かぐや姫の物語のレビュー・感想・評価
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単なる「日本昔ばなし」のようで、そうではない
始まってしばらくして「ひょっとしてこれは単に日本昔ばなしを大スクリーンで観ているだけでは、、、」と不安がよぎったが、最終的にその心配は杞憂であった。
深い!生き方や宗教も絡む深い映画である。
※“天の使い”をあのような無慈悲で強引な一団として見せたのはこれまでになく斬新であった。
捨丸の存在が光る、圧巻の竹取物語
最初に惹かれたのは、予告で目にした、みずみずしく躍動的な画の美しさ。本編はもちろん期待以上に素晴らしく、最初から最後まで存分に堪能した。とはいえ、それ以上に心を揺さぶられたのは、物語そのもの。これまで様々な形で表現されてきた「竹取物語」の中で最高であり、今後も、これを超えるものはまず出ない、と思う。
何と言っても、姫の性格付けに説得力があり、魅力的。これまでのものは、求婚者たちの生き生きとした人間くさい立ち振る舞いに比べ、姫や帝の描写が控えめすぎたり踏み込みすぎたり。たとえば、求婚者を振り回す姫も、姫と帝の淡い恋模様も、どうもしっくりこなかった。何より、主役の姫が脇役より魅力を欠くなんて! 一方、本作の姫は血が通った人間(地球人ではないけれど)であり、生きる活力そのもの。スクリーンを所狭しと跳ね回り、喜びも悲しみも身体いっぱいに表現する。だからこそ、そんな彼女の真の姿を知らずに、うわべだけで求婚する輩の浅はかさが際立ち、「姫君」の枠に押し込められる彼女の息苦しさと孤独が、観る者の胸に強く迫る。
そして、オリジナルキャラクター•捨丸の存在。都へ移り住んでも草木やケモノと生きる「人間らしい暮らし」への愛着を忘れず、姫を支え続ける媼以上に、彼女に近しい存在=心惹かれた地球人として、彼を登場させた点が成功している。彼は、ごく当たり前に自然の中で生き、理屈や損得にとらわれず直感的に振る舞う。山での生活=捨丸たちとの伸びやかな日々が丁寧に描かれている分、都での生活に苦しみながらも、姫が月に帰りたがらなかったわけが、ストンと腑に落ちた。
圧巻は、捨丸と姫の、最後の再会の場面。分別をあっさりと脱ぎ捨てて感情に流れ、躍動してしまう地球人のもろさにして最大の魅力…を、視覚で表現しきっていてぞくりとした。大小様々な物事から喜び悲しみを見出す心の豊かさはもちろん、こずるさも、愚かさも、弱さも…全部ひっくるめて、姫が愛した地球人の姿なのだ、と改めて気付かされた。同時に、人間らしく生きるには、草木や他の生き物と共に生きる、手ごたえのある生き方(『天空の城ラピュタ』の「土から離れず生きる」にも繋がる)が必要なのだ、とも。
観終えて数日…幾度となく本作を思い返すうちに、あの激情と至福に包まれた二人の姿は、姫の視点ではなく、捨丸のものかもしれない、と思い当たった。とはいえ、平安時代の人々は、誰かが夢に出てくるのは、自分が強く想ったからではなく、相手が自分を想っている証、と考えたという。とすれば、捨丸の体験は、姫の強い想いが生み出したもの、となる。あの再会は、引き離された二人の想いが、偶然と必然のはざまで重なりあった瞬間の、美しくも恐ろしい奇跡(または月世界の情け)と思いたい。
線1本で繊細なニュアンスを表現した珠玉のアニメーション
手描きでしか出せない繊細なニュアンスで描かれたアニメーションは、見ていて息が詰まるほどの凄みがあって、特に都にでるまでの描写は圧巻です。赤ん坊や小さな子どものほやほやとした感じが線1本で表現されていて、予告編にも使われた荒々しいタッチでかぐや姫が駆けるところなど、気持ちが伝わってくる“いい絵”のシーンがたくさんあります。
ひとりの女性の生涯を描いた物語も、いろいろな読み解き方ができます。例えば、最後にどんなことをしてもかぐや姫が月に連れていかれてしまうのは、人間は死から逃れることはできない、というふうにも読み取れるように思えました。
ただの竹取物語なのに、なぜこんなにも泣けるのでしょう? 誰もが知る...
