ダゲレオタイプの女
劇場公開日 2016年10月15日
解説
「岸辺の旅」で2015年・第65回カンヌ国際映画祭ある視点部門監督賞を受賞した黒沢清監督が、オール外国人キャスト、全編フランス語で撮りあげた初の海外作品。世界最古の写真撮影方法「ダゲレオタイプ」が引き寄せる愛と死を描いたホラーラブストーリー。職を探していたジャンは、写真家ステファンの弟子として働き始めることになったが、ステファンは娘のマリーを長時間にわたって拘束器具に固定し、ダゲレオタイプの写真の被写体にしていた。ステファンの屋敷では、かつて首を吊って自殺した妻のドゥニーズも、娘と同じようにダゲレオタイプ写真の被写体となっていた過去があり、ステファンはドゥニーズの亡霊におびえていた。マリーに思いを寄せるジャンは、彼女が母親の二の舞になることを心配し、屋敷の外に連れ出そうとする。主人公ジャン役をタハール・ラヒム、マリー役をコンスタンス・ルソー、ステファン役をオリビエ・グルメがそれぞれ演じる。
2016年製作/131分/PG12/フランス・ベルギー・日本合作
原題:La femme de la plaque argentique
配給:ビターズ・エンド
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2016年10月31日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
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映像の世界に国境など存在しない。わかりきったはずのその言葉を改めてぐっと噛み締めた。とりわけ黒沢印ともいうべき窓辺のほのかな明かり、揺らぐカーテンの彼岸性はどうだ。あの映像を受けて全身の体毛が逆立ち背筋がぞぞっとくるような感触を、フランス人も同じく抱くものであってほしいと願うばかりだ。
本作の真価など、ダゲレオタイプの写真のごとく歴史が証明すればそれで良い。もちろん初の海外進出ゆえに課題も残ったはず。展開は回りくどく、役者陣の演技はもどかしい。転がる薬瓶。唐突な転落———。だが一方で、黒沢の残した確かな爪痕もたくさん見受けられた。何よりも時空と生死の境を貫く不可思議な映画装置を出現させることに成功しているし、あれほど歪な空気、暗闇に浮かぶ蒼を創出できる人は、世界中探してもそうそういない。異国の地で黒沢清パビリオンを体感したような感覚。ヒリヒリする幻をまるで白昼夢のごとく楽しんだ。
2016年10月26日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会
黒沢清監督にとって初の海外作品ながら、意外なほど地に足が着いている。「日本人がフランスで映画を撮る!」という気負いがないように感じられるし、予備知識なしで観たら外国人の監督が作った外国映画だと思うだろう。
テーマは監督得意の幽霊ものだが、フランス郊外の古い屋敷が雰囲気ぴったり。音楽も情感があってしっくりとなじむ。
俳優たちの演技は基本的に抑制が効いている。折に触れ強い感情が表出するが、人物の熱量が上がったようには見えない。まるで死者に体温を奪われたかのように。
愛と芸術の「分かちがたさ」と「相いれなさ」という矛盾を抱えた関係は切なく、映画づくりにも通じる。
黒沢監督の円熟を感じさせる一本だ。
2016年10月6日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:試写会
愛する者を長時間拘束し続けるサディスティックな撮影方法に固執するカメラマン、そして、それに関わった人々が、生死の狭間すらあやふやな空間を形作っている。その間、映画は日常と非日常が織りなす、時に突発的な恐怖を観客に与えつつ、やがて、愛が行き着く先にある、あまりにも物悲しい原野へと突き進んでいく。日常の中に潜む恐怖の本質を丹念に掘り起こす生真面目さ、そして、恐怖を異次元へ転化させる洗練された感性は、どちらも紛れもない日本人気質。だからこれは、資本や配役や言語に関係なく、黒沢清の個性と立ち位置が際立つ文字通りの"黒沢映画"なのだ。
恨めしや的和風怪談をお仏蘭西に持ち込むに黒沢清は最善の人選。
お化けかな?表現の連打。
ならば志村あ後ろ!後ろ!表現も欲しかった。
黒沢清臭濃度はCUREの1/5と薄め。
推せるが。
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