彼は秘密の女ともだちのレビュー・感想・評価
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ロマン・デュリスのスタイル
ストーリーは、おしつけがすごい。
理解するまでに時間を要するのに、どんどん進むストーリーについていけたひとだけが楽しめる作品。
ロマン・デュリスの女装のスタイルがすばらしかった。とにかく、細くて細くて。
ラストも、ほへ?となったが
まぁ、いいじゃないかと。
オゾンが素直に女を愛でた、新たな一作。
幼いころからの親友同士の女2人の内、一方が病に伏せ他界した後、亡き女友達の夫の女装癖を知り、女装した彼との間に不思議な友情、そして不思議な浮気が発生していく。うん。これはフランス映画でないと成り立たないし、なんなら、フランソワ・オゾンでなければ描けない話のような気がする。
この映画で一番うれしいのは、女装癖を持つ男性をロマン・デュリスが演じたことだ。細い足と薄い体こそ、女装向きであるものの、しっかりとした顎や濃い髭などはまったく女性的ではない。最初に女装姿を見せる瞬間の衝撃たるや。しかし、それがいいのだと思う。映画で「女装」や「同性愛」を描く際、女装して美しく見える男優を起用するのが決まりのようになっている。しかし、世間一般にいる女装家たちが皆美しいとは限らない。むしろそうでない人の方が多いはずだ。そう考えたとき、この映画で女装をするのがラファエル・ペルソナではなくロマン・デュリスだったことが実に心強い。
原題は「Une nouvelle amie」。「amie」には「女友達」のニュアンスと「(女の)恋人」というニュアンスの両方がある。ちょうど「ガールフレンド」という言葉が一番近い感覚かもしれない。親友を失った後で生まれた新しいガールフレンドの異様さと奇妙さと気高さ。二人とも同じ大切な人を失った者同士で、女装の中に亡きローラを求める一人と、女装するダヴィッドの中にローラを見つける一人として、理解し合える部分があるのは分かる気がするし、分かるような気にさせる映画になってくれている。そして、セクシャリティやジェンダーの境界線を軽やかに超えて、しかも自由にステップを踏みながら行き来するようにして、二人が次第に距離を縮め壁を取り除いていく様に、不思議な魔力を感じる。もともとローラとヒロインのクレールの間の友情も、どこか同性愛的なムードが漂っていた。そしてクレールが女装したダヴィッドと情事をするその途中で「あなたが男だから」その先が出来ないと逃げ出してしまう・・・。なんだか耽美の国の物語のよう。
フランソワ・オゾンと言えば、女の醜悪さを見出してはそれを愛でるような(いい意味で)悪趣味な映画が多かった印象だが、この映画に関しては非常に素直に、女として生きることを謳歌する楽しさと美しさを称えているように見える。女として生き、女として着飾り、女として女と友情を持ち、女として女を愛する、そんな悦びが、生まれたときから女であるクレールと、妻の死後女装に再び目覚めたダヴィッドの双方から感じられる。ヒロインの夫ジルからしたら、たまったもんじゃないだろうけど。
誰のための人生?
主人公を演じる(アナイス・ドゥムースティエ)女優さんが、すごく可愛いです。
本当に可愛い、あと衣装が全部オシャレだったのも観ていて楽しかった。(おセンス抜群ファッション。)
あとやっぱり、赤ちゃん可愛い(*^^*)不穏な場面でも、赤ちゃんが映るだけで明るくなるもの。
(LGBT)をテーマにした映画を幾つか観てきましたが、本作が最も重くなくて観易かった印象。
それもこれもきっと、ヴィルジニアが心底女装を楽しんでたのが良かった。
あの喜びに満ちた笑顔を見たら、もう人の目なんて気にしてる時間なんて、ムダだと思う。(ただ独りになった時の落ち具合が、心配だった…当事者にしか分からない、悩みがあるのかな。)
誰にも迷惑掛けてるわけでも無いんだし、みんな自分の人生を一人一人、好き勝手に生きて良いと思う。
自分のための人生なんだから。
それにダヴィッドは、自分の娘(リュシー)の面倒も嬉しそうにみていたし、良い父・母親だと思う。
ダヴィッド(ヴィルジニア)は女性が好きで、女装も好き。と言う、(LGBT)の中なら、トランスジェンダーなのかな?(違ってたら、ごめんなさい。)
(LGBT)の一つにしても、一括りには出来ない程、様々な種類の方々がいらっしゃるんだと、勉強になりました。
終わり方も良かった。
友情とは何らかの障壁によって恋愛にならなかった関係のこと。その障壁...
