かぐや姫の物語のレビュー・感想・評価
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もの悲しいけど映像音楽は素晴らしい!是非劇場で見ましょう!
かぐや姫の一生をとても美しい映像と音楽で描いた作品。
小さな娘がいる自分にとって、姫の成長と別れは様々な思いが入り乱れまくりました。
産まれてから成長する過程をゆっくりした時間で描くことで、姫に対しての親心的なものが沸々と芽生えてしまいました。
ですが、一歩間違えれば退屈なものに映ってしまうかもしれませんね。
実際、会場に連れられてきていたお子さんは2時間強という時間に耐えられず声を発する事もしばしば^^;
それにしても声優陣が非常に良かったです。最近の萌え系の声優では成立しなかったでしょう。地井武男さんの声にも考え深いものがありました。主人公役の朝倉さんを始め、すべての登場人物が雰囲気と声がマッチしていて違和感感じること無く見ることができました。
ジブリ作品はもののけ姫以降、余りにも超越過ぎる内容で今一おいてかれてばかりではありましたが、慣れ親しんだ竹取物語を映像化する事で、見る側にも適度な考察の余韻が残されているのも良かったかなと。
あ、そうそう、観に行く前に今一度竹取物語の内容をwikiっとくことをお勧めします。
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ココから下はクライマックスに関わる内容なのでネタバレ注意です。
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皆さんがおっしゃられている通り、最後のシーンにおける音楽の素晴らしさは絶品です!華やかなメロディーと楽しげなリズムがクライマックスの悲しいシーンと、不思議と調和がとれていたと思います。こりゃCD欲しくなるわ・・・。
苦しい
ブルース・リーの名言
考えるんじゃない。感じるんだ。
この作品にはブルース・リーのこの台詞がよく似合います。
かぐや姫の物語というタイトルとは裏腹に、この作品は物語そのものを楽しむようにはなってないように思えます。
これは情緒を感じるための物語なのです。
だからこそ、手描きに拘って四季を野山の自然を丹念に描写しているのでしょう。
その移ろいゆく季節の描写は枕草子もかくやと言いたくなります。
季節とともに草木や花、鳥虫獣といった生き物たちも様相を変えていく姿に、日本の古くからの情緒があるのです。
かぐや姫の感じた、そしてこれからも感じていたかった情緒を観客である我々も感じることで、彼女の心の動きがと自分のそれを重ね合わせ、劇中の登場人物との一体感が得られる。
これはそんな作品では無いのでしょうか?
またそうでなくては、かぐや姫の行動と、それに伴う物語の流れの本質を見誤ることでしょう。
ですから画面から情緒を感じ取れるかどうかで、この作品の評価はガラリと変わるでしょうね。
情緒を感じ取れ無い人には、只々退屈でしかないけど、情緒の分かる人には感動の余韻を味わえる事でしょう。
贅沢の探求
滅茶苦茶豪華な「まんが日本昔ばなし」
「流麗とはまさにこのこと!」と言わんばかりにアニメーションがゆるゆると!気持ちよく!流れ動きます!
圧倒的な表現力!淡くも躍動的な色彩!
水彩画の世界がそのままの質感で以って動き回るってだけでもう感涙モノですよ!
