ハドソン川の奇跡のレビュー・感想・評価
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試写会にて。(席を立つときはしゃがみましょう)
イーストウッド監督。
もうすでに職人ですね。
全体の空気が、イーストウッド監督の映画らしさいっぱいの作品でした。
原題も「SULLY」なので
飛行機のお話しではなく
あくまで、サリー機長のお話。
いろいろと刺さるセリフもいっぱいあるのですが、その状況でいかにパニックにならずに冷静に物事に挑み、最善の選択をなるべく早く判断しなければならない。
ということを、二時間きっちりと描いてくれます。
今日、フードコートにてハンバーガーを食べてるときに大学生くらいのカップル。男の子が女の子に「な!すげーやろ!」を連発してましたが
サリー機長は、そんな事言いません。
むしろ、「私は、その時にやれる最善を尽くしただけで英雄ではない」と淡々とこなします。
しかし、155人の乗客全員が助かったという事を聞いた時の安堵の表情。
ここで、泣いてしまいました。
物凄く大きな責任を背負ってたということ。
そして、それを成し遂げた機長に感動しました…
しかし、事故調査委員会はそうはいきません
ホントは、ハドソン川に着水させなくても空港に引き返せたのではないのか?
まぁ、今でもいろいろと何かある度に
叩く人はいっぱいいます。
facebookでも陰謀論の好きな人が、毎日シェアしてます。
この、机上の空論と、現場の判断の差違を埋めるための調査委員会が裁判みたいな雰囲気です。
そこでも、議論が繰り返されます。
そして、疑惑が晴れた時の安堵感。
もう、涙なくしてはみれないですが…
前の席の女…
「えーー泣ける映画とか思わんかったぁ☆」(声でけぇよ!)
ありがとう!君のおかげで、なんだかほのぼの出来たよ♪
おかげで、余韻に浸れなかったけど
あと、席を立つときにしゃがんでほしい。
すっかり・・配慮のなくなってきてる観客にがっかりです。
とても良い映画です
トム・ハンクスさん、60歳 & クリント・イーストウッドさん、86歳
制作スタッフさんたちの、これまでのキャリアが凝縮された、もの凄く骨太のバイタリティーを味わうことができる、元気の湧き出てくる作品でした。
立場や職業の違いこそあれ、目の前の出来事に向かって、一瞬一瞬を一生懸命に生きている方々にスポット・ライトを当てて、その方々の姿を、心を込めて描き出す・・・・・、
間延びすることなく、丁寧に積み上げられた、ドキュメンタリーでした。
ちなみに、1980年代後半あたりから変わっていない、夜のマンハッタン区の時間の流れ方が、懐かしい印象で包み込んでくれて、最後まで、自分たちの記憶と照らし続けながら、鑑賞することができました。
是非、エンド・ロールまで、お楽しみください。
イーストウッド版『和風総本家』
さすがクリント・イーストウッド!
2009年にマンハッタン上空で起こった航空機事故で、両エンジンが止まって、近くのハドソン川に着水させ、全員無事に助かったというNEWSはなんとなーくしか覚えていませんでした
。
でもその後に英雄と言われた議長が無茶な判断をしたのでは?と殺人未遂の容疑にかけられていた事実は全く知りませんでした!
全員助かるんだと分かっているのに、映画に引き込まれて、自分も乗客の一人のような感覚になり、急降下してる機内でCAさんが「頭を下げて!姿勢は低く!」と何度も乗客に言っている場面では、緊張感と不安感がとんでもなく伝わってきて、涙が出そうになりました。
ハドソン川に無事着水した事は奇跡のような事だけど、機長からすると奇跡ではないんです。
やるべきことをやっただけなんです。
これすごくかっこいい!!って思ったけど、決断力っていうのは、その人のこれまでの経験や知識、そしてそこから生まれる自信からなるものなんだと改めて思った。
すばらしいのは機長だけでなく、常に冷静だった副機長もそうだし、救助にかけつけた人に、乗客に、関わった全ての人が最善を尽くした事の結果なのだと!
