桐島、部活やめるってよのレビュー・感想・評価
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初めて共感できた学園ドラマ
金八的なドラマを観ると、何かイベントやトラブルをきっかけにクラスがひとつにまとまったり、仲違いしてたグループが打ち解けたりする。でも、実際にはそんなことない。本屋大賞を獲った「夜のピクニック」を読んでもなんかむず痒かったし、私は今まで学園モノで共感できた作品ってなかった。大人が書く作品には、実際には使わない若者言葉が出てくることもあるかもしれない。女子が「~だわ」とかって絶対に言わないのに、今でもドラマやCMでよく使われてるよね。
この作品は高校を卒業したての朝井リョウが原作ってのと、エチュードをとりいれながら演出したっていう吉田大八の手腕とが相まって、非常に上手に「いまの子のリアル」が描けていた。(30代半ばの私が言えるかっつー話はおいといて)
桐島は評判がいいのは聞いていたけど、「スクールカーストをきちんと描いた」だけなのかなーと思っていた。そしたら「スクールカースト上・中・下」とかそんな生やさしいものじゃなくて、いろんな立場の子をきちんと描いていたことにびっくりした。
いろいろな人の感想を見たけど、言及している人がいなかったと思うのは、女子4人組の2人組×2 からなるリアルな構成。4人組を構成しているのはちょいワル系といい子系なんだけど表面上は仲良くしていて、ふとしたときに ちょいワル>いい子 の関係性が透けてくる。そしていい子組はちょいワル組を心の底では少し軽蔑している。
だったら分裂すればいいのに、って話だけど、いい子の方は上位のちょいワル2人にくっつくことで得られるメリットも多いんだろう。ちょいワルの方でも、いい子からノート借りたりとかあるんだろう。そして、2人だけでつるんでいると、片方が風邪ひいたときに1人になっちゃうリスクがあるんだよね。そういうもろもろのメリットやリスクヘッジがあって、2人組×2の4人組があるんだ。
これ以外にもいろいろな場面で設定が細かくて、リアリティに満ち溢れたステキな映画なのに、映画リテラシーの低い私ときたら 【1】桐島が出てこない、という設定に映画半ばでやっと気付く 【2】肝心の飛び降りシーンには気づかなかった 【3】バド部の地味な方がバレー部の小さい男子に惚れてたということにも気づかなかった ・・・いう有様なので、ぜひもう一度観てみようと思う。
私は中高時代がすごく嫌で、早く大人になりたかった。
勉強に精を出しつつ、なるべく学校の外に身を置くようにしていた。
でも映画部部長を観ていたら、彼のようにサブカルどっぷりの仲間と語り合える場に身をおいてもよかったかもな、て思った。
なぁんだ 程度
不思議な感情
とにかく衝撃的。
こんなにココロが震える体験は滅多にない。
自分が高校生だった時、どんな生活を送っていただろうか。自然と考えてしまう。登場人物の誰にあてはまるわけではないけど、それぞれ共感できる部分がある。あの時は主観的な物の見方をしていたと感じる、自分は割と客観的に物事をみるタイプだと思っていたけど、この映画をみて、やっぱり自分の世界は自分の主観でみているのだと実感した。自分では気づけないような事を、気づかされた気がする。自分は一体なんなのか、何がしたいのか、どうあるべきなのか。これを観て何かが解決するわけではないから、スッキリした気持ちにはならないかもしれない。しかし、悩み、考えることは一生続くことだし、登場人物一人一人の行動は、自分にとって何かのヒントになるかもしれない。人は誰でも悩みを抱えている、しかし、分かり合えることは極少ない、それでもみんな悩んでいるという事だけは、覚えておく必要がある。
撮影方法も演出もよかった、ミサンガのシーンやクライマックスが印象的だった。なによりキャスティングが最高、メイン的な橋本愛、神木隆之介、大後寿々花、東出昌大はこれからも活躍してほしいと思ったし、脇を固める配役も存在感があって素晴らしい。
