モリのいる場所 : 映画評論・批評
2018年4月24日更新
2018年5月19日よりシネスイッチ銀座、ユーロスペース、シネ・リーブル池袋ほかにてロードショー
90過ぎの老画家のたった一日に寄り添った穏やかで愛おしい時間
なんと優しくて柔らかな映画なのだろう。スクリーンを覆い尽くす鬱蒼とした木々。そこをカメラがゆっくりと横切ったかと思うと、次の瞬間、葉と葉の間ですっかり周囲と同化した白いお髭に三角帽子の老人が映り込む。彼こそが主人公モリ(熊谷守一)。ここから始まる物語は、映画はこうであらねばならぬ、という一切の形式ばった概念から解き放たれ、まるで一枚の絵画の世界にどっぷりと浸かり込むみたいに、モリのいる場所、空気、時間を描いていく。
モリは昭和の時代に実在した画家だ。その絵画や人となりに惚れ込んだ山崎努が沖田監督に紹介したのがきっかけで、今回の構想が育まれていった。とはいえ、本作は生涯を俯瞰するタイプの伝記モノではなく、昭和49年、モリが93歳の頃の「たった一日」に焦点を当てた作品。特別な出来事など全く起こらないが、庭という名の小宇宙で、腰をかがめたり、時には地べたに突っ伏しながら蟻の行列、蝶の羽ばたき、枝葉の成長を見守る彼の姿を見ていると、一生も一日も何ら変わりがないことに気づかされる。
我々はこうやってモリが自然を観察するみたいに彼の日常を観察し、ユニークな物の見方や接し方に自ずと引き込まれていく。そこでは何ら道徳的なこと、説教じみたことが飛び出すわけでもない。彼は仏頂面を決め込み、時々パイプを燻らせながら、ボソッとつぶやくだけ。たったそれだけなのに、たまらなく掛け替えのない時間のように思えてくる。
そこに絶妙な呼吸を重ねるのが妻役の樹木希林だ。山崎とは意外にも初共演だというが、そこに醸し出されるケミストリーは、もはや演技という次元を超えた神々しさの連続。50年以上連れ添ってきた老夫婦(という設定)の、言葉を超えたおかしみと温もりにはもう表情が綻びっぱなしである。さらに芸達者な共演者たちが色を添え、狭くて深い庭を作り上げた美術、屋内外の光と影を克明に映し撮った撮影、虫や植物の囁き声すら聴こえてきそうな音楽さえもが渾然一体化し、極上の空間が生まれゆく。
「キツツキと雨」や「横道世之介」の沖田監督はまたしても彼ならではの方法でかけがえのないワールドを作り上げてしまった。きっとあの庭は、誰しもの心と秘密のトンネルで繋がっている。だからこそ懐かしく、愛らしく、もう二度と戻らぬ哀愁すら感じるのだろう。鑑賞後には是非モリの絵画に触れてみてほしい。相乗効果でその世界がより深い味わいを伴って感じられるはずだ。
(牛津厚信)