聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディアのレビュー・感想・評価
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妄想を支える人々
酔って執刀し、患者を死に至らしめた外科医。その患者の息子、マーティンが「呪い」で外科医の娘と息子を苦しめる、と見えるが肝心の呪いについては全く描写がない。この作品は寓話だ。マーティンの妄想を外科医一家が支え、集団妄想を現出させたのだ。
石井聰互監督『逆噴射家族』では、家族が病気にかかっているとの妄想を抱いた父親が、家族の病気の悪化を感じ、殺そうとして死闘を繰り広げる。『聖なる―』も『逆噴射―』も、呪いや病気といった見えないものが家長である父の妄想を惹起し、結果、家族に危害を加えさせる。そして、前者は息子の射殺、後者は家族同士のサバイバルバトルという「犠牲」を払い、再帰的に秩序が回復される。
聖なる“鹿殺し”ではなく、“聖なる鹿”殺し
邦題がややミスリード。メインビジュアルの題字も「鹿殺し」が赤、「聖なる」が黒なので、鹿殺しという行為が神聖であると誤読しそうだが、原題「The Killing of a Sacred Deer」をよく見よう。形容詞SacredはKillingではなくDeerにかかっている。Sacredには「聖なる」の意味もあるが、「生け贄として捧げられる」というニュアンスを含む。本作はいろんな解釈の余地があるタイプの映画だろうが、他の方の自己流解釈の助けになればと思い記しておく。
作品自体は滅法面白い。同じ監督の「ロブスター」は奇天烈な設定に引き込まれたが、本作は一見まとも。しかし、「目には目を」式の呪いをかけられて、家族の関係がじわじわ変容していく様にゾクゾクする。「トゥモローランド」の美少女、ラフィー・キャシディの成長した姿も見ることができて嬉しい。
好みが分かれる作品だと思います。
自分はあんまりハマれなかったです。
序盤の異変が起こっているあたりは不気味さがあって良かった。
けど、中盤あたりからあまり引き込まれなかった。
ラストも結局なんなの?みたいになっちゃってハマれなかったです。
人身御供
心臓外科医のスティーブンと謎の少年マーティンがどういう関係なのかが最初なかなか見えてこない。そのうちマーティンがストーカーのようにスティーブンにつきまとうようになり、どんな展開になるのかと思っていたら、どんどん雰囲気があやしくなり、狂気じみた不条理なストーリーでした。ブラックなコメディとまではいかないけれど、ラスト、スティーブンが目隠しをしてロシアンルーレット銃発射する姿には不謹慎ながら、ちょっと笑ってしまいました。
不協和音のような音響は圧迫感がありそれでもって芸術的。後半は不穏な空気がただよい、ボブ以外の家族はみんな狂っていきます。ボブの異変は最初は、呪いなのか?薬物なのか?と考えていましたが、そもそも、これはマーティンの恨み(妄想)がスティーブンに乗り移り、スティーブン自身の悪夢だったのかもと思ったり。
スティーブンはボブ(息子)とキム(娘)、どちらが将来性があるかと教師にたずねて、どちらを生かすかと考える。妻はまだ自分は子供を作ることができるわと言い出し、すでにどちらかを殺すことを考えている、キムは「死んだら音楽プレーヤーをちょうだい」とボブに普通に話しかける、ボブは突然、父のような心臓外科医になりたかったんだといい子になる。人間の業の炙り出しです。
マーティンが監禁されていた時、アナが彼の足下にキスをするのは何の意味があったんでしょうか。命乞いにしては単純過ぎるし。
マーティンの怪演が光ってました。コリン・ファレルを食っていたかもしれません。
スパゲティ食べるシーンの汚らしさと不気味さがなぜか印象に残っています。
独特のカメラワークと映像美、音響もクラシカル。なかなかやりますなといった感じです。
呪い??
とにかく奇妙というか不気味
どんどんホラー染みていく
最初はホモセクシュアルを匂わすようなシーンが多々あり
そういう話か?と思いきや、話は全く違う方向へ
ネタバレになるので何も書けないが
ある意味復讐劇なのかも?
でも、どうやったのかが不明?
