アメリ
劇場公開日:2001年11月17日
解説
パリ・モンマルトルを舞台に空想好きな女性アメリの日常と不器用な恋の行方をポップな映像とブラックユーモアを交えて描き、フランスのみならず日本でも大ヒットを記録したロマンティックコメディ。幼い頃から空想の世界で過ごしてきたアメリは、そのまま大人になり、モンマルトルの古いアパートに1人で暮らしながらカフェで働いている。他人とのコミュニケーションは苦手だったが、偶然発見した宝箱を持ち主に返したことをきっかけに、誰かを少しだけ幸せにすることに喜びを見出すように。そんなある日、アメリは他人の証明写真を収集する不思議な青年ニノと出会い、恋心を抱く。オドレイ・トトゥが主人公アメリを魅力たっぷりに演じ、「クリムゾン・リバー」など監督としても活躍するマチュー・カソビッツがニノ役で共演。監督は「デリカテッセン」のジャン=ピエール・ジュネ。
2001年製作/121分/フランス
原題:Le fabuleux destin d'Amélie Poulain
配給:アルバトロス・フィルム
スタッフ・キャスト
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2023年2月21日
iPhoneアプリから投稿
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純愛物語。でもけっこう過激なシーン多め。
性格が良い2人だったから見てスッキリするけど何か物足りない。
「チャンスがあればすぐに飛び込む」ことが大切だと思わされた。チャンスとは意外と少なくて、すぐに去ってしまうものである。
2022年12月27日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
現実に対峙できないアメリを、自分の娘のように愛おしく感じてしまいます(娘はいないのですが)。同時に、恋人のようにも、そして自分自身のようにも思えてしまうのです。それは、ガラス男の心情と重なるのでしょう。
何度もくり返し観たこの映画ですが、いつからかニノと静かに交わすキスの場面で、涙がこぼれそうになる、ようになりました。いい齢こいて、とも思うのですが、いい齢になったからこそ、そうした気持ちになるのかもしれません。
そんな美しいキスは、『僕と世界の方程式』とこの『アメリ』でしか、知りません。自分と相手の弱さを受け入れる者同士の営みには、その哀しみを知る者だけが理解できる救いがあるのです。
2022年11月8日
スマートフォンから投稿
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題材は、アスペルガー症候群の女の子の初恋の話だと思う。
健気でかわいい。しかし、それだけでは無い。
ルノアールの絵『舟遊びの人々の昼食』が登場するが、その絵の様に、しっかりと映画の中のキャラクターが描かれている。そして、それぞれのキャラクターの結末が、矛盾なくはっきりと描ききっている。アメリは、この絵の中の水を飲みながら、誰かを見つめる少女だと感じた。映画の中の台詞『この子だけ描ききれていない。絵の中心にいるのに、どこかの違う所にいるみたい』アメリは答える『この子だけ違うのよ』絵をよく見るとその少女がアメリに見えてくる。また、みんなの目線も、実は交差はしていないのに気づく。この映画、傑作だ。
初見は、多分2002年の頃でストーリーを忘れる位感動しなかった。
どうしてだろう?
『脳細胞の数が全宇宙の原子の数よりも多い』本当か?
脳細胞も宇宙の原子に含まれる訳だから、違う事はすぐ分かる。しかし、何故そんな事言ったのか?それが気になる。アメリの仕掛けた『罠?』いやいや『矢印?』
2022年8月20日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD
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○作品全体
何回かこの作品を見ているが、今までの視聴体験で印象に残っていたのはパリの風景と赤色の鮮やかさ、一風変わった登場人物たちとその紹介の仕方だった。どれもあまり触れたことのないもので、特徴的で、なにより存在感があった。
今回改めて見直してみると、アメリという登場人物の作り込まれ具合に魅了された。
まず彼女が勇気のない女性になってしまった要因の描き方が面白い。父母の教育や心臓病と決めつけられた過去という、アメリが影響された出来事ももちろん大きいが、個人的に膝を打つ要素は両親共に「好きなことが自分の鞄や道具箱を一度出して綺麗にしてまたしまう」だったことだ。これは自己の世界を自分で展開し、それを総浚いし、また自己の世界に大切に格納する行為だ。妄想好きで、他人への干渉も一人で完結させてしまうアメリを一言で象徴するような「好きなこと」だ。単純に遺伝とも言い難いが、そんな父母のもとで育ったアメリであるならばこういうことをするだろう、という筋道が立てられていると感じた。
大人になってさまざまないたずらを仕掛けるアメリ。その行動は奇妙で独特だが、いたずらをする根底には「周りの人が喜んで欲しい、良くなってほしい」と思う感情。コリニョンへのいたずらもリュシアンを不憫に思って始めたことだ。中盤で多くの時間を割く諸々のいたずら自体は破天荒だが、行動の理由が明確であるところに、この作品のキャッチーな部分を垣間見れる。そしてそういったアメリがいたずらする理由の分かりやすさが、アメリという人物を知る上で非常に大事な役割を担っていた。
そして終盤、アメリとニノの「いたずらの攻防」もシンプルに恋する感情の表現に繋がっている。その内容が特殊で、ついそっちに目がいってしまい本質を掴み辛くはあるが、アメリの行動理由に着目すれば「内気な女の子のラブストーリー」なのだ。ただ、その骨組みをカラフルに、大胆に、鮮やかにデコレーションするとアメリという登場人物が出来上がる。
登場人物の作り込まれ方は、骨組みの堅実さと派手な装飾のバランス…これが絶妙で成り立っていた。
○カメラワークとか
・行動理由のわかりやすさ、といえば効果音やカメラワークにも触れたくなる。わかりやすいのはわかりやすいのだが、アメリの行動にはアクションが少ない。アクションは起きる時、そこにアメリはいないか、遠巻きで見ているだけだからだ。そこでアクション要素を強める一因として効果音やカメラワークが使われていた。例えばアメリが電車で移動するとき、電車の音は異常に大きく、カメラは倍速で撮られるうえにブレが激しい。行動そのものは地味だが、この演出によってアメリが隠し持っている情熱の大きさが伝わってくる。アコーディオンの柔らかなメロディと相反した画面がまた情熱の大きさを助長させる。この表現が素晴らしかった。
・作品冒頭のガウスの使い方もオシャレだった。過去の景色のフラッシュバックという意味もあり、暖かい空気も感じる。アメリが懐かしさに触れている、と言った感じだろうか。
○その他
・普段アメリがいたずらするシーンで流れるBGMは「LA VALSE D'AMELIE」。「アメリのワルツ」という意味。ただ、特別なシーン…例えば証明写真機の前にいるニルへ初めて声をかけようとするシーンなどでは「L'AUTRE VALSE D'AMELIE 」、「もう一つのアメリのワルツ」が流れる。アメリの普段の生活では味わったことない感情に触れた時に「もう一つ」の方が流れる。隠されていた感情が表に出てくるような、そんな印象と合致するBGM名だ。
・アメリ役のオドレイ・ドトゥの黒目が結構怖い。ホラーっぽい目線の送り方は奇妙というよりホラー…と感じてしまった。
・レコーダーでジーナの行動を記録するジョゼフがツボだった。得意顔でレコーダーに話しかける姿が気持ち悪くもあり滑稽で面白いキャラ付けだった。