幕が上がるのレビュー・感想・評価
全236件中、201~220件目を表示
ももクロ×本広×オリザ=王道アイドル青春映画
イケメンとの恋愛やスリリングな展開はなく
演劇部の彼女たちの心の模様や成長過程を丁寧に描写しています。
大きくグサっとささることはないけど映画全編とおしてジワジワさざなみのように心を震わされ、見終わると心地よい感動が残り、もう1度みたくなります。
そういった点で昨今のアイドルがキャピキャピしてるだけの映画とは異なり、昔のような良い作品のアイドル映画復興をめざす本広監督の思いがつまっています。
彼女たちと同世代には勇気や元気を与え、過去青春を過ごした親世代には懐かしさやセンチメンタルな気持ちを与えてくれます。
ファン向けの小ネタが随所に仕込んであるので、ももクロファンじゃない方が映画に集中しじっくり味わえます。。
涙の河
ももクロ好きの友人と見てきましたが、30過ぎのオッサン2人が周囲をはばからず号泣するという、かなりアウトな事態になってしまいました。
彼女たちを知っている人ならば、涙なしでは見られないと思います。
それくらい、メンバーと役の女子高生とがシンクロする部分が多かった。
後から加入するメンバーに複雑な思いを抱くしおりんとか、一人冷めた感じで距離を置こうとする有安とか、リーダー(部長)を引き受けてから苦悩する夏菜子とか。
そして、重要な局面での精神的支柱の戦線離脱と、そこからのメンバーたちの決意。
製作陣は原作の設定を変え、役を彼女たちに近づけたことで、ドキュメンタリー的なリアルさを出すことに成功したと思います。
ほかのグループでも、たとえ名優とされる女優でも、彼女たちのようにはこの役を演じられなかったはず。
彼女たちが歩んできたドラマがあるからこそ、それが換骨奪胎され、もう一つの感動的な物語が産み出された、奇跡のようなフィルムだと感じました。
まあ、当て書きだから、当たり前と言えば当たり前なんですが、それでもやはり自分はこれを奇跡と呼びたい。
どこまでもファン目線の意見ですみません。
自分にはとても客観的な視点で見られない映画でした。
ももクロに興味のない人がこの映画をどこまで楽しめるか、よく分かりません。
でも、自分が受けた感動は、ももクロを知ることで誰でも追体験が可能だということは請け合います。
この純粋青春映画を見よ!
いやあ、いいものを観ました。こんな青春映画がありうるんですね。
青春というものは、色んな要素でできている。恋とか、家族との軋轢とか、コンプレックスとか、友達とのすれ違いとか。そして青春映画はそれらをさまざまなバランスで織り交ぜ、その一つ一つをどのくらい丁寧に描き出すか、それらをどうまとめ上げていくのかという点でその独自性を主張する、おおまかにはこう言えるのではないでしょうか。
でも『幕が上がる』のアプローチは違っていた。この作品では、通常青春に付属するあれやこれやがすべて削ぎ落とされている。恋愛要素はなく、家族はみんな優しく、友達とも仲良く、富士山が見える田舎の風景は徹底してのどかだ。ではそこで青春に残されるのは何か。それは、「自分は何者なのか、そしてこれから何者になっていくのか」というその一点だ。作品全体が、この一点をめぐって展開される。
映画の舞台は高校の弱小演劇部。先輩が引退して残された部員たちは、なんのために演劇をやっているのかを見いだせないでいる。そこに現われるのが、黒木華演じる元学生演劇の女王だという新人教師。ネタバレになるので詳細は書きませんが、彼女が見せる演劇の迫力が部員たちに火を付ける。「自分たちはこれをやるんだ!」と行き先を見いだした少女たちが走り出す瞬間、ああ、胸が熱くなる。
この作品の特徴の一つは、演劇を題材としているという点。このことから必然的に、「言葉」というものが前景化することになる。シンクロ、吹奏楽、バンド、書道、どれも語るのは身体だ。でも演劇の場合、もちろん身体も重要なのだけど、それ以上に「言葉」がものを言う。作中で参照される宮沢賢治の作品をよりどころとして、部員たち、とくに演出を担当する演劇部部長のさおりは、青春に正面から立ち向かっていくための「言葉」を探り出していく。そしてそこで見いだされる言葉が深い!青春が本気を出すと、熱いだけでなくとてつもなく深遠なのだ!
