かぐや姫の物語のレビュー・感想・評価
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温もりの記憶
※いつも以上の長文注意です。
僕は昔から文系の授業は好きだったが、
中学の頃に習った古文は、僕からすればシステマチックに
解読するだけの暗号文みたいなもので、ずいぶんと退屈に
感じていたものだった。
『竹取物語』に関してもしかり。せいぜい『地位や名声に
目が眩むと駄目になりますよ』くらいのメッセージしか
受け取れない寓話としか思っていなかった。
ところが本作はどうだ。
導入部は原作と全く同じだし、話の大筋も変わっていない。
なのに、その合間合間を補完するだけで、あんなに味気なく
思えた物語が、ここまで心に迫る物語になるなんて。
* * *
水墨画のような柔らかなタッチで生き生きと描かれる
キャラクター・生き物・風景の数々。画は写実的とは
言い難いのに、どの人物も下手な実写映画以上に
人間臭くて身近な人々に感じられる。
社会的な幸せと娘の幸せを混合して少しずつ歪んでゆく父、
夫に付き従いながらも真に娘の幸せを理解していた母、
かぐや姫を“物”としてしか見られない、
欲深くて情けない男たち、
薙刀を置いて唄を歌ったまんまる侍女。
そしてもちろん、かぐや姫=“竹の子”。
彼女は昔の幸せだった頃を取り戻したかっただけだった。
自然の中を駆け巡り、父や母や友達と
毎日を笑って過ごしたいだけだった。
時代が異なっても、人が何を幸せと思うかに
大きな違いはないのかもしれない。
優しかった父母、不可思議な生き物、きれいな草花 、
共に野を駆けた友人、淡い恋心の記憶。
ラストシーン。
羽衣を着せられてそれら全てを忘れることが、
どうしてこんなにも悲しいのだろう?
僕らは『忘れる』ということを
どうして悲しいと感じるのだろう?
* * *
ここから先は以前『オブリビオン』のレビューで
書いた内容と多少似通ってしまうのだけれど……
『あなたが何を大切と思うか』という質問は
『あなたは何を憶えているか』という質問と
ほぼイコールだと思う。
記憶、記憶、記憶。
古い記憶を漁ってみる。
あなたはこれまでに、
何を醜いと感じ、何を美しいと感じたか。
何に喜びを感じ、何に罪悪感を抱いたか。
何を幸せと感じ、何を不幸せと感じたか。
それらの記憶全てが今のあなたを形作る。
だから、『幸福とは何か』なんて人それぞれ。
幸せに生きたいのなら、
幸せだった頃の記憶を辿って生きればいい。
誰かの押しつける幸せなんかには目もくれず、
自分の幸せだった記憶に従えばいい。
* * *
それだけでいいはず。
それだけでいいはずなのに。
“竹の子”と同じく、
身動きの取れなくなっている自分がいる。
親の期待や、親しい人々の想いや、
社会で生きていく為の決まり事や、
不条理なほどに容赦のない突然の災難や、
そんなこんなの色々なものに縛られて、
いつのまにか身動きが取れなくなっている。
なんだこれは?
重くて動きづらいあの十二単(じゅうにひとえ)
のようじゃないか。いつの間にこんなものを
着せられているんだろう、僕らは?
