桐島、部活やめるってよのレビュー・感想・評価
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「桐島組」の流血の意味
映画「桐島、部活やめるってよ」を遅まきながら観た。「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を撮った吉田大八監督の演出はやはりおもしろかった。ガス・ヴァン・サントの「エレファント」のように一つの出来事を複数の視点から見せる群像劇で、それぞれの人物の光と影が描かれているのも魅力的だ。まだ原作は読んでいないが、映画作品の描くテーマと映像表現について感じたことを覚え書きしておく。ネタバレ。
<桐島不在の意味>
映画のオープニングは、11月下旬、担任が空白の進路希望書を配る高校2年の教室。生徒たちが卒業後の生き方、自己のアイデンティティについて真剣に考え始める時期だ。このタイミングで起きた「事件」、バレー部キャプテン桐島の突然の不在によって、生徒たちは自己のアイデンティティの一部を削がれる危機に直面してしまう。
桐島が精神的支柱だったバレー部の部員たち、桐島の部活が終わるのを待つことを日課としていた帰宅部たち、桐島の連絡を待つことしかできないガールフレンドの梨紗はそれぞれ、「桐島がいるバレー部」、「桐島を待つ帰宅部」、「桐島の彼女」というアイデンティティに甘んじ、不完全な自分たちの1日を桐島というピースで穴埋めすることで、充実した高校生活を自己演出してきた。
自己を完成させるためのピースを失った彼らの動揺、悲壮感が顕著に映し出されているのが、桐島の代役を課せられたリベロの風助が体育館の練習で激しいサーブの連打を受けるシーンだ。コートに差す強い光は風助の表情に影を落とし空気は重苦しい。マシンガンの弾のように打ち込まれるサーブは、桐島の代役という周囲そしてそれ以上に風助自身が自分に対して課している強いプレッシャーのように厳しく降り注ぐ。
強豪バレー部のベンチに甘んじていた風助は、左右に打ち込まれるサーブに翻弄されるがごとく、代役の重圧を前に自分の立ち位置すら決められずに右往左往し、ついには「何とかしようとしてこの程度なんだよ。この程度なんだよ、俺は!」と根をあげる。その叫びには、桐島という他者を自己のアイデンティティの一部として倒錯するほどに桐島に依存してきた「桐島組」の、自分の身一つでは世間の期待に応えられるか分からないという自己喪失、自信喪失の苦しみと弱さが代弁されている。
<「かっこ悪い」前田が与えた衝撃>
桐島の不在でつぶれそうな生徒たちとは対照的に、その影響を受けず逆に周囲からの期待に反抗し「かっこ悪い」自分を等身大で見据えているのが主人公の前田だ。彼はゾンビ映画の制作を顧問に反対されるが、映画祭に通らなくても自分の撮りたいものを撮ることが大事だと、窮屈な部室で漫画を読んでいた映画部員たちを鼓舞する。
屋上のラストシーンでは、帰宅部の菊地に将来はアカデミー賞かと冗談半分で問われるが、それはないと真面目にきっぱりと答える。前田の言動が示すのは、周囲からの期待や結果はどうあれ、自分に過度のプレッシャーをかけずに、今できることに打ち込むという彼の等身大の姿勢だ。
プロへの希望を失わずにドラフトが終わるまで野球を続ける野球部主将の姿勢とも平行する前田のこの安定感は、「結局できるやつは何でもできるし、できないやつには何もできないっていうだけの話だ」と、ひたむきな努力を切り捨てる発言をした菊地に衝撃を与える。それは菊地こそが誰よりも周囲そして自分自身の自己に対する期待の大きさに怯えるあまり自己を確立できず、プロになる自信のない野球を続けることに不安を感じているからだ。
菊地の迷いは、自分がいい選手であるにも関わらずやりたいはずの部活への参加をぎこちなく断り続け、主将になぜ野球を続けるのか尋ねる消極的な挙動に現れている。そんな菊地は前田に8ミリカメラを向けられると、具合悪そうに後ろを向いてしまう。前田が回すフィルムに映る菊地の後ろ姿は、自分の気持ちとまっすぐ向き合うことから逃げてきた彼の弱い心の姿そのものである。それは、向けられたカメラにまっすぐ向き合っていた前田の姿とは対照的だ。
<流血の意味>
校内の別々の世界で生きていた、桐島の不在に戸惑う「桐島組」と、ゾンビのメイクや女装をしたかっこ悪い映画部が初めて面と向かって対面するのが「近未来的な」屋上でのクライマックスだ。
校舎内の教室や体育館などでは常に教師や同級生たちの目、期待が影を落としていたが、光があふれる屋上で生徒たちの緊張は一時的にほどける。広い街と空、すなわち卒業後の彼らの未来がある世界を背景に、彼らはここで初めて桐島を抜きにした等身大の自分と本音で向き合い始める。
