メッセージのレビュー・感想・評価
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テンポが
宇宙人がやってきたら、どうやって意思疎通を図るんだろうって、誰でも一度は考えた事があると思う。
地球に到達してる時点で、明らかに地球人より高度な技術を有してるので、基本的には、宇宙人が地球の言葉を使ったり、テレパシー的なものでコミュニケーションを取る話が多いけど、この映画は、地球人が宇宙人の言葉(文字)を理解しようと分析するのが面白い。
そこに、サピアウォーフの仮説とか、時間の概念を絡ませるストーリーの作り方があって、凄く良かった。
一方で、地球人が宇宙人の言語を理解する事が、このお話の大きなキーになる為か、宇宙人が地球の言葉を理解しようと動かないし、ずっと受け身の姿勢でいるのがモヤモヤした。
言語と時間の関係、主体性と運命を考えさせられる素晴らしいSF作品
英語の文法で主語、動詞、目的語、補語、前置詞等々習いますが、これは誰が何を何に対して何するという行動の方向性です。つまり、言葉に因果関係が組み込まれているということでしょう。
言葉に因果関係が含まれれば、我々の思考は因果関係に縛られる、つまり、現時点から未来は因果の先ですから見ることができません。時間の経過通りにしか物が見えません。
対して、ヘプタポッドの言葉は線形ではなく円形が象徴するとおり因果関係に縛られません。意味内容が恐らく誰が何をした、みたいなものでなく、もっといろんな含意がある状態あるいは状況を表しているのかもしれません。映像的なものかもしれません。それは過去、現在、未来を等価に表現したものだ、というのが映画からは読み取れます。明言はないですけど。
日本でも神狩りのような秀逸な言語をモチーフにしたSFはありますが、本作はは単なるモチーフやギミックではなく、言語の在り方が物語の中枢の哲学的なテーマになっていると思います。ここが非常にSFマインド…センスオブワンダーでした。
ヘプタポットは未来が見えるということになるのでしょう。としたときに、途中のアクシデントで死ぬことをヘプタポッドは自分の運命としてあらかじめ知っていることになります。
このとき、ルイーズの子供の問題が出てきます。子供を作るか作らないかという選択は主体的に見えて、実は運命なのだと言う風に見えます。これは死んだヘプタポットの覚悟の仕方の別の見方になります。子供が死ぬことがわかっているルイーズに選択の余地はあったのか無かったのか。
実存主義的な人間の選択つまり「予知できない未来と」いうのは実は無いと取るのか、分かっていても運命を逍遥と受け入れるとつらい選択を自ら行うのが主体性だと取るのか。それが問われている映画ではないでしょうか。
とってつけたような世界平和の話はかの国への忖度でしょう。むしろ、因果関係にしばられず、運命をそれぞれが受け入れたとき、本当の協力が生まれると取ればいいのでしょうか。ヘプタポットとの未来の協調関係も想起させます。そして人類の未来も。その辺はオープンエンディングですので、それぞれが考えればいいと思います。
なお、いまさらこの作品のレビューを書いたのはアニメ「地球外少年少女」を見たからです。内容は言いませんけど。
多分、村上春樹のファンにウケる
私の友人に村上春樹のファンがいる。 彼を見ていると何が楽しみで生きているのかわからない。 趣味があるわけでもなく 生きがいがあるわけでもなく ただただ働いている・・と言うか働いていた。 彼は正月も盆もなく年がら年中夜遅くまで働いていた。 私に入れば言わせれば彼は働いていたのではなく、することがなかっただけだ。 そんな彼は今、引退して介護が必要な母親と二人で暮らしている。 もしその母親が死んだら彼は一体何を楽しみに生きていくのだろう? 私には分からない・・