ただの竹取物語なのに、なぜこんなにも泣けるのでしょう?
誰もが知るストーリーで結末も分かっている。
分かっているからこそ、切ないのでしょうか。
一つ一つ手描きで描かれた柔らかいタッチは心安らぎ、頬が緩む。
そんなタッチとは正反対の、姫という立場に違和感を感じ気持ちが溢れ爆発した、姫の力強い疾走は圧巻。
一つ一つの絵を切り離すと、ぐちゃっとした絵でなんなのかは分からないのに、ひとつの動画にしたときの荒れ狂って走る姿になる。
その疾走シーンのために、これまでの柔らかい絵があったのではないか?
一番好きなシーンです。
自分がかぐや姫になったことなんてないのに、姫の情緒、とても納得でき涙が溢れます。
小学生の娘と見ました
初見でした。もうジブリ好きには高畑勲さんの遺作であり宮崎駿さんとの相剋!ジブリ経営者としての鈴木敏夫さんとの関係など、話題性のありすぎる作品でいつか観たいと思ってました。
とはいえ観たままの感想はというと、中身が詰まりすぎて作品自体は面白くなかったです。ただ作品が駄作というわけでなく、自分の語彙では表現出来ないですが、全てが緻密に構築されたアニメでした。
印象に残ったとこ
・最初の方の赤ちゃんの姫がでんぐり返りしてる描写が可愛い🩷自分の子供の小さい頃を思い出した
・翁が竹をサクッと切る描写が気持ちいい
・崖から落ちた姫が捨丸に抱っこされるシーン
・姫が桜の下で踊るシーン
・都が魅力的でない
・月から迎えにきた人の作画が仏画の典型
※なお、中学生の息子は学校の教室でこの映画を観たそうです。
※自宅でDVD版を見たが、小学生の娘は途中どこかへ行ってしまい、最後に帝と関係するあたりで帰ってきて、最後まできちっと観られたのは自分だけでした。
普通のかぐや姫の話
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かぐや姫の物語。
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うーん、よく分からない。普通のかぐや姫の話じゃないのかな。
っていうか原作をよう知らんから、どこまでが演出なんかも分からん。
面白いは面白いが、そんなに評価の高い作品とも思えず。。
絵のタッチが個性的。 あえて月が物質であることを前提にし宇宙とボー...
絵のタッチが個性的。
あえて月が物質であることを前提にし宇宙とボールアース(地球)を描写している。
ファンタジー映画はメッセージ性が強い。高畑勲監督だからなおのこと。
老夫婦視点だと子供の成長は早く感じるだろう。
空を飛べば天へ登ると思うだろう。
竹やぶに赤子がいれば輝いて見えるかもしれない。
エンターテイメントは誇張や捏造が醍醐味だ。
時代が違えば言葉も価値観も異なる。物の測り方、時間の測り方は現代とは違う。
わかりやすくするために現代風にアレンジする。
絵ではどんな想像も創造出来てしまう。
本作の絵のタッチは、穢れた絵や書物を鵜呑みにするべからずというメッセージに説得力を持たせているように思う。
高畑勲監督は一貫して、穢れた世界に生きる儚き美しい命を丁寧に描写する。
人間讃歌。 感情に揺れ動く人生こそ、彩り溢れる人間の世界
時折思い出すであろう作品。
月の世界からきたかぐや姫が人間世界で様々な情動を生き、月に帰っていく話。
解脱の否定であり、苦しみや喜び、世界を体験し生きていくことこそが人間だ、というメッセージを感じた。
最後のシーンが忘れられない。月からお釈迦様が現れかぐや姫を迎えに来るシーン。
ハッピーな音楽、苦のない世界、放たれた弓矢も和やかな花に変わっていく。
絵も音楽も明るいのにこのシーンがものすごく怖い。
人とは違うものが空から降りてくる、山の奥にいる幽霊を見る怪談と質は変わらない。
羽衣をかけられたかぐや姫は目の色が変わり現世を忘れ取り込まれてしまう。
こういった月の世界と、今まで歩んできた現世の彩り(捨丸兄ちゃんとの邂逅や都からの逃走など)が対比されている。
まだまだ人生半ば、色々なことがあってその時々はいっぱいいっぱだけど、これも人生の彩りだと思ってその時を精一杯いきていこうと思える。
『日本昔ばなし』の方が全然いい
かぐや姫の話が好きなんで、楽しみに観たけど、ガッカリ(苦笑)
30分あれば充分丁寧に描ける話なのに、調子に乗りすぎて2時間17分まで水増し(苦笑)
どんだけ伸ばしに伸ばしてもマックス1時間30分でしょ(笑)
面白ければ、いいけど…
イライラする、好みじゃない絵のタッチ…
イライラする、大袈裟で下手な演技…
何度も聴かされる、イライラする歌…
はよ終われ、はよ終われ、願いながら観てました(笑)
終わった瞬間、チョー嬉しかった(笑)
『おもひでぽろぽろ』と、この作品は、キライです(笑)
低評価👎️👎️👎️
イライラするんで2度と観たくない(笑)
合わなかったです。
60点ぐらい。
長けりゃいいってもんじゃない!!
