バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)のレビュー・感想・評価
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受賞作品
Rotten Tomatoesで、トマトメーターとオーディエンスメーターのギャップの謎が見えた気がする。
いつもここに(備忘録として)自分が観たまま感じたまま書いているが、わからないものはわからないでいいんだ、と妙に納得してしまった。
その時の自分にしっくりくるかこないか、なんだろうな。
ノートンとエマストーンが出てるから観ようと思ったのだが、難易度はやはり高かった。
ただ、年のせいか、過去の栄光にすがろうとする主人公には共感できたし、物悲しさも半端なかった。
とはいえ、俳優なんて良い作品と出会えたらいくつになっても輝けるじゃんと思ったけど。
タイムズ紙の女評論家に怒りをぶつける主人公を心底応援してしまった。
顔がホラー。シャイニングのジャックニコルソンか?と。(笑)
他人の評価はあまり気にせずに作品を観たいものだと改めて思った。
難しい。
これは難しい。シンプルだけど難しかった。
簡単に言えば、過去の大作に囚われた今では娘にも呆れられるダサい俳優が再出発を賭けて挑んだ舞台で栄光を取り戻し、過去を断ち切り家族に認められるハッピーエンドといった感じですかね。
途中バードマンになって空を飛ぶところ。あそこは現実とごちゃごちゃになってしまった。しかし、タクシーの運転手が乗り逃げとしてリーガンを追いかけることで幻想の世界だと理解できた。
ラストシーン前に妻と話し合うところでは始めて赤裸々に愛について語るんですよね。あそこに熱い覚悟を感じました。
伏線が散りばめられ過ぎて気軽には見れないですね。
理解できないとチープな映画になってしまう。
バードマンがしきりに出てきてお前にはこれしかないと語りかけてくる、舞台の演技ではマイクに主役の座を奪われ、パンツ一丁で街を駆けたことがバズってしまうなど兎に角ダサかったリーガンが最後死んでしまう覚悟で臨んだラストシーン。血のりを受け取らず本物の銃を使ったことで鼻を大怪我。顔に大きな包帯を巻くことになり、洗面台で包帯を剥がすあのシーン。あそこで過去を断ち切ったことを示しているのではと感じた。
本当に上手くやったなと思いました。
バードマンはパーマンのボス
マイケルキートンといえばバットマンだ。
バードといえばジャズの巨匠チャーリーパーカーだ。
冒頭、ジャズドラムのリズムに合わせレイモンドカーヴァーの一節が表れる。
映画の冒頭には「この映画はこういう映画ですよ。準備は出来てますか?」という意味が込められている場合が多い。
全編BGMは(ほぼ)ジャズドラムで、
1カットの長回し(風)に撮られている。
そして物語はかつての映画ヒーローが、自らの役者演技の原点に立ち返り
舞台役者として返り咲こうというストーリーだ。
舞台が映画と比べられた時の優位性としては、
ライブ感、即興性、リアリティなどがあるが、その要素を映画に持ち込もうとするときに
使われる手法が「1カット長回し」だ。
しかしこれは映画だ。
脚本、カメラアングル、照明、CG、エキストラ、すべて緻密に盛り込まれた1本の映画だ。
つまり、映画でライブやアドリブ、リアルを表現したいわけじゃない。
舞台と映画のいいところを巧みに織り上げた意欲作である。
そのおかげで役者と各スタッフのプロフェッショナル同士が作り上げた傑作に仕上がった。
ラスト。
「ついにリーガンはバードマンのマスクを自ら外し、新しい世界へ飛び立った。」
すばらしいブラックユーモアである。
マイケルキートン
「”かぶりもの”の役だと大ヒット」の法則。
なぜ?!こんな事に.......,
この映画の感想は汚い言葉が多くて生々しい事だ。演劇や舞台裏やセット裏など覗き見している様に見せて楽しかった。アートは難解なので読み解くには、少しの背伸びが必要と感じた。