言いたいことを言い出したらキリがない、それくらいのメッセージを受け取った。正直、つまらない、と言っている人に何故だと言いたいくらいだけど、それもこの映画の特徴だと思う。見る人によって全く違う見え方がすると思う。
そして、大人が観た方が面白く感じる映画だと思う。超オススメです
やはり『パーマネント野ばら』はマグレ当たり
傑作『パーマネント野ばら』と、駄作『クヒオ大佐』という作品を監督の吉田大八は撮っている。
で、今回、『桐島、部活やめるってよ』は、どちらに転んだか
結論から言うと『桐島〜』は、その二本の中間に位置すると言っていい。
つまり、駄作じゃないが傑作ではないという事だ
何より、キャラクター造形がアメリカ映画のように単純過ぎる。
体育会系のイケメンとヤリマンはセックスしか頭にない。
或いは、文科系は基本的にオタクであり、見た目もイケてない。
交わりのない、そんな彼らの日常が桐島が部活をやめるという事で、にわかに交錯し始める訳なんだけど、この肝心の桐島が本作に登場する事はない。
それを斬新と取る向きもあるかもしれないが、やはり、物語の要になる人物が登場しないという、やり方に疑問を感じてしまう。
吉田大八は『パーマネント野ばら』で存在しないキャラクターを画面に出す事で、主人公の悲しみを観客に共有させる事に成功していた(その事で、今回は、あえて桐島を出さない手法を選んだのかもしれないが・・・)。
あと、最初の金曜日は、一つの出来事を登場人物の視点を変えて描くんだけど、何度も字幕で“金曜日”と出るのは観客をバカにし過ぎだし、説明セリフも多過ぎる。
それから、映画部が必ずゾンビものを撮影しているというのはいい加減飽きた
ついでに役者陣の演技力の差も歴然としており、神木隆之介や大後寿々花、橋本愛はキチンと演技してるが、他は演技力無さ過ぎ
唯一、坊主頭の野球部のキャプテン役はリアリティがあって良かったな
終始退屈、落ちも無い。
学園生活における自分の立ち位置に感情移入する作品と前評で聞いていたのですが・・中身はただただ学園生活の垂れ流し、これといった見所もない。タイトルになっているキーポイントの桐島君が終盤に向けて何か明かしてくれるのかと思いきや、最後まで出てこないで終わり。
結局タイトルに深い意味はなく「クラスの有名人がいなくなってクラスの空気がドタバタしちゃったよって」だけ。現実でもよくあるシーン(失恋とか部活に対する思い)とかに感情移入して欲しかったのかな?普通のその辺にあるような学校見学しているんような映画でした。
途中から退屈で飛ばして見ました。借りて失敗しました。
103分間の生徒体験。
幾人かの視点で繰り返す金曜日で幕を明け、
映画部と吹奏部の一体感をクライマックスに、
ちょっぴり切ないエピローグへと向かう群像劇。
折り重ねられた生徒たちの物語から"今"が浮き彫りになってゆく。
共感と笑顔と痛快、
学生時代を想起させる懐かしさと、
戻れない寂しさが充満。
ほとんど成就できないまま行き場を失うあらゆる感情。
それでも生きていかなくちゃならない現実。
学校内に限らず、
連綿と続いてゆく複雑な人間関係がある限り、
どこででも抱えることになる人間の本質。
無意識に役を演じ、型にハマってしまう
『誰しもが持っている桐島化の要素』に溜め息。
そのモヤモヤ消えないラストに消化不良は感じたが、
103分間の疑似生徒体験で得た空気感は何度も味わいたいと思える親近感で、
自然と心に入ってきた。
再見したい。
原作より良かった
素晴らしい
クセになる
部活に打ち込む青春や熱い友情、ときめくような純愛と死別という悲恋、ヤンキー同士の抗争…この映画では、学園モノの定番は一切描かれない。大きな出来事も起こらない。
いや、出来事は起きた。
学校一の人気者、バレー部のエース、桐島が部活を辞めたらしい。
一見何でもない事かもしれないが、皆様も学生時代を振り返ってほしい。
「○○と○○が付き合ってるんだってよ」「○○、フラれたらしいぞ」…
些細な事が出来事だったハズ。
ましてや人気者の突然の噂など重大ニュース。