『日本昔ばなし』の良さを再認識!!
原作に基づいたが故の結果ギャグ
原作者も不明であれば、脚本にもう少し融通をきかせてかえてもよかったかもしれない。
色々な要素が組み合わさった結果、かなりギャグとして面白い作品ではあった。
独特な古風なタッチはどちらかといえば嫌いではないが、静止画一枚でかぐや姫のガチ切れ顔を映すシーンとかは非常にシュールで面白くなってしまった。
名付けじじいが恍惚の表情を浮かべながら車輪と顔が重なるシーンもかなり笑った。
そして最後の観音様が陽気なドラゴンナイト風のエレクトリカルパレードを奏でながらやってくるシーンは雰囲気をぶち壊しすぎて爆笑。
あれで感動がかなり興醒めしてしまった。なんだかんだ魅せるところは魅せれていたので、及第点は達成している?かも。
1000年分の女の子の悲しみ 大胆な再構築
あまりのすごさに息が詰まった。
高貴な人との結婚しか女性の「幸せ」の選択肢がなかった時代の女の子たちの悲しみが詰まっていた。脚本は高畑勲と坂口理子の共作。高畑勲のビジョンに驚く。10年早かったのでは。
あんなに慈しんだ子を、だんだんと交換する商品として扱ってしまう翁。かぐや姫の本当の望みと向き合うことはない。媼は同じ女性として理解して心を寄せる。
前半の翁とおうなの子どもと暮らす喜びの演出がほんとにいい!宴席を飛び出す怒りの描写、桜の下でくるくると廻る姿、捨丸と自由に飛び廻る流れなど、心情の演出も胸に迫る。
すばらしい時間もあったけれどもう、ここには居たくない、居場所もない。月に帰り、まためぐりめぐっていつか自由に生きられるといいね。
Disneyが王子様と結婚してめでたしめでたしの物語を紡いできた中で、結婚を拒み月へ帰る(伝承では悲恋の扱い)物語が語られてきたことと、それを大胆に解釈したことのすごさを思った。
かぐや姫はナウシカみたいでもあり、ナウシカになれなかった私たちの姿でもあった。
絵的にどうなのかなと思ってたのですが、豊かな表情の表現にはびっくり...
