劇場公開日 2017年3月11日

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哭声 コクソン : 映画評論・批評

2017年3月7日更新

2017年3月11日よりシネマート新宿ほかにてロードショー

得体の知れない不安が極限の恐怖へと変わりゆく、血生臭くも巧妙なオカルト心理劇

チェイサー」「哀しき獣」で比類なき剛腕ぶりを発揮した韓国のナ・ホンジン監督が放つこの新作は、スリラーやホラーに分類されるべき作品だが、2時間36分という本編の長さからして著しくジャンルの枠をはみ出している。冒頭に新約聖書の引用が示されることからも、これが一種のオカルト映画であることは明白だが、過去にキリスト教圏で作られたそれらの中から類似作品を挙げるのは難しい。とにかく“得体の知れない”恐怖映画なのである。

とある田舎で、ごく普通に暮らしていた村人が自分の家族を殺害する事件が続発する。犯人はあっさり現場で拘束されるが、彼らはすでに正気を失っており、家族を殺す動機も見当たらない。しかしいくら不可解でも、こんな惨劇が小さなコミュニティで立て続けに起これば“連続性”を疑わざるをえない。では、災いをもたらす源はいったい何なのか。新種のウイルスか、毒キノコか、悪霊か、それとも悪魔なのか。そこで浮上してくるのが、近くの森の一軒家に住みついた日本人(國村隼)の存在。村に流れ着いた理由も素性も一切不明のこの日本人をめぐって、謎めいた状況はますます謎めき、クライマックスに至っても“解かれる”気配がうかがえない。

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あの日本人が怪しい。村人の胸中に芽生えたその疑念は噂となって人から人へと広まり、放置できない不安へと格上げされ、ついには極限の恐怖に達していく。要するに、本作はオカルト仕立ての異常心理劇だ。“得体の知れない”何かによって信仰や家族の絆を脅かされた者たちが、慌てふためいて我を見失い、心のよりどころを取り戻そうとさらに深みにはまっていく様が、驚くほどじわりじわりと段階を踏んだ巧妙なサスペンス演出で描かれる。謎解きの手がかりなどの特権を与えられない私たち観客も村人たち同様、ジャンルの定型に収まらない不条理恐怖に巻き込まれるはめになるのだ。

ホラー映画における悪夢のシーンは、登場人物がはっと目覚めることで現実と切り離され、単なるショック描写のサービスにとどまる場合がほとんどだが、本作は悪夢と現実の境目がない。寝ても覚めても恐ろしいとはまさにこれ。しかも安易にCGで超常現象を映像化したりしない本作は、“得体の知れない”不安や恐怖がいちいち血生臭い具体性をもって容赦なく迫ってくる。例えば中盤に出現するゾンビがそうだ。それに出くわした瞬間、村人たちと一緒にこちらまで「ギャーッ!」と叫びたくなる衝撃シーンをぜひご覧あれ。

高橋諭治

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