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「うつせみ」「春夏秋冬そして春」「絶対の愛」を観てきて、こっりゃおもしれえなあ、と見ていった後「弓」にぶち当たり、その展開を予見できた俺は、たぶんギドク以上にショックを受け、もう絶対ギドクの映画は見ねえ、って誓った。
なので、新作「嘆きのピエタ」が公開、ヴェネチア映画祭金獅子賞を取った時、そりゃいつかギドクはとるだろうな、と思ったし、もっと言うと、取れるぐらい「観易い映画」を作ったのだろうな、とも思ったが、結局怖くて行けなかった。
自分の否定したくなる部分をつらくとも笑える吉田恵輔作品ではない、見た事を本気で後悔させてくれるのがギドク。
海外の評価とは全く関係ないかのように、忌み嫌われるギドク。
キム・ジウン、パク・チャヌク、そしてポン・ジョノ。
こんなに娯楽作品を作るのに長けた人たちがいるのだ。
ギドクの作品は寓話としてそれはとても素晴らしい。
しかし、韓国を、ありのままに、またその暗部を陰鬱な印象で撮ってきたギドクはそりゃ韓国国内で嫌われもしよう。
日本人の俺だって、どんなに優れた、面白い作品であっても、心底心が衰退する映画は見たくない。娯楽として心が落ち込むのは、心のリセットとして受け止めることもできるが、ギドクのそれは俺には無理だった。
ところが、この「嘆きのピエタ」レンタルの回転率がとても良いらしい。
変人が増えたとは思わないが、「金獅子賞」はやはり「観易い映画」であるということなのだ、と判断した俺はついに手に取る。
うーん、一人で、DVDで、良かった。
いろんな意味で映画館で観なくてよかった。(いや、周りの反応を見たいという意味では、映画館で観るべきだったか)
このクソみたいな主人公への、心の救済。
ギドクの精一杯の優しさに満ち溢れている。
誰も見たことのない、あり得ない方法で主人公が許しを請う姿をギドクは選択し、それを優しく見守る視点で映画は終わる。
今回も実は結構予見できたのだが、これは、そもそもギドクの本質であり、また進化でもある。それはまた同時にオレの「優しさの理解の進化」だと思っている。
ちょっとだけ、おっさんの俺はまた人の優しさに触れたのかもしれない。うーん、いい話だ。
追記
「優しいギドク」といったそばから今から旧作「悪い男」を観ようとしている。
大丈夫か、俺?