異邦人

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解説

ノーベル賞作家アルベール・カミュが1942年に発表し、人の心理に潜む不条理の意識を巧みに描いた小説「異邦人」を、イタリア映画界の巨匠ルキノ・ビスコンティ監督が映画化。第2次世界大戦前のアルジェ。会社員のムルソーのもとに母の死の知らせが届く。葬儀で涙も流さない彼は翌日、元同僚の女性と喜劇を見に行き夜を共にする。その後、友人とトラブルに巻き込まれたムルソーは預かっていた拳銃でアラブ人を射殺してしまう。太陽がまぶしかったという以外、ムルソー自身にも理由はわからず、非人道的で不道徳だと非難された彼は裁判で死刑を宣告されるが……。生きることに無関心なムルソーをマルチェロ・マストロヤンニが好演した。1967年に製作され、日本では68年9月に英語版で公開された。その後は短縮吹き替え版などがテレビ放送され、権利関係の問題でソフト化などもされずにいたが、2021年3月に復元されたイタリア語オリジナルの「デジタル復元版」で劇場公開が実現する。

1968年製作/104分/G/イタリア・フランス合作
原題:Lo straniero
配給:ジェットリンク
日本初公開:1968年9月21日

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(C)Films Sans Frontieres

映画レビュー

3.5汗と神

pekeさん
2021年6月29日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

アルジェリアの話なのですね。
ぼうっとして観てたので、アラブ圏の話なのか、イタリアの話なのか、どこが舞台になっているのか最後までよくわかっていませんでした(原作も読んでいないので)。スミマセン。

それにしても、アルジェリアってイタリア人があんなに住んでいたんですか?
いやいや、ちょっと調べたらアルジェリアはフランス領だったというじゃないですか。カミュもフランス人だし。
これって、フランス人の話をイタリア人に置きかえて撮ったようですね。ややこし。

さて、ルキノ・ヴィスコンティ監督『異邦人』。

主人公ムルソーは、どこか虚無的でありながら、美しい恋人や友人たちと人生を享楽するが、やがてそこに不穏な空気が漂いはじめ……。

シンプルなストーリーですが、テンポがあり、興味深く鑑賞できました。

最近の映画ではあまり用いられないような唐突なクローズアップを多用する撮り方にも、観ているうちにすぐに慣れました。

作中、象徴的に「汗」が映し出されますが、これが本作のキーポイントになっていると思います。

それから、終盤の法廷や監獄のシーンでは、「神」がわりと重要なポイントになってくると思うのですが、そのあたりのやりとりがちょっとわかりにくかった(ぼうっと観ていたからでしょうか)。

そんなわけで、(西洋的な)「神」に対して馴染みのうすい我々日本人には、本作が描こうとするものを完全に読み解くのはなかなかむずかしいのではないか、この映画は、キリスト教圏の人々と、そうでない人々が観るのとでは、その印象がかなり異なるのではないか、などという感想も抱きました。
機会があれば、もう一度鑑賞して、そのへんのことを注意深く検証したいと思います。

あと、本作は「不条理」がテーマになっているようですが、それもあまりピンとこなかった。
昨今の日本における様々な事象のほうがよほど不条理かと……。

タイトルの意味するところを確認するためにも、ぜひ原作も読みたいです。

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peke

2.5おかしな行動と偏った裁判なのかな

りあのさん
2021年6月22日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

難しい

寝られる

第2次世界大戦前のフランス領アルジェで働いているムルソーのもとに母の死の知らせが届いた。養老院に着いたムルソーは、柩を開けず遺体の確認もせず、葬儀で涙も流さなかった。そして翌日、元同僚の女性と海水浴に行き、喜劇映画を観て、夜を共にした。その後、トラブルに巻き込まれたムルソーは友人から預かっていた拳銃でアラブ人を射殺してしまった。太陽がまぶしかった、という事以外、ムルソー自身も理由が分からなかった。裁判では、非人道的で不道徳だと非難され、母の死後の様子なども検察官から追及され、陪審員から死刑を宣告されたという話。
2021年3月に復元されたイタリア語オリジナル復元版だったが、フランス語圏での話なのにイタリア語なのかぁ、って思った、
この映画の字幕が妙に文学的な表現だと思って観てたが、観賞後、ノーベル賞を取ったフランス作家の原作だと知って、なるほど、と思った。
見所は裁判での検察官、と裁判長の偏った意見なのかな、と感じた。
カミュ好きな方、良さが読み込めず、申し訳ない気分でいっぱいです。

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りあの

4.0小説そのまんま

Momokoさん
2021年5月4日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

の映画です。
主人公がイケメン過ぎる。
映画を観てから、昔の新潮文庫でザッと読んでみた。母が死んでも淡々と人生を過ごしていくというのは、ある種現代的に思える。

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Momoko

4.5晴れた日には「異邦人」を読もう

pipiさん
2021年4月26日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

難しい

日本におけるカミュ研究の第一人者、東浦弘樹氏は表題の著作にて本作の事を
「小説を読んだ者にとっては、いまひとつ面白みに欠ける。
最大の理由は、小説ではムルソーがカメラアイの役目を果たしているのに対し、映画では必然的にムルソーを映す事になるからだ。
マストロヤンニが無表情を装っても観客はそこに何かを読んでしまう。そうなるとムルソーの奇妙な無関心から生まれる小説の味わいは失われてしまう。それを表現出来るのは小説だけなのかもしれない」
と評しています。
まったく見事な指摘だと思われます。

