ボーダーライン(2015) : 映画評論・批評
2016年4月5日更新
2016年4月9日より角川シネマ有楽町ほかにてロードショー
スリルを持続させる演出力と撮影が描き出す、正義なき麻薬戦争の地獄
メキシコの麻薬戦争は、司法や正義の無力に嘆かわしさを覚える問題のひとつだ。特に麻薬ビジネスのために縄張りを争い、殺人を常態化させたカルテル(麻薬組織)の存在は、それを実感させるに充分といえる。我々は報道を通じて連中が作り出す「見せしめのための死」に度々げんなりさせられ、そのおぞましい所業は「ブレイキング・バッド」(08~13)や「悪の法則」(13、監督/リドリー・スコット)など、近年テレビドラマや映画でもシニカルに、そして恐怖感たっぷりに描かれている。
本作も、そんなカルテルとアメリカ合衆国DHS(国土安全保障省)との壮絶な戦いがテーマだ。エミリー・ブラント演じるFBI捜査官のケイトは、重罪者を討伐してきた優秀さを買われ、カルテルの根を断つための特別編成部隊に参加する。だが最前線となるメキシコの都市フアレスでは、想像を絶する地獄が彼女を待っていた。周りには首なし死体が放置され、死が日常に満ちた状況下、ケイトもまた銃撃の脅威と接し、買収された地元警官によって身の危険にさらされる。
モラリストである女性捜査官の目に映るのは、凶悪には凶悪の姿勢で対峙するしかない、腐食しきった犯罪現場だ。そんな負のスパイラルに迷い、ケイトは自らの正義の出口を模索する。しかし、毒をもって毒を制するDHSのカルテル打倒策が、彼女をさらなる絶望の深淵へと引きずり込んでいく。
我が子を誘拐された父親の復讐劇「プリズナーズ」(13)で、正義の有りように一石を投じた監督ドゥニ・ヴィルヌーヴ。今回も法を犯してでも悪害を駆逐しようとする、ジレンマのドラマに着手している。だが「プリズナーズ」がじっくりと謎解きサスペンスの手順を踏んだ作品であったのに対し、「ボーダーライン」は冒頭からただならぬ緊張感と、死と隣り合わせの恐怖を画面に充満させ、観る者をケイトと同化させる。そしてあたかも、自分が紛争の渦中に置かれたかのような錯覚を感じさせるのだ。
撮影は「ノーカントリー」(07)や「007 スカイフォール」(12)など、世界がその視覚スタイルを賞賛してやまない名匠ロジャー・ディーキンス。乾いたカラーを基調に、サーモグラフィや暗視ゴーグルごしの映像など、状況に応じたカメラワークを駆使してリアリティを追求する。スリルを持続させる演出力と流麗な撮影がおりなす、圧倒的な臨場感。いま現在、ヴィルヌーヴとディーキンスはあのSF映画の名作「ブレードランナー」(82)の続編に取り組んでいる。「ボーダーライン」は、この二人がレプリカントと人類との戦いを再構築する前の腕試し……といえば言葉は乱暴だが、新「ブレラン」への期待をいやがうえにも高めてくれるのだ。
(尾﨑一男)
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