絵的にどうなのかなと思ってたのですが、豊かな表情の表現にはびっくり。
映像は配色といい、動きといい、表現といい、すごかった。
時間をかけてこだわったわけだなぁと思った。
高畑勲ならではの儚さとその美しさ
この作品を見る前は正直期待してませんでした
絵も癖強いし、風立ちぬとの同時公開だし…
しかしこれは最高
物語というより作品として素晴らしいものでした
日本昔ばなしの
美しさ、辛さ
を表現するだけでなく
汚さ
これを、上手に作ってました
遺作になってしまったけれど
これは、これからもこの先も
歳を重ねても
たびたび鑑賞したい
月世界が何なのか?解釈によってこのアニメは変わる。それが良い
高畑勲監督も月世界に行っちゃった。
寂しくなったね。
色々な解釈が出来るのが良いと思う。
言うまでもなく、綺麗すぎる。カラーの水墨画の様だ。
最後に流れる音楽が、中南米系の音楽の様で、そのギャップが凄く良かった。耳の残る。
年齢を重ねるごとに視点が変わる作品を「名作」という
ステイホームの片付けで出てきたジブリ作品の見直し中で、2021年にして初めて観て、衝撃を受けました。多分、これからの人生で、何度も観ると思います。
自分の人生を見直したいと、強く思わされる作品。
「私は生きるために生まれてきたのに、自分の心を誤魔化して、私はいったい、この地で何をしていたのでしょう、帰りたい・・・!!!」
今わの際の人間の普遍的な叫びを竹取物語の中に読み込む手腕。
登場人物が一人ずつ自分の人生を、「リアリティ」をもって生きて、動いて、重層的に行き交う作品。
いまさらですが、ほんとうに、高畑監督は天才です。
■姫、翁、媼の個性について
人間としてのリアリティをもつということは、矛盾をもつということ。
かぐや姫は、父のためと、流されて生きてしまった。そのあっさりとした適応や、突発的な激情や従順や悟りは、成長期の人間のそれ。
帝のもとへ行けと言うのなら殺してくれ。
初めての明確な拒否。
逃げる性質の姫が、はっきりと言葉にした、コミュニケーションへの初参加。
このかぐや姫に、もっと生きていく時間があれば、初めての明確な前に進む意欲も、生きているうちに掴み取れたのかもしれない。
翁は、子供を幸せにすること=学歴、富裕層、玉の輿という固定観念の虜だった。
自分が、なんの固定観念の虜になっているか、はっきりと分かっている人間なんて、いない。
早合点して突き進み、進めば進むほど、自分の過ちは硬く殻になって自分を包み、見えなくなっていく。
翁の功名心、成金のいやらしさ、見栄虚栄、おべっかやブランド崇拝、出世欲のようなものはちらほら出て来るけれども、大本をただせば、「姫の幸せ=高貴な姫」が大前提であるとことが、翁の憎めないところ。
公達の求婚も断ったなら断ったで、しょんぼりと気落ちしているのがその良い証拠。
本当に、自分の名誉欲ありきの業突く張りの親ならば、虐待して恐怖心で洗脳してでも、かぐや姫に自分の言うことを聴かせることでしょう。
媼は、初登場から、仏様のような賢者ぶりがすごい。
赤ん坊を育てると直観するところも、成金暮らしにも微動だにしないところも、安定した人格の美徳を示す。
だが、単なる神がかった三文キャラクターを作らないところが、天才高畑。
媼もまた、リアルな人間としての、業を含んでいる。
賢者は観察してしまうのだ。
静観してしまう。物事を動かさない。
媼がかぐや姫を山に戻したのは、寿命を迎えたあとでした。
でも、リアルに巻き込まれて必死に生きているとき、事件の渦中で、娘を山に戻さなくてはと、最適のときに決断できる人間が、いったいどれだけいるのでしょうか。
■竹取物語の根幹
「私はきっとこうすれば、幸せになれた、いまそれが分かった」
振り返って、幸せを逃したことを知る。
自分の幸せが、何だったのかを知る。
竹取物語の核は、それぞれの人間が大切にしているもののすれ違い、
価値観のすれ違いだったのではないかと、高畑監督の解釈を見ていて、痛感しました。
大切なものは、人それぞれ、財宝、名声、美、不老不死、社会的成功、平穏、心の慰み・・・。
自分の寿命が分かったとき、姫は翁に言いました。
姫「お父様が願ってくださったその幸せが
私には辛かった
そして我知らぬまに
月に救けを請うてしまったのです
帝に抱きすくめられ
私の心が叫んでしまったのです
もうここにはいたくないと」
翁「それでは姫様自ら迎えを読んだと言うのですか?
そ、そんな・・・ひどいではありませんか
ああ何ということだ」
姫「でも私は帰りたくないのです
このままでは!」
そう。このままでは、終わりたくない。死にたくない。
そもそも、嫌悪する異性にいたずらをされて腹立ちまぎれに逆上して願うことが、本心のはずがない。
人間は、ずっと不義理をするわけではない、ずっと殺意を抱くわけではない、ずっとズルばかり考えているわけではない。
演技派の嘘つき、金の亡者、軽薄な遊び人、善人だけれど実は裏で悪人、ただの善人などなど。
四六時中、一種類でありつづけるようなステレオタイプの登場人物観が、揺さぶられる。
咄嗟の逆上。それによる、取り返しのつかない結末。
刻一刻と、人間は変わる。変わり続ける。
その点でも、人生のリアリティを色濃く反映している。
それでは、姫はなにが欲しかったのか?