走っても走ってもしがらみから逃れることはできない。
あなたはこう感じたことはないだろうか。
世の中はいつから、こんなに悲しくて窮屈な場所になってしまったのだろう、と。
記憶の中の世界は、こんなに美しくて自由な場所なのに。
歳を取れば取るほどに、なぜだかこの世界は
擦り切れ色褪せ薄れていくかのようだ。そんな想いは、
かぐや姫の時代の人々から変わらないのだろうか。
* * *
“竹の子”の背負った罪と罰とは何だったのか考えてみる。
予告編から僕は、彼女が何かの罰で
月から地球に堕とされたのかと予想していたが、
実際は地球に降り立ったのは彼女自身の意思で、
月の人々はむしろ幸福になれるのならそれでも
構わないと考えていた様子だった。
思うに、ここでの“罪”とは、誰かから向けられたもの
ではなく、彼女自身の罪悪感を指していたのではないか。
終盤の彼女は「私の身勝手な振る舞いのせいで
皆が不幸になる」という想いに苛まれていた。
彼女にとっては自分の心に従うことが罪だったのだ。
ならばそれに対して自分で下せる罰とは? 自分の心を殺すことだ。
記憶を失って去ることは、周囲の人にとって彼女の死に等しい。
「私はここから逃げ出したいと月に願ってしまった。
すぐに後悔し、連れて帰らないでくれと願ったが、
彼らは聞き入れてくれなかった」
この言葉の意味が今は掴める気がする。
この世から抜け出したいと願うことは死を願うこと。
そして一度死んでしまえば、
いくら後悔しても取り返しは効かない。
罪悪感、そして自罰の意識。
彼女は自分で自分を裁いて、空へ消えてしまった。
* * *
救いがあるとすれば、だ。
死者が後悔するかどうかは分からないが、
“竹の子”には後悔する時間があった。
もう一度、自分の幸福を省みる時間が。
必死にこの場所に残らなければ幸福を再び紡ぐことは
できないし、自分がここに残ることが周囲の人間に
とっての幸福であるということに彼女は気付いたはず。
世の悲しみや怒りにがんじがらめにされながら、
それでも人は生きている。
それはきっと、幸せだった頃の記憶が
こう諭してくるからじゃないだろうか。
ここに踏み留まれ。冬を耐えればいつか春は巡ってくる。
生きるに値すると思えるものが、
この世にはまだ残っているはずじゃないか。
* * *
今一度、古い記憶を漁ってみる。
僕はこれまで何を憶えて生きてきただろう。
あの人、あの生き物、あの音、あの匂い、あの光景。
僕らが憶えている事にはきっと、僕ら自身にとって
憶えるに値するだけの価値があったのだ。
その記憶を大事にしながら生きれば、
世の中はもう少しだけ温かく色づいて見えるかもしれない。
〈2013.11.23鑑賞〉
期待はずれでありきたり。薄っぺらい。
期待が大きかっただけにがっかりでした。予告CMにはぐっと来るものがあり、楽しみにして映画を見に行きました。
この映画は何を伝えたかったのか。CMで触れられたかぐや姫の罪と罰については劇中でほとんどでてきません。
姫にたくさんの貴公子がプロポーズしてきますが、彼らを「所有したいだけだ」とか、「内心姫のことを愛していない」と決め付け、無理難題を言いつけます。表面的なフェミスト気取りでくだらないと思いました。その後、貴公子たちはあの手この手で姫の願いをかなえようとし、挙句に死人まで出るところは原作と同じです。
劇の序盤に出てきた男性とは最後には結ばれます。彼は田舎ものでさらに泥棒です。平凡が一番いいということでしょうか。それとも初恋を貫き通せといいたいのでしょうか。なぜ都の貴公子はだめでこの田舎者がよかったのかはさっぱりわかりません。
姫が都にでききたのに屋敷の片隅で機織や菜園を続けていたのも理解できません。日本人は労働にしか生きる意味を見出せないのでしょうか。姫は文芸にも秀でています。これでは田舎ものが都会に順応できなかっただけにしか見えません。
残念ながら私はこの映画から、
権力=悪 非権力=善
都会=悪 田舎=善
男性=悪 女性=善
という単純な決め付けしか見出せませんでした。
極めつけは終盤で登場した帝です。彼はあごが長いばかりか、あからさまなやり方で姫を手に入れようとします。わかりやすい悪者でより映画を薄っぺくしています。帝のせいで姫は月に帰りたいと願ってしまい、一度願ったことは月では取り消せないとか意味不明です。
劇中では姫は地上でいやな思いしかしていないように思えます。姫の気持ちを理解しない翁と男たち。そんな人たちばかりの地球に姫は何の未練があったのでしょうか。
かぐや姫は犯罪者なんです。その罰として地上に降ろされたのです。いったいかぐや姫はなぜどのような気持ちで罪を犯したのか。そしてどのような気持ちで地上で生き、貴公子たちのプロポーズを受けたのか。劇中ではまったく触れられていません。
CMはすばらしかったので評価は2をつけておきます。あとエンディングテーマはよかったと思います。
『生きる』ために生まれてきた。
素晴らしい作品だけに真剣にレビューします。
ジブリ作品は久しぶりに鑑賞しました。
これはまさしく今年の最高傑作です。
一言で表すと『居心地の良い映画』!
