アーティスト : 映画評論・批評
2012年3月27日更新
2012年4月7日よりシネスイッチ銀座、新宿ピカデリーほかにてロードショー
見た目はクラシックカーだが新型エンジンを積んだ意欲作だ
心根のやさしい映画だ。
そして、若々しい映画だ。
前者はすぐにわかるが、後者は見逃されがちだ。これが誤解を招く。いい意味でも悪い意味でも誤解される。オスカーを獲ったのは、前者が審査員の心情にアピールしたからだ。一部で首をかしげられたのは、後者の要素に気づいた人が意外に少なかったからだ。
「アーティスト」は、無声映画の復刻ではない。フランク・ボーゼイジの「第七天国」(ヒロインのペピーが男の上着の袖に腕を通して自分の身体を愛撫する場面はこの映画からの引用だ)、F・W・ムルナウの「サンライズ」、キング・ビダーの「群衆」……すぐれた無声映画を舐めるように検証し、トーキーの古典(「市民ケーン」や「スタア誕生」など)から多くの描写を借りる一方で、技法が相当に大胆なのだ。
たとえば、すでに周知の事実だが、この映画はカラーフィルムで撮影して黒白にコンバートされている。この手法の採用によって、黒でも白でもないグレーの色調が、陰翳豊かに表現されることになった。
とくに後半、主人公のジョージ(ジャン・デュジャルダン)は、だぶっとしたグレーの背広を着ることが多い。ここで、微妙な色調が生きてくる。彼の落魄(らくはく)も、説明抜きで観客に伝わる。デュジャルダンの体格がよく、体技をこなせるコメディアンの側面を持っているだけに、味わいはひときわ深くなる。
だが、映画は暗くならない。下降する主人公が、若い女優や犬や運転手に守られつづけているからだ。この、守護天使の数の多さも尋常ではない。意表を衝く処理だ。大先輩のルビッチやワイルダーが見ても頬をゆるめるのではないか。つまり、監督のアザナビシウスは多くの局面で、「定型を使って定型をうっちゃろう」としている。この試みが私には面白かった。「アーティスト」は、ハイブリッド・エンジンを積んだクラシックカーだと思う。
(芝山幹郎)