・・・そして、そのようなわからない主人公を書き続けているのが村上春樹だ。 彼の描く主人公たちは一様にして生きる気力が弱いように見える。 彼らは色々とおかしなことに没頭する知人を見て羨ましがっているって言うか不思議がっていると言うか・・・理解できないようだ。理解できないことを面白がっているようだ。そんな主人公たちは生きる活力が少ないものだから 女性に対してのワクワクドキドキもなくそれが為に簡単に口説けてしまう。 かと言って彼女ができたことを喜ぶでもなく セックスを楽しんでいる様子も見られない。 何があっても彼らは生きる活力を見いだせないようなのだ。 私の中にはそういったものは欠片もないので全く共感することはできない。しかし村上春樹の小説とそのファンである友達 そして今回この映画を見て、初めてそういう人たちがいるのだと理解することができた。 普通の活力のある人に(もし)こんなことが起こったら生きる活力がなくなるだろう・・・ というその究極の「こんなこと」というのは 未来が見えてしまうことだろう。特に未来の悲劇が。・・・「 私達、生まれつき生きる活力の少ない人間は 、こういう世界に生きているのよ」・・・ ということを、 活力の豊かな普通の人々に伝えた映画 ・・・私はこの映画を見てそんなことを思った。
普通の映画として見ると、難病物の名作劇場。退屈でつまらない。
まぁついでに書いてしまおう。
そういう人々というのはおそらく多くはいわゆるマイナージェンダーの方々ではないかと思うのだ。 この世に男と女がいるのは何故か?オスとメスがいるのはなぜか? 遺伝子をシャッフルするためだと生物学者は言うけど私は違うと思う。「 いつか交尾するのだ!いい女をゲットするのだ!いい男をゲットするのだ!」というのが生きる活力の元になっている。 生きる活力をアップさせるために男と女がいるのだと思う。 中間ジェンダー人にはそういうものがないので 生きる活力が少ないのではないだろうか?今までそういう人々はあまりクローズアップされてこなかった。今、けっこう話題にあげられることが多くなっている、これからの時代の大問題だ。・・・ そういうことを考えると村上春樹氏がノーベル賞を受賞する日もいつかやってくるかもしれない
12と7の古代聖数
映画「メッセージ」は、2001年宇宙の旅や惑星ソラリス並みの衝撃だった。
何の予備知識もなく、できるだけ早めに見ておこうと思った。
気になるのは「12」と「7」の聖数。
突如、日本を含む世界12ヶ所の上空に現れた巨大なシェル。
12の国それぞれがエイリアンとコンタクトを取り、何の目的でやってきたのかを探ることで協力し合う。
7本足で7本指のエイリアンは、ヘプタポッド(ギリシャ語で7本足)と呼ばれる。
なぜ奇数なのか?
その前に、なぜ地上の生物が2本4本8本とすべて偶数かといえば左右対称となるため。
宇宙空間では7でも不都合はない。
映画のクライマックスで、足並みを揃えていたはずの12の国の中からエイリアンに不信感を抱き中国が宣戦布告するも、主人公の言語学者ルイーズ・バンクスはヘプタボッド語を習得し未来からのメッセージを受け取って世界を和解させる。
ここでも中国がキーとなるし、ヘプタポッドのサークル状の文字も墨絵だし、映画化の原作「あなたの人生の物語」のSF作家は中国系アメリカ人。
ヘプタポッドとの接触で誤解を招いた「武器」の意味は、時系列のない「言語」のことだった。
映画ではチラッとしか見せないが、この後世界はヘプタポッド語が採用され、共通言語でひとつとなる。
言語による文化の違いで、国同士の戦争をくり返してきた歴史。
元はといえば、バビロンのころまで世界はひとつの言語だった。
その当時、人々は協力し合って天にも届く勢いのバビロンの塔(バベルの塔)を築こうとした。
カミはその傲慢な人間に対し、言語をバラバラにして遮断したのだった。
数字のことを含め、その辺りもテッド・チャンの原作をしっかり読んでみようと思う。
追記:
ヘプタポッドは原作で7本足に7つ目とどこかに書いてあった。
映画では霞みがかってよく見えなかったけど、目の代わりに7本指だったのかも。
いずれにしても「7」も「12」も聖書からの暗示を感じる。
古代イスラエルの12支族。
ヨハネの黙示録には7つ目の子羊=イエスが出てくる。
好みの映画ですありがとうございました
序盤〜中盤まで超ミステリアスでエイリアンが何してくるかめっちゃ気になったし、シリアスな雰囲気がさいこーう
米軍テントの雰囲気、上官の雰囲気すき、そしてなによりエイリアンとの対話ルームのあの感じ!