呪いでもかけたのか?
そこら辺が明かされないのでモヤモヤする
あと、音楽の使い方が大袈裟というか煩いと感じました。
そして父親の最後にとった選択行動が酷いというか・・・
誰も報われず、虚しいまま物語は終わります
この監督はクセが強いので好き嫌いが分かれると思う。
因みに俺は大好きです。
バリー・コーガン
こういう不気味な役をやらせたら最高ですね!
というか、こういう役ばっかりな気もする(苦笑)
いつかオスカー俳優になる匂いがする
コリン・ファレル
彼もとても良い俳優でアメリカでは評価されているけど
日本での知名度が低いのが残念
もっと評価されてもいい俳優だと思う
「掟に従属する人々」という、ランティモス作品に共通した主題を明確に理解できる一作
カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した本作、脚本はヨルゴス・ランティモス監督とエフティミス・フィリップの共同執筆です。フィリップは『ロブスター』(2016)でも共同脚本を務めるなど、ランティモス作品の世界観に大きな影響を与えた人物の一人と見て間違いありません。
ランティモス作品は、時として理不尽に思えるような掟に従属する人々を繰り返し描いているんだけど、本作は主題理解という点では非常に明確な作品であるといえます。確かに主人公の医師・スティーブン(コリン・ファレル)には罰を受けて然るべき過失があったとはいえ、マーティン(バリー・キオガン)が課した掟は非現実的かつ不条理です。だがその掟は実際に発動し、マーティンの家族は徐々に追い詰められていきます。
追い詰められているとはいえ、どことなく掟を従順に受け入れているかのような家族の振る舞いが、まさに儀礼に供される犠牲であるかのような印象を強めています。
フィリップは数作の空白期間ののち、『憐みの3章』(2024)で再びランティモス監督と組んで本作の世界観を蘇らせています。そのため、『憐みの3章』の予習としては、『女王陛下のお気に入り』(2019)や『哀れなるものたち』(2024)などの有名どころの近作以上に、本作が最適かも!
神々しいドロドロ感
「ロブスター」でヨルゴス・ランティモス監督を知り、特別面白かったというほどでもないが独特な雰囲気がとても印象に残り、本作も鑑賞。
タイトルからして神話をモチーフにしているようだが、さすがはヨルゴス・ランティモス監督、やっぱり訳わからん…(汗)
序盤の思いのほかきれいな影像は本作を大いに期待させたが、終始流れるやたらと怖い効果音とともに結局すぐに薄気味悪い展開に。そしてそのままドロドロしながらエンディングへ。
本作は映画としてはとても良くできていると思うし、バリー・コーガンの鬼気迫る演技は背筋が凍るほどインパクト大だが、個人的にはちょっとついていけない世界観といったところが正直な感想かな。
レモネード
たぶん映画を観てきた生涯で2回も「脇毛を見せて」とうパワーワードは初めてだな…たぶん…
しかも3倍。赤い彗星かな。
まぁ、いいけど。
序盤の蹄見えてるよ〜てのが例のアレか。
蹄じっくり見せてくれる〜
ぼんやり観ていて、あれ?同性愛者かな?っていうくらいのマーティンとの異様な距離感。妻に要求する謎プレイ。ネクロフィリア?なんか、その辺からパパンおかしいって。
淡々と静かに幸せな家族生活が綴られるなか、展開による斬新な引きのカメラワーク(これ好き)不快感極まる音楽が特徴的だった。ホラー的な音楽ではなくギゴギゴ鳴る音の不協和音
スパゲッティをくるくるしながら父親の話をするマーティン。それは父親似の食べ方
まるで家族をぐるぐると混乱させ食らうように丸めてがぶり。
少しずつ狂っていく家族。
己の生き残りの為、足を引きずり合う家族。
自分は良い子だと証明する子供。子供はまた作れるというとんでもない事を言いだす妻。ロシアンルーレットパパン。
家族愛とは?