友情とは何らかの障壁によって恋愛にならなかった関係のこと。その障壁さえ乗り越えれば恋愛になりうる。そうでないものを友情とは呼ばない。
という言葉を思い出した。
大好き
友達として好き、異性として好き、理解者として好き、秘密を話せるから好き。
人に対しての好きな感情、好きな理由はもっともっとあっていい。
大好きだった親友が死に、大好きだった妻が死んで、その想いを共有できて、自分のアイデンティティーを共有できて。そして、大好きだった親友に妻を見て、大好きだった親友の夫に親友を重ねる。
色々な人が色々な理由で、血が繋がらなくても、どんな格好をしたとしても、誰を好きになっても、自分を偽らずに生きていける。それは、沢山ある大好きな感情と同じで、沢山ある私達の生き方。
ラストでそんな楽園を観ることができて、私も幸せです。
どう捉えるべきなのか?
フランス映画鑑賞は初です。フランス映画は長くて飽きるとよく聞くので不安でしたが、全くそんなことは無く楽しめました。
ダヴィッド役の俳優さんが凄いです。歩き方や仕草がまさに女性そのもの!美脚だし(笑)
メイクやファッションもおしゃれで、さすがフランスだな〜って感じました。映像も音楽も美しかったです。
女装癖がある男性との単なるラブストーリーかと思ってましたが、実に奥が深い。セクシャルマイノリティについて、心と身体について、、、うーん私には難しかったです。
ただ、ヴィルジニアがどんどん女らしくなっていくのがすごく面白かったです。ウィッグ無し+ランジェリー姿は結構キツかったです(笑)
最後は、、、旦那はどうなったんでしょう?そこが少しモヤモヤ。旦那の存在をもう少し大きくしても良かったんじゃないかな~と思います。
フランス映画初心者の私には当たりでした。
3.4
なんとなくモヤモヤが残る映画だった。難しい題材で現代にあったテーマであるために、考えさせられることもあった。
しかしこの映画は少し特殊だと思う。同性愛というより、一個人としての個性や感情、つまりは人間の本質を問う映画ではなかったのかなあ、と思った。一人ひとりに個性があって、誰もそれを干渉してはならない。でもそれが害を有した場合、規制を認めていいのか。そんなことを伝えたかったんじゃないのか。
映画のテーマはこんなことじゃなかったかも知れないけど、最近こういったことで考えたことがあったので、見ていて関連づけてしまった。モヤモヤが残ったのはこのせい。
映像はとてもすきだった。フランス映画は何もかもが綺麗。「サンドラの週末」でもそうだが、服とかだけじゃなくて、家具や町並みなど、映画全体色彩とか雰囲気がとても美しかった。フランスに住んでフランス語とか話せたらいいなあ、と思った。
音楽もセンスも終始よかった。
終盤で飽きる
子供と夫を残して死んだ親友との約束は、
その二人の面倒をみるということ。
しかし、その親友の旦那は女装癖があった…。
女なのか男なのかわからない彼と、不思議な関係に落ちていく…という話なのですが。
途中までは、女装したい彼に付き合って買い物に行ったり、目的がはっきりしている。
でも、側から見たら親友の旦那と買い物に行くのであって、そこを自分の旦那に言えないってことは、そういうこと…なんだろうなと。
暴走する二人は亡くなった親友の別荘に泊りがけでデート。
ここまできたら浮気です。
主人公は親友の旦那とセックスしかける夢まで見る。
完全に心も彼の虜です。
本人は認めないけど。
そして燃え上がった二人はホテルでことに及ぼうとするんですが、彼のモノに気づいた主人公は「あなたは男よ…!」といって飛び出て行ってしまいます。
そしてそれを追いかける彼が事故にあって意識不明の重体。
このあたりの陳腐な設定でがっくし。
そして、病院のベッドに眠る彼を女装させてメイクさせて、彼女がつけた女装の時の名前を呼ぶと目をさます、という。
主人公の中で、彼が男と女どっちに落ち着いたのかがわからないまま、エンディングへ。
終盤の流れに飽きてしまいました。
オゾンには
逆らえない。公開されると無条件で観てしまう。
中でも本作は上位に入る好きな作品でした。
まず、邦題なんとかしてくれ…あとゆるふわなポスターも。勘違いして観に来ちゃった人が気まずいだろ!