墨?で〇書いてるだけかと思ったらそれが言葉かい!
ほんで最後がさ、別の映画か?っていうくらい感動した!バイオリンのBGMって卑怯だね
あと中国の将軍と会話するシーンとか展開えぐい
いい映画、人も死んで無いし
不思議な魅力に溢れる奥深いSF
本作は、“2001年宇宙の旅”を彷彿とさせる作品である。難解ではあるが、作品の世界観を重視した作風で、総合芸術と言われる映画の本質を感じることができる。本作は、地球に飛来した宇宙船をめぐるSFであり、派手な展開はなく、映像表現主体の不思議な魅力に溢れた作品である。
何の前触れもなく、突如、12隻の宇宙船が地球に飛来する。異星人たちの目的は地球征服なのか否か騒然とする中、アメリカ軍の依頼を受けた言語学者ルイーズ(エイミー・アダムス)は、異星人たちの真意を知るために、彼らとの言語によるコミュニケーションに挑んでいく。そして、試行錯誤を繰り返しながらも、ついに主人公は彼らの言語を解読し、彼らが地球にきた目的が明かされるが・・・。
ハッキリ言って、生易しい作品ではない。分かり易いナレーション(言語表現)はない。時折、主人公のフラッシュバックとして挿入される主人公と子供のやり取りは何を意味するのか説明はない。映像表現から、我々観客が想像するしかない。本来、映画には、映像表現という手法があり、それを最大限に活かした作品である。最近、言語表現を多用した観客に分かり易い作品が多い中では出色であるが、観客の想像力に挑むような作風は刺激的あり、往年の名作SF“2001年宇宙の旅”を彷彿とさせる出来映えである。
宇宙服のような厳重な装備、異星人との接触準備中に手を震わせる主人公など、異星人との接触シーンは極めてリアルであり、敵か味方か全くわからない異星人への恐怖がヒシヒシと伝わってくる。主人公の自己紹介から始まる、異星人との接触による、彼らの言語を解読するプロセスは泥臭く、手探り感が上手に表現されていて面白い。満身創痍状態になりながらも懸命に未知なる言語を解析する主人公の姿は知的好奇心に溢れていて、逞しさすら感じられた。
異星人の地球飛来の目的が明かされると、それまで、一致団結していた世界の国々が分裂してしまうシーンは、非常事態においても、自分のことしか考えられない人間のエゴが丸出しになっている。この先、物語の結末はどうなるかと思っていたら、伏線の回収とともに、作品のイメージ通りのラストに落ち着いた。
観終わって、久し振りに、何か不思議な世界を観たという独特の浮遊感を感じた。作品の世界観を完全に掴みきれず、幻惑された感じがした。全てが納得できる作品も良いが、本作のような、卓越した映像表現で我々の想像力を試すような難攻不落の作品も面白い。本作の不思議な世界観にまた挑んで完全解読してみたい。難問である程、解いてみたくなる。そんな気持ちにさせられる作品である。
始まりと終わりがないということ
未知とコミュニケーションをとるということの難しさ。
同じ星の同じ人間同士ですらコミュニケーションを上手く取れない。
ヘプタポッドたちの概念では始まりと終わりがない。
始点と終点がない。
線があるだけだ。
因果論と目的論が同時存在するならば、どちらの理論も使えて使えない。
ルイーズが事象を見た後に選択ができるならばハンナの未来は違うかもしれない。
変わるのではなく、そもそも違うものとしてあるはず。
若くして死ぬかもしれないし天寿を全うするかもしれない。結果は同じだ。
その時ルイーズはまた「見る」のではないだろうか。
おそらく「結果」の意味は違う。
ルイーズは「使える」。
そしていつか、最長でも3000年後には人類が「使える」のだろう。
そして「武器」になり得る。
おおよそ120分の枠の中では、因果論のみ理解し体感できない我々が、結論の出ないループに入るという隙を作ることでしか表現できないのお話だと思う。
レビューを書きながらも端々に矛盾を感じている僕もまたループに入っているのでしょう。
イカ星人は墨を吐く
