劇場公開日 2018年5月12日

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孤狼の血 : 映画評論・批評

2018年5月8日更新

2018年5月12日より丸の内TOEIほかにてロードショー

暴力的でアナーキーな往年の東映イズムの鮮やかな復活を宣言する快作

かつて〈不良性感度〉という言葉があった。1970年代初頭、東映が「仁義なき戦い」シリーズを連打し、血なまぐさい実録やくざ映画や女番長(スケバン)、暴走族、エログロ異常性愛路線で気を吐いていた時代に、辣腕をふるったワンマン社長岡田茂が自社作品を総称して言い放ったキャッチフレーズである。「孤狼の血」は、そんなアンチモラルで暴力的でアナーキーな往年の東映イズムの鮮やかな復活を宣言する快作だ。

冒頭、養豚場でのトンデモナイ惨劇から一気に引き込まれる。近年、こんな酸鼻きわまりないバイオレンス・シーンが東映の、いや日本映画のスクリーンで展開されたことはなかった。

舞台は昭和63年、暴対法施行前夜の広島の某市。対立する二大暴力組織、加古村組と尾谷組の抗争の火種となる加古村組系の金融会社社員の失踪事件が起こる。やくざと癒着し、捜査のためなら何をやってもいいとうそぶくベテラン刑事大上(役所広司)と新人刑事日岡(松坂桃李)のコンビが事件の真相に迫るが、組同士の暗躍、裏切りが連鎖し、警察内部でも密通が常套化して、腐臭が漂い始める。

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エリートで無辜な新米刑事日岡が、大上に反撥しながらも翻弄され、過剰なまでのサディスティックな調教を経て、次第に強面な相貌を獲得していく畸形的なビルドゥングスロマン(成長譚)としても出色である。「シャブ極道」(96)以来、久々に役所広司が、猥雑でどす黒いピカレスクぶりを発揮し、思わず快哉を叫びたくなるし、松坂桃李は繊細さとアクションシーンにおける機敏な身体性が際立っている。いっぽうで、大上との訳ありの過去を背負うクラブのママ真木よう子、日岡を献身的に支えるアルバイト薬剤師阿部純子が、男臭いドラマの中で、ゆるやかに存在感をアピールする巧妙な作劇は脚本・池上純哉の手腕によるものだろう。

白石和彌は、随所で「実録・私設銀座警察」(73)や「県警対組織暴力」(75)へのオマージュを捧げながら、「日本で一番悪い奴ら」(16)ではまだギクシャクしていた群像劇のフォームを見事に自家薬籠中のものにしている。今の日本映画界に蔓延するぬるま湯的なホームドラマや毒にもクスリにもならない明朗青春ドラマに飽き飽きしている御仁には、極上の刺激的な映像体験となるはずである。

高崎俊夫

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