瞬く間に学校中を駆け巡り、生徒たちの間で波紋を呼ぶ。
特に動揺を隠せないのは、桐島に近い面々。桐島と同じバレー部、桐島の彼女とその仲良しグループ。
桐島が部活を辞めた理由もハッキリせず、連絡も取れず、モヤモヤし、日に日に苛立ちが募る。
一方で、無関心な面々も。クラスでキモがられている映画部の男子、片思いの男子をこっそり見つめる吹奏楽部の女子。
この温度差、経験あった。
目立つグループと目立たないグループ、あったあった。
目立つ“上位”グループは我が物顔で君臨し、コソコソ陰口叩き、目立たない“下位”グループは空気のような存在で、クスクス嘲笑される。
学校という名の窮屈なピラミッド階級(ヒエラルキー)は、生徒たちにとっては格差激しい現実の社会そのものなのだ。
吉田大八監督の演出が素晴らしい。
ある一日の出来事を複数の視点から描いてパズルのように繋がり、各々の描写を細やかに積み重ね、それぞれの感情が交錯するクライマックスまで見せきる。
ヒリヒリとした空気、虚無感、不穏な雰囲気、一筋縄ではいかない緊張感は緩む事ない。
上位グループのムカつく態度、下位グループのひがみっぷり、こそばゆい感じ、絶妙な間合いも浮き彫りにしている。
所々挿入される通な映画ネタにニヤリ。
神木隆之介、大後寿々花が巧い。
橋本愛のクールキューティーな魅力も際立っている。
若手俳優たちの見事なアンサンブル。中でも東出昌大が印象に残る。
確かにクセになる映画。
アナタはどのグループに属していた?
一度見たら、また別の視点から見たくなる。
学校という小さな社会で蠢く色々な顔が見えてくる。
ちなみに僕は下位グループだったなぁ…(笑)
あの頃の甘酸っぱい想い出
DVDを借りました。
新作だと言うのに、直木賞をとったと言うのに、新作の棚の一番下にズラッとならんでいました。
おまけに、最初は店員に聞いても何処にあるのかさえわからず、タイトルは霧島ですね?なんて言われて、桐島部活やめるってよ!ですとの返答となりました。
こんなもんか⁈と思いながらも、すぐさま帰宅です。
しかし、なかなか面白いやん!神木隆之介が、いけてない映画部部長で良い味だしてます。選抜チームにまで選ばれた桐島は、急に部活もやめて彼女や友人とも連絡不通です。校内がザワザワ波打って、いたるところで亀裂が出て来るのです。
小説ではオムニバスのようでしたが、この映画では、映画部部長の神木隆之介が物語の主人公になっていました。いけてない代表なのに、いけてるんですよね!
高校生の時の自分を思い起こせば、この映画の誰かと共感できるはず⁈
俺は絶対に桐島だ!と思うのも楽しいし、映画部部長ですよ!って言うのもいいと思います。
卒業間近の季節ですね。そう言えばこの時期、学生服のボタンが滅多やたらに無くなって、ボタンをピンで止めていた事を思い出しました。
後で考えると、あれって誰かに取られていたのかな?です。
そんな甘い想い出も、想い出させてくれました。
「桐島組」の流血の意味
映画「桐島、部活やめるってよ」を遅まきながら観た。「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を撮った吉田大八監督の演出はやはりおもしろかった。ガス・ヴァン・サントの「エレファント」のように一つの出来事を複数の視点から見せる群像劇で、それぞれの人物の光と影が描かれているのも魅力的だ。まだ原作は読んでいないが、映画作品の描くテーマと映像表現について感じたことを覚え書きしておく。ネタバレ。
<桐島不在の意味>
映画のオープニングは、11月下旬、担任が空白の進路希望書を配る高校2年の教室。生徒たちが卒業後の生き方、自己のアイデンティティについて真剣に考え始める時期だ。このタイミングで起きた「事件」、バレー部キャプテン桐島の突然の不在によって、生徒たちは自己のアイデンティティの一部を削がれる危機に直面してしまう。
