哭声 コクソンのレビュー・感想・評価
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これは“統一教会的なもの”の暗喩なのか。2022年7月に鑑賞して思う
2017年の日本公開時に見逃していたが、ナ・ホンジン監督が原案・製作を務めた「女神の継承」(日本公開は2022年7月29日)について本作との関連を言及していたので、参考のため最近鑑賞した。世界平和統一家庭連合(旧称は世界基督教統一神霊協会。以下は旧略称の「統一教会」とする)の霊感商法や政治家との関係が連日報じられる今、この「哭声 コクソン」で描かれていることは、実は統一教会のようなカルト教団の活動とその影響についての暗喩なのではないかと思い至った。その理由を以下の4つのポイントで説明したい。
【1. 皮膚がただれて変貌した人間が家族を虐殺する】
劇中では新聞やテレビの報道で、健康食品に混入した毒キノコの成分が皮膚の湿疹や精神錯乱などの症状を引き起こすことが示唆される。
カルト宗教にはまると「人が変わってしまう」とよく言われる。外見が激変し家族を殺してしまう村人たちは、カルトにはまって自己を見失い、家族に経済的・精神的な負担をかけて破産や一家離散といった犠牲をもたらす信者の暗喩ではないか。
【2. 祈祷師の除霊ビジネス】
村の警官ジョングは、娘に殺人犯たちと同じ湿疹が出て人格も変わったことから、義母のつてで祈祷師イルグァンを呼び、娘にとり憑いた悪霊を抹殺する儀式のため請求された高額の費用を支払うことに同意する。イルグァンいわく、山奥に住み怪しげな祭壇に村人たちの写真を多数並べている“日本人”(國村隼)の正体は悪霊だという。だが、イルグァンと日本人はいくつかの共通点から仲間であることが観客に示唆される(日本人が「燃やした」と言った祭壇の写真多数をイルグァンが保管している、白い褌をはいている、標的の人間をカメラで撮影するなど。さらに削除されたエンディングは、道端のベンチに座る日本人をイルグァンが運転する車に乗せ、遠くに走り去っていくという、2人が仲間であることを明示するシーンになっている)。
さて、霊感商法の手口は、信者本人や家族に悪霊がとり憑いている、先祖のカルマのせいで不幸になっているなどと言い、原因を取り除き幸福になるためと称して壺などの高額商品を売りつける、というもの。カルトに限らず詐欺の手口でも見られるが、相手の不安をあおってより信じ込ませるために架空の敵の存在を吹き込んだり、仲間に“敵”を演じさせたりすることもある。こうした類似点から、イルグァンらの除霊ビジネスはカルト教団の活動の暗喩として解釈できるのではないか。
【3. 日本人が“聖者”であり“悪魔”である理由】
映画の冒頭で聖書の一節が引用される。復活の奇跡を信じられず霊を見ていると思った信者たちに、イエスは「私の手や足に触れてみよ。この通り肉も骨もある」と告げる。この言葉は、ラスト近くで助祭イサムが洞窟の奥で遭遇する、死んだと思われていた日本人の口から発せられる。一瞬映る日本人の手の平には聖痕も確認される。この時、日本人はみるみる変貌し、まさに悪魔の姿になる。
統一教会はキリスト教をベースに1950年代に創設された新興宗教であり、聖書の教え、キリストの言葉を説く団体だ。聖なる存在を自認しながら、その一方で霊感商法などにより信者を食い物にする“悪の面”も持つ。統一教会ではまた、「日本はサタン(悪魔)の国である」と教えられるという。本作のよそ者の役に、ほかでもない日本人俳優を起用したのは、この教義とのつながりを示唆するためではなかったか。
【4. 警察上層部やマスコミの“不在”】
物語の時代設定は明示されていないものの、登場人物の何人かはスマートフォンを使っているので、少なくとも2007年以降の話だ。ひとつ気になったのは、これほどの惨殺事件が続発しているのにも関わらず、村を所管する警察署の上層部(日本でいうなら県警本部とか警視庁とか)から応援が来ることもなければ、マスコミが殺到する様子もないこと。情報伝達手段が乏しい昔の僻村ならいざ知らず、SNSも普及した現代に、これほど虐殺が相次ぐ村が国家権力や世間から無視され続けるなんてことがあり得るだろうか。
