蝶々夫人

劇場公開日:

解説

プッチーニのオペラ「蝶々夫人」の映画化で、東宝が伊リッツォーリ・フィルム及びガローネ・プロと協同で製作し、撮影は一九五四年十月から三ヵ月、ローマのチネチッタで行われた。脚本は伊映画界の古参カルミネ・ガローネと東宝製作本部長森岩雄が共同で執筆し、「ファウスト」のガローネが監督にあたった。撮影は「河」のクロード・ルノアール、美術は三林亮太郎が担当し、メークアップ、結髪、衣裳等にも日本側のスタッフが参加した。出演者は日本から「宮本武蔵(1954)」の八千草薫、「潮騒(1954)」の小杉義男、「悪の愉しさ」の東郷晴子、「東京ファイル212」の中村哲、歌手の田中路子と高木清のほか宝塚歌劇団の人達、イタリアから新進のテノール歌手ニコラ・フィラクリディをはじめフェルディナンド・リドンニが出演、歌はオペラ歌手オリエッタ・モスクッチィ、ジュゼッペ・カンポーラ、アンナ・マリア・カナーリその他が受けもった。テクニカラーによる色彩映画。

1955年製作/114分/イタリア・日本合作
配給:東宝
劇場公開日:1955年6月3日

ストーリー

明治の中頃、長崎に寄港したアメリカ軍艦の海軍士官ピンカートンは料亭を訪れ、芸者蝶々の美しさに一目で心を奪われた。彼女は土地の大尽山鳥に追われていたが、ピンカートンは迎えの女中を追い返して彼女をかばった。幇間五郎は二人の仲をいつでも取りもつと挨拶した。そして幾日かたって、ピンカートンは蝶々と結婚し、長崎の高台に新居をかまえることになった。新居には蝶々さんの世話をする鈴木という女がいた。結婚式にはシャープレス領事も参会し、蝶々の母や友人たちが集って賑やかな宴がつづいた。そのとき蝶々の叔父にあたる坊主がおどりこみ、「天魔の崇りがあるから一切の縁を切る」と、列席者たちを追いたてた。人々に見はなされた蝶々さんは、ピンカートンの愛情と、いつに変らぬ鈴木の心づかいに慰められて、淋しくとも幸福な日々を送った。桜も散り夏もすぎ、やがて冬が訪れる頃、ピンカートンの乗艦リンカーン号は一旦アメリカへ帰ることになった。夫を涙で見送ってから一年はすぎ、蝶々は赤ん坊を生んでいた。しかしピンカートンは帰らなかった。それから更に二年、米国からは何の便りもなく蝶々は悲しみに暮れていた。ある晴れた日、米艦の入港を知らせる砲声が轟いた。だが夫の代りに領事が訪れ、離婚の手紙を渡した。ピンカートンは米国で結婚した夫人と共に子供を引取りに来たが、「はずかしめられて生きるより死を選ぶ」と、蝶々は誰もいない座敷で父の遺した短刀で自殺した。

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