長篇記録映画 動乱のベトナム
劇場公開日:1965年5月27日
解説
大毎ニュースの製作会社新理研映画が、一九六五年三月、八名のスタッフを現地南ベトナムに派遣、約六十五日にわたり撮影した、長篇記録映画。監督は赤佐政治、撮影は小川信一、水上正夫、深沢正頼、永山勇があたった。
1965年製作/82分/日本
原題または英題:Vietnam in Turmoil
配給:大映
劇場公開日:1965年5月27日
ストーリー
南ベトナムの人口は約一千四百万、その九割は農民である。彼等の生活は一見平和そうに見えるが、周辺には戦争の影がただよっている。南ベトナムの首都サイゴンは、長い植民地都市の名残りのある美しい町だが、貧富の差ははなはだしく、難民の群れがあちこちに見られる。貧民街には、伝染病がまんえんし、子供達は、あらゆる悪に平然と目をむけている。この政治の貧困に、反共と平和の二大エネルギーである仏教徒が立上った。彼等は焼身自殺などの方法で、勢いっぱいの抗議をした。学生の集会、デモ、政権はしばしば交代し、その度にべトコンの勢力は拡大し、戦火は中部地方に拡大していった。中部から北へ向う十七度線の対岸に、北ベトナムがある。鉄道は不通で、交通は飛行機か自動車に限られている。政府軍は、主要道路に検問所を設け、厳しい尋問を行っている。ここでは、人権蹂躪という言葉は通用しない。連日連夜、凄まじいベトコン掃討戦がくりひろげられ、べトコン捕虜、容疑者に対する尋問は苛酷をきわめ、その多くは殺され、政府軍はサイゴンの町なかに、その死体をさらす。北爆、韓国軍介入に対するべトコンの反撃もすさまじい。その最大のものが米大使館爆破事件であった。報復に対する報復。米軍は北爆の回数をふやし、ベトコンはまたどこかで狙っている。民衆の苦しみをよそに戦は限りなく拡がる。彼等の平和は、いつになったら訪れるのだろうか。