劇場公開日 2017年3月11日

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「何が正しいのか」哭声 コクソン Minaさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0何が正しいのか

2022年8月9日
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とにかく國村隼の怪演が目に焼き付けられる。どの国にも素晴らしい演者がいるものだ。韓国映画の静かな表現の中に現れる狂気や狂暴な恐怖は他の国の映画では味わう事の出来ない空気感である。それに國村隼演じる謎の日本人が良いスパイスとして引き立ててくれた。それほど残虐描写に頼った作品ではないが、韓国映画はこの空気感が物凄くグロテスクに見えるのである。
本作はサスペンススリラーと表現されているが、本格的なホラー作品だと思う。ややコミカルな前半から後半に行くに連れだんだん怖くなってくる所は面白い。國村隼は日本人役なのだが、前半から「コイツが絶対悪の根源だろ」と思わせる演出やセリフがあり、こちらもそのつもりで鑑賞し、注意深く動向を見守るようにしていた。それがどうだろう、後半は何を信じたら良いのかが全く分からなくなるのである。「悪魔」や「祈祷師」というエクソシスト的ワードが出てくるが、軸の1つとしてそれは明確に劇中でも描かれている。「エクソシスト」の韓国解釈版と考えても良いのだが、本作ではその要素に誰を信じるのかという疑心暗鬼に陥るような湿り気のある怖さが加わって来る。主人公に近づく白い服の女が怪しく見えたかと思えば、どこか祈祷師の言動に違和感を覚えたりなど、人を信じることが出来ない作品だ。実際に韓国では何かあると祈祷師に頼る事がある。地方に行けばよりそれが色濃く出てくる為、韓国人の方が本作に対する怖さをより具体的に感じるだろう。
インタビューに際して、監督は本作を「今の韓国を写した様な作品」と表現していたが、「チェイサー」でも韓国社会の闇の部分を描いたように、本作では宗教的な内容であり、ましてや日本人が出てくる辺りなども考えると、旧統一教会と存在が重なってしまう。終盤の洞窟で國村隼が日本語で話すシーンでは多くの事が描かれている。映画冒頭、イエス・キリストの「私の手に触れてみろ~」の旧約聖書の一文が登場するが、それがこのシーンに生きてくる。ここは要チェックのポインドだ。どの国にも陰と陽があるだろうが、ナ・ホンジン監督の作品を観ていると、平和に暮らしている自分がどれだけ幸せであるかを実感させられる。

Mina