青春にまつわる夾雑物がすべて削ぎ落とされる。これほどまでに純粋な青春映画がこれまであっただろうか。まさに一点突破、青春が青春たるその核心だけに狙いが付けられ、少女たちがそこを突き抜けていく。この爽快感は一体なんだ。そして喪失感。とうに失った青春をいまさらながら憧れる、この胸にくすぶる熱量をどうしてくれよう。なにより主演を務めるアイドルグループのももいろクローバーZ。この純粋青春映画はアイドルだから可能になったのだろうか。エンディングロールでキュンと締め付けられた心臓は、いまだに微熱を保っている。
黒木以外の脇を固める俳優陣もいい。ムロツヨシが醸し出すオフビートな笑いは映画に絶妙な間合いをもたらしているし、志賀廣太郎の口から流れ出す宮沢賢治の魔法の言葉は作品を奥行きをぐっと深めている。それにトラックに乗っていたあのガタイのいいおっさんは天龍じゃないか(あの滑舌の悪さは映画史に残るだろう・・・)。
いやあ事件です、いますぐ劇場に走って下さい。間違いなく、あなたの何かの幕が上がることでしょう。
破壊的に清々しい
事前に原作を読んでいた僕は、作品の終わりをどう括るのか、そのことが最大の気がかりでした。終わりよければ概ねはよしとする僕の映画の哲学。20日のさぬき映画祭LVでやっと鑑賞。その気懸りは粉みじんになるほどの、心地よい清々しい終わり方でした。
この作品全体にいえることですが、嫋々としたもの・過剰なものを取り払ったまっすぐな物語の展開、でも単純ではない、ここにすべての魅力の伝播する源泉があります。そして全編を蔽う「銀河鉄道の夜」の哲学。切なくもあり、美しくもあるー。一人だけど一人ではない!!1度ではもったいないくらいの魅力の詰まった映画でした。勿論、僕はまた行きますが。
ももクロ以外の演劇部の女優達も魅力的でした。忘れず付け加えておかなくては、です。
これは余談ですが、さおりと中西さんが話し込む駅のホームのシーン、その駅名、意味ありげですよね!?
清々しく温かさの残る映画です
試写で見ました。見る前は俳優経験の少ないももクロのメンバーの演技がどんな感じか少し不安もありました。ももクロファンなので多少贔屓目に見ている部分があるかもしれませんが、彼女達の演技は予想以上に自然で素晴らしかったです。鑑賞中所々で笑ったり涙したりしながらも中だるみせずに2時間があっという間でした。ももクロをよく知らないけど…、アイドル映画はちょっと…という方々が見ても楽しめる映画に仕上がっていると思います。
最高級のアイドル映画
初めに、この映画はももクロファンのためだけに作られたものではありません。ももクロを知らない方が観て邪魔になるような表現はありません。また、彼女たちがどれ程真剣にこの作品に取り組んだかはこのレビューの趣旨から逸れるので止めますが、クオリティーにも反映されていると思います。
それを断った上で、私はこの映画を「最高級のアイドル映画」と形容します。つまり「単にアイドル人気を売りにする」という意味ではなく、「演者の魅力を最大限に引き出している」という意味でアイドル映画という言葉を使いました。青春期の少女たちの輝きがテーマなので、「最高級」というのは単に映画としての評価でもあります。
この映画にはももクロの魅力が沢山詰まっています。今まさに青春期を駆け抜けて大人に変わっていこうとする彼女たちの刹那的な輝きを、真正面から、大事に、大事に形にしてあるのです。映像への繊細なこだわりや計算された脚本など、映画という手法でしか形にできなかった美しさだと思います。胸を打つ場面はいくつもありますが、いずれも「ここで泣いて下さいね」という押し付けがましさはなく、自然に、誠実に描いてあるのが良かったと思います。
今までももクロに興味を惹かれていなかった方も、この映画を観れば、なぜ彼女たちが熱烈な人気を得ているのか分かるでしょうし、好きになってしまうのではないでしょうか。私はどうにもこうにも、ももクロファンなので、大分ファン目線の意見になってしまったかもしれませんが、老若男女問わず楽しめる映画であることは間違い無いと思います。
