天空の蜂のレビュー・感想・評価
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難しい
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爆弾を積んだヘリがテロ犯に遠隔操作され、原発の上を飛ぶ。
そして全国の原発全てを停止させないと原発に墜落させると言う。
しかもヘリには原発関連の技術者・江口の息子が偶然乗っていた。
そして助かった。国をあげての決死の救出劇の末に、と一見そう見えた。
でも実は国は犯人ともども国民に嘘をついていて、人命第一ではなかった。
江口の同僚・本木が犯人で、逮捕されて終了。
息子が原発のことで虐められ、国は何も助けてくれなかったんだとか。
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専門的な感じがしてちょっと分かりにくかった。
ってか子供を助けるとか家族の絆とかのクダリ、いる?
国家を揺るがすような大事件なんやで?
国家の一大事をいかにして凌ぐかこそが重要じゃない?
という思いから、何かテーマがブレてるような感じがした。
原子力発電の光と影
福島の親戚から毎年美味しいお米が送られてくるが、東日本大震災後、暫くの間、安全証明書付きだった。東日本大震災での原発事故の影響の長さ、原発事故の恐ろしさ、原発の安全性について考えさせられる。
東日本大震災での原発事故を境目に、原発の安全性に対する日本人の考え方は大きく変わった。本作は1995年の東野圭吾の同名作品が原作であり、当時、映画化されていれば、原作の原発安全性是非の問題提起は絵空事として捉えられただろう。東日本大震災後の2015年に映画化されたことで、原作の問題提起はリアルに映像化されている。
本作は東野圭吾原作の社会派サスペンス。爆薬を搭載した最新鋭ヘリを原発上空に静止させ、日本中の原発破壊を要求する犯人と、警察、自衛隊、そして、ヘリ設計者との虚虚実実の攻防戦を熱く描いた、見応え十分な王道の娯楽作品である。
それだけではなく、本作は、原発の安全性、是非に鋭く迫っている。設定は1995年の日本。当時、原発は日本の電力政策を担うホープであり、その安全性は絶対的なものというよりは、疑問を持って議論をすることさえタブー視されていた。当事者のみに封印されたトップシークレットだった。
しかし、東日本大震災での原発事故で我々日本人は、原発の安全性が如何に脆弱なものなのかを思い知らされた。そして、未だにその後遺症に苦しんでいる。そういう現在の視点からこの作品を観ると、改めて原発のひ弱さが露呈され、東日本大震災の記憶が蘇ってくる。そういう意味において、1995年ではなく、2015年に本作が映画化された意義は極めて大きい。
真実には二面性がある。表と裏がある。原発は電力を供給する便利な道具だという“表の顔”ばかりに目を奪われるのではなく、安全性という“裏の顔”も忘れずに見続け、検証を怠らないことが大切だろう。
東野圭吾原作。原作未読ですが、これが1995年の作品だとは驚き。テ...
東野圭吾原作。原作未読ですが、これが1995年の作品だとは驚き。テーマといい、展開といい東野圭吾らしいおもしろさ、ハラハラだった。
本木雅弘、綾野剛が熱くよかった。
社会的にも様々な問題を投げかける作品でした。
うーんうーん、
なんか無用に難しかったなあ。
ストーリーはわかるけど、なんかややこしくしちゃってるというか、よくわかんなかった。
あれこれ背景や経緯が多いというか、シンプルに楽しめなかったかなあ。
あれこれ主張したいことはあれど、カッコつけずに、もっとシンプルかつ、ストレートに伝えてほしくもあったが。
なんにせよ、映画でも現実でも、国のいろんな思惑や、利権やしがらみ、理不尽な慣習やらムダやら、国民が「だまされてる、知らされてない」ことはあるわけで。
不気味な仮面をつけ沈黙する群衆か、迷わず手を差し出す人か。あなたはどっち?
