ミッドナイト・イン・パリのレビュー・感想・評価
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スッとする映画
価値観が同じって大事
無理に合わせるのはお互いにとって意味のない苦行でしかない。価値観が会う人と過ごせばいい。
単純なことを教えてくれた。
アメリカ親子は「こうあるべき」でがんじがらめで
窮屈そうだ。
素敵な街並みを愛でること、有名じゃないが洒落たもの、古いけど素敵なもの、こういうことを好きになるセンスが人生に潤いを与えてくれることをそれとなく教えてくれる。
・先人たちは皆 死んだ。人は死ぬ。
・最高の女を抱いたことは?
彼女を抱く時真の情熱を感じ、その瞬間は死の恐怖を忘れる。真実の愛は一時死を遠ざける。
・「現在」って不満なものなんだ。それが人生だから。
いつの時代も「昔は良かった」と言われている
行き詰まったハリウッドの脚本家が小説家に転身しようとしている。芸術の都、パリならばインスピレーションが得られるだろうと、引っ越しを提案するが、婚約者からは嫌がられる。そんなある日、夜中に主人公はタイムスリップして、彼が黄金時代と称する1920年代の世界に迷い込む。
過去を美化する傾向は、多かれ少なかれ誰にでもあるものだと思う。「昔はよかった」という言説は、いつの時代も聞かれるもので、この主人公も友人にそんな考えは「黄金主義思考」だとバカにされている。
しかし、その黄金時代に行ってみれば、その時代の人々も19世紀のベル・エポックの時代は素晴らしかったと言っている。おそらくベル・エポックの時代の人間も、さらに昔を良かったと言っているに違いない。
それを知った主人公は、「黄金主義思考」を捨てようやく現実で前向きな選択をすることができるようになる。「昔は良かった」とぼやき始めたら、戒めのために見返したい映画だ。
1920年代のパリ体験
主人公のギルはアメリカからフィアンセの両親の出張旅行にくっついて来たコバンザメ男。飲み過ぎて疲れたと言いながら、街をひとりでブラブラ。12時過ぎると黄色い車体のプジョーのクラシックカーに乗ったパリピに都合よく拉致されて、1920年代にタイムスリップ。
ギルはマンネリ映画の脚本家。
ウディ·アレンの妄想実現映画なんだろうね。
ウンチクはそのくらいでいいから、
ヨアソビしてないで小説書けよ💢
戦場のピアニストのエイドリアン·ブロディのダリはちょっと面白かった。
芸術家のグルーピーの女にマリオン·コンティヤール。あげくに馬車でベル・エポックへさらに遡る。
美術館·公園の案内人の素敵なお姉さん(エリック·クラプトンからミック・ジャガーに乗り換えて、ついにはサルコジ大統領夫人になっていたカーラ·ブルーニ👀)に自分から助けを乞い、親切にしてもらったのに、最後は骨董屋のレア・セドゥ。
ウディ·アレンらしい😎
レイチェル·マクアダムスはなんだか、お気の毒だったなぁ。
2011年のアカデミー賞脚本賞作品。
1920年代のパリにはアメリカから後々有名になる芸術家や芸能人が集まって来て、パリがとても輝いていた時代なのは分かったけど、90分ちょっとの映画なのに、3時間ぐらいに感じた😩これだけたくさんの豪華な主役級の俳優たちが出てるのにねぇ。教養がないからかなぁ。一応、アンドレ·ブルトンのナジャは読んだことあるんですがねぇ。ちんぷんかんぷんだったけど。
【ジョセフィン・ベーカー】
ギルの目がとろ~んとしてしまうセクシーダンサー。セントルイス生まれ。
演じたのはソニア·ローラン。ルワンダ生まれの2000年のミス·フランス。
【ジューナ·バーンズ】
夜の遊園地でギルと踊るシーンがほんのちょっとだけ。ニューヨーク出身の レズビアンのモダニズム作家。セントルイス出身のT・S・エリオットによって紹介された。
偉人たちが時代を作ったロスト・ジェネレーションに憧れても、21世紀に生きる幸せ