映画の終わりに、姫は言います。
姫「私のせいでひどい目に遭った」
捨丸「何でもないさあんなこと」
姫「そうよ、なんでもないわ、生きている手ごたえがあれば・・・、きっと幸せになれた。」
姫が欲しかった大切なものは、生きている手ごたえ。
■女の一生
ジブリの女性へのエールは、もっともっと、日本に染み込んでいってほしい。
男児にも女児にも、日本語の分かる子供のすべてに、染み込んでいってほしいと思います。
次の人生があれば、きっとかぐや姫は、こう生きる。
「私は誰のものにもならない。私も走る。力いっぱい!」
■映画の根幹
帰りたい。あの山へ。生きたい。
帰りたくない。悟りの無へ。生きたい。
徹頭徹尾、生きたい、生きたかった。
でも、すれ違い、目を逸らして、生きてしまった。
「もう遅いのです何もかも!
ああ私はいったい
この地で何をしていたのでしょう」
「偽りの小さな野や山で
自分の心を誤魔化して
私がなぜ
何のためにこの地へ降り立ったのか
どうして見知らぬこの地の歌を
あの歌をずっと以前から知っていたのか
鳥虫けもの
ああそうなのです
私は生きるために生まれてきたのに
鳥やけもののように」
帰りたくないという悲痛な叫びは、
「死にたくない」と言う
今際の際の、人間の、普遍的な心の叫びになる。
人間は、死ぬ間際になって、悟る。
ああ、そうなのです。
私は生きるために生まれてきたのに、
自分の心を誤魔化して
私はいったい
この地で何をしていたのでしょう
死にたくない
死にたくない
生きたい
■わらべうたについて
鳥虫けもの
草木花
春夏秋冬連れてこい
まわれめぐれめぐれよ
遥かなときよ
めぐって心を呼び返せ
鳥虫けもの
草木花
人の情けをはぐくみて
まつとしきかば
今帰りこむ
媼「本当に私を待っていてくれるのなら
すぐにでもここに帰ってきます」
姫「ああ帰りたい今すぐに」
■竹山より都会、都会より竹山
帰りたい、生きている手ごたえのあった、私たちのあの山へ。
それが、高畑解釈のかぐや姫の願いでした。
天が生きたがった罰として下界に下ろした場所は竹取の翁の竹の中。
死のように静謐で澄み切った悟りの月世界では、
激情とともに生きることが罰になる。
よく生き切ることが最も、重い罰になる。
天が、最も重い罰を下せる場所に、最初から、かぐや姫を送り届けたのだとすれば。
かぐや姫の言う通り。
あなたとなら、ここでなら、よく生きることができたのかもしれない。
すべてが過ぎ去ってから、「いまなら分かる」と言わないで済むように。
自分の人生を注視したいと、思いました。
全てが高水準だったけれど
絵の1枚1枚、一瞬一瞬の音楽が美麗です。登場人物の心の動き、感情の表現も見事で、息を呑む出来でした。細部に至るまで作り込まれた映画であると思います。
この映画の唯一にして致命的な欠点は、かぐや姫であることです。
主人公はなんと月の住人で、クライマックスでは、驚くことなかれ、月に帰ってしまいます。何とも衝撃的な展開ですが、哀しいかな、大抵の人は知っている結末ですよね。これが本当にネックだと感じました。言ってしまえば、もう知っている話という高いハードルを越えられなかったというのが私の感想です。
誰もが知っている話を映画にしたのですから、それ以上のオチか、オチを知っていても楽しめる作りが欲しかったのですが、そこまでには至らなかった、惜しい作品と感じました。
巨匠の遺した功と賞。アニメ史に残る渾身の一作、そして60年のキャリアを総括する完璧な遺作!
日本最古の物語と言われる「竹取物語」を、新しい解釈に基づきアニメーション化した作品。
竹から生まれた少女、かぐや姫の深層を描き出すファンタジー・アニメ。
監督/原案/脚本は『火垂るの墓』『平成狸合戦ぽんぽこ』の伝説的アニメ監督、高畑勲。
かぐや姫の幼馴染、捨丸の声を演じたのは『蛇にピアス』『ソラニン』の高良健吾。
第40回 ロサンゼルス映画批評家協会賞において、アニメ映画賞を受賞!