桐島不在に焦燥感を爆発させたバレー部の久保は映画部の小道具を思い切り蹴り飛ばす。久保に謝罪を求める映画部員たちの「謝れ!」という叫びには、日頃「桐島組」に劣等感を味あわされてきたことに対する復讐の念がにじむ。沙奈の他者に干渉する言動に日頃嫌悪を感じてきたかすみは、衝動的に彼女にびんたをくらわす。
吹っ切れた前田は、運動部の生徒たちや想いをよせる彼氏もちのかすみがゾンビに食われておびただしく流血する映画のシーンを妄想をする。この妄想には、日本の鑑賞者を含む「桐島組」に向けて監督吉田大八が自身を前田のキャラクターに重ねることで発したメッセージが込められている。まず、血については、映画部員の武文が顧問に血のりを使うことを禁止をされたことを受けて、血は人間なら誰でも流れているじゃないかと、つぶやく言葉が鍵となっている。
イケてるバレー部も帰宅部も女子たちも、他者不在で身一つになれば、自分の肉体に流れる血、すなわち自分の本来の性質が放出され、傷と血、欠点を隠せない非完璧な自己のアイデンティティと向き合いそれをさらしながら、周囲と自分自身に課される期待の目に耐えて、「この世界で生きていかなくてはいけない」のだ。
ついに最後まで目の前に現れない桐島は、他の誰よりも重いプレッシャーに苦しんでいたかも知れない。学内のヒーロだった彼のアイデンティティこそ、誰よりも学内の同級生たち、他者の存在によって補完されているものだった。彼が彼自身のアイデンティティを保証していた学校という世界から不在であるという事実は、彼が「流血」し、学校の外の広い世界で等身大で生きていく歩みを始めていることを示唆している。
あまずっぱい
前々から気になっていた作品で
ようやく観ることが出来た。
内容は高校時代の日常を描いた映画。
若い子が観てもピンとこないかもしれないが、
30代以降は昔を懐かしむことが出来る、
甘酸っぱい青春ドラマになってる。
学生の頃は大した事ではない事でも一所懸命生きてたな
というのを思い出させてくれた。
桐島は一瞬だけしか登場しない
ストーリーは学校のヒーロー桐島が部活を辞めるだけのことだが
その事件を色んな視点で追いかける。
いけてるグループ
いけてないグループ
高校生活では良くわからないステータスで上下関係が決まっていて
それが全てだった。
その感じが良く出ている映画。
本も読んでみたくなった。
緻密に計算された映画
.
緻密に計算された映画だと思いました。
タイトルが発表された時点で、ボールはすでに投げられていて
観客は映画館でその飛跡を追うことになります。
「桐島がやめる?」ってとこから本編がスタート。
余分な前置きがないので
すぐに作品の世界に没入できました。
カメラや音が近く
あたかも その場にいるかのよう。
懐かしい気分になりますね。
たしかに学生時代には、見えない力関係が存在していました。
そこにきちんと光をあて、
個々の立場の視線を、繊細に描写していることに
この映画の価値を感じます。
それぞれが人生の主役であり、それぞれが誰かの脇役。
そんなことを思い起こしました。
社会に出ると、また違うモノサシに出会うので
この時期のことを忘れかけていましたが
現役の学生にとって、
またかつて日本の学生だった私たちにとって
コアなテーマだと思います。
多くの人に 見て欲しいですね。
昔の自分を見るようだ( ゚д゚)ハッ!
結論から言うと・・・
邦画史上最高峰の大傑作( ゚∀゚ノノ゙パチパチパチ
これほど哲学的で、ノスタルジックで、多幸感があって、そしてリアルな高校生の雰囲気を描いてる映画は見たことない。
俳優陣の演技もさることながら、役のはまりっぷりもキャラの立ち方もほんと゚+(*ノェ゚)b+゚ ★ お見事 ★
映画を観てるうちに本物の高校生活を切り取って見てる錯覚を覚えましたわ(゚∀゚)アヒャ
一時期高校で臨時の先生やってた経験もあるし、その頃の雰囲気と自分が高校生だった頃の雰囲気、そしてこの映画の雰囲気を感じ取って、学校も生徒もいつの時代も変わらんな~と改めて思い知りました。
桐島という生徒がバレー部を辞めるという実に取るに足らないことで学校中が大騒動になっていく様が実にリアル。
下グループの女子に嘲笑される様なんて、ほんと身につまされる(;・∀・)
俺も似たような感じだったし、何か女子同士がひそひそ話してると何か自分の陰口を言われてるような被害妄想を覚えたりしたもんです(笑)
「今の話聞かれちゃったんじゃない?」
「いいよ別に。」
この空気としか思われてない感じは・・・いたたまれない(-_-;)
そして女子同士の表面上仲はいいけど裏では・・・みたいな感じも良く出てて(・∀・)イイ!!