放射能汚染も心配されることから完全防備態勢で内部に入る面々。とにかく、ルイーズ(アダムス)の息苦しさが伝わってきて、こちらまで苦しくなってくるほどだ。下から入ると、重力がいきなり変わる。地球上ではあり得ない!と、『ゼロ・グラビティ』みたいに吐き気をもよおしそうになるのだ。
ガラス面を境にして7本足のイカみたいな異星人と対峙。しかし、相手はちゃんと質問には答えているみたいけど、聞いたことのないノイズを発するのみ。18時間に一度しか扉が開かない浮遊殻物体。二日目にはホワイトボードで言葉(HUMAN)を書いてみるという手段にでた。すると、イカスミをガラス面に吹きかけ、文字みたいなものを描く異星人。それをつぶさに観察して、古代語を解読するように文字を解析しようとするルイーズたち言語学者チーム。
18時間ごとにUFO内部でコンタクトをとるルイーズとイアン(レナー)。円形を基本とした文字を見ていると途端に眠くなってくる。どちらがコステロで、どちらがアボット?・・・zzz
冒頭では、シングルマザーとして娘ハンナを育てる数カット。成長するカットを繋げていくのだが、ハンナは20歳くらい?で病死してしまうのだ。本編でもそのフラッシュバックが何度も織り込まれているが、これは未来のことではないのか?と、なんとなく思えるようになった。時間軸をわざとずらしてあるのだと。終盤、異星人たちが飛来してきた目的をいきなり読めるようになったため、救ってほしいとか3000年後の未来を救うためとか・・・よく理解できなかったが、UFOを攻撃しようとしていた国の一つ中国のシャン将軍に未来で知った言葉を電話で伝え、宇宙人との全面戦争を回避したのだ。異星人に未来を教えてもらい、自分の悲しい未来も聞いてしまう・・・それでも子どもを生みますか?と、試練を与えられたルイーズ。夫になるのはもちろん・・・という展開。見終わってからじわーっと感動させられる。
ルイーズだけはイカ星人と同じく線形時間軸がなくなってる様子。それも彼らと直接対峙したためかもしれない。侵略者には武力でもって立ち向かうという地球人の性質も理解していたイカ星人。12の地域での紛争を無くし、3千年後には地球人の力を借りに来るという極めて平和的な宇宙人だったわけだ。ルイーズがいなくても他の地域に未来を読める人を作り出したかもしれないし、世界の歴史を多角的にとらえるために大きく貢献した形だ。で、シーナ・イーストンの曲は何?
HANNNAHという名前は特別。前から読んでも後ろから読んでも同じ回文になっている。過去から見ても未来から見てもルイーズにとっては愛する娘に違いない。愛という真実があればいいのだから・・・この作品が与えてくれる言語学のテーマ、多言語交流、人類みな兄弟!戦争はやめよう!といったこと以外に愛は永遠なんだとメッセージを貰った。私負けましたわ・・・
【2017年6月映画館にて】
無理
アマプラで観ました。
我が子が奇病を患い若くしてこの世を去る未来を知りながらそれに向かって歩む事は自分にはできない。
親としてのエゴだとか利己的と言われてもその子と過ごす一秒一秒が辛すぎて気がもたない。
なんて残酷な映画だろう。これを観て感動する人もいるみたいだが、「ママ」というセリフが出る度胸が痛く憂鬱になったし、そんなヒューマン映画な要素は求めてなかった。
それにしてもあのタコ星人がどうやってあの宇宙船らしきものを造ったのか・・・
by 2歳の子の1歳の頃の動画を観て懐かしさと寂しさで泣いてしまう父親
分からなかったので原作読んだ
この監督の作品が好きなので、こちらも見た。
見終わって、たとえば未来が分かったとして、自分はこれからも生きようと決められるだろうか、という不安に襲われた。未来に何が起こるか分かったとしてそんなつまらない、ともすれば恐ろしい人生を歩みたいなんて思わない。
けれど、主人公のように未来のことが分かればより良い選択ができるんだろうか、あのラストの中国国家への電話のように…あれ? そしたらなんで娘が死んじゃう未来は避けようがないことのように、これから起こる遠い未来の不幸のように描かれているんだろう?
