劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンのレビュー・感想・評価
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最初は正直、ヴァイオレットの
年齢の設定が、後
2、3歳上ならなって思いました。
結構、評価をしてる方の意見で厳しいのは
少佐が
ちょっと、、、みたいな所にガッカリしてて
親子愛じゃなくてガチだった所に
引っかかったりしてる気がするんだけど、
ヴァイオレットからしたら
少佐が全てなのは、作中から
ずーっと、ブレてなくて、
だから、観てるこちらは、そんなヴァイオレットに
魅力を感じて、物語が面白く感じて
そして、たくさん泣きました😢
だから、ハッピーエンドで!素直に本当に
良かったです。
このまま少佐に会えないまま
シリーズ続けて欲しい気持ちもありましたが
やっぱりラストのヴァイオレット観たら
本当に本当に良かったね!って思いました。
ヴァイオレットの少佐への
想い、手紙を観たら
歳がどうとか別にいいやって最後は
思いましたよ。
題名が素敵ですよね。
ヴァイオレット・エヴァーガーデン。
劇場版は完全な蛇足
テレビアニメで、あれだけ感動的な場面を提供しておいて、土壇場の劇場版でこの結末ですか?
お粗末の極みと言わざるを得ません。少佐が亡くなった痛みを胸に依頼人の心をくんで書く手紙。それが、この作品のテーマだと思っていました。そして、大切なものを失った彼女がいかにその痛みを乗り越えるかがヴァイオレットの劇場版のテーマだと思っていたのに、想像もしていなかったクソ(失礼)面白くもないハッピーエンド。まったく陳腐といってよいエンディング。がっかりです。
京アニの作品は好きで見てきましたが、もう京アニだからという理由だけで鑑賞することはないと思います。残念です。
軍隊物ってだけであまり観る気はしなかったが何とか人形の巨乳女が出て...
軍隊物ってだけであまり観る気はしなかったが何とか人形の巨乳女が出てきて一気に失せた。
露骨な男受け狙いとかそりゃ萌え豚は喜ぶだろうけどいらないわ。
ベタベタな展開にも飽きてそこで観るのやめた。
全然面白くない
金曜ロードショーでやっていた。Twitterでヴァイオレット・エヴァーガーデンについて否定的なツイートするとシャドバンされる。Twitterを見ると否定的なツイートが一つもなく、全てが絶賛のツイートだけ、完全に操作されている。その気味悪さもマイナス。あと普通に面白くない。とにかく全部ひっくるめてきもい。
もはや理解不能
ヴァイオレット・エヴァーガーデン。本当に素晴らしい作品です。テレビシリーズと外伝は、という条件付きですが。
で、シリーズ集大成とも言うべき、この劇場版。事前PVの時点でギルベルト少佐の様子がおかしかったので、まさかとは思っていましたが、予想を上回る出来の悪さに呆然自失。
ロリコン、二番煎じ、ご都合主義、よく飛ぶ手紙。この映画を表すキーワードはこんなものでしょう。そして主要キャラクターたちを概観すると、この映画のお粗末さが見えて来ます。
離島に逃げ込み自己中の傷心青年を自演乙しながら幼児退行した挙げ句、ロリコン性癖を大爆発させるギルベルト少佐。
ゴミ扱いして一度はポイ捨てした道具がスゴく魅力的な美少女になったので、にわかに発情して弟同様にロリコン化し、ストーカー行為に走るディートフリート大佐。
いつの間にか保護者面して立ち回り、やたらとヴァイオレットに粘着して嫌われるうざい束縛系オヤジと化したホッジンズ社長。
上映時間を延ばす為だけに仕立て上げられ、テレビシリーズの二番煎じ感動茶番劇をやらされて死んだオマケキャラのユリス。
映画の導入と締めの為だけに登場させられた、狂言回し役のデイジー。
とにかく演出、脚本がひどい。例えば大佐に関する描写を見ると、ヴァイオレットが失くしたヘアリボンを届けに来るとか、言葉巧みに彼女を船へ誘い込むとか、完全にふたりの間に性的関係があることを匂わしていました。
作中のヴァイオレットは高校二年生くらいのようですが、大佐は三十代半ばくらいでしょうから、下手をすれば親子ほどの年の差。これじゃ変質者の記録映画です。
また、少佐がどうやって生き延びたのかも十分な説明無し。ただ単に、ラストで感動的な夜の海での再会シーンをやらせたかっただけなのでは?片眼と片腕を失うほどの重傷を負ったのに、実兄のディートフリートにも同期のホッジンズにも気付かれず怪我を治して辺境の島へ辿り着くとか、あり得ないです。
ファンタジーでありつつもリアリティー重視のアニメだと思っていましたが、どうやら勘違いだったようです。
更に、まさかもうやらないよね?と思っていた病気感動ネタをまたまた長々と差し込んできて、メインストーリーの邪魔をするとか、製作チームは一体何を考えているのでしょうか。
極めつけは、ロリコン泣き虫構ってちゃんに変わり果てたギルベルト少佐のキャラ設定。原作はどこに行った?と言いたくなるメチャクチャな作りです。140分もの長編なのに、主役の彼は見せ場ゼロどころか延々とダメ男を演じるばかりとか、大丈夫かこの映画?