観ようかどうか迷っている方は、騙されたと思って、是非映画館に足を運んで頂きたいと、強く願います。
幕が上がる(ももクロver)
この作品はももクロの為にアレンジされた作品。
原作の雰囲気を生かしながらもキーとなる部分(特にわび助&中西さん)に手を加えている作品。
原作ファンの皆さんには異論があるかもしれませんが間違いなく良い作品。
アイドル映画と言うジャンルで括るのはもったいないTHE青春映画。
モモノフが言うと説得力が無いでしょうが、ももクロファン以外の方々にみてもらいたい作品。
彼女らはやりまっせ、びっくりするぐらい作品に溶け込んでいます。アイドルだってやるときゃやります。特に黄紫がお勧めです。(自分緑押しですが)
ももクロなんてと言う方は黒木さんを見に行くだけでも得した気分になる作品
青春の輝きは、小さな現実の積み重ねにある
原作で、台本を書いている高橋さおり(さおり)に吉岡先生は言う。
「この小さな街に生きている高校生たちの、日常が立ち現れてくるといいんだけど」
また、東京合宿で劇団の舞台を観たさおりは、次のように考える。
「繰り返し繰り返し、色々な思い出のシーンを綴ることで、中学生のなんだか切ない感じが伝わってきた」
「一生懸命とも違う、正確に再現する。何をだろう。何かを再現している。これが吉岡先生が言っていた「立ち現れる」って感じ?」
この映画は、小さな街に生きている高校生たちの日常が立ち現れるように撮られたものである。では、『高校生たちの日常』とは何だろう?
さおりの母親は言う。
「やりたいことがあってくれれば、それでいいのよ、だいたいの親は」
自由だ。自由過ぎる。宇宙空間のように端が見えない。
若者は、どこにでも行ける切符を持っているというが、発車時刻までそんなに猶予はない。どこにでも行けるけど、どこに行くのか決められないんだ。困ったな。
進路は決まったかって?GPSも地図も路線図も方位磁石すら手元にないのに、どうやって進路を決めればいいのか分からないよ。
それなのに、大人達は、青春なんてそんなもんだから、とりあえず君の自由にやってみればいいと笑って済まそうとする。
僕たちはみんな不安なんだ。みんなそれぞれ、ばらばらの不安を抱えている。それを『青春』でひとまとめかよ。
(とまあ、これは、原作にも映画にも出てこない。私が高校生になったつもりで毒づいてみただけ。)
ここで、ちょこっと映画の話に移る。
中西悦子(中西さん)は、演劇強豪校から来た季節外れの転校生だ。
演劇への情熱は人一倍強い彼女だし、演技力だってあるが、それだけに、自分の持つ短所のせいで部へ負担をかけたくないと演劇部を止めて転校してきたのだ。彼女は、自らの意志で一人になった。
カンパネルラ「僕たちはいつも一緒だけど、でも僕たちは離ればなれだ。宇宙が膨らんでいくように、僕たちの間も広がっているんだ」
駅のシーン。さおりは、中西さんに、あなたは一人じゃない、今は二人だと言った。中西さんは、カンパネルラだ。となると、ジョバンニはさおりか?いいや、もっと適役がいた。
橋爪裕子(ユッコ)は、演技の才能はあるものの、さおりといっしょに演劇をやっていることで満足している。最近、作演に専念したさおりが台本を書き上げ、演出の腕も上達していくのを見て、置いて行かれていくような焦りを感じている。
東京合宿で演劇部OGが参加する舞台を観たときの彼女は、何か思いつめたかのように浮かない顔をしていた。OGと談笑している部員をよそに、彼女だけは笑顔ではなかった。新宿の夜景を観たとき、たまらず彼女は落涙する。彼女の中の何かが弾けたのだ。
(いつまでもさおりといっしょに演劇をできるわけではない。いつか、ばらばらになるときが来る。そのとき、一人になった私は、どこで何をすればいい?)