映画部2人のやりとりなんて、ほんっといけてないグループのリアルな雰囲気が醸し出されててΣd(゚∀゚d)イカス!
ジョージ・A・ロメロなんて名前が出て来たり、映画秘宝を読んでるなんて下りも俺にとってはъ(゚Д゚)グッジョブ!!って感じです。
「おまた~」
「夢の中に満島ひかりが出てきたよ~」
キャハハハハッ!!(≧▽≦)彡☆バンバン
帰宅部グループのだらだらした何気ないやり取りも「あ~いるな~こういう高校生」って感じがして(゚д゚)イーヨイイヨー
そして神木龍之介と橋本愛がたまたま映画館で顔を合わせて、ちょっといい感じになったかと思った時の「これいけるんじゃねえ?」感もかなりイイネ♪d('∀'o)
観てる間ずっと自分の高校時代を重ねてたo(`・д・´)o
懐かしさといたたまれなさが常に同居してる感じで、こんな複雑な感情を持ちながら映画観るのは初めてかも(・∀・)
そしてそこに拍車をかけたのが、俺は吹奏楽部だったから屋上とか校舎の外で1人で練習するシーン、そして全体演奏するシーンはほんっと~~~~~~~に懐かしかったし、練習きつかったな~という感覚も思い出した(;´Д`)
進路に悩んだり、何も熱中できるものがないという感情も良く理解できるし、体は成長しきってるけどまだ精神は子供だし、学校という1つの世界でしか物事を推し量れない高校生の内面描写の素晴らしさは見事と言うしかないですほんと(。_。(゚ω゚(。_。(゚ω゚(。_。(゚ω゚(。_。(゚ω゚ )スペシャルウン
桐島はなぜ部活を辞めたのか、なぜ学校に来ないのか、そしてなぜ電話をしてもメールを送っても連絡がつかないのか・・・
その辺りの理由は全く示されないし、桐島自体も映画には出てこない。
桐島はバレー部のキャプテンでバレーの実力も相当で、さらに勉強もできて・・・
もう学校でも誰もが知る超有名人で大スター(゚∀゚)
その桐島がいきなりバレー部を辞めるという話が持ち上がるだけでみんなが慌てふためいてどんどんおかしな感じになって・・・
桐島が来たという一報が届いた途端にみんな一気に爆発する。
ネットでは「桐島=キリスト」とか「桐島=カリスマ」とかいう説が出てるみたいだけど、確かにそうとも見えるのはうなずけますな。
とにかく桐島の一挙手一投足に学校中が振り回されて、皮肉なことにその桐島のために屋上に集まった生徒を蹴散らすのが、桐島とは一番遠い立場にいると言える神木龍之介演じる前田涼也Σ(゚Д゚ノ)ノオオォッ
前田は教室ではおとなしいけど、映画に対する情熱は尋常ではなく、常に映画秘宝を持ち歩いてるくらいのコアな映画おたく。
桐島はどこだと言う連中を「お前等邪魔するな!!こいつらを全部食い殺せ!!!」とその状態をゾンビ映画の1シーンにしてしまうという離れ業をこなす工工工エエェェ(゚Д゚)ェェエエ工工工
結局桐島のために集まった連中を、桐島から一番遠い存在の前田が解散させる。
そして桐島の親友でありながらも、桐島に電話を掛けたりメールをしたりはするけど実際に家に会いには行かない菊池の感情を前田が揺さぶる。
学校のカーストって、田舎であればあるほどこの落差の激しさ、そして交わらなさは極端だと思うけど、学校にいる間にこれをぶち破ることは実際には(ヾノ・∀・`)ムリムリ
しかし高校生活は限りがあることはみんな分かってる。
卒業するまでは、甘んじてこの環境で生活していかなければならないのも現実。
部活を辞めたとか辞めないなんて、それほど大した話ではないんだけど、狭い世界に生きてる高校生にとっては一大事なわけだし、学校の世界が全てではないと卒業してから初めて分かる。
だからこそ学生のうちは好きなことに熱中することが許される訳だし、桐島が部活を辞めるという取るに足らないことに大騒ぎもする。
もし高校時代の自分に会ったら
「今は色々辛いかも知れないけど、お前は卒業後こうなってああなって・・・だから安心しろ!!頑張れ!!!ファイト━━(ノ゚д゚)人(゚Д゚ )ノ━━!!」
と言いたくなった(^O^)
とにかく噛めば噛むほど味が出る映画。
これから何年か経ってからまた観ても、きっと同じ感想を持つと思う(゚∀゚)アヒャ
1回見ただけじゃちょっと分かりづらいのも事実で、見た後色々考えたり話をしたりすることで理解も深まるし、今まで気が付かなかった面も発見できるという、底なしに奥が深くて味わい方も色々できるという稀有な映画。
超お勧めです(`・д・´)9m ビシッ!!