ラストの島内疾走シーンなんて、見苦しいを通り越し滑稽すぎてギャグアニメかと思いました。落ち着きがあって、凛々しくも優しい模範的な軍人だった彼はいずこに?ヴァイオレットって、こんな落ちぶれたクズ男を想い続けてたの?
そしてそんな本作品に対する巷の評価はどれも、最高!素晴らしい!感動した!泣ける!涙が止まらない!などなど、ざっくり見ても全体の99%は絶賛レビューばっかりです。
この状況、動くヴァイオレットちゃんが見られたから脊髄反射的に称賛!ということになってはいないでしょうか。原作とはまるっきり似ても似つかないお話なんですよ、この映画。実際に見終わったあと、マジこれで終わりなの?って感じでした。
こんなストーリーでは、匠の技を見せたアニメーターや声優さんたちが可哀想です。原作破壊も甚だしい。この劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、とてもじゃないが公式作品とは認め難い出来、内容です。
もし劇場版鬼滅の刃で炭治郎がヘタレ少年に描かれていたら、ファンは怒るでしょう。今回のギルベルト少佐改変は、それに等しい暴挙ですよ。なのになんでそれが大絶賛の嵐となるのか、自称熱心なファンのひとりとして理解不能です。
本日、地上波放送(金曜ロードショー)で、テレビシリーズ再編集版と外伝が二週連続放送されるそうです。また新たな感動が生まれ、新しいファンが増えることでしょう。でもまさか、あの感動ストーリーの裏で少佐がエカルテ島にコソコソ隠遁し、悲劇のヒーロー気取りで精神的自慰に耽っていたとはがっかりです。
そして最後には、夜間水泳でズブ濡れぐちゃぐちゃになったヴァイオレットちゃんを、見るに堪えない泣き虫変態少佐が愛欲丸出しで待ち構えているなんて、すべてがつや消しです。テレビ版ギルベルト少佐のセリフを借りるなら「もうやめてくれ!」ですね。
以上、このレビューを不快に感じた方には心からお詫びします。でも、ファンのひとりとして書かずにはいられませんでした。これを読んでいらっしゃる方々はヴァイオレット・エヴァーガーデンのファンかと思います。いま一度、この映画への評価を再考すべきかと。
点数評価は内容的には0点ですが、制作に尽力された皆様への敬意を込めて0.5点としました。
蛇足感半端ない
あ~、凄い期待してたんですよ。でもなぁ・・・・。
そもそも、テレビ版制作時は映画化を考えて無かったとの事で、どうしても後付け設定が多くなってしまう。あの状況でロリコン少佐が生きていて、しかも離島に居たとか・・・・・無理矢理過ぎる。
テレビ版10話でのアンの孫が曾祖母が祖母が50年に渡って届くようにした手紙から、ヴァイオレットに興味を持って、離島まで行くって・・・・。確かに、ドールの仕事自体、識字率が上がり電話が普及したらどうなるんだろう?とテレビ版から気になっていたけど、アンの孫がヴァイオレットに興味を持つには無理過ぎる展開だった。ヴァイオレットの時代リアルタイムで進めた方が間延びしなかったんじゃないか?
また、無くても成立した病気の子供の件。泣かせる為だけに子供を殺さないでよ。これだって、無くても成立する話。ヴァイオレットに背を向けていた少佐がむき直す為に必要なエピソードでも無いし。
要らない話しで膨らませて140分は・・・・・
少佐が生きているかもしれないと情報が有ったけど、やはり死んでいて、それでもヴァイオレットが前を向いて歩くって方が良かったんじゃないかなぁ。
島での暮らし・・・・義手錆びない?
アニメ史に名を刻んだ超大作 京アニの本気
この作品の魅力は、
心揺さぶるストーリーとアニメNo. 1の作画です。
京都アニメーションの凄さに圧倒されました。こんなに泣けるアニメはないと思います。
戦争で両腕を失い、心から慕っていた少佐を失った主人公ヴァイオレット・エヴァーガーデンが最後に少佐からもらった"愛してる"を知るために手紙を通して成長していくストーリーです。
ぜひ、TVシリーズからご覧になってください。
きっと今の時代に忘れてしまいがちな、大切な人に思いを伝えることの尊さを知ることができるでしょう。
ヴァイオレットちゃんをひたすらageるだけの映画
少佐がキモいことと設定の矛盾については既にたくさんの方々が書かれているので割愛します。
個人的な感想としては、とにかく主人公ヴァイオレットを称賛するためだけに作られた映画だな、と。
登場人物すべてがいかにヴァイオレットが美しくて優秀で素晴らしい人物なのかを描写するための駒でしかないように感じました。郵便社の社長も同僚も病気の少年も市長も島の住民たちも、ヴァイオレットに会う人みーんな彼女を気に入り、讃えることしかしません。彼女に否定的な態度を取る人は一人もいません。(少佐のあれは、あんなもん拒絶じゃなくて甘えなので除く)
そもそもキャラデザからしてヴァイオレットを引き立てるためだけに設定されてますよね。金髪碧眼でヒラヒラの素敵な衣装を纏ったヴァイオレットと比べて、他の女性キャラはみんな地味な外見。エリカなんてひどすぎます、何ですかあの髪型とメガネと服装…。不人気キャラにしたくてわざとああしたようにしか見えません。
とにかく誰もヴァイオレットより美しいキャラ、魅力的なキャラにならないように意図的に描写されているように見えます。
そしてみんな口を開けばヴァイオレットヴァイオレット…。みんな他に考えることないの?趣味とかないの?