1.主人公リーガンの超能力は全て妄想で現実では無い。
2.娘のサムは目がでかい。薬物中毒。
3.バードマン(主人公の過去の栄光)も全ては妄想が酷い時に現れる。
4.演劇と現実と妄想は主観的で区別がつかない いよいよ最後の課題
5.最後は賛否両論あると思うが、薬物中毒と妄想癖の父リーガンと薬物中毒の娘サムの場面で終わる所が皮肉に満ちていて面白かった。トイレで自分の整形顔とバードマンの顔が並んだ辺りはリーガンはバードマンとして一体になり空へ飛んだのかもしれないし全ては妄想かもしれない。映画の最初に見えた浜辺で打ち上げられたクラゲの様になってしまったかも知らない。それは観る人に委ねますよと言う意味かも知れません。アメリカという国のエンターテイメントに対する呪われた部分(光と影)を見た様な気になりました。
結局成長できていないリーガン・トムソン
果たして最後、彼は映画俳優としてのプライドを鼻とともに捨て去ることができたのだろか。"予期せぬ奇跡"により幸か不幸か名声を得てしまい、より鼻が高くなったわけである。事実、新しい鼻はより大きくなっているようにも見える。そうした偶然に支えられた彼は真に成長しきれておらず、今後の舞台俳優としてのキャリアを暗示するようにも見える。皮肉にもこうした名声を得るという結果はバードマンの望んでいた結果にも見えるわけだが、そこに本人が気づいていないのも悲しい。バードマンを捨てきれていないようにも感じた。
映像・音楽に関しては素晴らしい。色彩が豊かでキラキラしたニューヨークがとても気に入った。音楽もbgmのドラムが心地よい。
理解できません
ツリーオブライフ等、評論家の評価が高くても、自分には理解できない作品が時々あります。この映画もそのうちの一つ。
そもそも、良い映画なのか?アカデミー作品賞を受賞したので、一般的には良い映画なんでしょうね。ということは、私の理解力不足かな。
感性によりけり
うーん、感想難しいです。
悪くはないけど、何を言いたいのか、言いたくもないのか?かつてのスターが舞台に進出して頑張っちゃう、って話しにハリウッドの内輪ネタが散りばめられてる、ということですね?感性がぴったりの人には面白いのかも?ネタは業界人かマニア向けだと思う。
全編ワンカットらしいけど、監督を目指してる人じゃない限りそんなことわかりませんよ。まあ、前評判あおる宣伝の一環でしょう。娘役の彼女は眼が落ちそうなほど大きくて芝居も達者で凄くよかった。
謙虚な心を失くしてしまった役者に明日などない。
舞台俳優は映画俳優より優れた演技をする。そんな妄想に絡め取られてしまった哀れな俳優の末路は冬眠から覚める前に飢え死にしてしまう雄ぐまのようだ。すべてが偶然に生み出されてしまったことに気づいているのかいないのか・・・・ラストシーンは観る者の想像力に阿るのが正解だ。監督にだって分からないのだからだ。過去の栄光は決して人の心を縛り付けたりはしない。歳を重ねて振替る事柄は取り返しの衝かぬことばかりだからだ。もがいても幾戦の言い訳を思いついたとしても舞台の幕が下りてすべてを無いものとしてやり直すことなどできはしない。過ちは過ちなのだからだ。いま現在の行動が周囲の人々が避難したとしても心静かに受け止めて恥をかくことでしか表現しえないことを深く理解しなければ見るもの心を震わせることなどできゃしない。そんな至極当たり前の事に気がつかないというのはコンプレックスが氷河のように固まってしまい更に悪いことに腐った氷の上に優越意識を築いてしまったからだ。
この世にはあっても無くてもどうでもいいことが沢山存在している。その一つに演劇や映画がある。人々はこれらがなくても幸せに生きて行けたりもする。
だからこそ、謙虚さが必要なのだ。
ちょっと傲慢だと感じて今を生きている僕はこれを見てことのほか頷く回数が増えてしまった。
団塊の世代、必見の映画だろう。
素っ頓狂なドタバタコメディ。
再見時の方が楽しめた。
唯一無二の濃密な映画体験。
