聖の青春のレビュー・感想・評価
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実話として面白いけど、映画としては?
確かに俳優の個々の素晴らしさはあるし、松山ケンイチの本物感は凄いなと思ってます。東出さんは、羽生さんのモノマネ感が強いけど、演技がすごいという感じではないかなぁ。
一番良くないのが、ストーリー全体の流れ。
ダラダラと続いてるわりに、焦点がすごいボケてる。
実話の面白さのみでできてる感じ。
この映画として、何が見せたかったの?
村山聖が一体何を求めてたのか、そこに至るまでの掘り下げが弱い。
視る人の視点の置き方による作品
うちは伴侶と一緒に見ましたが、原作に拘る相方は面白いとは感じなかったようで、途中寝ていました。
私自身は原作を知りませんので素直にみていましたが、命を懸けて戦いに挑む聖と、それを取り巻く人々の人間模様が良くできてるなと思いました。
ただ、羽生義治役の東出氏は思ったほど羽生さんには思えなかったかな。寝癖も無いように見えたし、もう少し羽生さんらしい描写があった方が良かった気がします。
最高のコスプレショー
現代人の再現ドラマって、大体はシラけますよね。
原因は簡単な事で、実在した登場人物たちは、演じた役者ほど美形じゃないから。それは今作も例外じゃない。
しかしだ。何事にも例外はある。
今作の重要人物「羽生善治」は、現代の偉人の中では少数派の、本物のハンサムガイです。
だから、役者が羽生のコスプレをしても全く違和感がない。あれ?羽生さんいつ役者デビューしたの?って感じ。
ここまで完璧なコスプレ映画はそうそうないですよ。
もろちん、怪童・村山九段の伝記映画としても非常に面白かったです。
でも、今作の見所はやっぱり羽生だよ羽生。あと先崎。
雰囲気映画
村山聖、将棋、ネフローゼ症候群、
こういった一連の背景を頭に詰めた人が見て
感慨にふけるための映像というか。
まるっと役者任せ、脚本が粗末すぎる。
役者も演技もいいのにもったいない。
松山ケンイチの役作りには
故人への敬意が表れていてとても良かった。
せっかくあれだけの役者陣集めてこの出来、
本当にもったいない、以外出てこない。
そして雪のCG?は近年稀に見る酷さ。
どうしたらあれでいいと思えたのか。
公開期間中に映画館行けなかったけど
映画館で観なくてよかった、と思った。
映画になったことが嬉しい
それほど将棋に詳しい訳ではないのですが、村山聖棋士の活躍をニュースで何度か見たことがありました。訃報を知ったときも悲しかった覚えがあります。それはこれほど才能があって片鱗も見せていても、誰にでもわかる実績がなければ、将棋に興味の無い層からは忘れ去られてしまうのだろうなという想いからでした。
小説と映画では結構違いがありますが、僕はそれで良いと思います。映画はまず将棋に興味のない層に、村山聖という羽生名人にも劣らない凄い棋士がいたんだという事を知ってもらい興味を持って貰う機会。そう考えれば映画の構成は納得の出来です。小説は村山聖という凄い奴が居たんだという知識を前提に読んだ方が絶対に感動できますから。
ガリガリガリクソン
アマゾン・プライムで鑑賞。原作を読んでいないので、なんとも言えないが(原作とはかなり違うらしい)、自分は面白く観た。特に松山ケンイチの体重を増やした入魂ぶり、東出昌大の羽生さんの所作は恐れ入る。ただ、松山ケンイチがガリガリガリクソンとかぶってしまった。
天才ばんざい
天才が好きです。
変人も大好きです。
常識や倫理観や在らねばならぬに、辟易しているから、突き抜ける人に憧れる。
できることから始めればいい。
たとえば自由に生きようとしてる人を応援する。
自分も本当にしたいことする
じゃないと、ひがんじゃって応援できないよね。
生と性
『聖の青春』(2016)
村山聖棋士が生きて活躍していた頃から、29歳と訃報が載るまでの時期にもメディアを通して触れていたわけだし、大病を抱えながらのおおまかな彼の個人史も知ってはいたけれど、そして本人の顔もメディアを通してみていた人で。今ではネットで検索すれば出てくる事ではあるが。こうして実話をもとにした映画で壮絶な生き方をみると辛い。将棋が出来なくなることと、子供が欲しかったのにできなくなるという二重の苦悶から手術に抵抗し、しかし手術を行い。手術で一度死から遠のいたように思えたが、再発してしまった。実話なのか、羽生棋士に勝利した後で、羽生を誘い、食堂で語り合ったのは。古本屋の娘とも言葉を交わすだけで男女の恋愛物語ではまるでなかったが、そうした淡いエピソードや、なにより子供が出来なくなってしまう状態で手術が必要なんだと言われたときの気持ち。これは恋愛の出来なかった人の恋愛物語でもあったし、最期を看取る村山の両親の夫婦愛が表されているし、途中で羽生が人気アイドルと結婚する挿話があり、将棋という勝負の他の、男女のある人生の風景が、未遂の物語ながら逆に強く感じさせられる。羽生との最後の対戦には看護師が控えていた。20キロ増量して臨んだ松山ケンイチと相手役として東出昌大。見事な演技だった。棋士の仲間たちとの関係性もみせる。生と性、ともかく存在が実在しているのを思い起こさせる。
