散歩する侵略者 : インタビュー
どこまでも凜とした松田龍平が「散歩する侵略者」で挑んだ異色のキャラクター
9月9日に公開になる黒沢清監督の最新作「散歩する侵略者」。地球侵略をもくろむ侵略者に人間が乗っ取られて、“概念”が奪われていくという前川知大の戯曲に、黒沢監督が惚れ込んで映画化した本作は、今年5月のカンヌ国際映画祭ある視点部門に出品され、黒沢映画をよく知る批評家たちにも新鮮な驚きをもたらした。物語のなかで、しばらく行方不明だった後、ひょっこりと妻(長澤まさみ)のもとに戻ってくる夫・真治を演じるのが松田龍平である。真治は侵略者に乗っ取られているという設定だが、外見は変わらない。ふだんと同じなのにどこか地面から数センチ浮かんでいそうなキャラクターは、なるほど、松田のたゆたうような独特の雰囲気にぴたりと重なる。今回「憧れの黒沢監督」と初めてタッグを組んだ松田は、この異色キャラクターにどう挑んだのか、話を聞いた。(取材・文/佐藤久理子)
松田は最近、「まほろ駅前多田便利軒」「舟を編む」「ぼくのおじさん」など、どちらかといえばマイペースな変わり者といったイメージの役どころが多かった。だがさすがに宇宙人を演じるのは戸惑ったという。
「台本を読んで黒沢監督にお会いしたんですが、役柄について話すというよりも、コミュニケーションを取るという感じでした。僕が宇宙人のことを聞くと、監督は率直に『僕も見たことがないのでわからないです』とおっしゃられて(笑)。そりゃそうだよな、と(笑)。でも『見た目が宇宙人みたいなので、そのままでいてください』と言われた記憶があります(笑)」
このあたり、すでに黒沢監督の演出術の始まりというべきか。一見投げやりなほど俳優にすべてを任せるように見えるのは、完璧なキャスティングという自信と俳優への信頼があるからに違いない。もっとも、ボールを放られた側としては、逡巡があったようだ。
「他にも侵略者に乗っ取られたキャラクターが出てくるので、何か共通点がなくてもいいのか考えたんですけど、監督は『侵略者にもいろいろな性格があるから、別にいいんじゃないですか』とおっしゃって。基本的には人間じゃないので、どう演じるかは自由なんだなと思いました。でも同時に、台本のなかで真治というひとりの男と侵略者の宇宙人が同居しているという設定なので、その狭間で揺れたいなと。妻の鳴海は最後まで真治が宇宙人だということを信じないので、そういう意味でも微妙な違いなんですよね。その辺のバランスに関しては、ずっと監督の反応を見ていました。監督は何もおっしゃらないんですけど、何かこう想像させるようなオーラを発しているんですよ。それが怖いなっていう(笑)」
侵略者に出会ってしまった人々は、人間が大切にしている概念を次々と失っていく。そんななかで鳴海だけは夫を信じ続け、何があっても真治を守ろうとする物語は、SFというジャンルでありながらそのじつエモーショナルなラブストーリーでもある。
「脚本を読んだときはドンパチの印象が強かったけれど、出来上がった映画を見たらむしろラブストーリー、夫婦の再生の物語という印象でした。真治は侵略者に乗っ取られたことでリセットされるのだと思います。人間ってさまざまな概念のなかで生きているけれど、リセットされることでそんな考えや経験に邪魔されることなく物事を見られるようになるんじゃないでしょうか」
ふだんは飄々と、何事にも動じないイメージがある松田。インタビューでも言葉を選びながら、淡々と語ってくれる。だがそんな彼が今年のカンヌを訪れたとき、ひときわ強い反応を見せたのが、「カンヌにまた来たいか」と記者に聞かれたときだった。「来たいに決まっているじゃないですか(笑)」。それは彼の奥底に秘められた情熱や野心がふと顔を出した瞬間とでも言えるだろうか。思えば松田が初めてカンヌを体験したのは、映画デビューとなった故大島渚監督の「御法度」に出演した17歳のとき。空き時間には無邪気に海で泳いでいたという。当時と比べて心境の違いを尋ねると、こう答えた。
「もう17年前ですからね。まったく当時と同じままでいられたらこんなに素晴らしいことはないなと思いますけど(笑)、同じではいられないなりに一周回ってもう一度そこに行きたいなあというか。本当にピュアな気持ちで作品に接して、撮影現場に臨みたい。これまでを振り返って僕はラッキーだったと思うんです。34歳なのにまだひよっこみたいだとも思うんですが、いつまでもそのスタンスで行くわけにもいかないし、ちゃんと形にしていかないと、と今は強く思っています」
キャリア17年ですでに映画出演作だけでも40本を超える俳優の発言とはとても思えないが、こんな純粋な謙虚さをたたえたしなやかさも、松田の魅力だろう。彼はさらにこう付け加える。
「(この仕事は)正解がないというのがベースなんですけど、答えがないなかでどう答えを出していくのかという話だと思うんです。じゃあ頑張ることが答えなのかと言われたら、それも違う気がする。答えが欲しいからいろいろやって、でも違う、という連続で、辛いんですけど(笑)、少なくとも自分がその作品に向けてやったことは確実に意味があったと思っているから、それを信じてやり続けるしかないなと思っています」
内面はふつふつとしたものを抱えているのに、なぜかどこまでも凛と、涼しく見える不思議。そんな得難い存在感で、これからも日本映画に独自の位置を築いて欲しい。