ちょいと溜息が出ちゃうぐらいに美麗というか。
その表現力で充分な説得力を持たせてくれるから物語にもスルスル没入出来ちゃうんですよね。
声優陣も実力者揃いでね、特に地井武男の演じる翁がね、もう最高です。
地井さんの感情が溢れまくり迸りまくりで、泣いてんのか笑ってんのか判別不能な叫び声が聴けちゃいますよ。
でね、その翁がずっとそんな感じなもんだから、かぐや姫の存在を超越してしまってて、こう、もうね。俺はそっちに照準が合っちゃったんですよ。翁と媼サイドに。かぐや姫よりも。
だからなのか、ラストはもう翁と媼の気持ちというか、溢れ出るかぐや姫への娘としての思いというか。まさかまさか、それで泣いてしまいまして。涙が頬を伝うという。
いやいやいや。かぐや姫で泣かされるなんて。
いやぁね、うん。贅沢なひと時でした。良かったです。
これは…
「姫の犯した罪と罰」って文句に釣られたとしか
残念すぎる
ジブリ自体好きじゃないんでその辺の偏見もあるかとは思いますが、こんな風に思ったの私だけじゃないようで安心しています
感想としては、なんで今更(細かいところはともかく)誰もが知ってる物語を改めて2時間もかけて見なきゃいけないんだと
それに尽きます
目新しい設定があるとか、最後に救いがあるとかだったらまだ楽しめたものを…
捨丸兄ちゃんかっこよかったけどね
不倫はよくないよ不倫は
もうちょっと迷え
あと、個人的に帝が不死の薬を捨てるエピソードが好きなので今回なかったのは残念でした
最低…
竹取物語は好きになれない…。
幸せを感じるには不幸せを感じなければならない。
小さな幸せで満足できなければ、欲望は拡大する。
欲望はその時代背景上で拡大するが、結局は、何も持たずにこの世を去る身。
生きるだけで、生きているだけで、幸せだったと感じるには、まだ、達観出来ていない自分がいます。
かぐや姫が受けている罪と罰が、全て幸せという幸せを感じられない暮らしは、生きていないと感じたことに対するものなら、
現世に生きているすべての人の罪と罰で、
竹取物語が好きになれないのが、ハッピーエンドじゃないからだと何となく思っていましたが、仏教上修行が足りない自分としては、
輪廻転生への準備が出来ていない、自分と世界との離別への恐怖を感じてしまうからだと、この映画を観て、思いました。
ただ、やはり映画という娯楽のジャンルなので、もう少し既知の物語を裏切ったものにして欲しかったな~。
高畑監督が、かぐや姫の感情が読めずにこの物語を好きになれなく、焼き直したとしたら、かぐや姫に感情移入しやすかったです。
ただ、このテーマで、「今のすべては、過去のすべて」は、お、重い…。
誰もが知っている物語、誰もが深くは知らない物語
高畑勲。
宮崎駿と共に、ジブリの二大巨頭。宮崎の先輩でありながら、一般的にはどうしても宮崎より認知度が落ちる。宮崎ほどのヒット作に恵まれてはいないものの、だからと言って手掛けた作品が劣っている事は決して無い。「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」の実写のような丁寧な演出、「平成狸合戦ぽんぽこ」のユニークさと社会風刺を見よ!アニメーションの巨匠の名に恥じない。
そんな巨匠の「ホーホケキョ となりの山田くん」以来となる14年振りの新作。おそらく年齢的に見て、高畑監督の最後の作品になるかもしれない。
その感想は…
まず、水彩画風のタッチに目を奪われた。
温もり豊かで味わい深い。
最近のアニメはやたらとリアルな画とか斬新さを求めるが、原点回帰のようなシンプルさ。日本のアニメでしか出来ない表現。
今回の作品にとても合っている。
また、ジブリ作品は主題歌も話題になるが、本作の“いのちの記憶”は秀逸。作品の内容を表しており、エンディングで図らずもウルッとしてしまった。
誰もが知っている“かぐや姫”の物語。どんな話?…と聞かれても、10秒で説明出来る。
改めてこうやって見てみると、深いテーマ性があり、悲しい話だったんだなぁ…と思った。
かぐや姫の幸せの為とは言え、どんどん欲に走ってしまう翁。かぐや姫を我が妻にしようと躍起になる“高貴”な男たち。人間の愚かさを浮き彫りにする。