そんじょそこらのホラーより壊れてる。
あの、マーティンの言葉は呪いなのか?それとも因果応報?亡くなった父親の呪いがあったとか。
それすらもわからない。
意味深な言葉やトリッキーな行動理由がわからない分こちらとしては想像するしかない。しかしそれらを表情も変えず行う暗く沈んだ目。
彼の気持ちやバックグラウンドなどわからない。彼の考えていること全てがいろいろな意味があるような気がしてほんと、目が離せない子なのだ。
わかるのはレモネードだけ。
悪い子誰だ?
マーティンか?家族か?
考察とか読めばもう少しわかるかもだけど、タイトルと不気味さで観れちゃう一作。
誰も幸せにならない。
登場人物の言動にいまいち共感できない
呪い?の方法やその世界観についての説明が全くといってないことについては、
この映画に関してはそこに触れるのは無粋のようなのでそれは置いとくとして・・・。
海外映画はこういうトロッコ問題をテーマに取り扱ってるものに触れることが多いが、
いまいち深く描き切れてないように感じる・・・。
国が違うと国民性や感性が違うから共感できないんでしょうか・・・?
何ともいやらしいクライマックス
「何だったんだこれは!」
観賞後そう思ったのは私だけだろうか?
しかし、不思議と嫌な気分はない
爽快なエンタメとは真逆だが、理解できない映画ともまた違う
主人公は大病院の心臓外科医
妻と二人の子どもと広い一軒家(植物用の温室なんかもある!)に暮らしている
どう見ても幸せな家族の風景
しかし映画は冒頭から一貫して不穏な空気をまとっている
中心にいるのは主人公と何かしらの関係があると思われる一人の青年
「彼は何者なのか?」
そこが明かされるまでにそれなりに長い時間が費やされるが、二人の関係が明かされると物語は一気に動き始める
イメージとしては"呪い"が近いか?
家族に不幸が降りかかり、主人公はあるルールに従って決断を迫られることになる
クライマックスはその決断のシーンなのだが、それが何ともいやらしい
どう「いやらしい」のか、ぜひ自身で確かめてみてほしい
調べてみると監督はギリシャ産まれギリシャ育ち
そしてギリシャ神話には鹿が聖獣として登場するとのこと
タイトルはそのまま解釈するのが正解だろうか
がっかり
父親が職務怠慢で恨みを買い、何の罪もない子どもが殺される話。イライラや不快感以外に感じられるものが特にないし、展開も終盤こそ緊張感があるものの終始やや冗長な感じを受け、退屈でした。結局年少者が死ぬのも捻りがないし...不条理を存分に味わいたいのならいい作品かも。
バスには勝者も敗者も乗ってるんだよ
映像とカメラワークに感動した。圧倒的に白が勝っている病院の廊下やガラスのカンファレンス・ルームが広角で映し出され、人間が無機質な建築物に同化している。ボブとアナ(キッドマン)だけが乗っている長い下りエスカレーターと無人の上りエスカレーターを遥か上から映しているカメラ。下まで降りた途端にボブが倒れ込む。マーティンが上から覗き込んで確認したかのように。スティーブン(コリン・ファレル)とマーティンの散歩。雲が浮かんでいる空の青も雲の大きさもどこか不自然。怖くもあり書き割りのようで可笑しくもあり。
アナもスティーブンも酒を飲まないが(スティーブンは4年前から酒を飲んでいないとパーティーの場で言っていた)タバコは頻繁に吸っている。マーティンの影響か娘のキムも吸うようになった。インテリ富裕層が酒を飲まないのはわかる、と思ったがスティーブンが飲まないのは別の理由だろう。
「死」が目前に迫っているのに家族間の会話に日常と深刻がごちゃまぜになっていて居心地の悪さを感じつつ笑っていいのか?と思った。キムはボブに「自分のプレイヤーが壊れちゃったからあなたが死んだら頂戴ね」と言う。スティーブンは二人の子どもが通う学校に行き、どちらか一人選ぶとしたらどっちでしょうかと校長に尋ねる。アナは、死ぬなら子どもね、私達はまだ若いから子ども作れるし場合によっては体外受精も可能、と言う。寝室でのスティーブンとアナ夫婦も変だ。アナは「全身麻酔?」と尋ねOKを出したスティーブン。ランジェリー姿のアナはベッドに仰向けに横たわる。スティーブンは室内の照明を全灯にしてアナを見ながら・・・。変~?笑っていいのか悩んだ。ボブは自分が死ぬんだってわかってたから一番健気だった。パパに叱られていた長い髪を自分でカットしてパパに見せた。眼科医になりたいというのはママの手前であってパパみたいな心臓外科医になりたい、本当だよとパパに言った。スティーブンはその晩、初めて泣いた。