社長に至っては休日に彼女が出かけたというだけでどこに行ったんだろうって心配する始末。そんなん勝手にさせたれよ…プライベートだろ。
アンの孫のデイジーちゃんも、亡くなったおばあちゃんが大おばあちゃんからもらった手紙を大切にしてたエピソードを聞いて、それで一足飛びに「その手紙を代筆した人物そのもの」に興味を抱くっておかしくないか?ふつう大おばあちゃんたちがどんな気持ちを手紙に託し、受け取っていたのかが気になるんじゃないか?代理で書いた赤の他人なんてどーでもよくないか?
百歩譲って今はもう失われたドールという職業に興味が湧くならまだしも、逐一その足取りを追うほど手紙代筆業の一個人の生涯が気になるか?
その時点でもうストーリーが頭に入ってこなかった。
そんなかんじですべてがヴァイオレットのすごさを語るための舞台装置でしかないので、他のキャラに人間味を一切感じられない。共感もできない。よって感動もない。
で、紆余曲折あったものの、ヴァイオレットちゃんはいろんな人からの協力を受けて結局ぜーんぶうまくいって、最後は大切な人と結ばれ、移住先の島の住民にも歓迎され、彼女の偉大な功績はのちに記念切手の肖像化されるほどになりました♪おしまい♪
アニメ版のお姫様回とかはかなり好きだったんですけどね。残念。
涙、涙、涙
泣きすぎて目が痛いです、、
1.病気の男の子と幼馴染の電話シーン
2.病気の男の子の母親と父親、そして弟への手紙のシーン
3.最後のヴァイオレットと少佐のシーン
この3つの話が次々に進んでいくので
泣き止む暇がありませんでした。
アニメの時よりも時代が少し進んでおり、
電話が開発されていました。
序盤の電話の登場シーンでは、今後の手紙需要に
不安視するような場面がありましたが、手紙vs電話
ではなく、手紙のシーン(2.)、電話のシーン(1.)と
両方の素晴らしい点を感動シーンと融合していました。
最後のシーン(3.)では、ヴァイオレットが泣き過ぎて
喋れなくなる間が絶妙でした。
本当に少佐が生きてて嬉しかったのだと伝わりましたし、自分も嬉しかったです。
素晴らしい作品を京アニさんありがとう。
原作無視の二次創作映画
はじめにお断りしておきますが、このレビューはかなり批判的な内容となっています。予めご了承下さい。なお、私自身はヴァイオレット・エヴァーガーデンの大ファンです。
今回の劇場版は『少佐の生存』と『ふたりの再会』というふたつのトピックを、いかに説得力あるストーリーに落とし込めるか、それが作品の評価を決める最重要ポイントであったと言えるでしょう。ところが実際には・・・
先に結論から言うと、脚本が酷すぎて話にならないと思いました。コロナ禍の中、感染リスクを冒してまで二時間超えの映画に足を運んだのは、主役ふたりの感情の機微を描いた感動の再開劇を見たかったからなのに、蓋を開けてみればデイジーだのユリスだのと余計な要素が多すぎて、まるで纏まりのない下手な作文を読まされている感覚で、苦痛でした。こんな内容なら一時間程度の中編で十分纏まったでしょう。以下、細かく。
序盤でまず、ギルベルト少佐の手紙をホッジンスが見つけて物語が動き始めますが、この時点で既に設定に無理があったように思いました。果たしてあのふたりは、相手の筆跡を覚えているほどの親密な仲だったのでしょうか?最前線勤務のギルベルトと後方勤務のホッジンスとの間にそこまでの接点は無く、ましてや男同士、筆跡を記憶してしまうほどに手紙のやり取りをしていたとも思えません。それに、何年間も見ていない友人の文字を一瞬で見分けることなんて、出来るのでしょうか?