ストーリーを単純化するためにそうした要素を割愛した、という見方もあるだろう。だが、本作を統一教会的なものの暗喩とするなら、別の解釈ができる。それは、献金や寄付、あるいは信徒を国家権力内部や大手マスコミに送り込む形で、警察やマスコミに強い影響力を持つようになり、反社会的・非人道的な活動についても干渉させない、報道させないよう圧力をかけていることを示唆しているのでは、というものだ。安倍晋三銃撃事件後、少しずつ統一教会の霊感商法による被害者の話や、政治家への献金といった実態が報じられるようにはなってきた。だが、与党自民党の国会議員をはじめとする政治家多数に献金や選挙協力で関係を築いてきた統一教会に対し、かつてオウム真理教に行ったように宗教法人の解散命令を出すなど、有効な規制をかけられるかどうかは不透明だ。
以上、私見が長くなってしまったが、「哭声 コクソン」を鑑賞済みの方も未見の方も、時間があればこんな視点を頭の片隅に置いて観てみてはいかがだろうか。
悪魔の所在を指さす強烈なオチに着地する!!
よそ者がやって来て以降、村で頻発する憑きもの的猟奇事件を巡って、家族思いの警察官、謎めいた目撃者、怪しげな祈祷師等が入り乱れるサイコスリラーは、いつか観たジャンル映画の要素を随所に盛り込みながら、がしかし、かつて観たこともない強烈なオチに着地する。それを一言で言うなら、、、いや、止めておこう。恐らく誰もが漠然と感じている"悪魔"の所在を指さす本作の怖さをリアルで体験して頂くためにも。だからこそ、映画のテーマを割り振られ、それを完璧に体現する國村隼の俳優としての創造力に感服する。そして、アジアでしか描けない風土を物語の土台にし、観客を見事に震え上がられるナ・ホンジンの監督としての度量にも。
悪魔はすべての人の心に宿る。。。よね?
2016年公開とのことだが、もっと昔のような気がする。悪い意味ではなく、本作は私にとって、サスペンス・ホラーのひとつの基準線になっているからだ。
無責任な個人の意見なので、ぜひ寛大な気持ちで読んでいただきたいのだが、
昨今のサスペンス・ホラー作品の共通項として、和洋問わず、″音″ のチカラを最大限活かそうとする演出が多くて、かなり食傷気味になっている自分がいる。
暗闇でそっと背中から近付いてきて、突然、大声で「わっ!」と嚇かすようなヤツだ。
映画館で鑑賞するときは、スピーカーのポテンシャルを最大限に使って恐怖を煽る。
ズルいな、と思う。驚いて当然だ。
本作にはそれがない。
展開で引っ張っていき、映像と演者の力で恐怖を作り上げている。
韓国の片田舎で警察官を務めているジョング(クァク・ドウォン)は、相次いで発生する怪事件に、日本から移住してきた男(國村隼)が関与しているのではないかと疑い始める。
その矢先、小学生であるジョングの愛娘にも異変が起こり、ジョングは藁にもすがる思いで悪魔祓いの祈祷師(ファン・ジョンミン)の力を借りることにする。。。
このほかにも、
白い服を着た謎のオンナ(チョン・ウヒ)
日本語ができる牧師見習?のイサム(キム・ドユン)
などが登場し、観客を引き込んでゆく。
韓国にはキリスト教信者が多く、その一方で、仏教も古くから根付いている。
本作は冒頭から聖書の一節が引用されたり、民間信仰的な悪魔祓いの儀式があったり、日本人の私には100%咀嚼するのは困難なのかもしれない。
本作をどう解釈するか、多数のサイトで論じられているので興味ある方はそちらをご覧いただきたい。
個人的には、この方の分析に圧倒されました。
ttps://note.com/maycrow_nte/n/n09c855036913
解釈やラストシーンの暗示する内容が論じられる映画って、いくつかありますが、本作についても、それくらい(解釈を明確化したいくらい)気になるってことですよね。なかなかスゴくないですか?(笑)
映画全体を覆う悲劇の空気感、