マーティンは好きなものを一番最後に食べるからポテトは最後。キムはケチャップを真っ赤に垂らしながらポテトから食べた。3人家族のテーブルの様子をカウンター席のマーティンは正確に観察したに違いない。
音楽は知らない曲ばかり。オープニングとエンディングは教会音楽だろうとクレジットをガン見してわかった。最初はシューベルトで磔刑のイエスを悲しむ母マリア、最後はバッハのヨハネ受難曲。
おまけ
1)ランティモス監督は目に執着がある。「ロブスター」では近視同士カップル、一方は両目とも見えなくされてしまう。「女王陛下のお気に入り」でアン女王は左目悪くサラも左目を黒のレース布で隠してた。そしてこの映画で妻は眼科医(仕事シーンは無し)。目から血が溢れ出たらステージ4。
2)ランティモス監督の映画に沢山仕掛けられている笑いに毛深いコリン・ファレルは大いに貢献している。「イニシェリン」での彼の困ったちゃん眉毛を思い出す。
3)「哀れなるものたち」も含めてランティモス監督はmasturbationを話題(またはシーン)に必ず入れる。昔、セックスする頻度だか時間が一番なのはギリシャという調査結果を読んだ。当時はギリシャの金融危機、一方で公務員の定年が早いだか給与が高いなどEUの中で可哀想(?)なポジションだった記憶がある。
誰も救われず
勧められてみた映画ですが、うーん…
誰しも持っているダークな一面を、見せつけられた感じ。
冷たーいロボットのように会話する4人の家族、どの人も救われず、地獄に落ちた感。
奇妙な出来事の論理的説明がないまま終わるので、オカルト的な話なんだろうけれど、私の好みとしては、なんらかの説明が最後に出てくる方が、むしろ怖い気がしますが。
少年役バリー・コーガン憎ったらしく好演! 嫌な感じなのに、なぜか、医師家族側が颯爽とすがすがしく!???
『聖なる鹿殺し』なんという訳がわからないシュールなタイトル。
良く邦題がこれで通ったもんだ。褒めてます。
何やら神話に基づく話らしい。
アカデミー賞作品賞、監督賞、脚色賞ほか11部門ノミネート、主演女優ほか4部門で受賞した『哀れなるものたち」を監督したヨルゴス・ランティモス監督・脚本作で、「ロブスター」と並ぶ怪作と評されていた作品。
観るのを相当迷いましたが、結局鑑賞。
手術の失敗で死亡した男の息子を、食事に招待してから、自分の息子が突然歩けなくなる。
精密検査をしたが、どこにも異常が無いため、病院から帰ろうとすると、再び歩けず倒れてしまう。
そして、ある日、その少年から、妻か二人の子供のうち、誰か一人を選べ。
そうしないと家族三人とも死ぬと宣告される。
そんな話は始めは信じなかったが、
やがて娘の身にも異常が発生し、男は最悪の決断に迫られる。
観ている最中は少年が憎ったらしくてしょうがない。
役者が上手く、演出が良いからでしょう。
しかし、よく考えると、飲少年の家族は被害者。
酒手術した夫が一方的に悪いはずなのに、そういう感情移入させないように作られているのでしょう。
どうやっているのか(呪いなのか?何なのか)手段を全く説明しないのも潔い。
「そこがテーマじゃないから。」
一人を選ぶときに教師にどちらが優秀かを行く夫。
子供のために私が犠牲になる、なんて全く考えず、子供はまた作ればいいと言う妻。
死んだあと音楽プレーヤーをもらうわよ、という長女。
みんなサイテーです。
急に素直になって、結局、ロシアンルーレットなのに、選ばれてしまう弟がただただ不憫です。