ジョバンニ「どこまでも、どこまでも一緒に行きたかった。でも、一緒に行けないことは、僕も知っていたよ。カンパネルラ、僕には、まだ、本当の幸せが何か分からない」
これは、まさに、ユッコが言うべき台詞だろう。強豪校の実力を持つ中西さんに嫉妬し、力を付けてきたさおりに嫉妬していたユッコが、自分にとっての幸せを見つめ直す。
となると、さおりは……ああ、クルミだ!
離ればなれになったように見えるジョバンニとカンパネルラを繋ぐものがクルミだとしたら、卒業後、それぞれの道を進む演劇部員を繋ぐのが、さおりの書く台本、さおりの演出、そして、いつか設立するだろう、さおりの劇団なのだ。
話を戻して。
原作で、さおりは言う(映画でも同様のことを言うが、全文覚えていない。)
「私にとっては、この一年、演劇をやってきて、とにかくいい芝居を創るために悩んだり、苦しんだり、友だちと泣いたり笑ったり喜んだりしたことの方が、よっぽど、よっぽど現実だ。この舞台の方が現実だ」
「私たちは、どこまでも、どこまでも行けるけど、宇宙の端にはたどり着けない」
「どこまでも行けるから、だから私たちは不安なんだ。その不安だけが現実だ。誰か、他人が作ったちっぽけな「現実」なんて、私たちの現実じゃない」
このレビューの冒頭で、私は『高校生たちの日常』とは何だろう?と自問した。
答えは、さおりの発言の中にあった。高校生たちの日常とは、不安であり、悩みであり、苦しみであり、泣いたり笑ったり喜んだりすることなのだ。そして、その小さな現実の積み重ねを、愚直なまでに繰り返し繰り返し描くことが、『立ち現れる』ということなのだ。
ばらばらなものを一括りにして『青春』と呼んで済ませているわけではない。『青春』とは結末のことではなく、小さな現実の積み重ねなのだ。だから、ばらばらだからこそ『青春』なのだ。
この映画は、地味な映画である。高校生の日常なんて、そんなに派手な出来事ばかりが続くわけがないのだから、当然だ。あまりにも地味なので、監督が遊びに走ったシーンがあるくらいだ(やや浮いているシーンだが、まあ、人間テンパれば、あのくらいの悪夢を見ることがあるかも知れない。夢なんだから、浮いてるくらいで丁度いいんだろう。)
でも、地味だからこそ、この映画は、高校生の日常が立ち現れている。小さな現実のひとつひとつが、きらきら輝く宝物として丁寧に描かれているからこそ、高校時代を過ごした私達の記憶を鮮やかに呼び起こす。
この映画は、大会の結果を描いていない。それは、青春の本質を描くに当たって重要なのは、小さな現実の積み重ねで日常を描くことにあり、結果は重要ではないという監督及び脚本家の判断なのだろう。
実際、大会の結果を描くということは、必然的に、ひとつの時代が終わる瞬間(この映画の場合、4人の3年生が引退する瞬間)を描くことに他ならない。それよりも、演劇部の部員達が最高に輝く瞬間、幕が上がる瞬間で映像を終わらせる方を選んだのである。
実は、彼女達は劇中劇『銀河鉄道の夜』を丸々演じることができるのだが、あえて映画で映していないのには、舞台化が決まっていることが関係しているかも知れない。
舞台の雰囲気は、舞台でしか伝わらないということだろうか。だとすれば、それだけ、完成度が高いことの裏返しであるようにも思える。
幕が上がった直後、やや唐突に、主演を務めたももいろクローバーZの歌とダンスが始まる。
