Fukushima 50のレビュー・感想・評価
全489件中、1~20件目を表示
現場の人間を見つめる作品
この作品を鑑賞する際には、まず作り手がどのポジションから原発事故を描いているのかを確認する必要があるだろう。本作は徹底的に東日本大震災が起きてからの福島原発の現場にフォーカスしている。原発事故が起きる以前にどんな対応や予算が組まれていたのかなど、原子力政策全体を俯瞰して語るポジションを採用していないし、事故当時の官邸側にも立っていない。一本の映画で全てを語ることは不可能だ。だから、この映画は徹底して現場を見つめるという選択をしている。あの現場がどのような混乱の中で、誰がどのような決断を迫られたのか、混沌した状況がよく描かれている。組織のあり方やリーダーの指導力などについても考えさせられる作品だ。
これを観て改めて思うのは、原発が一度制御不能になれば、人間にコントロールするのは難しいのだと言うこと。コントロールできない力を使い続けることを良しとするのか、そういうことを訴えかける作品ではないか。
日本人としてずっと対峙し続けなければならない映画
原発問題は何ら収束していない。私が本作と向き合う時、自身が一体どのような感情へいざなわれるのか、恐ろしくさえあった。いちばん避けたいのは、何か安易な感動に涙して、そこで示された着地点に満足してしまうこと。そうなったならばもうおしまいだと思った。自分も。この映画も。ただ本作はそのようなものではなかったと思う。
9年前、TV中継を目にする私は、あそこに命がけの人々がいることを知りながら、頭でその意味を理解するのを避けていたように思う。本作は等身大の人間の行動や感情を突きつけ、同じ血の通った人々が身を投じていたことを改めて伝えてくれる。見ていて怖かったし、結果が分かっているのに震えた。もちろんこれは状況のほんの欠片に過ぎない。他にも様々な立場の方々がいらっしゃるし、本作についても様々な感想や指摘があるはず。我々は今後もできる限り「知りたい」と求め続けねばならない。そう強く感じさせる一作だった。
「戦い抜いた人々の記録」として重たい一本
<映画のことば>
「全身防護服の遺影か?」
「運転員らしくて、いいじゃないですか。」
東日本大震災に起因する、いわゆる「エフイチ」(福島第一原子力発電所)の事故を描いた作品ということですけれども。
電気を作っているところ(発電所)なのに、そこの電源が喪失してしまうというのは、何やら皮肉な話のようでもありますけれども。結局は「電気を作るためにも、電気が必要」ということになるのでしょう。
いまや官民を問わず、どこのオフィスに行っても、当たり前のように業務には、一人一台体制でパソコン使われていて。
そして、どこのオフィスでも、仕事に必要なデータは、全てパソコンの記憶装置に格納されていることでしょうから、電源喪失でパソコンが使えなければ、仕事にもならないことでしょう。
(充分な能力の自家発電の設備を持っている事業所の方が、むしろ少ないようにも思われます。評論子には。)
日本は資源(エネルギー源)が乏しく、中東諸国のご機嫌伺い(失礼!)をしながら買わなければならない石油に代わる、他国に依存しない「日の丸エネルギー」として、原子力は開発しなければならない技術なのか、それとも(やはり)開けてはいけない「パンドラの箱」なのか。
はたまた、電力需給という公共目的のためには「許された危険」なのか。
福島で作られてはいるが、実は、東京で使われるための電気ということでした。本作によれば。
これまでも、地方は自らの経済を破綻させ、マチを寂(さび)れさせてまで「人」(労働力)を東京に差し出して来たのですけれども。
「地方の悲哀」は、原発事故と、原発事故による直接の被害、そして福島県産の農水産物や福島から避難された方々に対する風評被害にまで現れているのかと思うと、本当に切ない思いがします。
そこまで思いを致すことができた作品として、評論子には、充分な佳作だったと思います。
(追記)
佐藤浩市と並んで主役を張っていた渡辺謙が、印象に残りました。評論子には。
(もちろん、佐藤浩市の影が薄かったという訳では決してありません。)
別作品『沈まぬ太陽』の恩地・国民航空労組執行委員長のように、ストイックな役柄が、今回もハマっていたと思います。
(追記)
原爆症の例があるとおり、放射線障害は今の科学(医学)でも全容が解明されているとは言えません。
それ故に、本作の運転員の方々を始め、当時に作業に当られたエフイチの作業員、消防隊員、自衛隊員の方々の健康に関しては、今(令和6年)でも定期的なモニタリングが行われていることと思いますけれども。
それらの方々に、作業に起因する放射線障害が発現しないことを、祈るような気持ちでいるのは、独り評論子だけではないことと思います。
福島第一原発をモデルにしたパニック映画
佐野史郎さん演じる首相が印象的。
”当時の首相だった菅直人自身は、本作品に関して「周囲の人は、描き方が戯画的だとか色々言ってくれるんですが、そんなに、ひどいとは感じていません。劇映画ですしね」と語り、事実と微妙に違う点はいくつかあるが非常に事故のリアリティがよく出ている映画だと好意的に評価している。(ウィキペディアより)”