彼らをそんな行動に走らせてしまったかぐや姫の存在。美しさは罪とは酷な言い方かもしれないが、無理難題を突き付けたり、翻弄させたのも事実。
その罰は余りにも悲しい。
月に帰る。それは即ち、全てを忘れる事。草木、鳥、動物…かぐや姫が好きだった自然、幼馴染みの捨丸への想い、そして育ててくれた父と母への愛。
この地で生きた証し、この地で感じた幸せ、この世は生きるに値する。
先に公開された「風立ちぬ」とどちらが面白い?…と比較されるだろうが、ハッキリ言って愚問。
二大巨匠のメッセージをしかと受け止めたい。
生きる事と、いのちの証し。
ここ10年くらいのジブリベスト
素晴らしい、としか言いようがない。死んだような竹取物語からこんな豊かな、感情を揺さぶる映画ができるなんて。ましてや、「姫」といったら宮崎駿の専売特許みたいなところもあるが、誕生から別れまで、ひとりの女性の成長物語として、宮崎駿の上をいっていたような気がする。「赤毛のアン」のアンのように世界を輝く眼で捉え、そして成長していく女の子の物語と、幽閉されてしまう「姫」の物語。そして絵柄は「山田君」よりもこの題材にぴったりで、まさにキャリアの総決算にふさわしい題材だったんだな、と改めて思った。
自然描写よりも、人物描写に目がいった。姫の驚き、拒絶、怒り、喜びは、まさに生き物のようだった。で、ああいった隙間のある抽象的な絵柄だからこそかもしれないが、声優の質の高さが発揮されていた。
姫を演じる朝倉あき、捨丸を演じる高良健吾(今年実写最高峰『横道世之介』コンビ)、このチョイスが素晴らしい。俳優から表情を奪う声優という作業は、実は、俳優の性格をもっとも映し出すのではと思える程良かった。
こんなに雑念なしでどっぷり世界に浸れた映画は何以来だろうか。何より宮崎駿からすっかり消えてしまった意志、貫き通す志の強さに感動した。多分に実験精神溢れすぎる感じはしないでもないが、ものをつくる、というのはこうするのだという強靭な精神で、美しい成長物語を見れて背筋が伸びた。多分、むかしポールグリモーの『やぶにらみの暴君』なども美しい話と実験精神の結合だったんじゃないか。高畑勲の総決算にして原点回帰だったのかもしれない。あと何回観に行こうか、というところだ。
監督もお迎えが近いのでは?輪廻転生をロマンチックに語った作品。
高畑勲監督が竹取物語の映画化を思いついたのは、東映アニメ入社時に同作の脚本プロットの公募があったことがきっかけだったそうです。その時は応募しなかったものの以来、ずっとご自身の頭の中には、竹取物語はどう描くべきか、考えてきたそうです。
監督には、かぐや姫が犯した罪と、“昔の契り”~つまり月世界の約束事ということが、いつも引っかかっていて、地上に降ろされたのがその罰ならば、それがなぜ解けたのか。それをなぜ姫は喜ばないのか。そもそも清浄無垢な月世界でいかなる罪があり得るのかそもそもいったいかぐや姫は何のためにこの地上世界にこの地上にやってきたのか。すべてが謎のまま、答えが出せずにいたそうです。
半世紀を経て、その糸口を月での父王とかぐや姫とのやり取りに見いだした監督はいよいよ竹取物語をベースにした本作の製作にかかりました。
しかし映画化に着手した途端、肝心の父王とかぐや姫がやり取りするプロローグシーンをカットして、観客の想像に委ねることになったのです。
その結果、「かぐや姫が犯した罪と罰」は何なのか、テーマ曲で謳われる「今のすべては、過去のすべて」とはどういうことかイマイチ分かりにくくなってしまいました。レビューの後半に、独自の見解を披露したいと思います。
高畑監督が極力説明的な台詞をそぎ落として原作の範囲に留めたのは、主人公の心をとらえることにあったのでしょう。
カットした分、昔話の主人公にすぎなかったかぐや姫を、涙も笑いもある活き活きとしたキャラに仕立て、観客が感情移入し得る主人公として際立たせたのです。
子供の頃から、野の花や動物たちと親しんで育ったかぐや姫は、宮中の雅な世界に閉じ込められた自分をニセモノのといい、自然と一体となって自由に生きることこそホンモノの生き方と希有しました。ときにその渇望は爆発して、洛中の屋敷を抜けだし、野山を荒々しく駆けまわります。その怒りの表現が簡素で荒々しい線大衆だけで表現されるところが新鮮に映ります。