これは、この映画は、あくまでも『アイドル映画』であるという監督のこだわりであり、アイドル映画の復興を祈る監督からのメッセージだろう。良質な青春映画という評価が大きくなり、アイドル映画という評価が小さくなってしまうのは、監督の本望ではないのだ。
監督は、彼女達と競演した際に、彼女達が放つきらきら感が、この原作が持つきらきら感に通じると感じて、この映像を撮ったのだろうか。歌い、踊っているのは、明らかにももいろクローバーZなのだが、制服姿の効果もあって、映画キャストの4人がミュージカル仕立ての演劇でもしているような不思議な錯覚が起こる。
さて、アイドル映画といえばアイドルの存在というやっかいな問題がある。
普通、アイドルはテレビを通した姿と映画の姿では違って見えるものである。片やアイドルを演じ、片や映画のキャストを演じるのであるから当然だ。そうでなくとも、表と裏の姿は見え隠れするものである。だから、表のイメージを壊したくないからと、アイドル事務所側から、いろいろ注文が入ることも少なくないらしい。
ところが、この映画では、その手の違和感が全くない。演技が自然だ。なぜだろうか。もちろん、平田オリザのワークショップを体験した効果は大きい。でも、それだけではなく、彼女達グループの成り立ちや歩みが関係していると思われる。
ももいろクローバーZは、鳴り物入りでデビューしたアイドルグループではない。むしろ、メンバー達はアイドル志望でもなく、女優の育成プログラムの一つだろうくらいにか思っていなかったくらいである。
彼女達もまた、何をするとも、どこに向かうとも知れない不安を抱いたまま、路上ライブから始まり、ETC休日1,000円を利用した車内泊しながらの全国ライブ等、小さな現実をひとつひとつ積み重ねていったのである。そして、彼女達は、その積み重ねの過程を、舞台裏も隠すことなく見せてきた。
ももいろクローバーZの最大といっても過言ではない特徴として、共演者による彼女達への評価が「裏表が全くない」ということが挙げられる。そもそも、裏表を作る意味がない環境で活動をしてきたからなのだろうか。そんな彼女達だからこそ、アイドルというファンタジーに属していながら、日常的な女子高生として映画に姿を現しても違和感がないリアルさを持ち合わせているのである。
地味に、高校生の小さな現実の積み重ねを撮っていく映画では、リアルさを出してもアイドルとして違和感がないももいろクローバーZは最適だったといえるだろう。
今、ここを見つけた者の強さ。
もう少し頭が良かったら。もう少し容姿が良かったら。もう少しお金があったら。あのとき、違う選択をしてたら・・・。
この情報社会に生きる中で、いつの間にか誰しもが「ここではないどこか」に生きてしまっていて、自分がどこにいるかわからなくなるときがあると思う。
でも、自分が生きられる場所はひとつ、今、ここ、自分しかない。
この映画にはこの葛藤と気づきのプロセスがあるように思いました。そして、それはそれを知ってる彼女たちだからこそ、完全にハマり役だった・・・!
ライブの世界、演劇の世界。
彼女たちが映画のPRで全国行脚をするのも、この映画の一部ですね。
そして、映画館に現実に足を運ぶ人がいて、この映画が出来上がる。
オモシローイ!!!
少しでも興味があって、でも観に行くかまだ迷ってる人がいたら、そういう人にこそぜひ観てほしい!
今、観るのが一番いいから!笑
ちなみに家族4人で観に行きました。
ももクロファンの自分だけでなく、こどもたちも楽しかったみたいなので、そんな見方もオススメです。
奥さんは演劇を観たくなったって言ってました!
