女の叫び(1978)

劇場公開日:

解説

古典ギリシャの悲劇詩人、エウリピデスの「メディア」に題材を借り、メディアを演じる国際女優と、実際に子供を殺し服役中のアメリカ女性を対照させながら女の深奥を描く。製作・監督・脚本は「夏の夜の10時30分」のジュールス・ダッシン。現代語訳はミノス・ヴォルナキス、撮影は「旅芸人の記録」のヨルゴス・アルヴァニティズ、音楽はヤァニス・マルコプロス、編集はジョージ・クロッツ、衣裳はディオニシス・フォトプロスが各々担当。出演はメリナ・メルクーリ、エレン・バースティン、アンドレアス・ウツィーナス、デスポ・ディアマンティドゥ、ディミトリス・パパミカエル、ヤニス・ヴォグリス、フェドン・ヨルギツィス、ベティ・ヴァラッシなど。

1978年製作/110分/アメリカ・ギリシャ合作
原題または英題:A Dream of Passion
配給:東宝東和
劇場公開日:1979年12月8日

ストーリー

ギリシャの大女優であるマヤ(メリナ・メルクーリ)は、エウリピデスの悲劇「メディア」の大役を得たため、連日、全霊を打ち込んでリハーサルを行なっていた。マヤのメディアは自信に満ちた声音で、嘆きよりはむしろ、正統な怒りを表現していた。演出家のコスタ(アンドレアス・ウツィーナス)は、自分が演出したいと思っているものとはどこか違うこのマヤのアプローチの仕方に、満足いかない何かを感じていた。マヤは、大スターのプライドからか、舞台で自分のまとう衣裳は貧弱なものを使わず、今度の芝居の宣伝工作でも脚光を浴びるようなものを、と考えていた。そこで、宣伝ディレクターのマーガレット(ベティ・ヴァラッシ)が持ち込んだ話しに彼女は大いに乗った。それは、かつて“グリファダのメディア”として、ギリシャ中の新聞を騒がせた子殺しの女ブレンダ(エレン・バースティン)とマヤが会見するというものだった。浮き浮きとしたマヤのそうした気持ちは、しかし、ブレンダとの会見が実現した日から急変した。キャメラマンたちがなだれ込んできた面会室で、マヤを“人でなし”となじるブレンダの憎悪と屈辱を目のあたりにして、メディアはもうマヤにとって観念の産物ではなくなっていた。その日から稽古を休み、新聞社や犯行現場となったブレンダの家を訪れ、彼女の身辺を探るマヤ。アメリカ人で、3人の子供たちと夫の任地であるギリシャに移住したブレンダは、夫に愛人ができた時、子供たちを殺す決心をした。マヤが謝罪に花を差し入れたことから、彼女とブレンダの間が接近し、マヤのメディアに対する感情の出しかたが以前と変わっていった。混乱をきたしたマヤからは、かつての力強い調子は影をひそめ、悲しみと絶望とが前面に出るようになった。コスタの目には、それは陳腐なメロドラマとしか映らない。仲間たちを招いて開いたパーティで、マヤはテレビカメラの前で告白をする。そしてマヤもメディアと同じ1人の女である事を明白にする。初日を翌日に控えた最後のリハーサルに、マヤは姿を現わさず、ブレンダのところで、犯行の夜の告白を聞いていた。ブレンダの“メディア”がマヤの中で再現され、いつしか2人は一体となっていった。夜の円型劇場。観衆を前に姿を現わすメディアは、マヤでありブレンダであった。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

第36回 ゴールデングローブ賞(1979年)

ノミネート

最優秀外国語映画賞  

第31回 カンヌ国際映画祭(1978年)

出品

コンペティション部門
出品作品 ジュールス・ダッシン
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映画レビュー

4.5☆☆☆☆★★ 以前のアカウントにも書いた通り。たまたま暇だったので...

2024年3月16日
iPhoneアプリから投稿

☆☆☆☆★★

以前のアカウントにも書いた通り。たまたま暇だったので観に行ったのに、我が人生に多大なる影響を受けた作品。この映画を観て、、、

「映画ってこんな凄い事が出来るのか!」…と。

以後、完全に映画にのめり込んでしまった。

基になる物語はギリシャ悲劇の《王女メディア》
正直に告白すると、今ひとつギリシャ悲劇に関してはど素人の1人。
元ネタが分かる人には面白味が倍増する話だと思う。

この作品の凄さはその多重構造の濃密ぶりにある。

主人公は、名声を世界に轟かせる女優のマヤ。
(メリナ・メルクーリ自身が大女優であり、ギリシャ文化大臣でもある)
その彼女は新たなる作品に挑戦している。
新しいギリシャ悲劇を演じるにあたって或る女囚に注目し、宣伝に利用しようとする。

メリナ・メルクーリとエレン・バースティン。
演技者としての子供殺し。
実際に子供殺しの女囚。
この2人の関係が先ずは2重構造になっている。

女優の横に常にいるアンナ。
実はその昔。彼女はこの大女優とはライバル関係にあった。
ライバル関係とは言え、今は女優の道を諦めた彼女の方が、昔は女優として何歩も前を進んでいた。
では何故にアンナは女優の道を諦めたのか?