選び取れる未来への選択と、避けようがない不幸の違いは何? 他国へ電話したあの時のように、娘が死ぬのを回避する未来を見せないのは演出?
とあれこれ疑問が湧いたので原作を読んだ。結論は、原作の映像化の成功には至っていないと思った。ここから先はその違いについて、自分の理解なりに書いているだけ。
原作は、人とかけ離れた宇宙人「ヘプタポッド」が人と違う理解形態を有していると示すことで「時間に対する人間の概念の捉え方」を文章で形にし、また変えられない未来を知った上で、そこから人生に自分のオリジナルの選択はある、と言えるのか(いや存在し得ない)というテーマがあった。主人公が、ヘプタポッドの言語と理解形式を取得していきながら、半ば取得したがゆえに「母親である時代の自分」と「ヘプタポッドと出会った頃の自分」と並行して描かれている。
この並行部分も映画ではそのまま表現されてるんだけど、これは原作を知らないと演出と取られて終わると思った。映画の後半までいけば「ああ主人公は未来のことが分かるようになったんだな」「未来を垣間見たんだな」と伝わるものの、未来予知が宇宙人からの贈り物と解釈した観客は多いんじゃなかろうか。(というか私はそう思った)
彼女が本来知り得るはずのない情報(奥さんの最期の言葉)を、未来の主人公へと彼が教えたあのシーンを、どうして彼女が活用できたのかは謎のままだ。「あの時電話でこう言ってくれたね」と言われた未来を主人公が見て、未来の会話から主人公が言葉を出す、という流れだ。そもそもの入手経路、0のスタート地点がなく、過去と未来が尾を飲み込む蛇のように繋がっている。
主人公は、未来での会話から遺言を入手し、他国の暴走を止める。
未来の知識から現在を変えられるのなら、娘の不幸も避けられそうなもんだけれど、娘の出来事については不可避のようなのが疑問だ。
監督が、時間、過去と未来についてこの作品内でどんな考えで取り扱っているのか明確な理解が私はできなかった。原作からすれば、未来に起こることは決まっているので、主人公があの言葉を未来予知の能力で知ることも決められた未来、娘が死ぬことも同様に決められた未来ということなのだろうか。
良かった点は、未来が分かっていても生きていく主人公に希望を感じたこと。
個人的に残念な部分は、人の理解に対する挑戦的な、概念という捉えにくいものを物語として形に成し得た原作が映像ではいまいち活かされなかったこと。普通だったらこんなものは論文で長々と論じられているか、思考実験のような分野だと思う。
映画はエンタメ要素も盛り込んで作り上げる必要があると考慮しても、映像と文章ではそれぞれ伝えられるものが全く違い、不可能な部分があると印象を受けた映画だった。
もう映画タイトルも「ばかうけにしか見えない」にしたら?
途中まではワクワクしたのに、オチが…。
丁寧に描写されている場面と、雑な部分と…。
原作未読。
昔、英語なんて使わないのになんで英語の勉強をしなければいけないんだと文句を言う私たちに英語の教員は言った。
言葉を理解することは、相手の思考回路、気持ちを知ること=異文化理解、つまり、あなたの視野を広げ、心を豊かにして、(相手を理解し、思いやるという)人間性を高めること。だから、言葉を学ぶということはとても大切なことなんだ。
この映画をみて、この言葉を思い出した。
(今、英語は偏差値上げるためか、グローバルな場で活躍するための、単なる道具として学ぶものになっているけれど)
ファーストコンタクト。
自分の使っている言葉が通用しない相手との接触。
「意思」で動くのか、衝動・感情で動くのか。自分と同じ、もしくは似た概念、つまり共通項は見いだせるのか?何を手掛かりに共通項を見出し、理解を進めて行けばいいのか…。
全く異なるものとの出会い。その対象への恐怖、戸惑い、そして好奇心…。ルイーズの変化が丁寧に描かれている。
未知の物への好奇心。学者としての本質?初めは怖がっていたルイーズだが、だんだんとのめり込んでくる。『未知との遭遇』を思い出してしまう。