また舞台もぜひ、観に行きたいです。
青春映画の名品
アイドル映画として作られたものであることは間違いないです。
けれども、本当に、キラキラした青春映画でした。最初の30分程度はどうしてもももクロの印象が抜けない感じがしました。彼女達の演技力、初めこそはどうも違和感を感じていました。これが先ほど言っていたももクロの印象が抜けない感じってとこにつながっているんでしょう。しかし、ストーリーが進むにつれ、段々とこちらが見入ってしまう程に真に迫ってくるんです。ストーリに合わせた演技だったのかと思い、彼女達の表現力の豊かさに感心しました。
しかも、周りの役者さんが秀逸、今乗りに乗ってる黒木華(はる)さん、ユニーク俳優ムロツヨシさん、演劇部メンバーのほかの高校生役の子たち、みんながキラキラとしてイキイキとしてるんですね。おそらく、彼女達と他の役者さんの関係が上手くいっているからこそ、表現力がより良く見えているのでしょう。
アイドル映画といいつつ、まじな映画作ってしまってます。
むしろ、ちょこちょこと入れている彼女達の歌が、違和感になるくらいにいい映画に仕上がってますよ。
万人にお薦めできるあたたかい映画
私が初めて、映画館という公共の場において人目も憚らず嗚咽した映画が、本広克行監督の「サトラレ」でした。
そしてまた、本広克行監督の作品に嗚咽させられたのです。
本広監督作品にはつきもののコミカルな場面も健在で、地方女子校の演劇部
ろくに青春というものに触れることなく、気づけばもう40近い齢になってしまいましたが、「青春」とは「生きるということ」だと気付かされました。
私はももクロのファンですから、この映画に対する印象としてどうしてもももクロ側からのアプローチが入ります。
小道具や演出、ストーリーの一部さえもももクロと被ってしまい、それはそれでこの映画の「見方」のひとつであるには違いないのですが、正直ももクロを知らない人が羨ましい。
私も「原作平田オリザ、脚本喜安浩平、監督本広克行の青春ド真ん中映画」として観てみたかった。
本広監督は「この映画をアイドル映画だと言って敬遠されるのが悔しい」とおっしゃっています。
アイドルをキャスティングしておいてそれは、と感じる人もいらっしゃると思いますが、本当に先入観無しに観てほしい。
壮大なCGや驚愕のどんでん返しも無い。ヒーローが出てきて勧善懲悪という展開もない。
地方の高校生が演劇に打ち込む姿を切り取ったものです。
しかしだからこそリアリティの中に繊細な心の動きを見いだし、共感する部分が多くあるのではないかと考えます。
そして観終わったあとの爽やかな気持ちは、こうありたかったという願望や郷愁感も入り混じる切なさにも似ていました。
善も悪もない。破壊も暴力もないからこそ、老若男女、多くの人に愛されてほしい作品です。
最後スタッフロールをバックに流れる映画主題歌「青春賦」の歌詞が刺さりすぎて涙がとまりませんでした。
見終わった後の清々しい余韻が最高の青春映画!!
先行上映で観ました!
この映画は、話の面白さが加速して、トップスピードのままエンディングを迎えます!
最初は面白そうなのに、、、、
途中まで良かったけどなぁ、、、
という映画に出会うことはかなり多いと思いますが、
この幕が上がるは、話の面白さが加速して最後に最高速度でエンディングを迎えます。
なので、見終わった後の余韻が本当に心地よく感じました。
ももクロは本格的な女優業は初めてですが、今回の映画の内容は、その初々しさが完全にプラスとなって表現されています。
ほぼ話の順番とおりに映画を撮っていったそうですが、そのおかげでももクロ演じる登場人物達が成長していく姿がリアルに描かれています。
ももクロ演じる「女子高生演劇部員」が、最初は自分の小さい世界でそれなりに部活を頑張っていた。そんな中、黒木華演じる「元学生演劇の女王」と出会うことで、自分の今いる『演劇』という世界は、とてつもなく広い宇宙であることを知る。と同時に、そのあまりの広大さにいったい自分はどこへ進めばよいのか、無力感に打ちのめされる。しかし、自分の中の数々の葛藤と戦う中で自分の進むべき道を見つけ、それに向けて仲間とひたむきに歩んでいく。
彼女達は、演劇を通して自分の進むべき道を見つけていきますが、誰しもこのような迷いや葛藤を経験して自分の人生を決めていくと思います。
この映画は、そんな誰もが通った、また、これから通るであろう大人への第一歩を歩き出す姿をリアルに描いた作品だと思います。
本当に良い青春映画だと思いました。何度でも見たくなる映画です!