宿題が出た~~~
きっと誰かに共感できる
この映画の登場人物は実にバラエティに富んでいる。それゆえに観ている側はその誰かに感情移入出来るであろう。また同じ事柄を別の立ち位置から見せることでより深く映画にハマり混んで行く。誰もが登場人物の誰かに共感し、好感を持つのだ。
舞台は高校。バレー部のスター(いや校内のか)桐島が辞めたという噂から広がる波紋をそれぞれの立場から時系列に展開していく。時間軸が前後したりしないので見ていて疲れない。
淡い青春の日常、それは傷つきやすくて儚い。そんなそれぞれの心の内が手に取るように分かる。"わっ、この子今傷ついた"とか"その一言に気分を害した"とか、一人一人が何を想い、そしてどう感じているのかを実に分かりやすい描写(セリフじゃなく)で見せてくれる。
結局最後まで桐島は現れない。出来る側の憧れや精神的支柱の存在だった桐島、しかし目立たないがマイペースな生徒たちには桐島の存在は関係ないのだ。そして桐島がいなくなったことで出来る側と思われていた生徒が実は何も出来ていなかった事に気付く。桐島(&その彼女)に憧れそれを目指していた生徒たちは、桐島が消えたことで目標を見失ってしまうのだ。一方、桐島などに影響されて来なかった生徒の方が、傷つきなからも結果を残していく。
人はそれぞれキャラクターを持っている。その中で一歩ずつ自分なりに生きて行く。そこに勝ち負けなどないのだ。自分の明日をしっかり見つめ、自分を大切に生きて行けば、桐島の存在に影響されることはないはずだ。
この映画に勝ち組も負け組も存在しない。
あるのは一人一人が自分に正直に生きようとしている姿なのだ。
そして桐島が居ても居なくてもそれぞれの「陽はまた昇る」
モテない奴らはモテないままに、イケてる奴らはイケてるままに。
物語の中盤、イケてない高校生が、神木隆之介君扮する(これまたイケてない)主人公『前田』にこう話し掛けます。
「夢の中で満島ひかりに逢った」と。
俺は、この些細などうでもいい会話で思わず泣きそうになりました。
イケてない、更に加えてオタ仲間同士って、こういうことよく話すんです。ガチで。
「イケてても別に普通に話すぜ?」って思うでしょ?
違うんですよ。全然違うの。
このオタ的でもメジャー的でもない微妙な線として『満島ひかり』をチョイスしてる時点で、もうイケてない勢の領域なんです。
分かんないでしょ?分かんないでしょうね。俺も分かんない(?)。
この映画は非モテには非常に辛辣で、美男美女はそれなりの悩みがありつつもそれでも結局モテて上位カーストで、非モテは虐げられ無視決め込まれ、美男美女はそれなりに辛い気持ちを抱きながらそれでも上位カーストで、非モテはそれなのに淡いロマンスも許されずこの映画自体が非モテへの応援歌的作品にもされず、美男美女はそれでも人生の虚無感を持って日常送っているかもしれんけどお前それは贅沢な悩みであって結局は上位カーストとして人生を生きてくんだろ!ていう。ていうね。
俺はこの映画観てね、ヒガミ根性が再沸してますよ。モテなかったからね。高校生活最下層、スクールカーストの底辺で、前田的だったし。
だから、モテてる奴らがこの映画観て「共感できる!」て言ってたらそりゃあ大嘘でしょ、て。お前ら何に共感したんだよ?ていう。
あーあ。
観なきゃよかった。
この世界で生きていかなければならないのだから
拙ブログより抜粋で。
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だいぶ前に予告編を見たきり前情報はほぼ無しで観たもんだから、青春映画にありがちなフォーマットからまるで外れたこの群像劇にはかなり驚かされた。突然何も言わずに姿を消した桐島に翻弄される面々と同じように自分もこの映画に翻弄された。
驚かされた学園モノという意味では、橋本愛ちゃんが注目されるきっかけともなった『告白』(2010年、監督:中島哲也)に通ずるものがあるんだが、あちらは殺人事件絡みの非日常な復讐劇な上に演出的にもあえてデフォルメしているが故、どこかファンタジーのような趣もあったが、こちらはあくまでもナチュラル&リアル。トリッキーな編集こそされているが、大した事件も起こらず、地に足がついた身近さを感じる。時に赤裸々でこっぱずかしく、時に生々しく苦々しい。
実はクライマックスには圧巻の幻想的(?)シーンがあるのだが、それとて非現実というより、むしろそれによってその非現実が“半径1メートルのリアリティ”と化す逆説となっている巧みさに唸らされた。彼らは、この世界で生きていかなければならないのだから。
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全文は『未完の映画評』にて。