どのように、相互理解を進めていくのか。知的好奇心が刺激されて、へたなサスペンスよりもワクワクした。ルイーズのアイディアで展開していくが、そのアイディアを支えているのは、後方に控えているPCで画像解析・分析している面々。
と、同時に、「カンガルー」という言葉で象徴されるような、世界各地で行われた異文化の出会いを彷彿とさせる。戦国時代、種子島をもたらした異人との交流はこんな風に進んだのだろうか?アメリカでネイティブアメリカンとの交流、オーストラリアやアフリカ大陸でも…。
けれど悲しいかな、武力による植民地化を進めてきた人種にとっては、相互理解でWin-Winな関係を築くことよりも、攻撃こそ最大の防御としか考えない…。しかも、なぜそこで分断するのか。映画的には面白いが、実際の政治的なメリットが理解できない…。
歴史は繰り返すのか、新たな道を見つけられるのか。
言葉。相手を理解し、意思疎通を図るためのもの。
同時に混乱を招くもの。
映画も翻訳一つで意味合いが違ってしまい、レビューでも誤訳指摘があふれるときもある。
同じ言語を使っていても、誤解され炎上するSNS…。
この映画でも、ルイーズが”翻訳”したメッセージをどう解釈するかで危機的状況が加速する。
さあ、どうなる。どう解決するんだ?
緊張が高まったその時、斜め上からの解決法が下りてくる。
えっ?! それ、あり?!
ルイーズがもともと持っていたけれど、それと認識していなかった”武器”で一件落着…。
言語を習得することによって、知らぬ間に身に着けた”武器”ではない。
彼らと接することによって、知らぬ間に身に着けた”武器”ではない。
う~ん…。ここで私の中では映画に対する思いがトーンダウン…。しらけ鳥が飛んでいく…。
”言語”の意義を真正面から取り扱っている映画だと思っていたのに…。
未知なるものとどう対峙するのかがテーマだと思っていたのに。
ペプタポットは非日常ではあるが、
ふだんあまりかかわりを持たない方とのコンタクト、違い言語を話す人、違う文化を持つ人、はじめての場、ハンディキャップを持つ方々他、身近な課題でもある。
バカ受けに似た核は基本自らは動かない。
ペプタポットも、最初は自ら動かない。こちらがしたことを同じように返すだけ。
そこに攻撃性をみるのも、親和性をみるのも、すべて私たちの心が投影されているだけ。
そんな人間の心模様が映し出されるのかと思っていたのだが。
ここで、世界危機の物語から、ルイーズの生き方の物語に転換する。
運命を受け入れるか、あらがうか。
ルイーズの選択は…。
基本、私たちは、明日のこと、未来のことを知らないで生きていく。知らないけれど、うっすらと今と同じような日々が続くと思いながら。
もし、わかっていたらどうなるのだろう。
今、ライトノベルや漫画では”転生”ものが流行っている。まったく未知なる世界に飛ばされるタイプや、人生をやり直すタイプの物も。
失敗や心残りを解消するのかな。
でも、回避できないものや、やり直せないものもある。
生まれてくる子のリスク。出産前の羊水検査。思わぬ結果が出た場合どうするのか。
生活習慣病・ガン、検診。これも、先が見通せる話。癌になるリスクが高いからとまだ健康な乳房を切除した女優もいたが…。
そして親の背中を見て、将来がわかった気になり、夢を描けず、努力をせずに、刹那的に生きる今の若者。
戦中の若者だって、戦争に駆り立てられて、その先に待つ運命を知っていた…。そんな若者は世界中に今もいる。
時制のない世界。フラッシュバックのようなものか?楽しみたいときに、過去の嫌な思い出にとらわれ、未来の不安に拘束される。過去は過去、未来は未来、今は今と割り切れるからこそ、自分をコントロールできるものだと思うのだが。
意思と意志。意志willは、未来を描いて今こうしようというと思うのだから、ペプタポットにもこうしようという未来があるから、時制はあるはずだと思うのだが。
ルイーズの話は、「ああ、そうか」と人生に対する深い洞察を伴い、感動するはずなのだけれど、説明不足なのか、今一つ腑に落ちない。
それでも、映像・音響・世界観は見事。
静かなトーンで、落ち着いた思索にはまれる。