所詮はアニメですから、時にはご都合主義も必要かとは思いますが、大切な取っ掛かりの理由付けがあまりにも安易、適当過ぎるように感じて、初っ端から醒めてしまいました。
次に、本作最大の鍵となるギルベルト少佐の生存に関してですが、作中では補足説明等がほとんど無く、リアリティー不足の感は否めませんでした。コマーシャルが明けたらいつの間にか時は流れ、最終決戦で負傷した少佐はエカルテ島に・・・みたいな感じの雑すぎる展開です。
時間枠の制約がある劇場版ゆえ、余計な描写は省いたのかも知れませんが、どうやって生き延びて島に辿り着いたのかは、現在の少佐の人物像を語る上で絶対に省略してはならないパートだったはずです。テレビ版の焼き直しみたいな病気の少年のエピソードを長々と入れてる暇があったなら、もっと主役ふたりの心理描写にこそ時間を割いて欲しかったです。あれもこれもと盛りだくさんにしようとして、結局全部中途半端で掘り下げが足りない結果に終わってしまったように思われました。
また、そもそもの大前提として、最終決戦で重傷を負った少佐が生き延びるには、第三者の介入による救命活動が不可欠だったと思われますが、テレビ版の描写を見るに一体誰が彼を助けたのでしょうか。すぐ近くでヴァイオレットは友軍の捜索隊に発見されたのに、どうして彼だけ見落とされたのでしょう?作中では『気づいたら病院にいた。認識票が無かったので修道会の病院に送られた』とのみ説明されていましたが、軍装と階級章でライデン軍将校であることは分かりますし、インテンス要塞の敵司令部付近に倒れていたのでしょうから、先陣を切った特別攻撃隊員であることも明白です。更に少佐自身、記憶を失ったわけでもないのに自ら名乗りさえしなかったのでしょうか。
また、もし味方のライデンシャフトリヒ軍に救助されていたのならば、ホッジンスやディートフリートがその事実を知らないというのは解せませんし、敵方のガルダリク軍は全面敗走中で、たかが少佐ひとりを捕虜にして連れ去る余裕などなかったはずです。ましてや、瀕死のギルベルト少佐が味方の捜索隊がやって来る前に自力で戦場を離れた可能性など、皆無に等しいでしょう。それにもし自分で動けたのならば、傷ついたヴァイオレットを放置しておくはずがないですし・・・
このあたり、基本設定がガバガバ過ぎると言わざるを得ません。
エカルテ島に流れ着くまで、彼は誰と出会い何を考え、何処で治療を受け、どのように生計を立てていたのか。その説明すら無いまま、いきなり偽名を使う怪しいジルベール先生として登場したところで、感情移入などできるはずもなく・・・
更にギルベルト少佐に関しては、鑑賞中にこう感じた方も少なくないかと思います。一途で気高く純粋なヴァイオレットの相手役にしては、やけに見劣りする男だな、と。
そうです。まさにこの点こそが、本作品最大の失敗と言えるでしょう。原作をご存知の方ならば先刻お分かりかとは思いますが、劇場版のギルベルト少佐は原作設定とはまるっきり正反対の、卑屈で矮小な人物に作り変えられているのです。近年、主役級のキャラをこれほどまでに改悪したアニメは、知る限りでは他に見た記憶がありません。
本作品における彼は、遥々島を訪れたヴァイオレットに対して、会えない、帰ってくれ、自分はもう死んだ等々、ごちゃごちゃと徒に上映時間を引き延ばして彼女を大泣きさせた挙げ句、最後の最後になって彼女の手紙を読んで逃した魚の大きさに気付いたのか、急にみっともなく喚き散らして島内を激走し、ヴァイオレットに抱きついて「ずっとこうしたいと思っていた」とか口走って自らの性癖を暴露する、変態お兄さんとして描かれています。
これは、美しい夜の海をバックにふたりが抱き合う感動的な場面におけるセリフなのですが、せっかくの名シーンも、彼の不用意なひとことで台無しです。あの美しい島で、少佐はずっとヴァイオレットのことを思い出しては猥褻な妄想に浸っていたとでも言うんでしょうか。
『私は君が思っているような人間じゃない』『私なんか君には相応しくない』と自らを卑下しておいてから『それでも愛してるから傍にいてほしい』だなんて、典型的なジゴロや結婚詐欺師の話法では?いくらファンタジーなアニメとは言え、笑えない冗談です。
そして散々焦らされ会いたい気持ちが極限まで募り、正常な判断力を奪われていたヴァイオレットは、こんな見え透いた甘言にイチコロです。少佐の死を乗り越え、愛してるの意味を探しながら懸命に生きてゆこうとする彼女を、巧みな演出で描いていたテレビシリーズの感動は何処へやら・・・
私はツッコミどころ満載の展開に、心の中で「この映画は本当にあのテレビシリーズや外伝と同じスタッフが作ったものなのか」と訝しんでおりました。更に言いますと「シリーズ集大成の完結編で、とんでもない代物をリリースしてくれたな!」とも思っていました。
今回の劇場版の描写に従うならば、最終決戦の場面で彼が口にしたあの「心から愛してる」は、つまるところ「君を性的欲望の対象として見てる」という意味合いだったのでしょう。作中設定に照らせば、小学校高学年の少女に対して20代後半の青年が欲情しているお話となります。最悪です。