確実に読める所までは読まなければ負ける
将棋のプロは百手、千手先を読むと言う。それは、勝つ為だが、本作の主人公は将棋を殺し合いだと言う。将棋で負けたくない、勝ちたい、つまりは生き残る為、真剣に勝負に臨んでいる為に、相手をそこまで読む。これが人生なら、真剣に生きる人には、自分の手は全て読まれている。どんなつもりで生きているのか、どんなに言い訳をしようと、取り繕おうと。
じわじわくる
勝負師の世界。
勝つか負けるか、ただそれだけにのめり込む男たちの静かでヒリヒリした空気の圧を画面から感じた。
天才たちにしかわからない独特の世界が後半じわじわやってきて凡人の自分が打ちのめされた。
役者は熱演、監督も奮闘してるのにクライマックスの演出が…
実在の早逝した棋士、村山聖を題材にした作品。ドラマ化、舞台化もしている。
昨今の棋士関連のニュースを見るたび思うのですが、やっぱりちょっと凡人には想像つかないほど、厳しい勝負師の世界。村山聖はこの作品以外にも、複数の将棋作品でキャラクターのモデルになっている人物。
→https://ja.m.wikipedia.org/wiki/村山聖
棋士に限らずですが、勝負の世界で生き残るだけでなくトップ争いができる人々というのは、それこそ凡人に想像つかないくらい、信じられないくらいの負けず嫌いであり、それでいて偏屈か変人の筈ですよ。元々の才覚がある上に、人並み外れた情熱と努力を傾注できるからこそ、その場にいる。そういう人々がもしただの「いい人」に見えるとしたら、それは彼らが日本人らしく負けず嫌いな面を表に出さないよう(自然と)訓練してきたり、いろんな人たちの視線に晒されることでどう振る舞うか発言すべきか身についているからです。ただこういったことは勝負事の世界では副次的な事であり、本作の村山聖はこうした側面を切り捨てている人物に描かれているので、いわゆる映画的な「好かれる主人公」とは当然違います。
その上で松山ケンイチは相当な覚悟と熱量を持って、彼を演じていることがわかる。話題になった20kg増量というのもその表れの一部に過ぎず、最も驚いたのは後半、髪を切ってからの表情。もはや松山ケンイチの顔ではなかった。
彼に相対するのが、東出昌大演ずる羽生善治。東出はハマり役。正直、彼は台詞芝居に難あり。しかしこの役者の雰囲気・外観を存分に活かした撮り方をした森義隆監督にも、もちろん東出本人にも、大いに拍手したい出来でした。
なのに、なぜクライマックスでくどくどしく、もう見た映像を回想シーンとして入れてしまうのか…。ここがかなり台無しでした。いやいや、大半の観客はそのシーン頭の中で想起できてるから。わざわざ提示しなくても。
こういうところをついつい「邦画の悪癖」と呼んでしまいたくなるんですけど、要は観客を信用してないんですよね。2時間強の映画内で、どう考えてもストーリー上重要だったシーンを、もう客が忘れてると思ってる。だとしたら客が寝てる前提だろと。2時間ドラマじゃないんですから。そう思ってるのが監督なのか、配給会社側なのかは定かじゃないですけど。
役者の熱演を、派手さを抑制した映像が光らせていただけに、大事な場面での演出が残念でした。
音と表情
最初のシーンはいらない、「人や」のセリフもわざとらしいし、一般人があの状態で将棋会館に連れてくわけない。連れてくなら事情を知っている身内だろう。村山という人間がどういう人間が一発で説明したかったのだろうがあれは冷めてしまった。
音の使い方はとてもいいと思った。弦1本で鳴らすようなBGMは駒の音を際立てているし、役者の表情による演技を邪魔しない。
役者の演技はすごい、特に説明なく表情だけでバトルを展開するというのが映画として素晴らしい。
人間ドラマに重きを置いているのもいい。
染谷将太の鼻血だしながら戦うところは、グッと来た。情けなくて、わかってるのだけど、どうしようもない。あれは僕たちなのだ。その遠くに村山や羽生がいて崇拝のあまり憎い。文字通り命をかける村山が、羨ましくもあり哀れでもある。
淡々としているのはいいのだが、盛り上がりがなくテンポがもたつく。いくつか眠くなるシーンがあった。
でもいい映画でした。
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