彼女は愛する男の子供を身籠もった事で、女優の道を諦めたのだった。
いや!本当は諦めた訳では無かった。
ところが、アンナがやるべき役柄を演じたのが現在の大女優で、彼女の女優としての成功はこの時がキッカケになっていた。
この2人の関係によって、3重構造の図式が成立する。

実はマヤも子供を授かるのだが。彼女は子供を堕し、女優としての道を選ぶ。
つまりは。子供を殺し服役しているブレンダと、子供を堕し(実質的に)殺した過去があるマヤ。
マヤはブレンダの姿を見るに連れて、次第次第に役柄に憑き始め苦悩する。

マヤとアンナ。この2人が子供を身籠もったその相手の男は誰だったのか?
作品中にははっきりとは明示してはいないのだけれど、舞台演出家で映画監督である彼との関係は?

『王女メディア』に於ける大筋は不貞を繰り返す男への女の復讐が基になっており。

服役囚のブレンダとマヤ。

(あちこちで)不貞をはたらいていた?…と思える監督とマヤ、そしてアンナ。

更に凄いのは。このアンナとゆう女性。
女優としてのし上がったマヤに対して、女優を辞めたのにも関わらずマヤの本読みの相手を務め、絶えず傍にいるアンナ。
アンナは自分の役柄をマヤに奪われた怨みを心の中で絶えず忘れてはいなかった。男を奪われ、将来を奪われた相手の傍に絶えず存在する事で、復讐を続けている…とゆう、その業の深さを露わにする場面の怖さ。

そして何と言っても、クライマックスでのエレン・バースティンにメディアが憑依する魂を震わす名演技。
事ここに至り、4重〜5重構造にも見えて来る複雑な構造には、当時娯楽映画を中心に観ていた自分の脳天をハンマーで叩き割られたくらいに衝撃的だった。

前回、ここで観た時にフィルムの状態が今ひとつだったのを知っていたので、理解はしていたのだが、やはりフィルムの状態はあまりよくなかったのは残念だった。

1980? 旧文芸坐

旧 国立近代美術館フィルムセンター大ホール

2022年2月19日 国立近代美術館フィルムセンター小ホール

※ コロナ以後、ここでの上映が前売り制度に変わり、観に来る事がなくなった。
今回がコロナ禍以降初めてコンビニでチケットを購入。
以前の入場方式が身に付いているだけに、まさかコンビニでチケットを発券した時点で、勝手に座る席を決められているのはつゆ知らず、、、
これならやっぱり、ここでは映画を観たいとは思わないなあ〜ʅ(◞‿◟)ʃ

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松井の天井直撃ホームラン

4.0現実の事件を通して女優が苦闘する、ギリシア悲劇『メディア』のバックステージ演劇映画の真剣さ

2022年6月22日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
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Gustav

4.5女の情念を描いた傑作!

2022年2月11日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

京橋の国立映画アーカイブにて鑑賞。

ギリシャ悲劇「メディア」をベースにした演劇の女優と、妻を裏切った夫の復讐のために3人の自分の子供たちを殺して服役中の女を対比させながら、女の情念を描いたジュールス・ダッシン監督の傑作✨

妻以外の女性を愛してしまった夫への「妻の復讐劇」=「メディア」が、「現代の演劇リハーサル風景」と「子供殺しの女が収監されている刑務所」という異なるシチュエーションで並行させて展開される本作、ホントに上手い構成。

演劇女優をメリナ・メルクーリ、服役囚をエレン・バースティンが演じており、この2人が刑務所の面会を接点として心情を触れ合わすことで、映画に深みを与えている。

本作の冒頭テロップに「イングマール・ベルイマン」表記があったので何かと思ったが、本作中にて『仮面/ペルソナ』を映写して演劇関係者で観るシーンがあった。
映画『ペルソナ』の女性2人をスクリーンに提示することで、本作の2人の女性も気持ちが通じていくようになる……という暗喩に見えた。

本作は、1979年に岩波ホールで公開された時から観たかったが、ようやく観ることができた (^_^)

<映倫No.35353>

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たいちぃ

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