特筆すべき点は一つ一つのシーンが芸術に値するほど美しいこと。日本の四季折々がアニメーションにより鮮明によみがえります。これは日本のアニメーターしか出来ない風景です。
また、かぐや姫がかわい い赤ん坊から純粋な幼女時代、華麗な大人になるまでの成長の過程を見届けた観客は我が子のように愛着がわき、愛しくさえ見えるでしょう。
私はそんな『我が子』の最後のお別れのシーンでは切なさと腑に落ちない気持ちで大号泣しました。
エンドロールもしばらく動けない状態でした。
多少上映時間は長いですが、テンポも良く笑えるシーンもあります。
主題歌も聞き入ってしまいましたし、声優陣も朝倉あきさんの声がとても美しい。
原作に忠実が故にストーリーに起伏がないと批判もありますが、
シンプルで国民的に親しまれてる童話だからこそ美しいものが出来たのです。
現代だからこそ、この物語を見るべきです。
この作品に出会えて本当に良かった。
とても美しい世界にあたたかみの満ちた映画。
5日たった今でも、目に心に綺麗な場面がやきついていて、すぐにでもあの世界観に浸ることができます。
自分でもいつか味わったことのある瞬間瞬間を、とても精巧に表現されてあり、こんなに人間味のある、私と等身大の1人の女性がそこにはいて、彼女に気持ちが痛いほど共感し、見たあとはもう、かぐや姫の物語ではなく、生きた証を見た思いでした。
シンプルな美しい絵なのに、全てが細かくリアリティに飛んでいて、一気に当時へ引きこまれた感じです。
あまりにも美しく不思議な世界に、まだまだいたいと、エンドロールが
口惜しいぐらいでした。
DVDのときには、間と間をもっと贅沢にふくらまして頂いて、あと30分長く美しい世界を盛り込んで欲しいと本気で思うほど、この世界観はどこの何にも類似がない作品でした。
まだまだ、深くて1回では気付けていない部分がありそうで、世界にひたりに2度3度と見たい映画でした。
かぐや姫=メッセンジャー(?)
映画を見た時、最後の方で「罪と罰」を語るかぐや姫に全く魅力を感じませんでした。
生きる喜びと生きているがゆえの悲しみをクライマックス直前まで人一倍その身に感じながら生きるかぐや姫に共感しながら見ていただけに、一気に興醒めした感じだ。何かを語る時、我々は証言者ではあっても真理を語る者ではない。作品の核心に乗せていきなり哲学的なことをベラベラと喋りだしたので、かぐや姫の姿と自前の思想を伝えようとする監督の顔が重なった。この主人公に魅力を感じるには、後光を背中一杯に湛えた天上人の、権威者としての姿を見なければなるまい。もはやそこに共感は存在しない。
しかし、である。月時代のことを思い出したかぐや姫は〈この地で生きたい〉と願い、〈もしも…だったらあなたと一緒に幸せになれていた〉と夢見る未練がましい生娘ですらある。生きる意味を悟った瞬間、自分が異邦人であることも同時に悟ったのではないか。家に帰って、「月世界の一人の人間」としてのかぐや姫の立場を思った時、天上人・かぐや姫の悲しみも分かる気がした。
ともあれ、この地球で生きることを称え、「穢れてなどいない」と語るかぐや姫の言葉は、共同体を自ら去った古代ギリシャの伝説の人・ソロンが故郷に残した法のように、ひとつの権威であって良いのではないか。
だから、この作品とクライマックスのかぐや姫の科白は『かぐや姫の物語』の作者からのメッセージではなく、「かぐや姫の物語」に固執し続けた人のひとつの証言なのだ。
ただ、サスペンス性がないので面白味に欠ける。主にアニメーションの美しさを楽しむ作品です。
中高生にお勧めです。
ほぼ原作の竹取物語です。古典の苦手は人はお勧めです。竹取物語と公達とのやり取りは良く試験でみましたので。昔話のかぐや姫と少し違うので、試験で初めて読むと面食らうので。ただし、原作に込められた深い意味についてはここでは分かりません。文系の人には物足りないかも。
映画評としては、エンターテイメントというより芸術作品です。画は美しいし文句なしですが、いかんせん原作が1000年ほど前のものなので現代人には退屈と感じると思います。源氏物語が現代語でもリメイクされていますが、竹取物語はリメイクされていないことから明らかです。正直言って、監督の自己満足のための作品だと思います。ただ、画は本当に美しかった。国内の有名スタジオのほとんどが参加しています。アニメはリアルに描けば良いのではないと痛感しました。
姿無きエゴイズムの形。