すべての原点となる、前半の山里の描写。まるで「動く水墨画」といっていいほど、話のタッチで花鳥風月を描きだしています。
またかぐや姫の赤ん坊のときの可愛らしさといったら、たまりません。娘の成長を見守る翁と媼の幸福感はさぞかしと共感してしまいました。少女になってからは山を駆けたり、年上の少年に好意を抱いたり、そこに息づいているのは、竹から生まれたという特別な存在ではなく、いたって普通の女の子の姿でした。
だからこそ後半、都に連れて行かれて、姫君になるための教育を受ける退屈な日々が続くシーンとの対比が引き立ちます。姫がなぜ地球での生活に嫌気がさして月に帰りたいと衝動的に思ったのか、納得できる展開でした。
この自然に囲まれた生活と都の生活の対比は単に子供から大人へ成長していくときの喪失感だけではないと思います。
姫のところに帝が忍んできて、姫を抱きしめようとしたとき、姫はそんなこの世の栄華などニセモノだと悟るのです。
これは極めて仏教的な悟りだと思います。月世界の実際が極楽浄土として、この世はあくまで仮の世界。汚れの世界。汚れの世界に住することは、真実の世界の住人からみれば、それ自体が罪なのです。そしてこの世で生きることはいろいろな苦しみを避けて通れないので罰でもあります。そう解釈すれば、姫が負った罪と罰とは何かが見えてくることでしょう。
本当の世界の価値感を知っている姫にとって、この世の快楽や栄華はニセモノで、そんなものに囚われのない清らかな心こそ本物だったのです。だから、この世の権威の象徴である帝からの誘惑は決定的でした。
自分も15歳の時に、生まれる前の世界が恋しくなり、自殺を図ったこともありました。その時は、かぐや姫とは逆にこの世に追い返されてしまいました。だから姫の気持ちもよく分かるのです。
でも、姫は醜い心の人間や、獣たちが暮らすこの世の意義も否定していません。興味深いのは、養父母の体面が必要なときは、豹変して礼儀作法やことの演奏をパーフェクトにこなす雅さを見せつけるのです。桜の花が一面に咲くなかで喜びを爆発させるのも、この世で経験する意義を姫はつかみ取っていたからなのでした。
人は帰天後に天国に赴くと、波動同通の法則に引き寄せれられて、同じ価値観の人達と毎日仲良く生きることになります。それは価値感がぶつかる地上で暮らすよりも楽ちんなことです。しかし、同じ価値観ばかりだといつか飽きが来てしまうでしょう。だから姫のように、地上に生まれ変わって、波乱に満ちた経験を過ごしたいと思うようになるわけです。
なので「今のすべては、過去のすべて」とは、輪廻転生のことを語りたかったのだろうと思います。となるとこの話は、この世に生きる意味を問うなんて生やさしいものではありません。きっと高畑監督の潜在意識には、もうすぐお迎えに来ますからねというサインが来ているのだろうと思います。ラストは高畑監督の潜在意識の願望が色濃く漂っているのではないでしょうか。
姫を迎えにやってくる、お釈迦様を先達としたお迎え集団。「姫神」のようなBGMにのってフワっとした癒される感覚でお迎えが来たらと、誰もが憧れるシーンだと思えませんか?きっと高畑監督自身も、あんな感じの安からな帰天を臨まれているのだろうと思います。
ときに彩度を落としてモノトーンぽくしたり、空中にファ~と舞い上がる質感は、ジブリならではのファンタスティクなシーンでした。そういえばラスト近くで幼なじみと空中を遊泳するシーンも良かったです。
そして多くの観客は、翁や媼との別れのシーンに、結末は分かっていても涙してしまうことでしょう。そこにインターバル取ったのは、高畑監督の憎い演出だと思います。
感動した!
内容批判する人はおかしい
感動しました。
エンディング聴きながら涙が止まらなくなりました。
周りに子供が数人いましたが、子供は途中から飽きていました。
内容について批判する人に関しては、レビューを書かないで欲しいです。
この映画はもともとの竹取物語を忠実にアニメーション化しています。それを理解していないのでしょうか?
