セッション : 映画評論・批評
2015年4月7日更新
2015年4月17日よりTOHOシネマズ新宿ほかにてロードショー
妄執と狂気の果てにある「音楽の至福」を体感させてくれる
J・K・シモンズ(60歳)といえば誰もがどこかで目にしている名脇役。しかしコワモテな顔面ばかり印象に残り、正直どれだけ演技が上手いかなんて考えたこともなかった。ごめんなさいシモンズ。彼が「セッション」で披露した戦慄と笑いが背中合わせの怪演は、オスカー受賞など当然と思わせるばかりか、今後も繰り返し物真似ネタにされるであろう映画史的事件である。
“マネをしたくなる”というのは重要なファクターで、シモンズは「セッション」という作品に出会ったことで、「タクシードライバー」のトラヴィス・ビックルや「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のダニエル・プレインビューに匹敵する境地に達してしまったのだ。と、言い切ってしまっても過言ではあるまい。
すでにドラム版「フルメタル・ジャケット」、ジャズ界の「ブラック・スワン」などキャッチーな惹句があふれている。どれも的を射た表現で、作品の特性を簡潔に表している。プロのジャズドラマーになる野心を抱いて名門音楽大学に入学した一年生男子が、学園一の鬼教授に才能を見込まれ、いや、何かの拍子に目を付けられて精神の限界までシゴキ抜かれるのだ。
演出のスタイルも完全にホラーかサイコスリラーで、ムチ、ムチ、ムチ、たまにアメ、でもやっぱりムチみたいな苛酷指導に観客の心までささくれ立ってくる。その点では「君が生きた証」や「はじまりのうた」のような「共に演奏する喜び」を謳った音楽映画とは真逆に感じられる。よく「音を楽しむ」と言うが、本作で描かれる音楽の道はひたすら辛く厳しく、情熱や絆よりも妄執と狂気の方が必要なのだ。
しかし、主人公と鬼教授の対決が最高潮を迎えるクライマックスで、本作もまた真性の音楽映画であると証明される。ギリギリのテンションの中で繰り広げられる“セッション”の音圧を浴びながら、個と個の対立や愛憎、世間の常識や倫理観の及ばないところで、やはり彼らは音楽がもたらす至福に魅入られているのがわかる。いや、ついにその至福に辿り着いたのかも知れない。
例えばダーレン・アロノフスキーは、「レスラー」でプロレスの世界を歓喜よりも苦痛メインで捉えてしまっていた。「セッション」はそういう悲劇的アプローチとは対極にある、一線を踏み越えた人間だけが見出す悦楽を体感させてくれる。どうか映像と音楽が誘う“彼岸の向こう側”に、どなたさまも身を震わせていただきたい。
(村山章)
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