宮崎駿の『風立ちぬ』に続き、今年のジブリ作品は手強くて、じつに楽しい。
どちらも傑作であり、
また巨匠と呼ばれる人物が、エゴを全開にして作品を作っている点で共通しているのが、興味深い。
『風立ちぬ』は、
宮崎駿個人の理想、思想、意志で描き抜いた、エゴイズムな作品である。
その表現のために堀越二郎、堀辰雄とゆー二人の人物と、
日本戦史から航空機の歴史までも媒介とした、バケモノのよーな映画だった。
『かぐや姫の物語』は、
原作である「竹取物語」に忠実であり、逸脱したものではない。
現代的な解釈があるわけでも、斬新なアレンジがあるわけでもない。
ならば何故、
今、このよーな作品を完成させたのか。
まず、『かぐや姫の物語』には、高畑勲監督個人の投影は、一切ない。
ジブリアニメ的な特徴すら乏しく、物語は昔話である。
しかし、圧倒的な絵の力、動画はジブリだからこそ描けたもので、
昔話を語る、魅せる力は、高畑勲の非凡な演出によるものだ。
完成までに8年もの時間と、莫大な制作費が費やされた。
監督やスタッフにも高齢な方が多く、安易に次作を望む状況ですらない。
そうして生まれた作品とは、何か。
遺産である。
誰かが、
誰にでもわかる、最高水準のアニメーションを、
日本だけではなく、世界にも向けて作らなければならない。遺さねばならない。
そんな姿なきエゴを命題として、この作品は生まれたのだと、感じられた。
灯火のような、
時代の風化にも耐えうるアニメーションを作る、と。
そしていつか、
この作品に触れることで、新たな高畑勲や宮崎駿が生まれることを、望むかのように。
人として生きる、ということ
この映画が持つ魅力の強さを、どんなに多くの言葉で語ったところで、伝えきれないものがあります。
この映画に触れることで初めて、わかるものがあるとしか言い表せないものが、この映画にあるように思うのです。
かぐや姫は月で居た頃に、命あふれる地球に想いを馳せたことが罪となり、罰として人として生きる事を強要されます。
月は病気、死、喜怒哀楽さえない、安定した世界。無の世界ともいえると思います。
しかし、そんな月の世界から見れば、地球の世界は不安定で穢れた世界だと認識されている。かぐや姫は地球を見てみたいと思った、知りたいと思った。地球で人として生きる事はかぐや姫にとっては罰ではなく願ったり叶ったりの出来事だったんだと思います。
命あふれる地球で人として豊かに育つかぐや姫。土に触れ、虫に触れ、動物に触れ、風を感じ、食べ物の旨さを感じ、人として生きる喜びを感じていく。
しかし、大人になるにつれ、自由は奪われ、思いのままに生きる事は閉ざされます。
かぐや姫はそれに耐えながら生きます。
自分を殺してまで。
それは自分を育ててくれた、翁と媼への感情があるからです。翁はかぐや姫の幸せを願ってそうするのですが、かぐや姫にとってはそれは苦痛でしかない。しかし、翁が自分を想う気持ちも痛いほど、かぐや姫はわかっている。
そんな翁の気持ちを尊重しながらも、誰かの物として、生きる事へは拒絶しつづけます。
それでは本当に死んでいるのと変わりないとかぐや姫は思ったのでしょう。
ただ、そんな姫の健気な生への渇望さえ、自分自身を苦しませる事になってしまう。
そして、とうとうかぐや姫は、地球に失望を覚える。人として生きる事を嫌だと思ってしまう。それが引き金となりかぐや姫の罪は許され、月からの迎えがくる事になる。
しかし、かぐや姫はそこからまた、ここで生きたいと願うのです。地球で生きていたいと。まだ、自分は人として生きたりてないと。
しかし、そんな想いも虚しく月から迎えが来て、人として生きた記憶をなくし月へ帰っていきます。
ただ記憶を失っても、かぐや姫の中にはちゃんと地球での経験がまだ息づいてる。生きた証が残ってるんじゃないのか。そんなふうに最後は感じました。
地球で人として生きた事はかぐや姫にとって、よかったのか悪かったのか、考えを巡らせたところで、無意味なのはわかりますが考えられずにはいられません。
そして、そんな疑問は自分へと返ってくるのです。
いま人として生きている自分へと。
おまえは今、人として生きていて、どうなんだと。
かぐや姫は人として生きる喜びと苦難を体現し、それを全部丸ごと肯定してみせた、肯定してくれた、素晴らしいヒロインでした。
最高の日本アニメかも
日本の風景を美しく繊細なイラスト的動画で表現する作品、これだけなら予想した通りですが、その上、シナリオはあくまでも現代劇、物語に引き込まれ、あっという間に2時間が過ぎてしまいます。