國村隼さんの好演ぶり、
最後の最後まで引っ張ってくれたストーリー、
それらに対して敬意を表し、アジア版『エクソシスト』の称号を贈るとともに、☆4.5を捧げるものです。
國村隼の怖さが異常
解釈を観る側にゆだねる系で、謎が謎のまま終わるのだが、その消化不良をも凌駕する國村隼の迫力。
前半は韓国映画らしいかったるい喋り方もあり少しギャグっぽい感じだが、後半はもうえげつない。
観るのにかなり気合いが必要で、グロさ、奇妙さ、不気味さが観終わったあともじとーっと残るような映画。
人は、見たい物だけ観る🫣
ある日突然に、平和な村できのこを食べたせいのか?
身体はドロドロになり狂ったせいなのか?猟奇殺人が起こる!
まぁーグロいです。
山に、住んでいる謎の日本人が容疑者にされる。
まさかの國村隼さん。
主人公の警察官ジョングの娘も、謎の湿疹や異常な行動で病院に行くも原因不明。
そこで、村の人から謎の日本人が災いをもたらしていると、百姓一揆状態になってしまう。
謎の日本人の家を捜査すると、呪いをかけた人物の写真やら、遺留品やら出てくる。そこでジョングの娘の靴を発見した事で、ジョングは謎の日本人が犯人で、呪いだと信じ込んでしまい…
この映画は、本当に賛否両論されるように作られているように感じましたねー。
ラストなんて、えー😱やし、なんで人がゾンビになる理由や、謎の日本人はいったい何者?で終わる?
宗教的な要素も、多く入っていて私は無宗教ですが、
閉鎖的な村で、大人がパニック状態になりお祓いやら、儀式やらされたら完全に狂った状態になり、🍄が原因ならなおさら。
結果的に、答えなんてなくて単なる🍄が原因で、謎の日本人も祈祷師もグルで、それに対する謎の女の存在で、ジョングは心がやられて悲惨なラストになってしまったんでしょうか?
ラストは、謎の日本人の聖痕は神父さんが、見たい物しか見えなくて、悪魔に見えていたのか?
私は、おもしろかったです。
國村隼の演技が大きく支える
<映画のことば>
父さんは警察官だ。
父さんがすべて解決する。
父さんが…。
猟奇的な事件が次々と起こり、村人の体には奇病(原因不明の湿疹)が現れる。
そういう不可解・解決困難な状況下で、市井には揣摩臆測が入り乱れて、ある者は医師に任せるべきだといい、またある者は祈祷師の力に頼り呪術で問題の解決を図ろうとする―。
そのなかでも、少しばかり(かなり?)ピント外れながら、娘のヒョンジを思いやる父親ジョングの姿が印象に残りました。評論子には。
さしずめ、ソフトホラーのストーリーが本作のヨコ糸であるとすれば、ジョングの父親としての娘ヒョンジに対する「想い」がそのタテ糸といったところではないでしょうか。
冒頭の映画のことばは、そこのとを指すものとして、本作の全体を通じたキーになっていると思います。
作中では最後の最後のエンドロール直前になって、初めて語られるのですけれども。
そして、映画作品としても、ともすれば単調なサスペンスものに陥りそうなところ、脇筋の―否、かなり共演にも近い?―謎の男(國村隼)か、いい役を演じて「流れ」を作っているように思われます。
それら、これらを併せて評すれば、佳作としての評価が適切な一本かと思います。
(追記)
主役を張ったクァク・ドウォンも、いい味を出していましたけれども…。ホント、國村隼の演技が光っていましたね。本作では。特筆ものだと思います。
善玉も悪玉も卒なく演ずる彼のキャラクターもあって、なかなか彼の正体がつかめない―。
そのことが、本作に「味わい」を付加していたことは、事実だと思います。
見る人によって結末が変わる映画
表題の通り「お前がそう思うんならそうなんだろうな」という内容のお話で、すごい試されてる感じがするというか……最後まで見ても矛盾と疑問が残る映画でした。でも考察するのが好きな人にはたまらないかもしれないです。💡
私はなんとなくそうかな〜と自分で考えた上で人の考察を読んで、ようやくそうだったのか!と少し納得出来ました笑
國村隼さんの演技が良すぎるのでそれだけでも見る価値があるかと思います!