桐島が精神的支柱だったバレー部の部員たち、桐島の部活が終わるのを待つことを日課としていた帰宅部たち、桐島の連絡を待つことしかできないガールフレンドの梨紗はそれぞれ、「桐島がいるバレー部」、「桐島を待つ帰宅部」、「桐島の彼女」というアイデンティティに甘んじ、不完全な自分たちの1日を桐島というピースで穴埋めすることで、充実した高校生活を自己演出してきた。
自己を完成させるためのピースを失った彼らの動揺、悲壮感が顕著に映し出されているのが、桐島の代役を課せられたリベロの風助が体育館の練習で激しいサーブの連打を受けるシーンだ。コートに差す強い光は風助の表情に影を落とし空気は重苦しい。マシンガンの弾のように打ち込まれるサーブは、桐島の代役という周囲そしてそれ以上に風助自身が自分に対して課している強いプレッシャーのように厳しく降り注ぐ。
強豪バレー部のベンチに甘んじていた風助は、左右に打ち込まれるサーブに翻弄されるがごとく、代役の重圧を前に自分の立ち位置すら決められずに右往左往し、ついには「何とかしようとしてこの程度なんだよ。この程度なんだよ、俺は!」と根をあげる。その叫びには、桐島という他者を自己のアイデンティティの一部として倒錯するほどに桐島に依存してきた「桐島組」の、自分の身一つでは世間の期待に応えられるか分からないという自己喪失、自信喪失の苦しみと弱さが代弁されている。
<「かっこ悪い」前田が与えた衝撃>
桐島の不在でつぶれそうな生徒たちとは対照的に、その影響を受けず逆に周囲からの期待に反抗し「かっこ悪い」自分を等身大で見据えているのが主人公の前田だ。彼はゾンビ映画の制作を顧問に反対されるが、映画祭に通らなくても自分の撮りたいものを撮ることが大事だと、窮屈な部室で漫画を読んでいた映画部員たちを鼓舞する。
屋上のラストシーンでは、帰宅部の菊地に将来はアカデミー賞かと冗談半分で問われるが、それはないと真面目にきっぱりと答える。前田の言動が示すのは、周囲からの期待や結果はどうあれ、自分に過度のプレッシャーをかけずに、今できることに打ち込むという彼の等身大の姿勢だ。
プロへの希望を失わずにドラフトが終わるまで野球を続ける野球部主将の姿勢とも平行する前田のこの安定感は、「結局できるやつは何でもできるし、できないやつには何もできないっていうだけの話だ」と、ひたむきな努力を切り捨てる発言をした菊地に衝撃を与える。それは菊地こそが誰よりも周囲そして自分自身の自己に対する期待の大きさに怯えるあまり自己を確立できず、プロになる自信のない野球を続けることに不安を感じているからだ。
菊地の迷いは、自分がいい選手であるにも関わらずやりたいはずの部活への参加をぎこちなく断り続け、主将になぜ野球を続けるのか尋ねる消極的な挙動に現れている。そんな菊地は前田に8ミリカメラを向けられると、具合悪そうに後ろを向いてしまう。前田が回すフィルムに映る菊地の後ろ姿は、自分の気持ちとまっすぐ向き合うことから逃げてきた彼の弱い心の姿そのものである。それは、向けられたカメラにまっすぐ向き合っていた前田の姿とは対照的だ。
<流血の意味>
校内の別々の世界で生きていた、桐島の不在に戸惑う「桐島組」と、ゾンビのメイクや女装をしたかっこ悪い映画部が初めて面と向かって対面するのが「近未来的な」屋上でのクライマックスだ。
校舎内の教室や体育館などでは常に教師や同級生たちの目、期待が影を落としていたが、光があふれる屋上で生徒たちの緊張は一時的にほどける。広い街と空、すなわち卒業後の彼らの未来がある世界を背景に、彼らはここで初めて桐島を抜きにした等身大の自分と本音で向き合い始める。
桐島不在に焦燥感を爆発させたバレー部の久保は映画部の小道具を思い切り蹴り飛ばす。久保に謝罪を求める映画部員たちの「謝れ!」という叫びには、日頃「桐島組」に劣等感を味あわされてきたことに対する復讐の念がにじむ。沙奈の他者に干渉する言動に日頃嫌悪を感じてきたかすみは、衝動的に彼女にびんたをくらわす。
吹っ切れた前田は、運動部の生徒たちや想いをよせる彼氏もちのかすみがゾンビに食われておびただしく流血する映画のシーンを妄想をする。この妄想には、日本の鑑賞者を含む「桐島組」に向けて監督吉田大八が自身を前田のキャラクターに重ねることで発したメッセージが込められている。まず、血については、映画部員の武文が顧問に血のりを使うことを禁止をされたことを受けて、血は人間なら誰でも流れているじゃないかと、つぶやく言葉が鍵となっている。