生を受けながらそれを無駄にしてしまう姫、姫の悲しみ、翁媼の悲しみが自分の娘や親との関係と重なり、今でも主題歌を聴くと涙が出ます。久々に思い切り泣いて、日頃の嫌なことも忘れスッキリ、今日から子供をしかるのは止め、前向きに仕事に取り組む、そんな気分にしてくれます。製作費50億とのことですが、あの繊細なイラスト絵を動かすのは相当の苦労があったかと思います(未だにどうしたのか想像できない)納得です。この美しい世界の中で活発で可愛く知的、優しさもそなえた姫が遊び、笑い、運命に出会い、悩み、苦しむという魅力的な映画です。10年後には一家にDVDが一枚国民的な映画になるのではないでしょうか。
わからないけど泣けた
理由はわかんないけどかぐや姫の赤ちゃんの頃の映像で涙でた。
多分、地井武男が力いっぱい姫ーおいでー姫ーって言ってるところが来たんだと思う。地井さんこれ見たかっただろうなあ、そう思ってなんだか泣けたんだと思う。多分。時間かけすぎた高畑さんは地井さんに謝った方がいいのでは…
でも物語が進むに連れ別にかぐや姫に感情移入できるわけではなかった。やっぱりかぐや姫より翁と媼に感情移入してしまう。子供いないしそもそも結婚してないし20代だけど。
私を物のように扱うなんて!私だって人間よ!誰のものにもならないわ!私は美人で頭良くて器用で完璧だけど誰のものでもないわ!私は私!…って、10代アイドルが中2病発症したような言動は痛々しいだけです。
あと度々つっこみどころあって笑った
おいおい不倫かよまじかよ、とか
月の迎えの音楽隊空気読めなさすぎだろその陽気な音楽聴いただけで笑えてくるわ、とか
帝あご長すぎだろどこの幸せの国の国王だよ、とか
地球は感情あるけど月は感情とかないから平穏でいいよねーとかどこのインキュベーターだよ、とか
まーわれまーわれのあの曲使いまわしすぎだろ飽きだよゲド戦記じゃないんだからさ、とか
ツボに顔突っ込んで死ぬとこおもいこれ笑えってことだよな多分…超すべってるけど、とか
帝に抱かれたとき無表情でスーンてどっかいくのシュールすぎるだろ、とか
媼の乳首の生々しさなんかやだ、とか、いろいろ。
罪とも罰ってなんぞや、どうせキャッチーなコピーつけたかっただけだろうからそれについての言及はなしだろと思ったら、すこーしありました。
姫の犯した罪は地球に憧れることでしょ多分
じゃあ送り込んでやるよ、が罰ですよ、きっと。
地球を見て黄昏てたあのおっさんのエピソードみてみたかったな。まあそれはそれで蛇足になりそうな予感。
富士山のくだりを期待したが何もなしが残念。まあいいけど。
でも、大都会の中にある公園で「あー自然て癒されるーまじロハスー」とか言ってる人間たちに違和感を覚える私にとって、こんなの偽物よー!と激怒するかぐや姫の気持ちはとてもよくわかる。
うーん、あと、
このままでは物語が進まないだろう
とか、現実的に苦しくなってきたなとか、そういうエピソードは全て夢オチで済ませてます。その先描けなくなっちゃったから夢オチにしちゃえーという製作者の声が聞こえてきそうです
そんなもんかな
これで50億か…映画の世界はわしにはよくわからん、わからんほうがいい。
夕べ何度も書き直しました。
不思議な感じ
古典文学を膨らませた内容なのだが、現代に通じる問題など、色々考えさせられる。親が子供に過度に期待したり、本当の幸せとは何かなど。帝の求婚も断り、地球の生活に絶望したかぐや姫は、月に帰ることを願ってしまう。幼い頃の捨丸との再開も果たし、記憶も失い、月に帰っていく。そのときの音楽が素晴らしかった。捨丸は結婚して子供もいるのに、たけのこ(かぐや姫)と一緒に逃げようとしたのは如何に・・・。
リアルな「いのち」
試写会で観てずいぶん日がたちましたが、
観た時の感触がいっこうに薄れません。
とりつかれたように、いろいろ考えずにはいられませんでした。
この映画そこここで、
「極上の映像の昔話」「話は竹取そのもの。絵が綺麗。」
みたいな称えられ方もされてます。
確かに、ため息がでそうに美しい画面であることが大きな魅力ですが、それだけではこの映画の衝撃十分には語りつくせてないと思ってしまいます。
だってこれほどまでに丁寧に丁寧に
いのちが描かれてるんだから。
ざっくりいうと、
あのわらべうたは「罪と罰」であり、
それがこの映画のすべてなんですよね?