この映画のいいところは、この事件によって機長と副機長に生まれた絆。
乗客同士の絆。
家族の絆。
色んな絆を観せてくれた。
それから、機長が全員の避難を確認するために、沈みゆく機内を何度も行き来して最後に機外に出ていく所がすごく好きな場面でとても印象に残りました。
プロフェッショナル魂を描いた凡作
2009年1月15日、ニューヨーク・ラガーディア空港を離陸したエアバス機は、バードストライクに見舞われ、両のエンジンが停止してしまう。
高度不足のため、空港に引き返すのは無理と判断した機長のサリー(トム・ハンクス)は、ハドソン川に不時着水することを決意。
その判断により全乗員乗客の命を救うことができた。
しかし、事故調査委員会は空港に引き返す、または近隣空港への緊急着陸が可能であったはずと判断する・・・
というハナシで、実話の映画化。
映画は、事故後の調査員会直前、サリーが事故の夢、それも緊急着陸失敗して惨事を招く悪夢をみるところから始まる。
そして、事故調査委員会への審問となだれ込み、事故時の様子がなかなか描かれない。
この出だしは、上手い。
航空機の事故を扱った映画(パニック映画)だと、事故前の乗員乗客の人生模様が延々と描かれ、退屈したところで事故発生!となるのだけれど、そうしなかったは正解。
中盤で描かれる事故の様子は短い(事故発生から着水まで208秒)ながらも、イーストウッドは的確に描いており、緊迫感がある。
しかしながら、いかにも脚本が弱い。
事故調査委員会が、全員の命を救ったにもかかわらずサリーの行為を敵視する理由がほとんど描かれず、ただの間抜けにしかみえない。
また、クライマックスの公聴会でも、糾弾する側の論理が弱いので、サリーおよび副操縦士(アーロン・エッカート)が窮地に追い込まれたように、まるで見えない。
さらに、公聴会で機長室内の録音音声を披歴するシーンは、音声を聞く側の様子が全く映し出されない。
このシーンは、たしかに、前代未聞の航空機事故に陥った操縦室においても、冷静沈着な行動をとったサリー機長と副操縦士を称えるところであるが、映画的には彼らの行動は中盤で描かれているので、繰り返し描く必要はなかったように思う。
まぁ、英雄行動のプロフェッショナル魂を的確に描いた映画ではあるが、脚本の凡庸さはイーストウッドをもってしても補いきれなかった、といえよう。
命を預かる職業にかける誇りと責任感に感動
2016/09/09、日比谷セントラルビルのワーナー・ブラザーズ映画試写室で鑑賞。
ハドソン川に不時着した事故は映像のニュースとともにまだ記憶にあたらしいけど、その飛行機の機長のサリー機長が取った判断についての責任を問われていたことは知らなかった。
もちろん、起きてしまった事故に対する厳しい検証は必要だけど、NTSB(国家運輸安全委員会)の追求はサリー機長の判断がミスであると誘導したがっているとしか思えない陰湿なもので、よほど精神力が強くないと彼らに立ち向かえないだろうと言う内容の審問会でした。航空会社や保険会社の思惑が裏で糸を引いているのではと勘ぐられても仕方ないものでした。
そんなピンチに陥っているサリー機長をよそに街の人達はのんきで、サリー機長を英雄と讃え、陽気に賛辞の言葉を投げかけてきます。それがサリー機長の気持ちとは対照的で、英雄とはいえ孤独感を演出していました。
何度か記憶のフラッシュバックのように事故の時の映像が繰り返されるのですが、その時の緊迫感がスゴイ。プルアップ!プルアップと機械音声で警告を繰り返しされる様は日本航空123便墜落事故の音声を思い出しました。不時着した後、乗客が全員避難したのを確認して最後に機体から脱出するサリー機長。そして病院に運ばれ、検査を受けている時に155人の乗客全員が無事だと報告を受け、初めて安堵の表情を浮かべます。その責任感の強さに、うるっと泣いてしまった。
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