イケてるバレー部も帰宅部も女子たちも、他者不在で身一つになれば、自分の肉体に流れる血、すなわち自分の本来の性質が放出され、傷と血、欠点を隠せない非完璧な自己のアイデンティティと向き合いそれをさらしながら、周囲と自分自身に課される期待の目に耐えて、「この世界で生きていかなくてはいけない」のだ。
ついに最後まで目の前に現れない桐島は、他の誰よりも重いプレッシャーに苦しんでいたかも知れない。学内のヒーロだった彼のアイデンティティこそ、誰よりも学内の同級生たち、他者の存在によって補完されているものだった。彼が彼自身のアイデンティティを保証していた学校という世界から不在であるという事実は、彼が「流血」し、学校の外の広い世界で等身大で生きていく歩みを始めていることを示唆している。
あまずっぱい
前々から気になっていた作品で
ようやく観ることが出来た。
内容は高校時代の日常を描いた映画。
若い子が観てもピンとこないかもしれないが、
30代以降は昔を懐かしむことが出来る、
甘酸っぱい青春ドラマになってる。
学生の頃は大した事ではない事でも一所懸命生きてたな
というのを思い出させてくれた。
桐島は一瞬だけしか登場しない
ストーリーは学校のヒーロー桐島が部活を辞めるだけのことだが
その事件を色んな視点で追いかける。
いけてるグループ
いけてないグループ
高校生活では良くわからないステータスで上下関係が決まっていて
それが全てだった。
その感じが良く出ている映画。
本も読んでみたくなった。
緻密に計算された映画
.
緻密に計算された映画だと思いました。
タイトルが発表された時点で、ボールはすでに投げられていて
観客は映画館でその飛跡を追うことになります。
「桐島がやめる?」ってとこから本編がスタート。
余分な前置きがないので
すぐに作品の世界に没入できました。
カメラや音が近く
あたかも その場にいるかのよう。
懐かしい気分になりますね。
たしかに学生時代には、見えない力関係が存在していました。
そこにきちんと光をあて、
個々の立場の視線を、繊細に描写していることに
この映画の価値を感じます。
それぞれが人生の主役であり、それぞれが誰かの脇役。
そんなことを思い起こしました。
社会に出ると、また違うモノサシに出会うので
この時期のことを忘れかけていましたが
現役の学生にとって、
またかつて日本の学生だった私たちにとって
コアなテーマだと思います。
多くの人に 見て欲しいですね。
昔の自分を見るようだ( ゚д゚)ハッ!
結論から言うと・・・
邦画史上最高峰の大傑作( ゚∀゚ノノ゙パチパチパチ
これほど哲学的で、ノスタルジックで、多幸感があって、そしてリアルな高校生の雰囲気を描いてる映画は見たことない。
俳優陣の演技もさることながら、役のはまりっぷりもキャラの立ち方もほんと゚+(*ノェ゚)b+゚ ★ お見事 ★
映画を観てるうちに本物の高校生活を切り取って見てる錯覚を覚えましたわ(゚∀゚)アヒャ
一時期高校で臨時の先生やってた経験もあるし、その頃の雰囲気と自分が高校生だった頃の雰囲気、そしてこの映画の雰囲気を感じ取って、学校も生徒もいつの時代も変わらんな~と改めて思い知りました。
桐島という生徒がバレー部を辞めるという実に取るに足らないことで学校中が大騒動になっていく様が実にリアル。
下グループの女子に嘲笑される様なんて、ほんと身につまされる(;・∀・)
俺も似たような感じだったし、何か女子同士がひそひそ話してると何か自分の陰口を言われてるような被害妄想を覚えたりしたもんです(笑)
「今の話聞かれちゃったんじゃない?」
「いいよ別に。」
この空気としか思われてない感じは・・・いたたまれない(-_-;)
そして女子同士の表面上仲はいいけど裏では・・・みたいな感じも良く出てて(・∀・)イイ!!