ヴァイオレットがあれほとまでに知りたいと願っていた『アイシテル』の正体は、ロリコン将校の魂の叫びだった、ということなのでしょうか。
原作でも最終的には恋仲になるふたりではありますが、映像化に当たってもう少しなんとかならなかったのかと残念に思います。彼がヴァイオレットに抱いていた感情は、歳の離れた妹へ向けるような親愛の情であったと思っていましたが、本作品では一気に低俗なラブストーリー化してしまったようです。
また、これもお話の重要なキーポイントである、なぜ少佐は敢えてヴァイオレットを迎えに行かなかったのか?についてですが、これにも雑な酷い理由付けがなされていました。
少佐自身は『私があの子を不幸にしてしまったから、兵士として扱ってしまったから、もはや合わせる顔がない』等々、一見それらしい理由を述べてはいましたが、全部彼自身の都合ばかりです。ヴァイオレットの気持ちを汲んだ思考が全く見受けられないのは、致命的な演出ミスだと思いました。
彼の立場なら、何をおいてもまずはヴァイオレットの元に赴き、心身両面からケアしてあげるのが最善策だったのは明らかです。それが出来るのは、世界中で彼ただひとりなのですから。完全に責任放棄して現実から目を逸らした、卑怯者の誹りを受けても仕方ない所業です。
さて、尺の都合上、最後にバタバタとくっ付いて指切りげんまんして、ハッピーエンドを迎えたかに見えるふたりですが、これからの新生活を思うと暗澹たる気分にさせられます。一度染み付いたネガティブ思考は、そう簡単には抜けないものですから、少佐の本質は卑屈なまま変わってはいないでしょう。
一方でヴァイオレットは今後、内面、容姿ともに益々輝きを増してゆくと思われます。結果、身近でそれを目の当たりにして劣等感に苛まれたギルベルト少佐が、パートナーのヴァイオレットに暴力をふるう未来が容易に想像できてしまいました。今作の彼が辿るに相応しい末路と言えるのでしょうが、同時に別人のようなキャラクターに作り変えられてしまった少佐が哀れでなりません。作中でホッジンスがギルベルトを「大馬鹿野郎!」と怒鳴りつける場面がありましたが、観客の多くも「こんな腰抜けのクズ男にヴァイオレットちゃんを任せられるわけないだろ!」と思ったことでしょう。
またディートフリート大佐も、かつて自分が捨てた道具が思いの外魅力的な美少女に育ったのでやっぱり欲しくなった、という身勝手な男です。作中でホッジンスも指摘していましたが、もし少佐が発見されていなかったら、確実に少佐をダシにヴァイオレットの心の隙間に入り込み、彼女を愛妾か幼妻に仕立て上げていたことでしょう。この兄弟には、二度とヴァイオレットに関わってほしくないです。
少佐のキャラを改悪したせいで、結局ヴァイオレットもとんだとばっちりを受けてしまった形です。彼女が一途に想い続けていた相手は、こんなダメ野郎でしたよ、というまとめです。二時間以上の長編映画のラストが、純真無垢なヒロインがクズ男に騙されて大団円とか、これほどまでに主人公を虐め抜いて、本当に何を描きたかったのでしょうか、この映画は。
以上、気付いたままに批判ばかりを書き連ねてしまいましたが、ではヴァイオレット・エヴァーガーデンという作品は、元からこんなにもどうしようもない駄作だったのでしょうか?いいえ、断じてそんなことはありません。仮にも京都アニメーション大賞受賞作ですし、テレビ版から外伝へかけての感動は多くの方が覚えていらっしゃることでしょう。
ならばなぜ、こんな代物が出来上がってしまったのか。
その最たる理由は、今回の劇場版が全編ほぼ全て、原作無視のオリジナルストーリーだったからに他なりません。本来、原作小説にはデイジーもユリスもエカルテ島も出て来ません。全部、劇場版限定の妄想二次設定です。お叱りは覚悟の上で書きますが、原作要素ほぼゼロのこんな二次創作ムービーが、どうしてこんなにも大絶賛されているのか、いまだに全く理解出来ません。特にギルベルトファンの皆様は、本当にあんな内容で満足されたのでしょうか?あくまでも個人的意見ですが、精緻な作画や素晴らしい声優、美しい音楽など超プロ級の技を総動員しておきながら、肝心のストーリーがこの体たらくかよ・・・と、ファンのひとりとして非常に悲しい気持ちになりました。
もちろん、受け止め方は人それぞれですし、絶賛するご意見が多いのも承知しています。寧ろ私のような穿った見方が少数派であり、これが正しいなどとは到底言えませんが、少なくともこの映画をご覧になった方々ならば、私が上で挙げた各点が、強ちピント外れの指摘ばかりでもないことはご理解頂けたかと。もし原作未読の方がいらっしゃいましたら、どうぞ手に取ってみてください。本来のヴァイオレットと少佐に逢えることでしょう。もしかすると、劇場版に対する感想も変わってくるかも知れません。
以上、長々と書いてしまいましたが、要するに、原作から乖離した『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、主役のふたりを無理矢理再会させて終わらせるための辻褄合わせムービーに過ぎなかったのでは、というのが私の感想です。もし叶うなら、もう一度ゼロから作り直してほしいくらいです。