巨匠・高畑勲の最後の監督作品。
製作費50億円以上、製作期間8年という完全に頭が狂っている作品。
製作費の3倍稼いでやっと成功と言われる映画業界だが、本作の興行収入はたった20億円。DVD &Blu-rayの売り上げが加算されるとはいえ、まぁ完全なる赤字なのは間違いない。
正直なところ、高畑勲の映画がヒットする訳ないことぐらいジブリもわかっている筈で、ずるずると50億円も投資するくらいなら、途中で制作中止、あるいは監督交代をした方がスタジオのダメージは少なかったことぐらい素人でも想像がつくのだが、たとえ赤字になろうが高畑勲に映画を作らせてやろうというジブリの心意気には驚嘆するしかない。
完全に義理と人情の世界。とても資本主義社会に根ざして商売している一企業の判断とは思えない。
まぁ「利」よりも「個」を取るというのがジブリのバカなところかつ愛すべきところなんだけど😅
とはいえ、呆れるほどの製作の遅れや、それによって生じた膨大な製作費には、ジブリの金庫番である鈴木敏夫も流石にブチ切れたらしい。
制作スタッフに恐ろしく高いレベルの要求をし、心身ともにボロボロにしてしまうのが高畑勲流。「高畑勲の下について生き残った人間は自分だけ」というのは宮崎駿の言葉。
そんなわけで新しいスタジオを創設し、内部のスタッフを使わせずにほぼ外部のスタッフだけで作ったのがこの作品。
ほぼ全ての作品でプロデューサーを務めてきた鈴木敏夫が、本作では企画でしかクレジットされておらず、自分の部下である西村義明にプロデューサー業を押し付けているところからも、本作の制作がどれだけの修羅場だったのかが伝わってくるような気がする。
「竹取物語」を新しい解釈で描いた作品として、自分が思い浮かべるのはテレビドラマ『怪談百物語』という作品。
2002年のドラマで、1話完結というスタイルで古典的な怪談を描いていくというもの。「四谷怪談」や「雪女」などのお話があり、そのうちの一話が「竹取物語」だった。ちなみにかぐや姫を演じたのは女優のりょう。
このドラマが面白かった!20年前に観たきりなので、細かいところは覚えていないのだが、「竹取物語」を「怪談」として捉えるという斬新な切り口に驚いた記憶がある。この作品DVDとかあるのかな?
新解釈「竹取物語」の先行作品とも言えるこのドラマを観ていた自分としては、切り取り方次第で「竹取物語」はいくらでも面白くなるということを知っている。
なので「物語の面白さ」という観点から言えば、本作は想像の範囲内と言った印象を受けた。
可もなく不可もなく…というよりは「知ってっしー、このお話知ってっしー」という感じ。
捨丸というオリジナルキャラはいるものの、基本的には原典に忠実な話の筋なので、退屈しなかったといえば嘘になる…🥱
とはいえ、本作で大事なのは物語の内容ではない。
本質はアニメーションの質と新しい解釈にある。
まずアニメーションのクオリティ。これは誰が観ても驚くであろう、とんでもないことになっている。
特にアニメを体系的に鑑賞しているオタク気質の人なら、従来のアニメーションとは一線を画す本作のクオリティに驚愕する筈。
東西問わずキャラクターを描くという性質が強いのがアニメ。
セルアニメの制作方法とも相まって、背景美術とキャラクター、つまり静的なものと動的なものが別々に存在しているような感じがするのが従来のアニメ。これはデジタル制作に移行した現代においても変わらない。
この観念にNOを突きつけた高畑勲。背景もキャラクターも同じ温度で画面に映し出す。
絵柄は日本最古の漫画とも言われる「鳥獣戯画」的な、ふにゃふにゃした絵巻物風。
この絵巻物風の絵を動かすことの難しさは、絵描きではない自分にはわからないことだが、あえて手書きの線を残しているような荒々しい描線を持ったキャラクターを扱かっている作品は、少なくとも長編アニメーションでは観たことがない。おそらく、恐ろしい程の手間暇がかかることなんだろう。
この線の感じは時代劇である本作とマッチしているし、何よりあのかぐや姫の疾走シーン、あそこの迫力が半端ないことになってる💨
動きに特化したアニメという意味では、まぁ本作が日本最高峰でしょう。
そして何より大事なポイント。「竹取物語」の新解釈ですが、ここが素晴らしかった!もう涙ボロボロ😭
かぐや姫と翁、そして媼の描き方が、もうズルい。
悲劇的な最後を迎えたのは誰のせいか?子の幸せを自分の価値観に当て嵌めて考え、それを押し付けた翁か?その翁の間違いに薄々気づきつつも、それを窘めなかった媼か?流されるまま生きてしまったかぐや姫か?