桐島、10年後が見たいってよ。
校内一の話題保持者、桐島がとある金曜日にバレー部を辞めた。
…それがどうした?と思うのが現在の自分で、
それは事件だね~!?と取り合えず話題を振るのが当時の自分。
これは、そんな区分けをしながら観てしまう作品。
巧いと思うのは、過去も現在もそうは変わっていない狭い世界で
(一学校の一校内っていう)
さらには部活動という、帰宅部にとってなんの価値も見出せない、
誰が偉くて誰が下等という、謎の優劣がはびこる当時の世界観。
それが全てだった人ほど、今作にはグッとくるんじゃないだろうか。
あーいたいた!うん、あったあった!といちいち頷きたくなるほど
登場人物達の描き分けが巧い。
まったく姿を見せない桐島が相当デキる奴なのは言うまでもない、
でも行動そのものはまぁ褒められたもんじゃないなぁ、迷惑かけて。
ただ騒いでいる連中はいいとしても、仲間や友人にもあれでいいの?
本当に優れた奴は他人への配慮も忘れないもんだよ。
取り残された太賀を見てたら、可哀想で涙が出そうになったぞ。
(まぁ、結局は彼もあれで良かったんだけどね)
もちろんまだ学生だから、そう完璧人間に描かれないのもまた然り。
悩みに悩んで出した結論なのかもしれない。そんな葛藤が
描かれずして妄想できるところも、また演出方法の妙技である。
…結局のところ、彼らは桐島が部活を辞めようが続けようが、
自分の進路は自分で決めねばならないし、彼の抜けた穴は、自分達で
埋めるしかないわけだ。頑張れ!学生諸君!…なんて応援したりして。
青くて若くて初々しいとは(懐かしすぎて)こんなに躍動感に満ちている。
多くの不満も情熱も各々が抱える問題と照らし合わされ、其々の立場、
進むべき方向を示唆している。今それが当たり前のように見えてるのは、
下らない問題をすでに下らないと思える年代だからで、自分が懸命に
生きていた頃などは思いもしなかったことだ。今思えば…バカみたいな
問題に振り回され、バカみたいな相談に乗り、バカみたいに笑いこけて、
バカみたいに腹を立てていたあの頃が懐かしい。今の若い学生達にも
そんな感情が嬉々として残っているなら、それこそ素晴らしいことなのだ。
たかが一人の人気者に振り回されてしまう、
認識すらしていない連帯感が自分と周囲の距離を測る絶好のタイミング。
様々な分野の人間を見つめた菊池が、最後に気付くものは何だったか。
映画部の武ちゃん(武文)、現在と未来を見渡す説得力ある解説がいい。
自分の立場と実情を踏まえた見解は素晴らしかったけど、
あの彼とて社会に出ればまた揉まれ、更に辛酸を舐める時がやってくる。
前田(映画部)や高橋(野球部)のように叶わない夢を語るのもまた然り。
モノになるかどうかなんて問題じゃない彼らには、ロマンが満ち溢れてる。
チャラチャラと桐島にくっ付いている連中と、彼らから最も離れた連中の
危機迫るラストの食い荒らし方が、まるで意味を持たない鬩ぎ合いである
ことが最大の救いで、須く終焉を迎えるところも夕暮れと合わせて美しい。
自分にとってまったく興味のない分野にいる人間が放った一言に、
人生最大のショックを受けてしまった経験って、過去にないだろうか。
観終えて面白い(面白かった)と思えるのは、
今作で描かれていたように、学生時代に花形(古い?)だった人気者が、
社会に出て、何年もしてから偶然出逢った時、「へっ?マジ?」と思うくらい
パッとしなくなっているという「あのヒトは今」な実態と、
名前すら覚えていなかったような地味な同級生が、一躍有名人に躍り出て
いる仮想世界のような現実。人生、何があるかなんて未だに分からない。
桐島という象徴を自分から切り離して、あぁそんな奴もいたよね。と、
自分自身に没頭できる生き方もいいし、アイツがいたからオレも頑張れたと、
思いきり取り込んで妄想に浸れる人生もアリかもしれない。
あらゆる可能性と卑屈な精神性、伸びやかな思考に私利私欲を兼ね備え、
行ったり来たりの人生を苦しみ楽しみ生きて欲しい、十代に捧げる作品だ。
(しかしオンナって怖いでしょう?愛ちゃん寿々花ちゃん上手すぎるわねぇ)
一人一人はリアル。でもその社会はリアルではない。
まず、若い役者たちの演技が細やか。
もう、監督の操り人形にでもなったかのよう。自然な台詞回しや美しい間に引き込まれていく。
そして、カットがどのカットも美しい。映像だけでも充分もつ映画です。
特筆すべきは音楽。
放課後の校舎には吹奏楽部の楽器の音色が響くのはもの凄くマットウ。その音色がごく自然にクライマックスを盛り上げるのですから文句無しのアイデアです!
