わたしに会うまでの1600キロ : 映画評論・批評
2015年8月25日更新
2015年8月28日よりTOHOシネマズシャンテほかにてロードショー
大自然をゆく旅路であらゆる飾りを脱ぎ捨てた女優の新たな境地
これまで見たことのないリース・ウィザースプーンがそこに存在した。「キューティ・ブロンド」(01)や「ウォーク・ザ・ライン」(06)とも全く違う、まさに飾りを削ぎ落とした剥き出しの魂。大事な靴を「ざけんな!」と全力で谷底へ投げ捨てる豪快さと、胸の痛みに身体を震わせる繊細さとが観客の心を揺さぶってやまないのだ。「ダラス・バイヤーズクラブ」(13)のジャン=マルク・バレによる演出はまたしても、俳優が己の安全圏から果敢に飛び出す勇気と力を与えた。
誰にでもボロボロになった自分を奮い立たせたい時がある。主人公シェリルも自分を変えたい、変わりたいと願う一人。そのために自らに課した試練は、アメリカ西海岸に伸びる過酷な山道と砂漠の踏破だった。山歩きの経験も知識もないシェリル。大自然の厳しさと記憶のフラッシュバックが心身を摩耗させる。だが、自らの足で歩んだ距離はそのまま心の移動距離となり、いつしか彼女を逞しく成長させていく――。
詰め込み過ぎて身動きが取れないほどのリュック。サイズの合わないまま歩き続けた靴。それらは全て人生のメタファーでもある。思いきって中身を捨て、靴を履き替えることでその歩み、生き方が変わっていく。ワイルドに。あるがままに。そんな感情のダイナミズムを時に赤裸々に、時に荘厳に描き込み、なおかつ炎天下の水分補給のごとく決してユーモアを枯渇させない。そのあたり、原作そのものが持つ気概と、脚色を手掛けたニック・ホーンビィ(「アバウト・ア・ボーイ」「ハイ・フィデリティ」)の絶妙な語り口が効いている。
そして観客は母親役ローラ・ダーンにも心を奪われてやまないだろう。回想シーンで屈託なく笑う彼女のなんと神々しいことか。傷つきながらも愛情いっぱいに子供を育て、心の自由さを失わないその姿はある意味、本作の精神的支柱でさえある。それは母から娘へと受け継がれる眩い光。リースとローラが揃ってアカデミー賞候補入りしたのも頷ける。それぞれの辿り着いた深みと温もりに満ちた境地は今後の俳優人生を大きく変えていくはずだ。二人にとっても、そして私たちにとっても忘れがたい名作がここに誕生した。
(牛津厚信)