原作は読んでないが、映像、間の撮り方、テンポ、エンディングテーマ曲、素晴らしかった。
何故、三島幸一がこの計画に加担する事になったか、明らかになっていく過去。
最後のシーンで、パトカーに乗って連れて行かれる三島と、それを眺める湯原の家族。2人とも同じ年齢の息子、妻がいてと、どこか似た家庭だったのに、真逆の末路を辿る事になる。
エンディングテーマ曲の歌詞にもあるように、「白黒裏表 どう転ぶかなんて…紙一重」なのだ。
三島が空を仰ぐシーンで、過去と現在が重なり合う。
雨の中自殺した息子を目の前に空を仰ぎ、三島の思考の中で原子炉の上で膝を突き上を見上げるシーンの重なりが印象的だった。
「子供は刺されて初めて蜂の恐ろしさを知る。
痛みを伴わない想像力は、只の甘い夢に過ぎない。
想像するがいい。
ダイナマイトが、いつも10本とは限らないと。」
三島の言葉の表現が鋭くも美しかった。
序盤の方では期待外れの作品かとよぎったが、中盤からぐっと引き込まれラストまで疾走。考えさせられる内容だった。東野圭吾さんの小説が読みたくなった。
ぼやけてる
監督さんのテイストにあってないような感じかな。だいぶ原作とは核になる部分が違うような。
原作とちがうこと自体はいいんだけど、映像が色々気になりすぎるのと、演出がバラバラというか、みんな好き勝手に演技しているような雰囲気で、特に本木さんは一人芝居のような印象で、ちょっと冷めて見てしまった。
「人命」よりも「電気」なのか?
原子力発電という日本のエネルギー問題を強く反映している今作。
私も詳しく知らなかったが、この作品を見て強く思い知った。
「この仕事は無ければ困るくせに、そんなものは要らないと言われる仕事」。
「電気のほうが人命より重い」。雑賀や三島の一言が重くのしかかる。
今や全国民の生活に欠かせない電力。一分でも原子力発電を止めたら、国民生活に影響する。
極論を言ってしまえば、政府は電力の供給のためにどれだけの関係者を犠牲にしてもいい、という考えを持っているのか。現実の政府がどう考えているのかなかなか見えなかったので、もっと自分で調べてみようと思う。
「そんな簡単に自衛隊最新鋭ヘリを盗めるかい!」とかツッコミどころは...
「そんな簡単に自衛隊最新鋭ヘリを盗めるかい!」とかツッコミどころは多々あれど、エンタメとしてなかなか面白い。スリリング。
子ども救出作戦、犯人捜査、黒幕。原発という社会問題を考えるきっかけとなることも素晴らしい。反対、賛成どちらの立場もとらないことも良い。
ただ1人、緊迫感を下げてる男がいた、そう佐藤二朗だ(笑)そして1人、おいしいとこどりの男がいた、そう向井理だ。仲間由紀恵が単なる端役というのもある意味新鮮だった。
空での緊迫したシーン
たまたま子供が乗り込んでしまった巨大なヘリを遠隔操作によって高速増殖炉の真上でホバリングさせ、政府に原発の停止を要求するテロリスト。それに立ち向かうヘリ・原発の技術者たち。燃料が切れてヘリが墜落するまで8時間の猶予の中で子供を救出し、墜落を阻止できるのか…。
タイトルにあるように、空での緊迫したシーンが印象に残りました。実際に現場にいたらビビります(笑)メインテーマの原発については、テロリスト・技術者・政府それぞれの思いが垣間見えます。原発に関する知識があまりなかったので、これを機に知りたいと思いました。
うん
これは、展開もストレートでわかりやすい映画だと思う。時期が時期だけに、公開当時は原発について議論されたのかな。でもこの映画でもたらされるメッセージは、今使っている原子力発電が事故を起こすかもしれないよ?安全だと本当に思う?ぐらいだと思う。
それか、危機感を煽られて、危険行為をしでかす人間がいるかも?
強大な原発は使い方を誤ればとんでもないことになるよというやつだった。
劇中の頻繁なスローモーション、顔と上半身のアップ、全員同じテンションでいう台詞。展開は王道でよかった。けど新米刑事は唐突に刺されて指を切られるショッキング映像、犯人に手を貸していた女性の唐突な妊娠報告に、感情がついていかない。深刻に話されているし、一つ一つのハプニングも大きいはずなのに盛り上がらない。
全員が叫び、時たま差し込まれる濃ゆいキャラ(先輩刑事とか取り調べ警官とか)が浮いている。
壮大っていうより、普遍的で現実に身近にある原発という問題を取り扱っててメッセージもしっかりしている。これは多分原作部分だと思った。
映画の主題ははっきりしてるのに、映画のテイストがよくわからない、味を出したくないのかな。こんな映画もなかなかないと思う。
子どもの救出と原発の保全という2つの問題を8時間以内に解決しなけれ...
