日の当たらない場所で、ひっそりと暮らしてきた心優しい人々が、同じ境遇の存在に触れ心通わせ、皆で精いっぱい力を合わせて逆境から脱する。ヒロインは、とうとう本当の幸せを手に入れる。…この映画を一言でまとめれば、ざっとこうなるかと思う。けれども、こんな「まとめ」は、何の意味も持たない。本作の瑞々しくきらめく魅力、愛すべき細やかなあれこれを、何一つすくい取れていない。この映画は、「一見無駄で不要とされているものの中に、いかに掛け替えのないものが詰まっているか」ということについての、またとない指南書だと思う。
水中にたゆたう家具がゆるやかに着地し、物語は始まる。目覚ましで起き上がり、タイマーをかけて卵を茹で、毎日同じことをきっちりと繰り返しているヒロイン。彼女は、なんと映画館の屋根裏に住んでいる。(映画館(しかも二本立て!)の住人、というだけで映画好きはわくわくし、彼女を好きにならずにいられない。)彼女の住まい、その下の映画館、彼女が駆け下りる非常階段を伝って外の世界へ…とカメラは滑らかに移動する。時間というヨコの糸と、空間というタテの糸が瞬時に織り上げられ、これぞ映画!という思いが一気に高まった。
そんな彼女と謎に満ちた「彼」、恋心をカツラに秘めて食べもしないパイを買いに行く隣人、ズケズケとした物言いと押しの強さが憎めない同僚…と、登場するキャラクターそれぞれが、愛すべき要素に溢れている。そして、心地よく流れる音楽。ふっと差し挟まれるダンス。彼女と隣人がテレビでミュージカル映画を探しては見惚れ、ステップを踏むシーンには笑みがこぼれた。(テリー・ギリアム監督「フィッシャー・キング」中の駅でのダンスシーンに匹敵する幸福度!)言葉がなくても、なんと雄弁な語りだろう。
その一方で、彼らを追い詰めるアメリカ軍の男も、なぜか忘れ難いざらざらとした印象を残す。見た目もやり口も「ザ・悪」なのに、追い詰められていく彼に物悲しさを感じてしまう。ざまーみろ、バチが当たったのだ、という気持ちに、どうにもなれなかった。
ふと、気付いた。彼が受ける最大の罰(痛み)は、指が腐り落ちていくことだ。ずぶずぶと縫い目から膿が滲み出し、彼は呻く。他方、ヒロインと「彼」は、ずぶずぶと水中に沈みこみ、幸せに包まれる。…もしかすると、前者がある分、後者の「ずぶずぶ」が更に引き立っているのかもしれない。生に欠かせないものの、時には命を奪うこともある、「水」の両価性を、改めて思った。(そういえば、彼の奥さんが作るゼリーも、ヒロインの隣人が買い求める不味いパイも、藻のような緑色をしていた。)
「パディントン」もブラウンさんたちも大好きな我が子らは、残念ながら当分この作品を観ることができない。(きっと気にいると思うのに!)まずは、「パシフィック・リム」で、デル・トロ監督ファンに引き込もうと思う。いずれは、本作を大切な人と観ることが出来ますように。