こんな内容なら、見るんじゃなかった。m(_ _)m
泣けるよね
アニメ、原作、外伝、この映画も見ましたが、もう一度アニメを見直したときこの映画の違和感を感じました。確かに感動的で泣けますが、ギルベルトとヴァイオレットの恋愛感情やギルベルトの行動など自分自身の解釈したヴァイオレットエヴァーガーデンのコンセプトに合わないところが多少あります。まず、このアニメの当初のコンセプトは「愛してる」を知ることだと思います。そこから、話が進むにつれて愛する人を失った人たちに出会い、感情を学び、「愛する人を失ってもその別れの寂しさのなかにも美しさを見出す」というようなコンセプトの雰囲気が漂ってきました。ギルベルトの死を聞いた時からこの路線に移行したのだなと思いましたが、このような結果になって残念だとほとぼりが冷めた後に思いました。この作品の前の外伝は10話のようにたくさん涙が溢れるような話ではないですが心の奥にずっと残るような大変良いものでした。外伝はまさしくそのコンセプトに合った理想形といっても過言ではありません。アニメより原作の方が完成度は高いですが、ストーリーの一貫性を見た時に原作の方を採用した方が良かったと思います。大変好きな作品のために残念でした。この映画を見ずに自分の理想のまま終わらせることをおすすめします。
少佐は、、
生きていたのですね✨
去り行く船の汽笛、遥かな大地、
沈む夕陽、自然の風景が美しく描かれていました✨
タイプライターの手紙に託された気持ち
家族の絆、ヴァイオレットの内に秘めた想いが伝わってきました。
Shallot Beredary
こんにちはみんな、私たちはシリーズ「バイオレットエバーガーデン」の標準的な続編になる新しいシリーズを求めることができます、例えば:
-美しくてかわいい物語は二次的になり、物語は非常に現実的で、複雑で、印象的で、非常にインタラクティブになります(映画、漫画、漫画、ゲームを含む架空の北米宇宙の本に触発された高レベルの物理的相互作用がありますBrain Dead 13、Until Dawn、Dragon's Lairなどのインタラクティブ)。
-大きな共感の大きな発達と改善、キャラクターの嫌悪感の欠如、彼ら自身の生活への興味の欠如、そして大きなニーズのためにのみ彼らを保護することができます。
-メインキャラクターとセカンダリキャラクターの極端で絶対的な能力、過度の思考の欠如(思考自体を誇張しすぎると、インタラクティブな能力が損なわれ、人々が物事を混乱させる可能性があるため)、キャラクターは大きなニーズに対してのみ思慮深くなることができます。
-力による自信の欠如(これは、力の自信によって誇張しすぎると、誇張された考えのために人が警戒を緩め、不意を突かれる可能性があるためです)
-非常に正しい動機のためだけに間違ったことをし、大きなニーズのために何も悪いことはしません。
暁佳奈が彼女の代わりにこれらの物語を働き、書くための素晴らしい後継者を持っていて、彼らの発展に大いに役立つならば、彼女はこのシリーズの美しくてかわいい物語だけを書くことができます。
この新シリーズは「シャロット・ベレダリー」と呼ばれ、「バイオレット・エバーガーデン」シリーズよりもはるかに軽いシリーズです。
そして、この新しいシリーズには多くのユーモアがありますが、日本人や誇張されたユーモアはありません。特に、性差別(女性の体を触るようなもの)、いじめ、軽蔑、嫌悪は、多くの国とこれらすべてがシリーズに登場することはありませんが、架空の北米宇宙の映画、シリーズ、漫画、漫画、メディア、さらには「エルチャボデルオチョ」や「エルチャボデルオチョ」などのメキシコのシリーズに基づいたユーモアがあります。チャプリンコロラド」。 しかし、このユーモアは、愚かさ、無能さ、他のものの不利な点とはまったく関係がありませんが、高い能力、幸運などの理由で関係しています。
「VioletEvergarden」には美しくてかわいい物語が好きな聴衆がいるので、「Sharrot Belledary」には現実的な(しかし重くて暴力的ではない)物語が好きで、非常にインタラクティブで、非常に発達していて心理的で、たくさんの行動がある聴衆がいますそしてまれな瞬間にがらくた。
「VioletEvergarden」と同じように、「Sharrot Belledary」も、Violetの場合と同じように、Sharrotの過去の瞬間を、彼のストーリーのおかげではるかに印象的で幻想的な方法で表示し、彼の人生の魅力的で注目に値する瞬間を示します。その起源は、最初のシーズンの初めから終わりまで始まります。そして、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」と同じように、顔にスラップやパンチがなく、ひどいものでなくても、前作と同じようにとても綺麗でキュートなシリーズです。