だからこそ、中盤からの展開に惜しいと思ってしまう。
(東京国際映画祭2021屋外上映会にて鑑賞)
最もリアリティのあるSF映画
アマプラで無料鑑賞
固定観念を捨てないと理解まで至らなさそうな頭を使う部類の映画だが、シンプルにコミュニケーションの取り方が全く異なる相手の言語(のようなもの)を世界の学者達がいかに解読するかという部分だけでも非常に面白かったのだが、絶対だと信じていた時間の概念さえ絶対ではないという考え方(設定)もことのほか新鮮だった。
主人公が「武器を与える」という意味は彼らの言語、またその概念を理解することという答えに辿り着くが、理解したからと言って未来を見ることができてしまうということが今一つよくわからなかった。
理解すれば皆が未来を見ることができるのか、それとも「武器」は彼女にだけ与えられたのか・・・。
中国やロシアは武闘派で外敵をすぐに攻撃しがち、みたいな描写もアメリカっぽい。
まあ、アメリカもすぐに追従するが、先にやろうといったのはあんた達でしょみたいな言い訳っぽさもまたアメリカっぽい。
異星人が出てくるSF映画の中で最もリアリティがある映画なのかも知れないと思いつつ、もう一度見返してみようと思う。
メッセージは「時間」そのもの
原作は未読である。
エイリアンと人類の間では「言語」の本質が異なっている。
というスタート地点が興味深い。
ゆえに理屈(時系列を追って)で理解し合うことは不可能だが、
それでも分かり合う、という展開が興味深かった。
その過程で主人公が体得する能力も、時間を飛び越えるだけに、
タイトルにもあるメッセージ、その内容は「時間」そのものだったのだと感じている。
そして「時間」を言語にかえて思考を始めたなら人間は、
何を選び、どう自身を、文明を、構築してゆくのか。
冒頭の、言語は思考であり、文明や人だ、へ立ち返って考えなおしたなら、
これぞSF、と思しき大作だった。
言語がいつももどかしいのは、常に時系列を無視できないところにあるのは、わたしだけか。
もっと包括的な、閃きのように一瞬にしてすべてがかみ合う瞬間、感覚というのは確かにあって、しかしこの一瞬をほどいて時系列で説明することは、本質を損ないやすくとても難しい。
未来において、主人公が過去を教わるシーンがあるように、
原作の発想がもしそこから生まれたのだとすれば、
ビルヌーブ監督の説明臭くない、感覚的な作風とよくマッチしていたのではと感じている。
それにしても主人公が夫と別れた理由について明かされるシーンがあったが、
つまりエイリアンは人類を助けるため、そのことを告げに来たはずだ。
だが最大の災難はほぼ作中で触れぬまま終わっており、
これまた想像を掻き立てられる憎い締めくくりだと思ってもいる。
別に普通
エイリアン出てくるときはイケメン期待したけどタコ型のアレだった……。時間が一方向じゃない理論は好きだし、人類より高度な宇宙人が地球ごときに来てくれた理由には感動した!
でもサイコキネシス使えるのにもうちょっと迅速に爆弾回避できなかったの謎…え、瀕死になっちゃったの?!未来見える系なのに?!みたいな…(ಡωಡ)プッ
あと気になったのが言葉わからない相手に向かって英語聞き取りにくいのがイライラした。もっとハッキリ喋れよ。文字もきたないし。伝える気あるの?って思ってイライラしたから評価落としました。宇宙人なんだから、脳波直接読むくらいのことはしてそうですけど、なんでネイティブの友達相手に喋るノリでボソボソ喋るのかまじで見てて腹立ったしレベル低いゴミ映画かと思いきやこれでアカデミー賞とかとったらしくて驚いた笑
子供が出てきますが、時系列逆の一発ネタモノにすぎん。暇潰しにはなったけど~、、すぐ忘れそうな別に普通の映画かな。感動とかも特になし。
あと、たかが言語学者のオバサンが軍の中でしゃしゃりすぎてて違和感あった。優遇されすぎ。都合よすぎ。こーいう爪が甘い映画はすぐ忘れそうだから評価も低くした。以上
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