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FAIRY TAILのおそらく最後の映画になると思われる作品。
初日に劇場鑑賞はして、ひとまずその日は満足したものの、やはり日数が経ってくると、そして特典で貰ったネーム原稿を分析していくと、どうしても粗の目立つ映画だったと思います。
まず、映画のコンセプトは、前作の「謎解き要素」は少し影を潜めて、ひたすら「バトルシーンを如何に魅せるか」に比重が置かれています。
しかし、テンポやバトルを重視し過ぎた結果として、どうしても「初稿の名残」が全体的な映画の脚本への綻びにつながってしまったのは否めないように思えます。
例えば、カナとエルフマンのリストラとその二人の活躍予定だったガジルチームの依頼者を登場させなくした点。
これはラスト変更に直結していて、本来はラストで依頼者がザッシュに復讐を果たそうとするのを、思いとどまるための伏線であったはずが、ザッシュの末路が変更されたことで、ガジルたちの出番そのものにまるっきり意味が無くなってしまっている。
また、ポスターにも使われたナツの半竜化の要因もラストバトルの変更で、かなりアッサリしてしまい少々拍子抜けするものに…
さらに今回のマドンナ役であるソーニャもこの「初稿の名残」の犠牲者で、本来の初期構想では、正体こそ同じでありながら、終盤に原作のメイビスを彷彿とさせる大活躍が予定されており、彼女の魔法もそのために設定されていたはずです。
しかし、後半のその展開自体が消え失せたことで彼女の魔法自体の役割もあまり意味の無いものに…
しかもこれ、第四世代滅竜魔導士の登場意義も消してしまっていて、何のためにわざわざ映画オリジナルのザコ敵を出したのか…
他にも色々ありますが、特にこの2つは初稿に引っ張られすぎて、肝心の完成脚本でそれらを紡ぎ出しきれなかった悪い見本だと思う。
それに、「最終章への序曲」がウリの一つの割には、それを匂わせるのはアニムスのセリフと最後のクリフハンガーだけ。つまり、かなり中途半端な印象。
それだったら、黒子のバスケの映画のように「完結編の映画化」と明確な方針を固めておけばよかったと思う。
これだったら、いっそのこと原作者を外して、全くの映画“スタッフ”オリジナルで90年代のドラゴンボール映画のように全く新しいフェアリー映画を作った方がよかったんではないかと思う。
うまく繋げられる人は、それでも繋げられるものですが、平成ライダー(特にカブト)の脚本でわかるように、米村正二氏は残念ながらそういった「素材のアレンジ」があまり上手ではないし、監督は今回が初監督だったからノウハウも十分で無かったのだろう。
その辺りは、妖精のメンバーを極力オールスター出演させて、ギャグやバトルを絶妙に入れながら監督と原作者の描きたいことを描ききった前作の「鳳凰の巫女」は、大きいテレビな演出も目立ったものの、かなり丁寧な作りだったとも思える。