渡辺謙さんが演じる吉田所長とフクシマ・フィフティの活躍により、被害を最小限に抑えられて良かった。
水が出なくてトイレが臭いシーンで、ライフラインについて考えさせられた。
ラストの”日本女性の純潔と美の象徴”である桜の映像はハッピーエンドの象徴か、はたまた死の象徴か、あるいは、あらたなる何かの始まりを示唆しているのか、私には理解が及ばず。
佐藤浩市さんと吉岡里穂さんの親子エピソードは、『アルマゲドン』のようになるのかと思ったが違って良かった。
映画の冒頭で「事実に基づく物語」と明記しているが、事実と比較できるほどの知識がないので勉強しようと思った。
思い出したくはないけど、決して忘れてはいけないあの日
2011年(平成23年)3月11日14時46分
あの出来事が始まった。
仕事場から出ると、外の道路は大勢の人、まるでラッシュ時の駅前の様だった。
都内にいても大変な揺れではあったけど、まだあの時はその後の状況はわからない状態だった。
夜、何とか家に着きテレビを見ると想像を絶する映像に「これは映画か?」あまりにも理解できないほどの映像に頭は混乱していた。そして次から次へ続く余震の中、津波・火災・コンビナートでの爆発などの映像が次々と映され自分の中で全く処理できていなかった。そして福島原発事故のニュースもやっていたが序盤はそこまで緊迫してはいなかった、少なくとも「メルトダウン」という言葉は私が観たメディアでは伝えられてなかった、しかしその報道が間違いだったと知るのはだいぶ後だった。
たまたまガソリン満タンだった車で職場まで行った。その車中のラジオ放送で「もうすでにメルトダウンが起きていてもおかしくありません、このラジオを聴いてる方はなるべく遠くへ避難してください」その信じられない様な内容は関西の大学教授が発していた話だった。テレビ報道では伝えていないメルトダウンという言葉に、昔観た映画「チャイナシンドローム」のことを思い出した。もし本当にメルトダウンしたら福島どころではなく東京も壊滅じゃないか・・・言葉を失った。
真剣に関東から離れる事も考えたが、心の何処かで大丈夫だろうという根拠のない気持ちと共に、何か自分にもできることがあるんではないか?逃げる事より対決する気持ちが湧きわがったのはいわゆるハネムーン期というやつだろうか、職場でも「俺が原発まで行ってくる」という奴まで出てきた。何の手助けにもならないだろうがみんなどこかおかしくなっていたのは間違いない。
そして、地震から数年後
NHKスペシャル 原発メルトダウン 危機の88時間という、福島原発であの当時何が起きていたかを検証したドキュメンタリ、事態が最も深刻化した“88時間”を徹底再現したドラマは衝撃だった、吉田所長役は大杉漣さん。
あのドキュメンタリータッチのドラマよりは若干ドラマ的な作りではあるが、当時の現場のリアルな雰囲気を伝えている貴重な作品。
首相誰だっけ?
福島の住人を含めた事故全体を描くには足りない部分も感じるけれど
あの時、あの現場でどういう状況だったのかだけに焦点をあてて
語り継ぐために必要な映画だと思います
あの時の私は夜中であっても原発に何かあったら
おしまいと思ってテレビの生中継を一晩中つけながら
リビングに布団を敷いて家族でねていました。
映画をみて、佐野史郎さん演じる
この国の首相があまりにもダメな人で実際には誰だっけーー?って考えたけどしばらく思い出せなかったよ。
#枝野寝ろ がトレンド入りしてたよね、、、
社員だから当たり前とは思わない。全ての作業員さんに感謝です。
題材はともかく、映画のできは酷い
まず演技が酷い。役者が下手とかじゃないよ。ともかく上から下まで全員、怒鳴り合ってるだけ。緩急もへったくれもない。それは監督がそう指示しているから。同じく想定外の事故災害対応映画「アポロ13」とかと比べると泣けてくる酷さ。抑えた演技で怒りを表現するくらいの技見せろよマジ泣けるわ。
途中出てくる外国人の要人だのニュースキャスターは、一瞬映るだけでわかる大根演技。無名でいいんだから、せめてうまい奴使えよ。下手くそな福島弁のど下手芸人とか使ってなにやってんのよ。
とまあ、最初から最後までいらいらするだけの映画。そもそも福島の水素爆発は、当時の菅首相が「俺が行くまで何もするな」と厳命し、事前ベントを禁じたから起きた人災だ。その事実に本作も触れてはいるが、「最前線で活躍するかっこいいボクを国民に見せたかった」という総理の動機に斬り込まずに流すだけ。日本の悲劇を題材にするなら、題材に対してのリスペクトは必須。だがその欠片すら感じられない「金儲け」狙いのエクスプロイテーション映画に堕ちたのは、残念という言葉では表現できないほど悔しい。何年後かに甲状腺がん(だったよなたしか)で亡くなった吉田所長を始め、あの事故で何人死んだと思ってんのよ。恥を知れ。
知識がないとやや難しいか
................................................................................................
