新日本珍道中(西日本の巻)
劇場公開日:1958年6月15日
解説
新東宝の創立十周年記念映画。川内康範、近江俊郎、曲谷守平の共同脚本を二班に分れて製作した。太平洋側班は、「坊ちゃんの野球王」の近江俊郎が監督、杉本正二郎が撮影した。日本海側班は「金語楼の成金王」の曲谷守平が監督、「楠公二代誠忠録」の西本正が撮影した。出演は、高島忠夫、宇津井健、中山昭二、日比野恵子、筑紫あけみなどのオールスター。色彩はイーストマンカラー。
1958年製作/103分/日本
原題または英題:Holiday in Japan
配給:新東宝
劇場公開日:1958年6月15日
ストーリー
新東洋タイムスでは、創刊十周年を記念、全国観光及び郷土舞踊と民謡の紹介を企画、腕っこきの記者とカメラマンを二手にわけて太平洋側と日本海側を鹿児島から東京へ車で競争させた。まず太平洋側組、忠夫と三郎は霧島神宮に前途の武運長久を祈って高千穂から宮崎へ。サボテン公園、堀切峠、青島の日南海岸へ--折しもこどもの国のグラマー撮影会に行き合わして大喜び。大分では日本で一台というデラックス・バスに乗り合せたかと思うと猿にいじめられ、ようやく別府へ。肉体美人にめぐり合わせるうちに耶馬渓・青の洞門から関門トンネルへ。一方日本海側組・健と浩は串木野をへて不知火燃ゆる有明海の雲仙航路としゃれこみ、島原へ。欲を出して城跡の洞窟に迷い込んでほうほうの態で雲仙に。妙見山で新婚夫婦にあてられながら、雲仙温泉でほっとする間もなくバテレンの街長崎へ-この間女優志願の女性に悩まされることしばし。やっとのことで博多をへて関門トンネルにさしかかれば口惜しや太平洋側組の通ったあと。太平洋側組は山陽道を一路東へ。錦帯橋、宮島をへて広島へ--平和記念堂に花束を奉げて岡山へ。更に海を渡って小豆島へ。灘の生一本に舌つづみをうちながら大阪へ。日本一のキャバレーにうつつを抜かしたりして京都--平安神宮、金閣寺、円山公園を回って祇園についてドンチャン騒ぎ。犬山の日本ライン、名古屋のテレビ塔で二日酔の頭を冷やして清水へ。茶摘風景を楽しみながら清水、伊東、小田原へと。こちらは一歩遅れた日本海側組。出雲大社で良縁を得んものと祈りながら松江、安来に。安来節にうつつを抜かしながらも福地山、宮津へと突っ走った--天の橋立の股のぞきに打興ずる間もなく山中温泉へ。富山、長野、甲府へ出れば、富士の影うつる河口湖、御殿場から小田原は指呼の間。かくて両者の接戦は白熱化したが……横浜、川崎をへてたがいに五分と五分。ついに五十万円の賞金は二分された。