それなのに、最後は、吹っ切れたのか、一家三人が、それでも颯爽とレストランを後にして歩きだす姿が「妙にすがすがしくて?」印象的でした。
トロッコ問題
憎しみと愛とエゴ。
それらが混ざり合って何とも言えないどんよりとした気持ちになる映画。
マーティンは親を医療ミスで失い深い憎悪を医者のスティーブンに抱き、復讐としてスティーブンの子供達を呪い?で殺そうとする。
マーティンは、誰か一人、死ぬ家族を選べとスティーブンに迫る。
スティーブンは迷いに迷って、ロシアンルーレットのように家族を殺すわけだが、何故自分の命を捧げないのかと疑問が生じる。
誰かを選ばねばという気持ちばかりで、自分の命を捧げる事を選ばないところに、人間の醜いエゴが感じられる。
方やマーティンの憎しみは、若い美しい少女の身体を前にしても、揺らぐことがない。自分の腕を食いちぎられるほどの憎悪なのだ。
人間の感情に潜む醜さを独特の世界観で描き出す映画。
後味は悪いが深く考えさせられる映画だ。
責任転嫁
・メッセージ
自分の選択に誰かの命がかかっている時、その選択から逃げてしまう人の弱さを表した作品なのかと思った。
・メッセージを考慮した物語の流れ
自身の失態が招いた究極の選択。
全ての選択肢には大切な人の死がある。
父親は慎重な選択ではなく逃避をした。
最初は、問題を解決しようとした。無理だとなった時、彼には選択するという道と選択から逃げるという道があった。彼は逃げた。
・面白さ
選択権を持つ者の選択を待つことしかできない者がとりそうな行動が表現されていた。(髪を切る息子、素直になる娘、従順さをアピールする妻)
父親は 自分→妻、娘→息子
母親は 自分→息子→夫→娘
娘は 自分→好きな人→父親→弟→母親
息子は 自分→母親→父親→姉
の順で好感度がハッキリしていたように感じた。この構図がかなり一般的な家族と同じような気がして面白かった。
・ツッコミ所
父親が頭悪い。
好きなシーン
真顔の棒読みで初めての自慰行為の話をしているシーン
嫌いなシーン
最初に手術のシーン
「鹿」に何か宗教的な意味合いが込められているのか・・・私の知識不足...
「鹿」に何か宗教的な意味合いが込められているのか・・・私の知識不足がこの映画の評価を下げてしまっているのでしょうか?
一方で、冷徹な構図とLooks、不安を煽る不協和音、それら演出には優れた点が十分にあるかと思います。
何でもアリが映画、それが映画のいいところだとも思いますが、
しかし腑に落ちないこの映画については、個人的には高評価する気が起きない
(カンヌで脚本賞?)
哀れなる…より好きです
家族関係と言っても他者の集まりですから、いつ何時その関係が狂い始めるかわかりません。
「深淵に臨んで薄氷を踏むが如し」ということで、私はいつもビクビクしています(笑)
この映画は「表面上うまくいっていた家族」もあっという間に狂い始めますよ、という示唆もあり、あながち荒唐無稽な話でもない気がして興味深かったです。
一神教の世界観
ランティモス監督の一連の作品の中で、現代社会を舞台としているのが印象的であった。最初のうちは少年の精神疾患やサイコパスを疑っていたのだが、物語の後半で登場人物たちが神の存在を受け入れているように見えるようになって、これは私にはわからない一神教の世界観であり、つまり少年は神であり、彼らにとってこのような神への畏怖は寓話的なものではなく本物なのだろうと思い直した。その視座から眺めると、死を突きつけられる登場人物たちの悩みがとてもリアルなものに感じられた。
一方神の怒り鎮める役である、父であり家長である主人公は、物語を通じて解決に導くようなことを何もできていない。自己中心的な償いで少年を家庭に迎え入れて事態を複雑にし、ついに生贄が避けられないことを認識しても、自ら贄を選ぶことをしない。このような姿を通じて、この作品はキリスト教的な父権や男性中心の社会に対する疑問を表現しようとしているのではないかと思った。
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