東日本大震災が起こり、想定外の津波が福島原発を襲った。
そして芯棒が空焚き状態になり、メルトダウン濃厚だった。
しかも水素が発生して原子炉の圧力が高まっており、爆発の危機。
予備電源も津波にやられてたので、決死隊を募って懐中電灯で原子炉へ。
高い放射能を浴びながら、手動でガス抜き成功した。
しかし別の原子炉で爆発が起こるなど、次々と問題が起こる。
東電の本店の連中は安全な場所から無茶な指示をして来るばかり。
さらに多忙な中、バカな首相が来るわ、余計な注文して来るわ、マジウザ。
所長の吉田はそういうのに忙殺され、上の連中にもキレまくり。
しかも現場を知らない者たちからのアホ指示は密かに守ってなかった。
やがて全ての手は尽くし切り、若手は避難させることとなった。
あとは見守るしか出来なかったようだが、運よく原子炉が安定した。
................................................................................................
誰もが知る実際に起きた事件をベースにした話だが、
細かいことまで覚えてないから、よう分からんことが多かったな。
全編を通じて問題が起きては何とか対応、すると次の問題が・・・のパターン。
だから最後、原子炉が安定した時も、それがクライマックスとは思わんかった。
突然佐藤浩市が家族のもとに帰るもんやから、何で急に?って思ったもんな。
その次のシーンで2年くらい経って、あああれで解決してたのねって感じ。
どこまで史実に忠実なのかは分からないが、
あんな恐ろしい状況の中、必死で戦った東電の社員達に敬意を表したい。
Fukushima50の命懸けの戦い
東電や政府が頼りない中でも現場の人達が命懸けで戦う姿にグッときた。
時には仲間で衝突が起きたりなど人間の描写が非常にリアル。
東電の責任が描かれていない云々言う人達がいるが、映画の趣旨が違うので非常にお門違いだと思った。だったらそうゆう政治サスペンス映画を作ったらどうか。
命をかけた人たちがいたことを、忘れてはならない
総理が視察に来てどうするんだ!!!!
今来てもどう考えても邪魔だろ!!
どう考えても今じゃないだろ!!!!!
総理がいるからベントできないってわかるだろ!!!
見れてよかった。
北海道民、大きな被害もなく遠い場所での出来事だと思っていた。
こんなにも厳しい中、日本を守っていた最前線の人たちがいたことを知らず恥ずかしい。
たった2年で亡くなってしまうなんて。
たった数日で血尿が出るほどの被害を受けるなんて。
吉田所長の言葉にもあるように、人間は自然を操れていたかと思っていた、40年間津波が来ないと思っていた、慢心だと。
後世に伝えるのがその場にいた人の定め。
映画を見てようやく被害の大きさ、津波や放射能の怖さを知れた。
このような作品を作ってくれてありがたいです。
見れてよかった。
アメリカ軍のトモダチ作戦があまりにも、不動産のことなら連合体〜♪を思い出しわろてしまた。
あー泣けた。
21.3.12TV
原発
当時震災を体験したはずなのに、原発に関しての知識が薄く、分からないことが多々あった。
どうしてこんなに怒り、悲しみ、絶望しながら仕事をしているのか、オーバーアクトに感じてしまった。感情的になったって、覆せない現状が迫りきているのに、誰にも分からないのに、なぜ責めるのか、謝るのか。
応援や協力がない中で、命をかけながら少しの希望のためにできることをやっていく姿勢に感謝する。
未曽有の危機に命をかけて立ち向かった人々の物語
あの日から「3月11日」「福島」には我々日本人にとって特別な意味を持つ言葉になったと思う。
「東日本大震災」―――あえて説明する必要もない未曽有の大災害。その大災害の中、福島第一原発で何があったかを映像化した作品。
先に申し上げておくと、「原子力の危険性」「事故の対応」等をここで論じるつもりはない。ただ、どこまで事実なのかは分からないが、多くの人間の生命や人生を脅かす脅威に立ち向かった、東電(作中では確か「東都電力」)の現場の方々の決死の対応は、もっと多くの人が知り、称賛されるべきであろうと思う。
佐藤浩一、渡辺謙をはじめとする、各俳優の演技は素晴らしかったし、何も知らない私のような人間に原発事故の危険性・恐怖を十分に納得させるような「リアル感」も作品から伝わってきた。