ただ、ヴィスコンティを弁護するならば、故カミュの未亡人が「原作を僅かでも違えない事」を条件に映画化を許可したというから、ヴィスコンティとしては「優れた映画作品」に仕立て上げる為の創意工夫を施す事が許されず、あくまで「小説の挿絵のような」映像化をせざるを得なかったのです。ヴィスコンティにしてみれば、大いに不本意な妥協作品になってしまった事でしょう。
観客としては、原作に忠実であった事は非常に嬉しい事ではありますが、なんといっても鬼才ヴィスコンティですから、その手腕を存分に発揮した作品も観たかった!と切に思います。

アルベール・カミュの生育歴を知れば、ムルソーはカミュの潜在意識が自己投影した姿であると思えます。
息子に対して無関心であった母親を正当化し、子供時代のトラウマを癒す装置こそが『異邦人』であると感じます。

21世紀の世の中を見渡すと、ムルソーは決して異邦人だとは思われません。
ムルソーは、他人に対して必要以上に気を使います。他人を不快にしないように先回りして行動します。しかし、それが「世の常識」には反してしまい奇異の目で見られてしまう。
つくづく人見知りでシャイで不器用なのです。他人への無関心が度を超えている為にマジョリティーの感覚を掴めないのでしょう。(しかし、マンションの隣人の顔すら知らない現代人に相通ずるものがあります)

ムルソーは他者の気持ちに対する想像力が未熟であり、その分、目先の感覚的な欲望には忠実です。
また、己れの感覚に嘘がつけず建前を言わずに、正直過ぎるほど正直に本音で語ります。
それは言ってみれば「無垢な幼い子供」に等しいです。ムルソーは不条理な人間なのではなく「不条理以前」の「純粋な子供」なのかも知れません。

東浦氏は、裁判における検事の大仰な弁舌の滑稽さを説明するのに、チャップリンの『独裁者』を引き合いに出しています。
宗教に寄りすぎる長広舌や芝居じみた身振り手振りを誇張する事により、検事も弁護士も観客の理解を得られません。
観客はムルソーと同じ視点で、法律家達を奇異の目で眺めるのです。ヴィスコンティはこの部分も見事に映像化していると言えましょう。

本作の裁判は、証人も偏っており、正当防衛にも触れられる事なく、まったく奇妙です。しかし、新聞記者として政治絡みの大きな裁判を複数取材して記事にしていたカミュが、裁判の実態を知らないはずはありません。
この奇妙な裁判はムルソーを「純粋無垢な善人」かつ「極刑に処される被告人」という矛盾した存在に仕立て上げる為の仕掛けだったと考えられます。

死刑前、聴聞の司祭に対して、初めてムルソーは激昂します。社会や既成道徳に対する批判や怒りが込められている事はもちろんですが、このクライマックスを通過する事によって、ムルソーは「自分が幸福であった」という気付きに至ります。あろう事か、死刑を目前に控えた今においてさえも「幸福である」と言い放ちます。

作品中、繰り返し登場するキーワード
「無関心」と「幸福」の同一化、癒合がカミュの無意識下のテーマだったのでしょうか?
自分にとって無関心だった母親を正当化し、優しい無関心の腕(かいな)に抱かれる事で世界と和合する。その方法がムルソーにとっては自死だったのでしょうか。
アラビア人殺しのきっかけは、冗談ではなく本当に本気で「太陽のせい」でしたが、その後の彼の行動は「ママン」を理解し、赦し、和解する為の手段だったのかもしれません。その為に必要となる手の込んだ自殺方法だったのかもしれません。

しかしながら、カミュの生きた1900年代初頭に萌芽した「無関心」或いは「過干渉」による幼少期がトラウマになってしまう事例は、それから100年を経た現在、深刻な社会問題に発展したのではないでしょうか。
コロナ禍によって益々、人と人の関わりが希薄になる事が望まれるかのような空気が蔓延しつつある気が致します。
ムルソーの奇妙さは決して不条理ではなく無垢な子供の未熟さによるものであるならば?
昨今の「他者との希薄過ぎる距離感」は決して肯定されるべきものではなく、人類の未来を窮地に陥れかねない危険な風潮であるのでは?

そう感じてしまう自分は、古い人間なのでしょうか?
人間社会におけるコミュニケーション能力や他者共感力の重要性は、改めて真摯に検討されるべきではないでしょうか。

デジタル復刻版を機に、より多くの人々が『異邦人』について解釈を楽しんで欲しいと思います。
その折には原作のみならず、是非とも東浦氏の
「晴れた日には『異邦人』を読もう」を一読する事をお勧め致します。

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pipi
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