”わらべうた”は、
謎解きができてしまいそうなぐらいに綿密にかつ極限まで無駄な説明描写なしに、物語に織り込まれていて、
リアルな地球を浮き彫りにします。
生きることを鋭く描きだしています。
そして、
「地球に生れ落ちて、とりむしけものくさきはなひとのなさけ…つまり苦しみ悲しみ醜さの中で生きる」これが罰であるならば、
この物語はいよいよただのおとぎ話ではなくて、
今痛みを感じながらこのいのちを生きている、私たちの物語でもあるのかな、と思われてなりません。
最後に…
エンディングの’いのちの記憶’から
「必ずまた会える 懐かしい場所で」
とあるけれど、
姫の出会ったひと(地球で生まれ死に生まれ死にゆくひとたち)と姫とは、もう二度と絶対に会えないんでは?
この歌詞は虚しい慰めなのかな?
と思ってました。
でも、
天人ってそもそも何者なんだろう?と調べてみたら、私はちょっと勘違いをしてたとわかりました。
きっとまた会えるはず。
P.S.私事ですが石作皇子役上川隆也さんが好きで、舞台などいろんなところで上川さんをみてきました。が、こういった形の出演でここまで彼の魅力がひきだされて、作品の確かな一角になるとは!……という驚きもありました。キャストの魅力の引き出し方も、この映画の魅力の一つだと感じました。
美しく静かにどっしり
見終わって余韻の凄さに動揺。最後、2001年宇宙の旅を思い出した。
ジブリ映画でもほとんど宮崎駿監督作品しか見ていなかったが、この作品を見たら、根底にあるのは同じメッセージだと感じた
。引退会見で宮崎駿監督が言ってた、それでもこの世は生きるに値する、という信念を高畑勲監督も共有しているんだなと思った。
と思っていたら、プログラムを読んだらやはりそのように書いてありますね。
この視点や人生観は極めて日本的というか東洋的なのではないかと思うが、日本人の私にはすごく刺さるメッセージ。
アニメは見慣れないタッチだからファンタジー感があり、鑑賞中も入り込むというよりはあくまでも、物語を見ているという感じで、それはこの作品にはとても合っていると思った。
翁がすこしテンション高すぎると思うフシはあったが、他のテンションがかなり低いのであれはあれでよかったのかも。
主題歌もエンドロールですごく効いていたし、冒頭の竹取物語の語りも国語で読んだなぁと懐かしかった。終わり方も、すごく、残酷にあっさりと終わる。
日本最古のお伽話、大人向けの美しい作品だと思います。
親の愛、子の愛
[2回目の感想] 2018.5.22
一度目を見たのは5年前で20代。今は30代になり子持ちになりました。
子供が出来るとガラッと視点が変わりました。翁はお金を手に入れて変わってしまったように見えてましたが、その時代の価値観での最高の幸せを娘にしてあげたかっただけのこと。無理に結婚させようとはしないし、本人の意思も尊重してるいい親だと思うようになりました。
かぐや姫が美しくなく、琴も下手、礼儀作法も出来ないだと諦めもつくんでしょうけど、完璧な姫。
そんな姫なら手に入れて当然の幸せを手に入れて欲しい…と思うのは親心です。
姫が最後に捨丸と再会した時、捨丸は妻子がいるのに姫と逃げようとした。それだけ、特別な存在だったかもしれません。見ていて、このまま逃げれたらいいな…とも思いました。でも、どんな理由であれ、家族を捨てる人。立場が違うだけで捨丸も都の人と変わらないように思います。
それに、捨丸は自分の生活は盗みもすると言っていて、それは貧しい人にとっては当たり前かもしれないけれど、姫が捨丸や田舎での生活を美化してるようにも感じました。