アスタ・バーグランドと呼ばれる、感情的にシンプルな美しいノルウェーの女の子のクローンであるバイオレット・エバーガーデンの本当の起源に焦点を当てています(現在、彼女の姉のヘラ・バーグランドと一緒に住んでおり、彼女の両親はアスタがまだいる頃にはすでに亡くなっていました赤ちゃん、そして彼らが死ぬ前に、彼らはテロ攻撃が都市を怖がらせることを知ったという事実のために、彼らが彼らの都市から女の子を連れ出しそして彼らを米国で育てるために古い友人に手紙を送りました)、そしてアンドロー・ジェンセン(女の子の両親の友人であり、両方を町から連れ出した同じ男性)、オーロラ・ジェンセンの兄、シャロット・ベレダリーの母方の叔父によって作成され、彼はアスタの髪を切っただけですはさみで自分のクローンを作成し、精神的な変更を加え、身体能力を拡大し、戦略を戦い、通常の行動をキャンセルします(彼女がアスタとヘラでしたように、しかし唯一の違いは、アンドローがライトトローズの遺伝学をバイオレットに移植しなかったことです。その理由は、彼が通常の人間と比較してバイオレットを離れたいと思ったためです)、そして最後に、彼女の口に錠剤を入れて24時間眠らせます、そしてアンドローがこのクローンを作成した理由は、彼が完璧なボディーガードを必要とする島の住民の一人からメッセージを受け取り、アンドローが取引を続けることができたからです。アンドローは飛行機で島に向かって飛んで、眠っているクローンを開いたパラシュートと一緒に投げてから投げます。
クローンが目覚めた瞬間、精神的な変化が減ったため、その時は性格も行動もありませんでした。島を歩き回ると、不思議な黒いエネルギーが目の前に現れ、記憶と人間の行動を完全に無効にします。 (これは、バイオレットが彼女に会った後、この島の多くの人々とディートフレッドの古い仲間を殺した動機になります)、彼女の過度の楽観主義を完成させ、言葉を話し、理解する能力を無効にすることさえ、彼女の記憶を完全に減らし、一種の遺伝子操作を使用して操作しましたクローンと彼女にディートフレッドボンゲインバレアと呼ばれる男を完全に尊敬させます。そこではエネルギーがこのディートフレッドが誰であるかというビジョンを示し、そのエネルギーはまた、ディートフレッドを除くその島のすべての住民を殺すようにクローンに命じました。
そして、あなたがすでに知っている残りの部分。しばらくして、Dietfred Bongeinvaleaと彼の仲間が島に到着し、彼らのボートは立ち往生し、Dietfredの仲間を殺す女性のクローンを見つけ、しばらくすると、Dietfredは彼女を家に持ち帰り、Gilbertに届けます。女性クローン「バイオレット」。
ドラゴンボール、ナルト、ワンピース、ブリーチ、ワンパンマン、進撃の巨人、僕のヒーローアカデミアなどの永遠のアニメに情熱を注いでいるなら、シリーズ「シャロットベルダリー」が私たちの心の善を願っています。それらの1つ。
物事を簡単にするために、バイオレットとギルバートの関係は真の愛を表していますが、シャロットとディートフレッドの関係は憎しみを表しています。ダイエットフレッドがシャロットに対して完全な反感を示しようとするときはいつでも、シャロットは、絶対的な論理の観点からディートフレッドの否定的な点と特徴を疑問視し無視する方法として、はるかに強力な方法で、嫌いなものをすべて取り戻し、それをディートフレッドに戻します。
興味がある場合は、アニメプラネットのウェブサイトにアクセスし、Dietfred Bongeinvaleaのプロフィールを見て、このキャラクターの好き嫌いの数を確認してください。彼はこのサイトに200以上の好き嫌いがありますが、想像してみてください。何ヶ月も何年もの間、彼は300以上の好きなものと200以上の嫌いなものを持っています、そして今後数年間で彼は1200以上の好きなものと1100以上の嫌いなものを持っているかもしれません、それであなたは考えているアイデアを持っています彼がどれほど過大評価されているか。そして私はそれを計算しました。そして、これの本当の理由は、私があなたに渡す次の段落で説明されます。
彼女が仲間を殺したので彼がバイオレットを嫌っていることを私は理解します、しかし深く、それは彼女が望んでいたからではなく、彼女が誰かによって強制されそして命令されていたからです。ダイエットフレッドが何度も仲良くして他の人とハッピーエンドを迎えたとしても、彼はいつものように感情的な複雑さ、完全に高いレベルの嫌悪と悲観、低レベルと弱いレベルの発達と人間の心理、高レベルの完全に否定的な人のままです不道徳の、そして他の人。しかし、ディートフレッドがギルバートにショットガンを発射し、それをバイオレットの前に置いた場合、それはディートフレッド自身への愛のしるしになると思いますか?あなたが間違っているからです。彼がするそのような態度は本当の愛ではなく、本当の残酷さと不道徳です。しかし、それが困難で極端で複雑な時代にあった場合、彼の発達と人間の心理のレベルが低く、不道徳が高いため、彼にとってさらに悪化する可能性があります。そして、彼がこれらのものを持っている理由は、彼が子供の頃から今まで経験した困難な瞬間と状況のためではなく、彼がそのように生まれたからです。そして、その答えは非常に単純です。誰もが夢中になるわけではありません。また、子供時代や困難な生活を送っているすべての人が嫉妬深く利己的な人になるわけではありません。そしてあなたが想像できるように、人生のすべてが異なっています。ディートフレッドはこの高い反感を獲得して以来、たとえその共感が非常に弱くても、兄に共感し続けています。これは、ディートフレッドが彼や他の人にあまり注意を払わない理由を説明しています。」