ももクロファンでない方に観てほしい
まず、ももクロちゃん達の演技が素晴らしかったです。あんなに自然に演技できるようになったんだなぁとおもいました。
この映画は青春映画ですが、男女の恋愛には全く焦点が合わされていません。今日は青春=恋愛
というような発想がされがちですが、青春は恋愛だけを意味するのではないということをとても感じさせてくれる、真の青春映画です。
私は、高校時代、恋愛は一切せず、勉強に日々取り組んでいました。この映画を観て、その頃の自分も青春の中にいたんだと思うことができました。
映画の中の彼女達がただただ眩しくて、観賞中に二度ウルウルしてしまいました。
最後に、私が最も望むことは、「モノノフ以外の方々に観てほしい」ということです。「所詮アイドルだし、ファンだけが楽しめるものでしょ?」と思われてる方はたくさんいらっしゃるでしょう。しかし、私はその心のフィルターを是非取っ払って観て頂きたく思います。彼女たちもそれを望んでいるでしょう。
絶対に観ても後悔しないと、確信しています。
長くなりましたが、伝えたいことを書かせていただきました。ありがとうごさいました。
純度の高い青春映画
先日、機会があり先行上映されていた「幕が上がる」を観た。
原作が日常を切り出すのがうまい平田オリザさんで、監督が「踊る大捜査線シリーズ」コミカルで心を掴むのがうまい本広克行さん、そしてかぶいたアイドル、ももいろクローバーZ。この3者で青春映画をとったというから、どたばたコメディ系なアイドル映画になるのかなと想像していたが、いい意味でそれは裏切られた。
演技経験はほとんどないという彼女らが、アイドルという枠を一度取っ払ったところで、癖のない照れもない演技で、自然な表情で台詞を口にする。ああ、これは純度の高い青春映画なのだということを、物語が進むにつれて強く感じる。しかも小手先を駆使することのない直球を投げてくる。そのひたむきさが、現実離れしていない分、要所要所で見る人の心を刷毛でなぞり何かを思い出させる。
ただ、ももクロが演じると、悩みの部分も爽やかになってしまう。その分泥臭さを黒木華(はる)さんが請け負ってくれたおかげで、この映画はびしっと締まったいいものになっている。
アクセントをつける部分は脇役がすべて背負い、彼女らはただひたすら、あの「幕が上がる」瞬間に向けて一所懸命駆け抜けている。「一所懸命」は誰でもやっていることだが、若ければやり方に迷い、大人になれば見えないふりをして進めてしまう。この映画では、「一所懸命」のやりかたを思い出させてくれるような気がした。見終わった後、日常に戻った際に「よし、私もがんばろう」って素直に思える。そっと背中を押してくれる。
映像は、なんだか少しまぶしい感じの淡い色合いで、綺麗で、どこまでも優しい。そして、監督の視点は、どこまでも愛情深い。恋愛要素0の映画なのに、初恋映画を観ているようなちょっと切ない気持ちにもなる。
ちなみにエンドロールが流れて、あっ、この人達はアイドルだった!と我に返るぐらいなので、肩肘張らずに気楽に観に行ける。ももいろクローバーZのファン(モノノフ)でなくても、心が洗われるような爽やかな映画なので、是非多くの人に観に行ってほしい。
アイドルの常識を超えた作品
今一番勢いのあるアイドル、ももいろクローバーZが主演であるこの作品ですが、アイドル映画だと思って見るにはもったいない完成度の作品でした。弱小演劇部が全国大会を目指すという最近よくある構成の映画ですが、劇中に宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が出てきたりと、深く考えさせられるシーンもあります。個人的な印象ですが、ドラマ映画と邦画の良いとこ取りした作品だと思いました。主演ももクロの自然な喜怒哀楽の演技が素晴らしいのですが、それを超える黒木華さんとムロツヨシさんの演技にも注目です。是非一度観ていただきたい作品です。
全236件中、201~220件目を表示