2.98そこまでグロくはない
そこまでグロくはなかった。トリックを思い出す作品
祈祷師バトルは面白かった。
バイオハザードとアジア祈祷バトルなのでそこまで怖くなかった
落ちはお粗末
ゲームだったら面白かったんだろうなぁ・・・
祈祷師エンドとか悪霊エンドとか毒キノコエンドがあったりして面白そう
とりあえず長い
頑張って2時間は切ってもらいたかった
このシーン長くない・・・?
みたいな所も多く(個人的感覚)割と我慢を強いられる上、
え(困惑)となるので観る人選びまくりだと思います
わかりやすい表現の所と(聖書!みたいな)意味が分からない所の差が大きくて、
考察好きな方にはオススメです
キリスト教的な所は、マザーとか観て理解出来る方は余裕でいけますご安心を
個人的には雰囲気はすごく好きだったので土着的な物をもっとわかりやすく詰め込んでいただけると+☆1でした
女神の継承を観る為に観たので長く感じたのかしら・・・
なんじゃこれ
雰囲気と怪しさはまあまあだったけど、ストーリーが謎。作り手側には明確な意図があるんだろうけど、抽象的過ぎてよく分からない。悪霊なの?毒キノコなの?それとも人を超越した存在がいるの?
途中もゾンビみたいなのが出てくるけど、笑わせたいのか何なのかさっぱり不明。
國村隼さんが出る必要も出る価値もない作品だと思います。
これは好き嫌いが分かれる
よく会っている友人はこの手の映画、むしろ監督の作品が苦手だと言いあらすじを話そうとしたら「聞きたくないから話さないで!」と言われてしまった。
映画好きの仲間と集まり映画を選ぶ時に誰もこの作品を観たいと言わない。初めて観たい人に会ったとまで。
「あー、そうですか。」
自分が興味持って観たくて観た映画にそこまでケチを付けられる筋合いは無いですよね。難解と言えば難解だし好き嫌いも分かれるからオススメはしません。
結局コレはこう言う事だろうと結末は貴方次第!っていう映画ですね。劇場で観たらインチキ臭いあの祈祷師お祓いシーンも迫力があったでしょうね。
國村隼の演技力
なんとも言えない映画だった。
猟奇殺人なのか、毒キノコによる事件なのか、幽霊なのか悪魔的カルトなのか、ゾンビも含めて、この残酷な殺害の理由がわからない。
さらには、誰が味方なのか。。。
だんだんと、のめり込んでしまう映画であった。
2時間超があっという間に終わった。
1人日本人の國村隼の演技が見事。
こういう、悪魔的な演技もこなせるとは。この演技あっての恐怖でした。
驚くは主人公の娘さんの演技力。
悪魔に取り憑かれた姿や苦しむ姿の演技は将来有望である。目つきの変わりようも圧巻。
全体的に面白かったが、ラストが消化不良なのね…
どう観えたかが全て
キリスト教と絡む話だそうですが…その当たりは全く分からないのでスルー。
この映画で明確な事は
小さな町の住人の身体中に酷い発疹が出来る。
行動がおかしくなる。
猟奇殺人を起こす。
そして変死する。
が次々に起こる。
それだけ。
主人公の警官目線で原因を追ってく事になるが
人伝の話、噂ばかり入り混じり…
確かな物を目にすること無くただただ混沌
としていく。
結局何だったのか明かされない事ばかり。
胸糞というほどでも無いけど……
終盤出てくる言葉
「わたしが何者かはお前はもう確信している それはもう変わらない」
「私の手や足を見なさい私は私だ」
こっちに投げかけられた言葉だと思います。
何と無く意図はわかるがこっちに委ね過ぎだよなぁ!という想いは残りました。
【心理的なハラハラがすごい。エンドロール直前まで観客の心を二転三転させてくれる哲学系ホラーミステリー】
・2016年公開の韓国のミステリーホラー映画。