そして、アスタ・バーグランドについて言えば、彼女はバイオレットと同じ性格と行動を持っています(アンドロー・ジェンセンが2人の姉妹を採用した後、彼は2人の姉妹を実験し、感情的な複雑さを無効にして排除し、完全なレベルで高い感情的な単純さを持たせました、強迫観念、野心、楽観主義、悲観主義、信憑性、信憑性、機会主義、反感、不寛容、低い自尊心の極端で大きな欠如;そして彼女は絶対的なレベルの理解、共感、リアリズム、絶対的な心理学、明晰さ、分離、絶対的なレベルを持っています道徳、道徳、間違った動機の欠如など)、しかし彼女は過度に楽観的ではなく、ディートフレッドを完全に尊重していません、そして彼らが人生で会ったことがないにもかかわらず、アスタは新聞で彼を見てあまり好きではありません彼女は彼の高いレベルとリアリズムと共感のために彼に危害を加えることを望む悲観的でも楽観的でもなかったが、彼が世界で行った彼の怪物と不道徳のために彼のeはまた、人生のすべてに対して完全かつ絶対的な反感を欠いており、彼女はまた、高いレベルの共感と熱意、完全なレベルの心理学と成熟度、高い完全なレベルの明晰さと分離を持っています、そして彼女は決して正しくも間違っていませんアンドローがバイオレットエバーガーデンを作成する前に彼女に移植したライトトローズの遺伝学の影響のために、人生のすべてですが、すべての論理(シャロット自身のように)。
「SharrotBelledary」の2つの投稿で私が言っていることはすべて公式なものではなく、新しいシリーズを求めるための提案とアイデアを提供していることを覚えておきたいと思います。
このアイデアが今後正式に承認されれば、このシリーズが成功することを願っています。
では、バイオレットがクローンなどであるというこの提案に同意しませんか?シリーズ「ShallotBelledary」にどんな新しいアイデアが欲しいかコメントに残してください。
日本のプロデューサーやライターがこのシリーズを制作したいのであれば、この新しいシリーズのキャラクターの開発と進化を追うために私の助けを求める必要があります。
そして、シャロット・ベレダリーのバックストーリーを私にやってもらいたいのなら、このキャラクターにどんな素晴らしいストーリーが欲しいのかコメントに残してください。
次回まで、みんな!さようなら!
【揺蕩(たゆた)う】
作中で数回使われる表現「揺蕩(たゆた)う」も、この作品の一つのテーマではないかと思う。
自分の気持ちを言葉にしたためるのは、そんなに簡単なことではない。
揺蕩う、つまり、揺れ動く心であれば、なおさらだ。
人の気持ちを慮(おもんばか)ることは出来ても、自分の気持ちと向き合うのは難しかったりもする。
ユリスは最後に、自分の言葉で大切な友人に感謝を伝えたではないか。
両親や弟への自分の気持ちに少しずつ向き合ううちに、自分自身で伝える大切さも理解できたのだ。
それは、ヴァイオレットも同じだろう。
揺蕩う自分の気持ちに向き合うことで、ギルベルトの揺蕩う気持を理解できたのかもしれない。
言葉は時に無力だ。
だが、言葉を尽くして、争いがなくなるような世界であれば良いと心から願う。
余談になるが、マイクロソフトが、Windows95を世に出した頃は、まだ、いろんなことがアナログで、ホテルの秘書サービスを利用することは多かった。
ニューヨーク国連本部の近くにあるUNプラザ・ホテルに宿泊した際、ある企業に履歴書を提出することになって、自己アピールも含めたカバーレターを書かなくてはならなくなった。
自分で文章を筆記して、それをホテルのコンシェルジュにタイピング・サービスをお願いしたところ、文法の直しや、より適切な単語のチョイスなどもしてくれた上で、素晴らしいカバーレターが返ってきたことを思い出した。
UNプラザは、国連が近いこともあって、当たり前だがインターナショナルな上、差別的なことを感じることなどもなく、様々な外国人をカバレッジすることを前提にした秘書サービスはプロフェッショナルそのもので、僕は好きなホテルだった。
今は、あんな秘書サービスも必要ないだろうなと思うと、ちょっと寂しい気がする。
Sincerely yours,
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