最後の億万長者

解説

「自由を我等に」「巴里祭」に次ぐルネ・クレールの作品で、原作監督とも例によってクレールが行ったものである。主演者はフランスの舞台で有名なマックス・デアリーを始めとして、マルト・メロー、「トト」のルネ・サン・シール、「巴里祭」のポール・オリヴィエ、同じくレイモン・コルディ、「巴里-伯林」のシャルル・レッジー、ジョゼ・ノゲロ、クリスチアーヌ・リーブ、マルセル・カルパンチェ、シノエル、等の面々である。作曲は「巴里祭」と同じくモーリス・ジョーベールであるが、その他のスタッフは従来のクレール作品とは異なり、撮影は「ミス・ヨーロッパ」「吸血鬼」のルドルフ・マテが、装置は「にんじん」のリュシアン・アゲッタンが担任している。なお、これはルネ・クレールが従来のトビス社から一時離れてパテエ・ナタン社の委嘱の下に作った映画である。

1934年製作/92分/フランス
原題または英題:Le Dernier Milliardaire

ストーリー

先づ諸君は、南米あたりの亜熱帯地方にカジナリオという国があると想像して頂きたい。この国は、その全領土といえば都一つきりなのである。そして此の国には大きなカジノがあって、ここで海外からの漫遊客をお客にしてルーレットをやる。そして此のルーレットが即ち国庫の基なのである。カジナリオ国の宣伝映画によると、同国の繁栄は盛んを極めていて、国庫は富み過ぎ、国中に乞食は一人しか居らん、というのであるが、だが本当のところではカジナリオ国は世界的不況の余波を被って、国中から鐚一文として探し出そうったって見当たらないのである。即ち、国中から貨幣という貨幣が全部姿を隠した訳である。その結果、カジナリオでは給料も出ないし、人々は物々交換と称する原始的生活に立ち戻ることになった。所で、ここに二十年前から海外に亡命していたカジナリオ国人でバンコ氏という中年の人物がいた。彼は現在の財界恐慌にも影響されぬ億万長者の大資本家である。そこでカジナリオを治めしめす女ながらも雄丈夫の御城主様は当年二十になった御孫のイザベル姫の婿ぎみにと彼を迎える事となさる。御城主の考えとしては国情を内証にしてバンコ氏を迎え、その財力を持って国を救う気だったのである。所が悪事はばれるもので、バンコ氏は計らずも、この計画を漏れ聞いてしまった。しかも、このバンコ氏という大資本家はなかなかの曲者であった。そこで、彼はこうした国勢を逆に利用して、直ちにカジナリオ国の独裁者になってしまう。弱い尻を押さえられていたので御城主にしろ宰相どもにしろグーの音も出なかった訳である。だが、此処に事件を紛糾させる事にはイザベル姫には既に城内のオーケストラの指揮者をしている若い恋人がいた。その後のある夜、バンコ氏に蹴落とされたカジナリオの旧重臣の面々が宰相を筆頭にしてバンコ氏を寝所に襲った。この襲撃は幸か不幸か、功を奏さなかったが、この時にバンコ氏は機みから頭に打撃を受けて狂人となってしまった。さて一国の独裁者が狂人となったのである。これは一大事である。そこでカジナリオ国では次々と突拍子もない法令が発布され出した。曰く、椅子は今後凶器と認む、曰く髭あるものは老若を問わず日曜祝日にはパンツを穿ちて散歩すべし、曰くバンコ氏の許可なくしては一同発言すべからず等々がそれである。ところが、一方ではこんな事をしている際に、肝心のバンコ銀行は経済恐慌に遂に影響されて破産に瀕していた。だが狂人のバンコ氏がそんな事をも歯牙にかけなかったのは云う迄もない事であるが、ふと彼もまた正気に立ち戻った。というのは狂人の独裁から祖国を救わんとして御城主が若者とともにバンコ氏を襲いその脳天を火縄銃でどやしつけたからである。バンコ氏が正気に立ち帰ったのは、バンコ銀行が癒々破産する間際であった。そこでバンコ氏はイザベル姫との結婚を急ぐ事となる。ところが、イザベル姫は実は二年前からオーケストラの指揮者と秘密の結婚をしていたのであるから、この結婚を逃れるために恋人ともどもこのカジナリオ王国から馳落してしまう。そこで御城主は万策つきて、自らイザベル姫の身替わりとなってバンコ氏を婿君に迎える事となされた。だが、この時は実はバンコ氏は破産して無一文だったのである。

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