人々が身を投じていたことを改めて伝えてくれる。見ていて怖かったし、結果が分かっているのに震えた。もちろんこれは状況のほんの欠片に過ぎない。他にも様々な立場の方々がいらっしゃるし、本作についても様々な感想や指摘があるはず。我々は今後もできる限り「知りたい」と求め続けねばならない。そう強く感じさせる一作だった。
賛否両論あるこういう事実は作品として残すべき
レンタルDVDを4回に分けて鑑賞
公開当時から観ることを迷っていた
100円になってからもしばらく躊躇っていた
この監督は最近もWOWWOWドラマなどを観ていて
誠実な人柄を感じさせる内容で信頼できる人物だ
公開当時地元のテレビ局からインタビューを受け
こんな素晴らしい作品を是非観てくれというでもなく
批判もあると思う…と逡巡している様子がうかがえた
エンターテインメント作品とするために
東電本社や首相官邸をある程度の悪に見立てる必要があり
佐野史郎とか篠井英介のキャラクター設定はそういうことかと
ただ 悪者に振り切れている訳ではなく
ギリギリの状況の中でそれぞれの立場でこれがベストだと
判断した行動という風に読み取れる
誰かが悪者というたぐいの問題ではない
地元住民 マスコミ 東京都民 西日本の住民など
立場によってこの事故に対する感じ方はそれぞれ異なる
佐藤浩市と渡辺謙は大好きなので出演はうれしい
価値がある一作となった
> 佐藤浩市には20数年前に渋谷の飲み屋で
> 握手してもらったことがある
> 映画好きを装って「魚影の群れ観ました」なんて言ったら
> 「あれは撮影が大変で死んでました」なんて返答して貰えた
> 凄く嬉しかった
きわめて高い緊張下の中でのユーモア
渡辺謙と安田成美とのちょっとしたやりとり
地元の高校とか短大を出た優秀で気立ての良い女性がきっと
あぁいう総務の仕事をしてるんだよなとリアリティ
東電職員の妻が避難所で東電のジャンパーを脱ぐシーンも
暴走する原発を収めようとする様は
ゴジラやモンスターに立ち向かうのと何ら変わりない
何もないところから強力なパワーを生み出す優れた技術だと
あの事故が起きるまではオラも誤解していた
神の領域 倫理哲学の領域だった
徒弟制度みたいなものの美しさを描きたいとの意図
行ってくれる奴は手を上げてくれ
俺に行かせてください いやダメだ みたいな
小泉以降の権力者や新自由主義者のとりまきたちが
そういうものをなくしてきたんじゃなかったのか
それをいまさら日本の底力だとか現場力だとか
お前らに言われたくない
オラは嫌いだ まやかし ごまかしだと思う
このタイトルも嫌いだ 50人だけじゃない
普段メディアで見聞きする原作者の考えにどうしても相容れず
この作品を色眼鏡で見てしまうので勘弁
しかしながら賛否両論あるこういう事実は作品として残すべき
参加した監督スタッフ役者に敬意
感謝しかない
いわゆる邦画的だが
渡辺謙や佐藤浩市をはじめとする日本を代表する俳優陣が参加している大作パニックドラマ。
門田隆将の原作小説を映画化しているが、史実通りには描かれてない部分がいくつか見受けられる。
津波に襲われた発電所やプラント内部等の再現にはリアルさが感じられ、事故直後の被害状況やそれに伴う事態の深刻さが映像化されることでより分かりやすく伝わってくる。
そして、それによる人間同士の決断がいかに重大かつ大変なものだったのかも俳優陣の迫真の演技によってより理解しやすくなっていると思う。
しかしながら、作品を通して感じられる印象はどうもしっくりこない部分が浮き彫りになってしまっている。
事故直後の様々な決断を邪魔しているのは東電本店や官邸であり、特に総理大臣は極端にヒステリックで分からず屋として描かれている。
当然映画自体は2時間程で終了するが、福島の現状は未だ課題が山積だ。
映画や小説は娯楽作品として楽しむには問題ないが、映画のエンディングがいかにも美しく描かれていることには大きな疑問がのこる。
現場の緊迫感
迷走する政府、現場に指示するだけの本社、デフォルメするとこうなってしまうのはやむを得なかったかもしれない。ただ、現場は死を覚悟した緊迫感、地域や住民を守るために人柱になる覚悟のメンバーにただただ敬服。その責任感と意志の強さと、「若い者は帰れ」という年長者の労わりと後を託す想い。周りのブレに動揺せず、変わらない彼らに感動しない者はいないのではないかな。
アメリカ軍や領事館のシーンが多いけど、これは当時の民主党政権とアメリカとの関係がぎくしゃくしていた影響か? どこの政権でも変わらんかったと思うが、自民党であればアメリカとのパイプはもう少し太かったかもしれないということなのかなあ。
何よりも絶対に安全制御できる原子力利用であってほしい。想定外という言い逃れがは許されず、事故は未来永劫負の遺産になる、との思いを強くした。爆発に至らなかった原因は解明されていない、というナレーションに底知れぬ恐怖を感じるのは自分だけだろうか?
日本にしか作れない映画
後世に残すべき映画
全489件中、21~40件目を表示