・とある田舎の村「コクソン」で、村人が動機もなく家族を惨殺する事件が立て続けに発生する。主人公である警察官のジョングは、当初は「山の中に住む日本人が関係している」という意見に耳を貸さなかったものの、異常な状況を目にしていくつれて日本人を疑いだす。そして、自身の娘もおかしな言動が増え始め、次第に日本人と呪術が一連の事件と関連しているとして日本人の正体を追いつつ、祈祷師に娘の除霊をお願いする。除霊の儀式を行うも娘の容態は悪化していくことにしびれを切らし、ついに強硬的に日本人の居場所に押し掛ける。事件の真相とはいったい・・・ という大枠ストーリー。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
[お勧めのポイント]
・観客の「疑う心」を最後まで二転三転させてくれる
・答えがないようで答えがある
・散りばめられたヒントを追うために二度観したくなる
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
[物語]
・この映画のポイントは「疑い」。キャラクターたちの「疑う心」、観客の「疑う心」。それらが二転三転させられます。観ているこちらも、最後の最後まで「結局犯人は誰で、事件の真相は何なのか」ということに翻弄されます。そういう意味では、エンディングロールに入るまでハラハラを継続させてくれる見ごたえのある物語だと思います。
[演出]
・主人公(追う側)視点で國村隼さん演じる日本人を魅せる際の不気味な感じ。逆に日本人(追われる側)視点で魅せる際のピンチな感じ。洞窟内で神父助手と話をしている際に天使か悪魔か不明瞭な状態の視点で魅せる色のない感じ。一人の人間を様々な角度から魅せることで、観ている側の印象がこうも変えられていることに驚きました。事実は一つのはずなのに、魅せられ方で捉え方が自然と変わっている自身の心の動きが面白くて、心理的なアトラクションにのせらている気分になりました。
[映像]
・農村風景が日本のそれと似ていて、どこか懐かしさを覚える心地よさがありました。
[音楽]
・際立って感じたことはありませんでした。
[演技・配役]
・主人公ジョングを演じる「クァク・ドウォン」さんは、一見、友達にいそうな顔立ちで「主人公?」と思ってしまうのですが、その親近感の沸く弱さの表現と次第に狂気じみていく際の目の鋭さ、このギャップがすごいなぁと思いました。
・韓国俳優さんに囲まれて國村隼さんが演じていることになんだか胸を張りたくなるような嬉しさがわきます笑 多くを話さない役柄なのですが、不気味さがすごいです。
[全体]
・エンドロールが始まると、「え?で、結局こういうことでいいの?」と多少思います。ただ、この映画のすごいところは、観客によって異なる可能性があるにせよ、一旦、それぞれの結論を出せるように構成されているところです。「悪魔とは」「日本人とは」「祈祷師とは」「女の正体とは」を観ている人がどう解釈するかによって、結論の色が決まります。が、それでもどうもモヤモヤが残って「え?で、結局こういうことでいいの?」と。そこで、他の方のレビューを見てみると、割と監督の意図に近いと思われる解釈ガイドが沢山あります。それを見て、90%近くの腹落ちができるので消化不良にならずに映画鑑賞を終えられるところが良かったです。
・私が解釈したこの映画の本質のさわりだけ言いますと、「事実(人やモノや出来事)は一つなのに、それを見る人次第でどうにでも移り変わる≒疑いの目でみればそれが事実に見えるもの」ということ。この実世界でも、様々なものを見聞きして解釈して、善悪を決めたりなどもしますが、果たしてそれが本当に「事実」なのでしょうか。今一度、冷静に物事を見つめなおしてみると、見える世界が変わるかもしれませんね。そんなことをそっと言われた気がします。
・心理的ハラハラで楽しませてくれるホラーミステリー系物語の裏に、哲学的なメッセージが見え隠れする映画。個人的には結構楽しめました。皆様も一度、鑑賞されてみてはいかがでしょうか。
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コクソン考察
誰が悪魔か?