現代に通じる親と子の問題として、この3人の関係は描き出される。
お人形さんのように扱われるかぐや姫。
本質としてのかぐや姫は虫や獣を愛し、野山を慈しむ「虫めづる姫君」である。
「虫めづる姫君」は「堤中納言物語」という平安時代の物語集の中の一編。ナウシカのモデルの一つとして、ファンの間ではよく知られている。
おそらく高畑勲の中では『アルプスの少女ハイジ』の頃にはもうこの「虫めづる姫君」が、理想のヒロイン像として存在していたのだろう。
少々乱暴な言い方をすると、ジブリ作品全てのヒロインは、この「虫めづる姫君」のキャラクター像の焼き直しである。
そんな「虫めづる姫君」を、ここにきてどストレートな形で提示してくるとは!
飢饉、飢え、疫病、争い…。当時の人々の暮らしぶりを考えると、かぐや姫は恵まれすぎているほど恵まれている。
お屋敷に住み、綺麗な着物を着て、好きなものを食べられる。貧しさとは無縁の世界である。
そして、誰もが魅了される容貌を持つ。最大権力者の帝ですら、彼女には骨抜きにされてしまう。
彼女は全てを持っている人物だといえる。しかし、それによりもたらされるのは終わりのない不幸。「虫めづる姫君」としての生き方を否定され、「かぐや姫」として生きることを強制される呪いでしかない。
これを今日的なフェミニズム論に落とし込むことも出来るが、もっと普遍的な問題を扱っているようにも思える。
すなわち物質的な豊かさと精神の幸福が釣り合うことはないし、表層的なものに対する他者からの評価では自己肯定感は得られないということである。
平たく言えば、自分自身を裏切り続ける限り、幸福は訪れないということか。
これをジブリヒロインの根源である「虫めづる姫君」に突きつけるのは、観客が求めるジブリのイメージに振り回され、評価されることを第一に考えた作品を作ろうとする宮崎&鈴木に対する皮肉である、と考えるのは深読みのしすぎかな?
終わることのない苦しみから逃れる術として、かぐや姫は月へ帰りたいと望んでしまう。
月からの使者の姿を見れば一目瞭然なように、月の世界とは「死の世界」を意味する。
月へ帰る=自殺というメタファーが、本作の深層には横たわっている。
一時の迷いで死を選ぶが、それが間違いであったことを今際の際で悟る。しかし時すでに遅し。一筋の涙を流してかぐや姫は死出の旅路へと…。
若年層の自殺問題が、「竹取物語」の中へそっと隠されている。
こうであったかもしれない過去、存在しない現在、もう訪れることのない未来、そういう思いは誰しもが抱えている。
そのことが生きることを諦めさせることもある。
だが、苦しみを生み出す心の汚れ、それこそが命の本質であり、その思いを胸に抱きつつ歩を進めることこそが生きるということである、という強烈なメッセージを、かぐや姫の「罰」を通して観客に教えてくれている。
60年に及ぶキャリアの中で、おそらくはコレが最高傑作と言って良いのではないだろうか?『ハイジ』『火垂るの墓』『おもひでぽろぽろ』『ぽんぽこ』etc…。
高畑勲作品のエッセンスが全て詰まっているまさに総決算的な作品だと思う。
生きるとはなんだ、愛するとはなんだ、自分にとっての本質とは何か、ただの娯楽を超越した学び考えるツールとしての映画を遺してくれた高畑勲に最大限の称賛を贈りたい。
全302件中、1~20件目を表示