一度目と一番が印象が変わったのは媼です。以前は翁に何も言わないと腹を立ててましたが、男性の意見が絶対の時代だから仕方がないな、と。許される範囲で自分を見失わないように、小屋や畑を作り、自分を保っている所は本当に素晴らしく、生きる上でのヒントになりました。
姫も両親が大好きだったから、反抗出来なかったのが伝わりました。怒りや諦めを自分自身でけじめをつけながら生きていく姿はかわいそうでした。
少しずつの家族のすれ違いで起こった悲劇の結末に、子供の考える幸せ、その幸せのために親がしないといけないこと、それをしっかり考えないといけないという気持ちになり、余韻の残る作品でした。
好みが分かれる絵も、私は味わいがあり、原作の竹取物語の世界観をそのままアニメにしたように感じ、その表現力の凄さを今更ながら理解出来ました。
一般的な今時の受けるような絵にしなかった事に好感を持ちました。
[1回目の感想] ☆3.5
絵が好きではなかったのですが、ケタはずれの製作期間と製作費に驚いて劇場まで足を運びました。
事前にそれらのことやプレスコを使っていると知らなければ、昔話を膨らませた内容にしか思わないと思います。
どこまで深く考えるかによって、映画の評価は分かれると思います。
翁と嫗、二人はとても姫を思っていますが、行動が違います。
才能ある、恵まれた環境に身を置ける子供をそうしてやりたいと思う気持ちは親なら誰でも思うと思います。しかし、それを望まない子供との関係に思えました。
高貴な姫に育てられて行く姫が心の拠り所に場所を作ったのが驚きでした。
捨丸が最後既婚だったことも。姫は知らずに男性を狂わす魅力を持っているのかなと思いました。
姫は自分から何かしなくても、産まれながらの美貌やお金を持っていることで、それに振り回される他人がいて不幸せにしてしまうのが、罪と罰なのかなと感じました。
月へ向かうのは死を連想しました。
姫がここへいたくないと願ってしまい、後戻りが出来なくなったことも死を感じました。
かぐや姫の罪と罰が何なのかを考えながらみると面白いと思います。
見るたびに新しい発見がある映画だと思います。
昔の日本の美しさや赤ん坊のしぐさが忠実に表現されていて、感動しました。
家内は、半分寝ていました
ジブリファンです。
「風立ちぬ」は2回見ました。もう一回見てもいいかも。
「かぐや」見に行き、隣で家内は、半分ぐらいスヤスヤ寝ていました。
見終わった後「よく寝たわ~」・「原作通りで眠気に負けた~」ですって!
ジブリ史上最低の映画ではないでしょうか!
1.原作通りのストーリーで、8年かけた脚本の仕掛けも不明。
2.日本昔話を単に2時間にしただけの映画。
3.この映画でなにを訴えたかったのかさっぱり不明。単なるファンタジーではないのですから。
4.絵がきれいって、8年・50億かければだれでもできるでしょう。
アニメ手法の革新を監督が言っているようですが、感動なし。
5.終盤で かぐや姫の不倫を示唆するような表現になっていて 「唖然」
不倫しそうになったのが「かぐやの罪?」
なにがなんだか さっぱり わかりません。
6.高畑監督の「道楽」です
7.製作費50億円の3分の1も回収できないでしょう。
8.この大赤字で、高畑監督の予言する 駿のカムバックが予想されるわけです。
~また 駿のジブリを見たいので 高畑監督に感謝!!!~
ヤバイ
かぐや姫の話で泣きそうになってしまうなんて…。
娘と一緒に観に行ってたのでちょっとかっこ悪いなぁ…って思ったら、天人界の迎えの音楽に力ずくで幸せ気分にさせられ茫然自失状態になってしまいました。
あの音楽と映像にはドラッグっぽいモノを感じました。中毒性アリ。
全302件中、241~260件目を表示