自分の中では白い服の女、日本人、両方が神であり悪魔です。
最後のシーンで日本人の姿を悪魔としてみたら変わった様に見方で変わります。
事件現場には、双方の痕跡があり結局人は救えていません。
双方、霊的な存在であり互いを悪霊としてみなしています。
このことから互いが足を引っ張り、結果的に人を救えないという現状があるのだと思います。
宗教間の対立で結局人が救えないという。現実にある問題だと思います。
毒キノコが人間をおかしくした主な原因であると思われます。
しかし、女が祈とう師に日本人を攻撃するように仕向けてたり、一般人に幻覚を見せたりしたと思われます。異国の神から自分の領域を守る為の防衛だったのかもしれない。
一方、日本人も人の魂を救済していたのか収穫していたのか判断できません。
人間の都合で動くものが神ではありません。
昔、キリスト教で言う他宗教の神、それは悪魔です。
しかし、その地に住む人々の心を救ってきた神でもあります。
他宗教の神、それを信仰する人、異文化に寛容であればこの映画の人々にも救いがあったのかもしれません。
つまり、民主主義って大事ですね
過去鑑賞
これもレビューしてなかったですね。
訳の分からない作品だとの話を少しだけ聞いていたので、いったいどのようなお話なのかと身構えながら鑑賞しました。
難解な点もありましたが、156分の長さを感じさせないくらい面白かったです。
確かによくよく考えてみれば、結局本当のところはどうだったのか?、あれはどういう意味だったのか?等疑問点は多々浮かぶものの、単純にエンターテイメント作品としても観られないわけではないですし、何より不可思議な魅力が溢れる作品である事は間違いないと思います。
いろんなサイトで様々な意見・解釈が書かれているみたいですし、それらを読んだ上でいつか再鑑賞してみたいです。
それにしても國村隼さんの存在感は流石でしたし、ヒョンギ役のキム・ファニさんの演技も秀逸でしたね。
よくわからないオカルト映画。
とにかく長くて苦痛。最初は反日プロパガンダ映画かと思ったが、よく分からないオカルト映画だった。韓国の人達には非科学的な思考回路をしている人が多い、と思わざるを得ない。演技力が光るのは國村隼と主人公の娘さん役。國村隼はよくこんな役を受けたものだと思う。
何が正しいのか
とにかく國村隼の怪演が目に焼き付けられる。どの国にも素晴らしい演者がいるものだ。韓国映画の静かな表現の中に現れる狂気や狂暴な恐怖は他の国の映画では味わう事の出来ない空気感である。それに國村隼演じる謎の日本人が良いスパイスとして引き立ててくれた。それほど残虐描写に頼った作品ではないが、韓国映画はこの空気感が物凄くグロテスクに見えるのである。
本作はサスペンススリラーと表現されているが、本格的なホラー作品だと思う。ややコミカルな前半から後半に行くに連れだんだん怖くなってくる所は面白い。國村隼は日本人役なのだが、前半から「コイツが絶対悪の根源だろ」と思わせる演出やセリフがあり、こちらもそのつもりで鑑賞し、注意深く動向を見守るようにしていた。それがどうだろう、後半は何を信じたら良いのかが全く分からなくなるのである。「悪魔」や「祈祷師」というエクソシスト的ワードが出てくるが、軸の1つとしてそれは明確に劇中でも描かれている。