子どもの救出と原発の保全という2つの問題を8時間以内に解決しなければならないという緊迫感がすごい。
ヘリから転落した子どもを空中でキャッチするのはあまりにも出来過ぎだが、死ぬよりははるかにいい。
テロ事件を起こした動機が、「無関心・無表情の国民への怒り」とはちょっと薄いかな。
緊迫感のある映像と演技
ちょっとわざとらしい演出と都合よすぎる展開は気になりましたが、緊迫感のある映像と緊迫感のある演技が良かったです。
ストーリーにあまり共感できる部分はありませんでしたが、原発は常に多大な被害を起こしうる可能性があるということは共感できました。
緊張感のある映画だった。
原爆を食らった日本にとって、原子力発電=放射能=被爆ってイメージは捨てきれない。でも安定した電力の供給の為に必要不可欠だし、それがあることで潤う地域があるのも事実。
爆弾的存在?必要悪?
原発の危険性も知らず、のうのうと生きてる奴等に警鐘を鳴らす。そんな映画。
ストーリーがしっかり作り込まれてるし、救出シーンは手に汗を握る。
ただ、大事な時に旦那を責める母親はどうかと思った。その際に救出の鍵を見つけることが出来たけど、『なんであの時~』とか『あなたはいつも~』とかわざわざあの場で言うことでもないだろうよ。
社会派とエンターテイメントの見事な融合
細かいことは置いといてあくまでエンターテイメントとして。
原作の社会派要素を削った分、スリルとアクションが増している。
この映像化は成功だと思う!
当たり外れ多い堤幸彦だがこれは紛れもなく当たり。堤幸彦作品の中でも一番好きかもしれない。
原発の電気は殆ど東京で使われているという原作にあった内容もあるともっと良かった。
現在、世の中を変えるにはやはり「きっかけ」がないと国は動かない。そこに「蜂」である意味がある。人は蜂に刺されて蜂の恐ろしさを知る。
しかし、蜂に刺されなくとも世の中を変えられる社会というのは実現するのか…?
深読みもでき削られたといえど社会派としてもかなり深い作品であった。
【社会派エンタメ作品として、もう一歩、リアリティ感及び犯人の動機を深堀して欲しかった作品】
日本最大の巨大ヘリコプター”ビッグB"がお披露目式の日、遠隔操作で乗っ取られ、(その際、ビッグBの設計主任、湯原(江口洋介)の息子が誤って乗り込んでしまう)福井県の高速増殖炉「新陽」の上、高度800M地点で静止。
犯人の要求は、
”日本全国の原子力発電所の破壊”である。
その裏には、国民に原子力発電所に対する危機感を持たせたいという思いがある。
ストーリーは、・湯原の息子は助かるのか?
・ビッグBが高速増殖炉「新陽」墜落したら・・・
に焦点を当て、スリリングに進んでいく。
が、観ている側にすると映画のメインの”画”が高速増殖炉「新陽」の上で”静止”しているビッグBの姿だったので、動的興奮が感じられず、徐々に見慣れてきてしまい、その脇で進む人間ドラマがやや霞んでしまった感があったのと、犯人サイドの犯行に及んだ理由が”観ていて辛いものがあったが”納得感に乏しかったため、リアリティ感が弱く感じたには事実である。
<但し、2015年にこのような題材の映画をエンタメ作品として制作した制作陣には敬服の念を感じた作品>
<2015年10月2日 劇場にて鑑賞>
おかしな内容です、たまに東野圭吾はこんなことあります
軍事機密となる兵器の引き渡し前に公開することは、世界でも、古今東西ありません。
ですから、こんなことはありません。
素人にはジャックできません。
原発の構造がおかしいです。
全ておかしいです。
ストーリーも演出もおかしいとこだらけです。
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