深刻に見えて、人を喰った素っ頓狂なドタバタコメディだ。
この手の一本に賞を贈るアメリカ人は、映画という娯楽を心底から大切に思っているのだな、と知る。
一息
大きく一息飲み込んだら吐き出す暇を貰えず走りきらされてしまう。
主観映像の作品で良く感じますが、シーンの繋ぎ方の工夫だとか。
良くも悪くも疾走感によって成立してる脚本でしょう。普通のテンポだとモヤモヤとしたおっさんにウウン?となる回りの面倒くささに胸焼けしそうです。
ワンカットにする必要はあったのか
かつてヒーロー物で一世を風靡した映画俳優が、再起をかけ演劇に挑む。俳優のチョイスも絶妙で、飽きることなく観ることはできたが、面白いとは思わなかった。
かつての栄光は見る影もなく、娘との関係は悪く、若手俳優に演劇を無茶苦茶にされる。主人公が酷い状況に追い込まれていくシーンは中年の悲壮感と相まり観ていて辛くなった。特に批評家にボロクソに言われるシーンなんて観てられなかった。
全編ワンカットのように見せる撮影技術は凄いけど、1917先見ちゃうと劣って見えた。俳優の演技力を見せつけるのに長回しで撮影するのは良いと思ったけど、ワンカットライクである必要あるのかなとも感じた。
みる人とみえない人
かつて、映画界で活躍した俳優がその後舞台に移り新たな世界で活躍をしようと試みる。
でも、実際には、資金も足りない。娘には愛想を尽かされる。同じ舞台の俳優がトラブルメーカーだったりと色んな問題があり、上手くいかない。
自分は、かつて活躍していた映画での事がちらつく様になる。この映画では、ノーカットで撮影されたのではないかと思わされる様な淀みのない撮影ですごい感じました。
話は、どんどん進んでいくのにそのまま続けて撮影されているのかと思い俳優の人達もすごい演技力に驚きました。
主人公が自分の過去と葛藤して今の自分は、何もでもない悲観的になる部分とこのままではいけないと向かう所があったりして色々考えさせられました。
全体を通して言えるのは、最後のシーンが解読できず
解釈するのがとても難しいかなと感じました。
予備知識を前もって持ってないと意味分からない映画だった。 自分はま...
予備知識を前もって持ってないと意味分からない映画だった。
自分はまさにそれで、観終わってから調べてなるほどなと納得した方。
マイケルは1989年にバットマンで主役をやってて一躍人気者になったと。
でもそれから泣かず飛ばずでまさにこの映画の主役と同じ境遇。
というかだからマイケルを起用したんだなと理解。
所々で映画業界に対する風刺があるのはなんとなく感じた。
超能力やバードマンは何なのか最後までわからなかった。
あのままバードマンを続けていれば…という思いも自分の中にあって、それが具現化したのがバードマンなのかなという解釈。
深層心理というか本音というか。
撮影方法も変わった方法だったらしいけど、そんなに気付かなかった。
調べてから、あー確かに言われてみれば繋がってたなという印象。
一発撮りで完璧に演じていく出演者達の演技力の高さが評価されてるんだろうか。
と、色々理解はできるけどすごいとは思わないし面白かったとも思わない。
マイケルの演技力は言われてみればすごかったかもしれない。
何度か観るとすごさが分かる映画かもしれないけど、再び観る気にはあまりならない。
深いようで浅いことを言っている?
よくわからなかったので、これから他の方のレビューを見て勉強します。映画界、演劇界へのメッセージ(違うかも)だとしたら「なるほど。そういう感じなんだ」という印象です。全編長回しのような映像は映画の世界に入り込めるような感じがありますね。
凝ってるけどなぁ~
個性派揃いの役者さんによるある意味ぶっ飛んだ演技やカメラワーク等により、かなり独特な雰囲気の作品で、うーん…どう観ればいいのだろうか。作品のジャンルすら判別しにくい。すごく凝っていて印象に残る良い作品とは思うが、果たして自分にとっては好きな逸品となるのだろうか。
と才能は紙一重と言ってもいいか?