まさか竹取物語でここまで感動し、泣けるとは思いませんでした。
子供ではなく、大人の方に観てほしい作品でした。
二本立てのままだったら良かったのにね。
久々の駿以外のジブリ鑑賞。
ビックリするくらいにど直球に「竹取物語」。
故に斬新さも驚きも無く、ただただ淡々。
もうちょっと、劇映画的に捻るかと思いきや。
なのにとにかく長い!本当に長い!無駄に!涙
90分でも語れる話を、とにかく伸ばし伸ばしで水増し臭にイライラ。
作り手の本意は知らない。
でも「ジブリ」で観に来た(来させられた)ガキンチョが、途中で何度も飽きた騒ぎを起こした時点で、
オッサンも同感だよ…作品としての質、低過ぎる!
誰にも共感出来ない人物描写に、デフォルメにも程が有るキャラデザ。
(帝、シャくれ過ぎてて爆笑!)
併映用の尺なら、良作で収まっただろうに…
137分、コレはアニメーションの無駄遣いだよ!涙
ただひたすらに、監督の演出力の低さですな…
罪と罰
見方が違うかもしれないのでもう一回見に行くつもりです。
姫の月への願いが罪だったのか?罰としての月への帰り?
背伸びをした現実に抗いながらも何とか生きて行くのか?規律や道徳を無視して何もかもぶん投げて逃げ続けるのか?
それぞれに罪と罰があるように思える。
目の前にある人生、与えられたもの、近くにいる大切な人たち、ありがたみが普段感じられないものが、いかに人生とって重要なのか?
かぐや姫はわずかな記憶と共に月に帰って行くのだけれど、また、恋しくて帰ってくるんでしょうね?
現世とあの世
かぐや姫がなにかに向かって疾走する、そんな予告編を
見たとき、なんかぼよんとした絵のタッチに違和感をもった。
だから、もしピカデリーの特典でみることができなければ、
そのままスルーしていたかもしれない。
でも、その映像も5分もするとなんともいえない幸福な気分
になった。竹の子の成長していく姿、鳥や虫や獣といっしょ
になって生きていく姿、お兄さんに淡い恋心を抱くところも
水彩画のような映像が実に瑞々しく描き出す。
ストーリー的には、僕が知っている「竹取物語」のアウトライン
には違いはないのだが、なぜ、こんな現実離れしたシュールな物語を
昔の人は創ったのか、すこしわかったような気がした。それは現代の
僕らも同じように感じることではあるのだが。
地球(現世)は混沌としている。金や権力に埋もれてしまう可能性も
ある。だけど、生きものがいて、春夏秋冬があり、恋もある。
つまり、悲しみもあり、そして、大きな喜びもある世界なのだ。
月(あの世)には混沌も混迷もない。実にハッピーな状態だけが
ある。それが常態化した世界。つまり、悲しみがない代わりに、
大きな喜びも感じることがない世界なのだ。
かぐや姫はその両方を見てしまったのだ。
だから、揺れ動く。そんな罪と罰。
瑞々しい映像と共にそんな哲学的、宗教的な映画だと感じた。
罪悪感の物語
生きるとは
ジブリ全作品を観ているので、今回も観に行きました。
5回ぐらい泣きました。
地井武男さんの声優最後の作品。
立つことができるようになった姫を呼ぶのに一生懸命な翁のシーン、声が枯れ枯れしており亡くなった地井さんとダブらせて泣いてしまいました。
手書きの絵、自然の豊かさが本当に美しく描かれています。
しかし、ストーリー展開が淡々としているため、ハリウッドなどの激しい展開が好きな方はあまり好まないかもしれません。
自分の生まれた意味とは、自分の親を喜ばせたい気持ち、せめて妄想のなかで自由になる自分
自分の本当の気持ちと周りが自分に求めるものとの葛藤、心を閉ざす感じ…けれども心のどこかでは自由を諦めていない感じを描いていました。
個人的にはとても共感できたし、素晴らしいと思いました。
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