改めて自分が腐れノン気だという事を確信しました。一番興奮したのテニスの後のシャワーの男×男の絡み、ジルのお尻〜♡←いらない情報
セクシャリティの曖昧さを丁寧に描いている良作←取って付けたように
なかなか興味深い話
おもしろい話でした。女装趣味なんてさして問題を感じませんが、同性愛のほうがカミングアウトしやすいものなのかと驚いた。しかし何の説明もせずに夫に嘘ついて男と泊まり旅行って時点で終わってるなあ。この映画は、女性の感想に興味がある。
親友が赤ちゃんを残して死んでしまい、面倒を見ると約束した旦那さんと...
親友が赤ちゃんを残して死んでしまい、面倒を見ると約束した旦那さんと赤ちゃんに会いに行くと実は旦那さんには女装癖が!でもその旦那さんの力になろうと一緒にショッピングしたりしてると、一緒にいるのが親友の夫なんだか女友達なんだか、彼も恋愛対象は異性なので、秘密を理解する彼女に惹かれてしまい、告白されて、あー頭の中ゴチャゴチャ!でも気づくとこれまでとは違う自分がいる…というコメディです。
全体的にはコメディでも、そこはフランス映画、セクシーなシーンも多いです。
実に醜悪
妻を失った男が女装癖を甦らせる。そして亡き妻の親友である女性との間に友情とも愛情ともつかぬ感情を抱く。
ロマン・デュリスの女装した姿が醜悪だと言いたいのではない。
かと言って美しいとも思わないが。
ゲイ、女装する男、女装癖を持つ男があこがれる女性のスタイル。これらのセクシャリティの描き方があまりにもステレオタイプなのだ。観ていて息が詰まりそうなほどに。ゲイが夜の道端に立って客を誘うシーン、バーで寄り添うカップルへの視線など、ゲイのアプローチってこんなもんだろうと言わんばかりの描写が続く。
フランソワ・オゾン自身が同性愛者であると公言しているくらいだから、そこにゲイへの蔑視があるとは思いたくない。しかし、これはどうやら、ゲイであることと、セクシャリティの多様性に自覚的なこととは別のことらしいことが伺える。
この映画は、セックスとは男と女である。男とは。女らしさとは。云々というセックス観の固定化と同様に、ゲイとはこうである。ゲイらしさとは。というゲイに関しての固定観念を増幅させているに過ぎない。
だから、女装癖を持ちながらも同性愛者であることを否定する主人公に幸せをつかませることが出来ないはずなのだ。事故で意識不明となり、そこから回復した主人公のとってつけたようなエピローグは、この物語が結局彼の幸福を認めていないことを示唆している。本来は植物状態のままで主人公の人生は終わっているのだろう。
現在、日本で公開されるフランス映画は減っている。その中で、毎年確実に公開されるフランスの映画作家はフランソワ・オゾンただ一人と言ってもよい事態が辛い。
フランスの美しさ
この映画にはフランス的美学が凝縮されていたように感じる。
その中でも、光の捉え方に注目した。
森の中の木漏れ日、冬の切なさや寂しさを感じさせるどこか頼りない日差し、まるでモネの作品をみているかのような気分でした。ショッピングモールなどどこかフランスらしくない面が強調されていたように捉えがちですか、フランスに残る神聖な空気も感じることができた作品でした。
夫の立場は?
正直、最後は釈然としなかった。
性については、ボーダーレスになってきているものの、これは、また違った形なのかも知れない。
どうするんだろう…と心配しながら観ましたが、最後は、きちんと説明(描写)してはいなかったけど、主人公の旦那にはハッピーエンドではなかったと思う。
それって、どうなの?ちと考えさせられました。
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