「エクソシスト」の韓国解釈版と考えても良いのだが、本作ではその要素に誰を信じるのかという疑心暗鬼に陥るような湿り気のある怖さが加わって来る。主人公に近づく白い服の女が怪しく見えたかと思えば、どこか祈祷師の言動に違和感を覚えたりなど、人を信じることが出来ない作品だ。実際に韓国では何かあると祈祷師に頼る事がある。地方に行けばよりそれが色濃く出てくる為、韓国人の方が本作に対する怖さをより具体的に感じるだろう。
インタビューに際して、監督は本作を「今の韓国を写した様な作品」と表現していたが、「チェイサー」でも韓国社会の闇の部分を描いたように、本作では宗教的な内容であり、ましてや日本人が出てくる辺りなども考えると、旧統一教会と存在が重なってしまう。終盤の洞窟で國村隼が日本語で話すシーンでは多くの事が描かれている。映画冒頭、イエス・キリストの「私の手に触れてみろ~」の旧約聖書の一文が登場するが、それがこのシーンに生きてくる。ここは要チェックのポインドだ。どの国にも陰と陽があるだろうが、ナ・ホンジン監督の作品を観ていると、平和に暮らしている自分がどれだけ幸せであるかを実感させられる。
オドロオドロしい(國村隼が・・・)
2016年(韓国)監督:ナ・ホンジン。
この映画は未開の国の香りがします。
兎も角、風景が綺麗です。
雲海を頂く山々。深い深緑、山々を抜けるハイウェイ・・・
山々の美しさは、ジャングルを思わせるのです。
対照的に民家は土着的そのもの。
題名のコクソンの意味は(泣き喚くこと。そして地名の「谷城・・コクソンと読む」この2つをかけたもの。)
日本人の謎の男(國村隼)が村に住み着いてから頻発する・・・
・・・村人が家族を惨殺する事件・・・
警察官のジョング(クァク・ドウォン)は、日本人の男の仕業・・・と確信する。
男の家に無断で侵入すると事件の写真が壁一面に張られている。
(この時ジョングは携帯で証拠を撮影するべきでしたね・・・
でもこの映画はサスペンス映画ではありません。
ゾンビも登場する、「オカルト映画」だと私は思うのですね。
ナ・ホジン監督が興味深いことを話しています。
日本人の男(國村隼)を起用した理由。
ナ監督が思うにキリストとは、
「歴史上最も世界に混乱を与え、疑念を持たれた人物の一人」
この言葉は響きますね。
アラーの神も、ヒトラーも、同類に入れてもいいかな!
その混乱を与える男が日本人の國村隼と言うわけです。
重要な役で祈祷師イルグァン(ファン・ジョンミン)が出て来ます。
彼の祈祷師の儀式は生贄の山羊や鶏の首を切り落としてする、アフリカのブードゥー教の生贄の儀式・・・を思わせます。
薪を燃やす描写は日本の祭り・・をイメージしています。
だから多国籍つまり「ごった煮」なんです。
この映画・・・ドロドロの情念と難解・複雑な緊張と努力を強いられる映画。
韓国人をちょとばかり尊敬しました。
この映画を675万人が観たとか。
「哭声/コクソン」は、私的には、娯楽性が薄い(多分、韓国の方には娯楽なのでしょうが、)
・・・疲れるし長いし、特に楽しくもなかったです。
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