ただ、パンフには「あなたの”記憶”を幸福にも残酷にも刺激する」とありますが、私はそういうのにはピンときませんでした。
なぜならこの登場人物には自発的にユーモアを放つ者がいないから。
そんな社会にはリアリティを感じられないのです。
この映画ぐらいの軋轢ならユーモアさえあれば解決できますし、最後にクロスオーバーしようとするキャラクターがいますが、本来ならそれはユーモアを持つ道化の役割です。あのキャラクターがかかんにクロスオーバーしようとしたところで結局はグループを移動するだけに終わるでしょう。
だから、鋭いボケをかませる者がいつもクラスの人気者である理由です。
物語を成立させる為にこの集団劇であえて道化役を用意していないならそれはご都合主義といわれても仕方ないです。
行き場を失った眼差しに映るもの
帰り道、もう遠い遠い自分の高校時代の、中でも特別だった日々の記憶が、当時の感覚のまま一気に噴き出してきて止まらなかった。そういう力を持った作品でした。
友への眼差し、憧れの眼差し。個人の眼差しが主役、という印象でした。同級生の目線で目撃した感じでした。
多くの眼差しを受け止めていたバレーボール部キャプテン桐島が部活をやめた、学校を休んで連絡もつかない。
行き場を失った眼差しは交差し、思いがけない所に焦点を結んだりして。映像表現ならではの部分がとても面白かったです。
キャストの皆さん好演でした。自分が弱小文化部長を経験したので、映画部長の前田くんに共感しやすかったですが、他の子達の心情も理解できました。
ただバドミントン部の実果さんはミステリアスで、内面がもう少しわかると良かったと思いました。
前田くんの相棒、武文くんを演じた前野朋哉がとても自然に演じていて良かったです。カメラの向こうでもお仕事している方のようですが、カメラのこっち側でも味のある役柄をこなしていって欲しいです。
-追記-
鑑賞から時間が経って、じわんと評価が上がってきたので4.0→4.5
なんか分かんないけど、分かんないってきっといいことなんだろう
おれの高校時代は単純だった。おれ一人単純だったのかもしれないが、それならそれでいい。この作品の高校生活が現実に近いなら、今どきの高校生も大変だ。複雑な人間関係がいやで背中を向けちゃうから単純に見えるのかもしれない。前田くんは自分の頭の中で吹奏楽部の演奏をBGMにすばらしいゾンビ映画を創った。それは吉田監督がゾンビ映画も撮れるぞというプロとしてのプライドか。野球部のキャプテンはどうみてもオッサンだが、くるわけもないドラフト指名を夢見て通常3年が引退する時期も現役を続ける。自分よりもいっぱい能力をもったヒロキに、妬みもなく「次の日曜、試合があるから来いよ」とさそう。野球部のキャプテンとしてはとてもぬるい感じがいい。作品に登場するメンツの中では好感度バツグン。それぞれの生徒の立場で観れば何度観てもおいしい作品だろう。
興行的に苦戦しているらしいのでネタバレなしの紹介。
今から“勝ち組”“負け組”に分けるには早すぎる
タイトルといい観る前の情報といい、何を語ろうとする映画なのか掴みどころがない。その得体の知れない不思議さゆえ、何か気になっていた。
話の発端はタイトル通りバレーボール部のキャプテンだったらしい桐島という男子生徒の突然の退部だ。
その金曜日の放課後を主要な登場人物の視点で繰り返し見ていくうちに、いろんな真実が見えてくるという手法を取る。
一人の生徒が部活を辞めた。それは大したことではない。せいぜい部内の騒ぎで治まる。
ところが、どうやらその生徒は学校内の誰もが認める“スター”らしい。運動だけでなく勉強もできて、彼女は校内一の人気女子。つまり彼らにとっては大きな事件なのだ。
そして、その騒ぎは本人不在のなかで繰り広げられ、騒ぎだけがひとり歩きしていく。
騒ぎの中で無責任に言わなくてもいいことを口にしたばかりに友情関係にヒビが入るなど人間関係の脆さが露呈する。カッコイイ彼氏を持つこともカワイイ彼女を持つことも校内に於けるステータスでしかない。