ウディ・アレン76歳の時の巴里を舞台にしたタイムスリップもので、脚本を兼ねて演出したアレン監督の知的な会話劇とノスタルジックな映像美が魅力の、文学、絵画、映画に対する尊敬と愛着に彩られた個人的願望のファンタジー映画。それは第一次世界大戦(1914~1918)後の1920年代の巴里に集中した実在の芸術家たちを登場させて、監督の分身であるハリウッド映画脚本家ギル・ペンダーを思いのままに操り、彼らと交流させています。歴史に残る天才たちの影響を受けたであろうアレン監督が、長年の夢を叶えたような作品です。その偉人たちを数多く登場させて物語にしてしまう手腕には、深く敬服し、僅かな羨望も感じてしまいました。
真夜中の鐘の音が鳴り、シンデレラリバティの逆を行くギル・ペンダーの巴里の享楽。雨上がりの石畳の舗道を走るクラシックカーが目の前で止まり、酒に酔った人たちから誘われて着いたのが、ジャン・コクトー(1889~1963)主催のパーティー。サロンではコール・ポーター(1891~1964)がピアノ演奏の弾き語り。不思議に思って戸惑うギルに声を掛けて来た女性がゼルダ・セイヤー・フィッツジェラルド(1900~1948)で、夫のF・スコット・フィッツジェラルド(1896~1940)を紹介される。コール・ポーターは1915年ブロードウェイデビューも挫折し、1920年代後半まで巴里にいたとあるので史実通りで、この時はまだ有名で無かった。代表作は1948年のミュージカル『キス・ミー・ケイト』とあるが、全く知らない作曲家と思って調べたら、その劇中歌の『ソー・イン・ラブ』が日曜洋画劇場のエンディングテーマとして使われていたことを初めて知り驚きました。中学生の頃から聴き慣れ、その重厚なメロディに映画の感動を重ねていた少年時代。モートン・グールド楽団によってラフマニノフ風ピアノ協奏曲に演奏されたものでした。そのフィッツジェラルド夫妻も1920年に結婚して、スコットが代表作『グレート・ギャツビー』(1925)で名声を得た頃パリでアーネスト・ヘミングウェイ(1899~1961)と知り合ったようです。コクトーのパーティーを抜け出して入った酒場では、ジャズ歌手で女優のジョセフィン・ベーカー(1906~1975)と思しき黒人女性が華麗に踊っていました。黒いビーナスと称えられ、この時代を代表するセックスシンボル的美の女神です。1925年パリのシャンゼリゼ劇場で好評を博し、ヨーロッパ巡業ではセンセーショナルな反響を受けたといいます。出演映画に1927年の「モン・パリ」があり、日本でも話題になったそうですが、詳細の見聞はこれまで承知しません。続いてポリドールという酒場でスコットにヘミングウェイを紹介されるシーンでは、代表作について話すも『日はまた昇る』1926か『武器よさらば』1929の何方かでしょうが、ここでフィッツジェラルド夫妻の関係に意見を述べるヘミングウェイの話が面白い。自由奔放なゼルダに翻弄されるスコットに、もっと創作に没頭するよう3歳年下のヘミングウェイが説教するのです。そこでギルがノスタルジー・ショップを題材にした自作の小説の意見を聞きたいとお願いするも、断る台詞がいい。“君の小説は不快だ。下手な文章は不快、上手でも嫉妬で不快。作家の意見など聞くな。作家同士はライバルだ” この言葉で思い出すのが、宮崎駿氏があるテレビ番組で漫画家志望の若い女性の絵を見て欲しいと頼まれても、断固として撥ねつけたことがありました。そこには同じ創作者と認めつつも、お世辞に終わることを予想した宮崎駿氏の厳しさと優しさの両面を感じて、深く感銘したものです。芸術家はいい意味で自己評価に絶対的な自信を持たなくてはいけない。自己満足で終わるのが素人であり、プロとしてのプライドを持つことが大切であると訴えていたように感じました。これに似た、ウディ・アレンの作家としてのプライドが表れた会話シーンでした。ここでヘミングウェイが紹介する人が、ガートルード・スタイン(1874~1946)というアメリカ生まれの著作家、詩人、美術収集家です。1920年代はアメリカが世界経済の中枢になった黄金時代と称されるも、この巴里(フルリュース通り27番)に居を構えてヘミングウェイ始め多くのアメリカ人作家をサロンで持て成したスタインこそ、失われた世代の名付け親でした。