ダゲレオタイプの女 : 映画評論・批評
2016年10月11日更新
2016年10月15日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほかにてロードショー
女優の資質をあっけなく自作の支柱にし得る監督の繊細な力業
「彼女には時代から浮遊したような、ちょっと変わった所があると思った。フランスの現代を生きる一般的な若い女性とはいかにも違う、どこか古風で非現実な魅力がある」――「彼女」とは女優コンスタンス・ルソー。時代からも現実からも乖離したようなその存在感に魅了されて「女っ気なし」に起用したのが発言の主、フランスの新進監督ギョーム・ブラックだ。実際、彼の映画でルソーは、いかにも現世的な母の傍らで、生きにくそうな様子をして、かそけさとか儚さとか蜻蛉の薄い羽とかを思わせる娘を体現していた。いつも一歩引いたような佇まいがみごとに記憶に焼きついた。だから、黒沢清監督がフランスでフランス語で現地スタッフ・キャストで撮った「ダゲレオタイプの女」のヒロインにルソーを抜擢したと聞いてなるほど! と腑に落ちた。早く見たいと期待が膨らんだ。完成作を見てルソーのこの世ばなれした存在感、遠慮がちに佇む様子、ちろちろと蝋燭の灯が揺れるように震える瞳に見惚れ、そうやって女優の資質をあっけなく自作の支柱にし得る監督の繊細な力業に惹き込まれた。
郊外に立つ鬱蒼とした屋敷。その階段にふっと現れる青いドレスの女。そんな一景で英国はハマー・フィルムに代表される怪奇映画への愛を全開にしつつ、西洋型のゴーストストーリーを喜々として究める黒沢の新作は、一方で日本の怪談をふまえた愛の物語を紡ぐ。そこでルソーは最古の写真撮影技術に魂を奪われた父のため、長時間、固定器具に身を委ねたままポーズする苦行に耐える娘を演じている。
「リアル 完全なる首長竜の日」の綾瀬はるか、「Seventh Code」の前田敦子、そして「岸辺の旅」の深津絵里もまた鮮やかに活劇のヒロインとしてみせた監督が今回は運動を奪うことで逆にルソーの身体性を際立たせる。あっけなくこの世のものでなくなる娘は、彼女に(あるいは彼女を写した等身大のダゲレオタイプの写真の像に)恋した写真家の助手との生死の境を超えた道行でも、静を象る身体性で青年の至福の錯乱を裏打ちしていく。旅路の果てに死者との恋に孤独を癒す青年の切なさがゆっくりと映画の核として立ち上がる。その時、どこまでも控えめに佇む女優ルソーのかそけさの力も圧倒的に観客の胸になだれ込んでくるだろう。
(川口敦子)