少し気になった点としては、現場の人間は事故に「命をかけて対応」と好印象を与える形で描かれていたが、一方政府側や本社側の人間が一言で言って「無能」と描かれている点は賛否両論あるだろうな、と感じた(名前こそでてこないが、誰がみてもこの人は当時の首相や幹事長等と分かるような感じだったので)。
震災から12年が過ぎ復興が進む東北。かつての大戦と同じく記憶が風化されていく中で、ネガティブな意味ではなく、こういった記録を改めて見返すのは大事なことではないかと考える。是非多くの方に見ていただきたい作品であった。
国民が知っておくべき事実
この映画は、東日本大震災を知る日本人であれば見ておくべき作品と言ってもいいかもしれません。
家族を、故郷を、そして日本を守り抜いた現場の勇気ある作業員たち。
今の「日常」があるのは間違いなく彼らのおかげです。
あの日あの時、福島で何が起きていたのか。
政府の無能さに反発し、冗談抜きで日本壊滅かという危機的状況に自らの命をかけて立ち向かってくれた人たち。
私は心の底から感謝の気持ちしかありません。
彼らが守ったこの故郷で、この日本で、一日一日を大切に生きていきましょう。
あの日起こった事実とは
アンビリーバボーな壮絶さがそこに。あの日闘っていた職員たちは…。各々に守るべきものがあって。逃げる選択肢を捨てて。仕事の範疇を優に。分かる展開があるから余計に辛い。それを届ける勇気。それを受け止める怖さ。全員が固唾を呑む。あなたの身に起こるのは明日かもしれないと。
本事故で唯一美談化できる部分の作品
レビュータイトル通りです。
事故発生当時、死を覚悟して作業にあたった方々は本当に素晴らしい。
然しながら、最後の方であった「自然を支配したつもりでいた人類の傲慢であった」というメッセージがありすが、自然ではなく原発の支配の間違いではないでしょうか?全ての原因は天災のせいだと言っているようにしか聞こえませんでした。2020年公開ですが、現在進行中の、デブリ取り出し作業や汚染水の海洋放出の問題、後の調査で分かった事など触れられておらず、原発問題に興味が無く日常生活に特に影響のない若い国民が見たら、深刻な事故が収束したかのような印象を与えかねませんし、原子力に興味を持つ方も少ないでしょう。現時点で発するこの映画のメッセージは、いくらなんでも酷いのではないでしょうか?
ここから書く事は映画レビューではないので、読みとばしてもらっても結構です。私は専門家ではありませんし、得た知識も原発事故関連の書籍や専門家の動画など、ネット上で得た知識ですので、間違いがあるかもしれません、ご了承下さい。よかったらご指摘等下さい。色々話が分散し、長文になってしまいました^^;
私個人は、原発は日本では必要だと思います。エネルギー資源の少ない日本では、過去それが原因で第二次世界大戦を起こす引き金になった経緯もあります。なので、原発稼働に伴う放射性廃棄物の処理方法などの研究にもっと注力するべきであると思います。もしくはヒトが放射能性物質に耐えられる抗薬の発明など、、急性被爆のようなDNA自体を破壊する中性子などの対策は無理だとおもいますが。
原発は核分裂反応を利用していますが、核分裂の根幹である特殊相対性理論を提唱したアインシュタインは、ナチスドイツのユダヤ人へのホロコーストが本格化する前に米国へ亡命し、ヒトラーがいずれこの核分裂を利用した兵器を考え作成し使用するのではないかと危惧し、原爆兵器の作成を早期に米国が行なうような内容を、直接的にではないでしょうが含むようなニュアンスで、時の米国大統領に進言し、その結末は皮肉にも広島と長崎に投下される結果に繋がったと聞いています。相対性理論及びそれに含まれる、わずかな質量が莫大なエネルギーに変換できる発見は、人類史最大の発明だと思いますが、問題は原発のような平和利用に用いられるか、核兵器のような軍事目的の利用に用いられるかであり、要は後述の選択に利用される事は明確です。
地球滅亡が、温暖化か核兵器使用か巨大隕石の衝突か、もっと他の要因か判りませんが、そう長く後の話だとは思いませし、ある分野の科学的発展は倫理的な問題で控えられていると表向きにはなっていますが、科学者の知的探求への欲求は、まず贖う事は不可能なのだと思います。人間の倫理的な問題が、もっと悪くならない事を願うばかりです。
全489件中、1~20件目を表示