第一次世界大戦によって、それまでの価値観が変わらざるを得なかった戦後の文化世相の名称は他に、スコットの小説『ジャズ・エイジの物語』1922からのジャズ・エイジ、そして狂騒の20年代とあります。しかし、一番有名で微かに知っていた失われた世代の本当の意味は、良く調べると迷える世代だというのです。スタインが発したとする“you are all a lost generation”のlostの意味には、迷子の、行き場のない、の意味もあると知って、納得するものがあります。アレン監督も、この時代に迷いたかったのでしょう。ギルが自分の小説をスタインに読んでもらえると興奮するシーンが印象的でした。自分を落ち着かせて戻ると、タイムスリップで現代に戻り酒場ポリドールがコインランドリーになっているのがいい。
次の日ヘミングウェイと共にスタイン宅を訪れる場面が、この映画の人物相関図の基本になるようです。ヘミングウェイは1919年カナダ・トロントの「トロント・スター」誌のフリー記者となりその後巴里に特派員として赴き、スタインと親交を得て同時代のアメリカ人作家と知遇を得て、1928年にはフロリダに戻っていますから、21歳頃から29歳まで巴里にいたことになります。演じるコリー・ストールがいい。このとき34歳で髭を蓄えた男の渋さと憂いがヘミングウェイを想像させます。車中でギルに語る戦争体験の台詞が、まるで小説を朗読するような脚本も素晴らしい。そして、キャスティングが見事に嵌った一人が、スタインのキャシー・ベイツでした。残念なのは、パブロ・ピカソ(1881~1973)を演じたマルシャン・ディ・フォンソ・ボーです。個人的にはテレビのクイズ番組で見たピカソの若い時の写真がカフカにそっくりで驚いたほど、目力のある表情が印象的でしたが、その鋭さがありません。たぶん40代半ばの髪の毛があった頃のピカソには似ているものの、存在感が芸術家らしくない印象を持ちました。これら実在の芸術家に囲まれた中で唯一創作の人物、ピカソの愛人アドリアナを演じたマリオン・コティヤールは、1920年代のファッションとヘヤースタイルが似合っていて美しい。“過去は偉大なカリスマ”の言葉でギルと話が合う会話では、イタリア人画家モディリアーニ(1884~1920)と半年同棲していたと告白します。またピカソとキュビスムを興したジョン・ブラック(1882~1963)とも関係を持ったことも匂わし、自由奔放な恋愛遍歴にギルが驚くところの面白さ。このスタイン宅の場面では、アドリアナをモデルにしたピカソの作品『浴女』の絵がスタインに酷評される物語の創作があって、現在のオランジュリー美術館の場面につながる展開の流れが上手い。
蚤の市でコール・ポーターのレコード演奏を切っ掛けにレア・セドォ演じるガブリエルと言葉を交わすシーンを挟んで、モネ(1840~1926)の睡蓮の間が映し出され圧巻です。ギルの婚約者イネスの友人であるベイツ夫妻のポールが、抽象表現主義の真の父がモネとする学説を述べるも否定して、ターナー(1775~1854)こそ先駆者と言います。印象派画家モネの睡蓮の絵を地方の展覧会で観て感動したことが想い出されますが、そのとき抽象表現主義の概念はありませんでした。それでもセザンヌやルノワールの他の印象派画家との違いは感じました。ターナーの絵画は、東京と地方の個展2回足を運んでそのロマン主義表現の美しさと迫力に圧倒されたことが今でも記憶に残ります。学説としてはターナを抽象表現主義の先駆に当てはめるのは強引のようです。このポールの蘊蓄を語らせて、ピカソの『浴女』の前でギルがタイムスリップの知識を披露するところが笑えます。モデルのアドリアナの経歴からスタインが述べた批評を語り、ピカソの絵を駄作と言いきる。しかし、この映画で扱われる、このピカソの『浴女』の詳細が分かりません。似た絵でピカソ国立美術館所蔵の『浜辺でビーチボールで遊ぶ人』1928年があり、この年の「水浴の女たち」シリーズのひとつであるようです。オランジュリー美術館に所蔵されているのでしょうか。