映画部2人のやりとりなんて、ほんっといけてないグループのリアルな雰囲気が醸し出されててΣd(゚∀゚d)イカス!
ジョージ・A・ロメロなんて名前が出て来たり、映画秘宝を読んでるなんて下りも俺にとってはъ(゚Д゚)グッジョブ!!って感じです。
「おまた~」
「夢の中に満島ひかりが出てきたよ~」
キャハハハハッ!!(≧▽≦)彡☆バンバン
帰宅部グループのだらだらした何気ないやり取りも「あ~いるな~こういう高校生」って感じがして(゚д゚)イーヨイイヨー
そして神木龍之介と橋本愛がたまたま映画館で顔を合わせて、ちょっといい感じになったかと思った時の「これいけるんじゃねえ?」感もかなりイイネ♪d('∀'o)
観てる間ずっと自分の高校時代を重ねてたo(`・д・´)o
懐かしさといたたまれなさが常に同居してる感じで、こんな複雑な感情を持ちながら映画観るのは初めてかも(・∀・)
そしてそこに拍車をかけたのが、俺は吹奏楽部だったから屋上とか校舎の外で1人で練習するシーン、そして全体演奏するシーンはほんっと~~~~~~~に懐かしかったし、練習きつかったな~という感覚も思い出した(;´Д`)
進路に悩んだり、何も熱中できるものがないという感情も良く理解できるし、体は成長しきってるけどまだ精神は子供だし、学校という1つの世界でしか物事を推し量れない高校生の内面描写の素晴らしさは見事と言うしかないですほんと(。_。(゚ω゚(。_。(゚ω゚(。_。(゚ω゚(。_。(゚ω゚ )スペシャルウン
桐島はなぜ部活を辞めたのか、なぜ学校に来ないのか、そしてなぜ電話をしてもメールを送っても連絡がつかないのか・・・
その辺りの理由は全く示されないし、桐島自体も映画には出てこない。
桐島はバレー部のキャプテンでバレーの実力も相当で、さらに勉強もできて・・・
もう学校でも誰もが知る超有名人で大スター(゚∀゚)
その桐島がいきなりバレー部を辞めるという話が持ち上がるだけでみんなが慌てふためいてどんどんおかしな感じになって・・・
桐島が来たという一報が届いた途端にみんな一気に爆発する。
ネットでは「桐島=キリスト」とか「桐島=カリスマ」とかいう説が出てるみたいだけど、確かにそうとも見えるのはうなずけますな。
とにかく桐島の一挙手一投足に学校中が振り回されて、皮肉なことにその桐島のために屋上に集まった生徒を蹴散らすのが、桐島とは一番遠い立場にいると言える神木龍之介演じる前田涼也Σ(゚Д゚ノ)ノオオォッ
前田は教室ではおとなしいけど、映画に対する情熱は尋常ではなく、常に映画秘宝を持ち歩いてるくらいのコアな映画おたく。
桐島はどこだと言う連中を「お前等邪魔するな!!こいつらを全部食い殺せ!!!」とその状態をゾンビ映画の1シーンにしてしまうという離れ業をこなす工工工エエェェ(゚Д゚)ェェエエ工工工
結局桐島のために集まった連中を、桐島から一番遠い存在の前田が解散させる。
そして桐島の親友でありながらも、桐島に電話を掛けたりメールをしたりはするけど実際に家に会いには行かない菊池の感情を前田が揺さぶる。
学校のカーストって、田舎であればあるほどこの落差の激しさ、そして交わらなさは極端だと思うけど、学校にいる間にこれをぶち破ることは実際には(ヾノ・∀・`)ムリムリ
しかし高校生活は限りがあることはみんな分かってる。
卒業するまでは、甘んじてこの環境で生活していかなければならないのも現実。
部活を辞めたとか辞めないなんて、それほど大した話ではないんだけど、狭い世界に生きてる高校生にとっては一大事なわけだし、学校の世界が全てではないと卒業してから初めて分かる。
だからこそ学生のうちは好きなことに熱中することが許される訳だし、桐島が部活を辞めるという取るに足らないことに大騒ぎもする。
もし高校時代の自分に会ったら
「今は色々辛いかも知れないけど、お前は卒業後こうなってああなって・・・だから安心しろ!!頑張れ!!!ファイト━━(ノ゚д゚)人(゚Д゚ )ノ━━!!」
と言いたくなった(^O^)
とにかく噛めば噛むほど味が出る映画。
これから何年か経ってからまた観ても、きっと同じ感想を持つと思う(゚∀゚)アヒャ
1回見ただけじゃちょっと分かりづらいのも事実で、見た後色々考えたり話をしたりすることで理解も深まるし、今まで気が付かなかった面も発見できるという、底なしに奥が深くて味わい方も色々できるという稀有な映画。
超お勧めです(`・д・´)9m ビシッ!!