結局、コトの真実を見極めるために桐島の家を訪ねる者は一人もいない。携帯でしかコンタクトを取ろうとしない希薄な人間関係が浮き彫りになる。
主人公の前田涼也は、映画部所属で目立たない生徒。誰からも相手にされず、校内階層でいえば桐島とは正反対の“下”に属する。部室も剣道部に間借りするような片隅でクラい。
彼らは“上”の喧騒をよそに新作の撮影に没頭する。彼らにとって桐島が部活を辞めようが何の意味も持たないのだ。
この価値観の違いがラストでぶつかり合う。おとなしかった“下”の人間が自分たちの世界を踏みにじられたとき、“上”に向かって牙を剥くその感情の具現化した姿がゾンビだ。
屋上で桐島に続くナンバー2的存在の菊池と前田が言葉を交わす。同じクラスでありながら、まともに話をするのはおそらくこれが初めてなのではないか。
彼らの人生はまだこれからだ。何があってもおかしくない。今から“勝ち組”だの“負け組”に分けるには早すぎる。
題名が短答直入でした…
モヤモヤ感がいい(追記あり)
今公開中の『アナザー』が、いる生徒をいない人扱いするお話で、それとは真逆でいる生徒を最後まで登場させない話だったので驚いた。しかし、この映画は全ての登場人物が一面的でなく、桐島は実在しない可能性すら検討したくなる。
チャラけている連中も心に穴を抱えていたり、お互いがお互いを気にしていながら、それがずれている感覚が非常に上手に掬い取られていてとてもよかった。素晴らしい表現の見本市のようだった。
もっとじっくり映画秘宝を読んでくれてもいいのにと思った。橋本愛ちゃんは気まぐれに『鉄男』を見たわけではないと信じたい。この夏一番の青春映画なのは間違いないでしょう。
(追記)
初回で見た際は登場人物が多くていろいろな出来事や細かな描写を把握しきらなかったままレビューを描きました。二回目に見たら非常に細密に構成されていて、素晴らしい映画であることが改めて分かりより深く感動し80点から90点に変更しました。
神木くんがほぼオレであることを前提に話しますが、橋本愛ちゃんは女子グループや軽薄な連中との付き合いを大切にするあまり別に好きでもなんでもないチャラけた男子、しかもそいつは男子の中でもかなり下っ端男と付き合っていた。そんな橋本愛ちゃんが、適当に選んだ映画が『鉄男』であるわけがないんです。あんなハードコアな映画を適当に見るわけがないじゃないですか。オレ(神木)をイオンで見かけてつい、ストーキングをしてしまったんじゃないでしょうか。「こんな凄まじい映画が好きなんだ、やっぱり芯の通った男はかっこいい!」なんて思ったに違いないんです。映画の後のベンチ座る橋本愛ちゃんと、オレ(神木)が決してベンチに座らないその距離感!意気地のないオレ!!
桐島も相当苦しんでいたはずです。実際バレーボールに真剣に取り組みながらも軽い連中に気をつかって「別に遊びだし~」みたいな態度を取っていた事でしょう。誰に対しても何に対してもきちんと向き合うとダサいと言われそう、なんてそりゃあ何もかも嫌になっても仕方がないでしょう。彼女はまるで飯島愛みたいな超威張っている偉そうな女で、あんなの別に好きでもなんでもなくゴリゴリに押されて人が好くて断れず嫌々付き合っているだけに違いない。本当は橋本愛ちゃんの方がずっと可愛くて好きだったかもしれない。実態なんか何もないのに、チャラけて余裕ぶっこいている態度そのものが有利な立場の要素になっているその虚しさに耐えられなかったとオレは想像します。実際にバレーボールという実質があるだけに、チャラい連中の薄っぺらぶりにムカついていたことでしょう。
そしてみんなには羨ましがられ、県選抜なんかになったらバレー部でも僻む連中もいることでしょう。「そんなにオレはいい思いなんかしてねえよ!彼女、飯島愛だぜ!」と思っていたんじゃないかな。そんな彼の気持ちに思いを馳せる人なんか一人もおらず、非常に孤独だったと思います。本当に気の毒だし、桐島は絶対にナイスガイですよ。
そんな劇中さっぱり登場しない中心人物にまでつい思いを馳せてしまうほど素晴らしい映画でした。
面白い!
