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序盤、母子の何気ない、日常のやり取りが始まる。子供は一つ一つのモノに名前を付けている。子供の5歳の誕生日で、ケーキにろうそくはない。何気ない会話だが、その空間はなぜかやたら薄暗く、カメラの、それぞれの被写体に対しての距離感がやたら息苦しい。
それは大変な効果をもたらしており、オレはこれらの絵だけで吐きそうになった。
仕方ないことだが、本作の序盤は、映画紹介として普通にネタバレされているが、この設定を知らなければ、このカメラに席から転げ落ちるほどびっくり感心したことだろう。
「ルーム」
時事的に、この設定をうっかりいつもの調子で語るには、問題あるので、ここでは最近のニュースのことは頭から外す。
いや、外したほうがいいかもしれない。
ただの母子成長映画として観ると、本作の、紹介文にあるように、「はじめまして【世界】」は、いい宣伝文句で、子供の「成長は親子だけではありえない」という一面と、「世界に出た時の厳しさ」を母親の、「脱出その後」を通して「世界」の役割をちょっと(かなり?)感傷的に描いている。
母親は、生まれてくる子供を守るため、育てるも、それは「自分のため」でもあるわけで、「実は【子供依存】の生活」から「世界」でもう一度自分を取り戻す。
主演のラーソン、こう言っては問題あるが、この映画ならではの、「顔」に見えることが本当に素晴らしい。納得の主演女優賞。
子供は、母親と離れ、祖母と、おじさんと、犬と友達とそして、アイドルのブロマイド?で世界の中で成長する。圧迫感を強調したクローズアップのカメラは世界に順応するにつれ、無くなっていく。
また本作の見所、というか、いつだろ、いつだろ、と目が離せないことに子供の髪がある。
ここでの髪を切る、と言う行為は、「世界の子供になること」「髪を切りたい」という自分の主張と祖母との関係が見えてきて、感動的。母にとっては、それは「髪自体にパワーが宿る」のではなく、「切られたこと」にその背景を感じとることができる「パワー」が宿ったことを意味する。
髪が長いことで、女の子にも見えてたジャックが、子供から「息子」に変わった瞬間、というにはまだまだ幼いが、その後の母親との会話やラストシーンにて、「男の子の成長」を感じさせるものにはなっている。
ここで再び母子の物語に回帰する。母は子供の成長をもって、失われた「世界」に再び生きることが出来る。
「母としての」成長。いや「失われた時間」を超えた、一人の人間としての成長。
追記
アマノジャクなおっさんとしては、ラストシーンは、もうそこまで必要ないかな。
(ここでは関係ないが、小二郎さんのアマノジャク評のバランス感覚は絶品だ)
追記2
最近、「ババドック」という母子の、シングルマザー応援映画を観たばかりで、そこでの子役のウザ超絶演技を魅せられていた。またその年頃の子供っていろんな意味で
「可能性」すげえな。