宿題が出た~~~
きっと誰かに共感できる
この映画の登場人物は実にバラエティに富んでいる。それゆえに観ている側はその誰かに感情移入出来るであろう。また同じ事柄を別の立ち位置から見せることでより深く映画にハマり混んで行く。誰もが登場人物の誰かに共感し、好感を持つのだ。
舞台は高校。バレー部のスター(いや校内のか)桐島が辞めたという噂から広がる波紋をそれぞれの立場から時系列に展開していく。時間軸が前後したりしないので見ていて疲れない。
淡い青春の日常、それは傷つきやすくて儚い。そんなそれぞれの心の内が手に取るように分かる。"わっ、この子今傷ついた"とか"その一言に気分を害した"とか、一人一人が何を想い、そしてどう感じているのかを実に分かりやすい描写(セリフじゃなく)で見せてくれる。
結局最後まで桐島は現れない。出来る側の憧れや精神的支柱の存在だった桐島、しかし目立たないがマイペースな生徒たちには桐島の存在は関係ないのだ。そして桐島がいなくなったことで出来る側と思われていた生徒が実は何も出来ていなかった事に気付く。桐島(&その彼女)に憧れそれを目指していた生徒たちは、桐島が消えたことで目標を見失ってしまうのだ。一方、桐島などに影響されて来なかった生徒の方が、傷つきなからも結果を残していく。
人はそれぞれキャラクターを持っている。その中で一歩ずつ自分なりに生きて行く。そこに勝ち負けなどないのだ。自分の明日をしっかり見つめ、自分を大切に生きて行けば、桐島の存在に影響されることはないはずだ。
この映画に勝ち組も負け組も存在しない。
あるのは一人一人が自分に正直に生きようとしている姿なのだ。
そして桐島が居ても居なくてもそれぞれの「陽はまた昇る」
モテない奴らはモテないままに、イケてる奴らはイケてるままに。
物語の中盤、イケてない高校生が、神木隆之介君扮する(これまたイケてない)主人公『前田』にこう話し掛けます。
「夢の中で満島ひかりに逢った」と。
俺は、この些細などうでもいい会話で思わず泣きそうになりました。
イケてない、更に加えてオタ仲間同士って、こういうことよく話すんです。ガチで。
「イケてても別に普通に話すぜ?」って思うでしょ?
違うんですよ。全然違うの。
このオタ的でもメジャー的でもない微妙な線として『満島ひかり』をチョイスしてる時点で、もうイケてない勢の領域なんです。
分かんないでしょ?分かんないでしょうね。俺も分かんない(?)。
この映画は非モテには非常に辛辣で、美男美女はそれなりの悩みがありつつもそれでも結局モテて上位カーストで、非モテは虐げられ無視決め込まれ、美男美女はそれなりに辛い気持ちを抱きながらそれでも上位カーストで、非モテはそれなのに淡いロマンスも許されずこの映画自体が非モテへの応援歌的作品にもされず、美男美女はそれでも人生の虚無感を持って日常送っているかもしれんけどお前それは贅沢な悩みであって結局は上位カーストとして人生を生きてくんだろ!ていう。ていうね。
俺はこの映画観てね、ヒガミ根性が再沸してますよ。モテなかったからね。高校生活最下層、スクールカーストの底辺で、前田的だったし。
だから、モテてる奴らがこの映画観て「共感できる!」て言ってたらそりゃあ大嘘でしょ、て。お前ら何に共感したんだよ?ていう。
あーあ。
観なきゃよかった。
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