バードマン役で有名だった主人公リーガン(マイケルキートン)がその後、返り咲きを計り、ブロードウェーの舞台でレイモンド・カーヴァーの短編小説『愛について語るときに我々の語ること』を、自ら舞台向けに脚色、演出、主演を務めて作品に。舞台上映の前の、本公演前のプレビュー公演で主人公の生活、性格が徐々に明らかにされる。娘のサムは麻薬中毒でリハビリを経験しているが、また、薬を。妻とは離婚して、マリブの自宅をレファイナン
スにと。面白くおかしく描いているが、はっきり言って、自己中の塊で、自分の栄光を忘れられなしバードマンに取り憑かれてしまう。
代役としてマイク(エドワード ノートン)が選ばれるが、彼の才能に嫉妬し始める。その後、マイクが娘のサムと仲良くしているのを見たり、新聞の芸能欄で脇役扱いされ、マイクとリーガンは険悪になった。最後のプレビュー公演中、外でタバコを吸おうと思ったリーガンはドアが閉まり、ガウンの裾がひっかかり入れなくなってしまった。ブリーフ一つで、彼は、裏口から客の入り口である表玄関に回る。これはネットに載って、何万回も再生され、人々から話題になった。
ある女性評論家からショーを最悪のものとして、書いて潰してやると警告を。そのご、バートマンが彼の背後に現れ、リーガンを左右する。ここのところは漫画とコメディーの世界でリーガンが苦しんでいるのにもかかわらず、私は楽しく観ていた。最後は私の予想していた鳥、リーガンは本物の拳銃を使い、発砲と当時に倒れるが、観客は喝采を。それが、女性評論家からかわれ、席巻した。
結局、ブロードウェーショーや映画界など、こう言った実力があるハレンチの役者(マイク、やリーガン)が幅を聞かせて、セクハラをしたりして女性を食い物にして、エゴを発揮するんだなと思った。それに、そのエゴが通るから始末に追えないし、周りは仕事が欲しいから見ないフリをしている。私は芸能界にいないから役者の映画の役割しか見ることができないし、インタビューなどもこのマイクのような虚言もあるだろう。虚言がまた本当のように書かれて、何が本当か嘘か全くわからないというのが現実かもね。
メキシコ出身のジャズ・ドラマー、アントニオ・サンチェスは最高。黒澤明の映画を思い出させるドラム(黒沢は太鼓)の叩き方
メキシコ人のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督はかなり細かい点まで配役に要求する人らしいが才能があるね。それより、かなりの有名なハリウッドの映画をとっているとは知らなかった。
マイケル・キートンとエドワード・ノートンの演技にもびっくり、精神的な葛藤が(正直言って、キチガイ一歩手前の演技がうまい。まいったね。
この狭っ苦しい舞台裏こそが大宇宙に連なっているのだという、発見。
映画なのに全編がほぼワンカットだって、どういうことなんだろう。
……と、前宣伝を見て思っていたのですが、その宣伝文句に負けない、凄いカメラワークを楽しむための映画でした。
撮影が「ゼロ・グラビティー」のカメラ担当だと知って、なるほどねと思ったものです。
ハンドカメラだけで撮影されているのに、まったく手振れしないというのは、偉大な技術の進歩のおかげでしょう。
観客は、おいおい鏡にカメラが映っちゃうよ、などと、まるで撮影スタッフの一員になったかのようなスリルまで味わうことができます。
ブロードウェイの狭い劇場の裏側を、観客は演劇のスタッフのような視点から参加し、まるで劇場の裏話を舞台にしたテーマパークみたいです。
こういうカメラワークが成立する時代になったのだ、と、感慨を味わいました。
前作の「まわりに何もない虚無なる大宇宙」を描いたカメラマンの次作が、この狭っ苦しい舞台裏だったという一見意外な点も、しかしこれこそ正常進化なんだよなぁと納得できる、そういう映画でした。
そんな凄いカメラワークを、ぜひとも楽しんで欲しいと思います。
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