この作品は構成が普通の映画と違うので、時間の使い方はあまり考えずに見ました。マグノリアっていう映画もこの映画と同じで色んな人の目線で一つのシーンを繰り返すって感じだったかな。でも全編105分という時間はちょうど良かった思います。
次に内容ですが、はじめは真の主人公が誰だか分からないような感じはしましたがしっかりとしたステップを踏んで進んだ前田(神木くん)ですね。前田のキャラと神木くんのイメージはバッチリあってたと思うんでキャスティングはOKだと思います。
このストーリー、桐島に振り回される人たち側と、桐島のことなんて全く関係ない人たち側に分かれてましたね。これが最後に皆一同集まってクライマックスを迎えるのです。
僕たち鑑賞してる側からしたらものすごく面白くないですか?この展開。
しかも言葉に発して謎を暴いてしまったのは関係ない側ですよ。それで最後まで桐島と無関係な前田たち。こういう展開って多少強引に持っていきがちな作品もあるように思いますが、この映画は違いました。違和感なしです。
あの皆が集結、話も終結っていう流れから後のくだりはヒロキのためにとって付けたような数分間で蛇足感ありました。歯切れよく終わるとかしてほしかったし、ヒロキという人間を描いてくれないから、最後お前がもっていくんかい!ってなりした。
あと個人的に吹奏楽の人と前田の屋上で言い合いするシーンは面白かったです。
前田は何も知らずに正論ぶっぱなして、彼女はごまかしながら言い返してと、彼女の気持ちがすごく分かる鑑賞してる側としてあれはめっちゃ笑えます。前田の言い回しもこういうやつおるわーって感じでツボでした。劇場で笑われてる方もいたんですが確かに笑いたくなります。前田の相方もなかなか面白いやつでした。
この映画、すべての状況を把握してる鑑賞側のことをよく考えてくれた作品だと思います。
funnyでもありinterestingでもある面白い映画でした。
持たざる者、己を知れ
「クヒオ大佐」などの作品で知られる吉田大八監督が、「妖怪大戦争」でキュートな魅力をばら撒いた神木隆之介を主演に迎えて描く、青春群像劇。
ここ最近になって、高い注目を集め始めている異色の現代芸術家に、韓国人のス・ドホなる人物がいる。自身がルーツとして掲げる「家」をモチーフにした作品を数多く残しているが、彼にはもう一つの軸となるテーマが存在する。
それが、「一人の、持てるものに握られた名もなき「持たざるもの」への視点」である。「私は、私」と声高に叫んでみても、個々の人間は知らないうちに「持てるもの」の手の内に丸め込まれ、小さな歯車として動く。作り手は決してその現実は批判はしていない。ただ、「背けず、目を向けろ」と、観客を挑発する。私たちの目が覚めるのを、待っている。
バレー部のエースで、超万能型のスター、「桐島」が部活を辞める。一見、何でもない小さな波紋が巻き起こす違和感が、いかに人間を惑わせるか。この一点への好奇心が物語を構成している本作。何故、一人の高校生の行動に学校全体が振り回されるのか。その真相を、様々な立場にある数人の同級生の視点を繋ぎ合わせる事で解き明かしていく。
気弱な映画部員、不思議な魅力を放つ美貌のバトミントン部女子、学校一の美女。境遇も、毎日への取り組み方も違う多彩な登場人物を放り込んで物語は展開されていくが、その全ての人間には共通点がある。
「見えない何かに、首根っこを掴まれているのに気づいていない。あるいは、掴まれるのを楽しんでいる」
「桐島」という男がどんな人間か、物語の登場人物も、観客も実は知らない。ただ、その男が自分たちの平穏な毎日を支配していて、保っている事は知っている。それだけで、良い。それで、安心する。あくまでも本作のテーマは「桐島」という人間そのものではなく、「桐島」という名前をもった「持てるもの」への憧れと、恐怖、諦めだ。だからこそ、別にその男は出てこなくても良い。出てこられては、困るのだ。
「桐島」というスターを具体化しないこと。それが、本作が普遍的に観客を挑発する力強さを生んでいる。「持たざる者よ、己を知れ」青春という名前を掲げた生半可な物語のようでいて、個性の限界と本性を鋭く指摘するユーモアにとんだ作品として完成した一本。ぜひ、学校という「個をかき消す世界」から少し離れた「夏休み」という時間にある学生にこそ、立ち向かってほしい映画だ。
と、難しい事を語らずとも、神木のイケメンぶりは黒縁メガネで隠してもやっぱり輝いているし、新進気鋭、橋本愛の美しさはやっぱり素敵。娯楽として観ても魅力は尽きない。味わい豊かな作品である。
学生時代の空気感?
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