その夜回転木馬がある遊園地パーティーでジューナ・バーンズ(1892~1982)と踊り、アドリアナと再会するギル。バーンズはアメリカ出身で1920年代巴里に住み、この経験から代表作『夜の森』を1936年に発表したモダニズム文学の重要人物といわれます。夜の巴里の魅力の虜になったギルがアドリアナとデートするシーンがいい。夫スコットの浮気で情緒不安定なゼルダに未来の薬を与えるシーンでは、アレン監督の優しさを感じました。酒場でアドリアナと別れてから突然サルバドール・ダリ(1904~1989)が現れる驚き。エイドリアン・ブロディが雰囲気ピッタリです。しかもそこにマン・レイ(1890~1976)とルイス・ブニュエル(1900~1983)も登場します。レイについては、多くの画家や作家が集まったエコール・ド・パリ(パリ派)の20年代に活躍した芸術家くらいの認識でしたが、調べると写真家だけではなく画家や彫刻家、そして映画監督も手掛けた人でした。第一次世界大戦を批判するダダイスムからその派生のシュルレアリスムを体現したアメリカ人。そして、ブニュエルも1925年に巴里に移り、撮影所を出入りすることから映画監督を目指し、1929年ダリと脚本共作の「アンダルシアの犬」を発表します。
イネスの父ジョンが私立探偵を雇った夜、T・S・エリオット(1888~1965)に誘われスタイン宅では、ヘミングウェイとアドリアナがアフリカ旅行に逃亡しピカソが怒っていて、スタインからは“作家の仕事は絶望に屈せず、人間存在の救いを見いだすこと。敗北主義に陥らないで”と勇気付けられる。アレン監督の人生を振り返ると、スタインだけには分かってもらえるのではないかの願望が窺えます。婚約者家族がモン・サン=ミシェルに出掛けて一人になった週末、蚤の市で古い本を購入、そこにはアドリアナが書いたと思われる文章が残されていた。ジル・ペンダーというアメリカ人作家に惚れて、夢の中でピアスのプレゼントを貰ったとある。そこでギルがピアスを用意するシークエンスがドタバタ喜劇タッチで面白い。過去に合わせてタイムスリップに持参する可笑しさは珍しい。スタイン宅ではアンリ・マティス(1869~1954)の絵を安く購入するスタインに完成した小説を渡すギル。その後アフリカから破局して戻って来たアドリアナとデートするギルが、偶然会ったブニュエルに「アンダルシアの犬」のアイデアを伝授するところのやり過ぎも可笑しい。初キッスからプレゼントされたピアスを付けたアドリアナとギルの前に馬車が現れ、ベル・エポック(美しい時代)の1890年代に招かれて、ロートレック(1864~1901)、ゴーギャン(1848~1903)、ドガ(1834~1917)の印象派からポスト印象派の巨匠たちが現れる豪華さ。ここでアドリアナとギルが口論する時代の価値観の捉え方がいい。アドリアナが憧れるベル・エポックのゴーギャンがルネサンス期(14世紀~16世紀)こそ黄金時代と称賛し今いる現在を嘆く。アドリアナはそれでもベル・エポックに留まり、ギルは抗生物質がないのが決め手となり21世紀に戻る。現在に不満を感じても、過去よりは文明は進化している。文化だけでは計れない人間の生き方が、結局は大きいとする常識的な判断でした。それでも男も女も浮気をするのは変わらない。ヘミングウェイの洞察力から別れるギルとイネス。迷子の探偵の落ちを入れて、ギルはガブリエルと新たな再会をする。
過去に憧れても、今いる現実を楽しもうの物語の映画。
パリは美しい…!
あつぎの映画館kikiへレイニーデイインニューヨークを観に行った際、
こちらの映画のポスターのデザインに惹かれたが
映画館で観るのはスケジュールが合わず。
最近Blu-rayを手に入れたのでやっと鑑賞できた。
ジヴェルニーのモネの庭から始まり、
パリの景観と耳心地のよい音楽、
コメディタッチな内容に惹き込まれる。
雨の日はどうしても憂鬱に感じてしまうが、
レイニーデイニューヨークと共にこの映画も
ロマンチックで素敵だなと思わせてくれる。
現代から1920年代に遡り、
アーティスト達との交流から
魅力的な女性アドリアナとの出会い、
さらにベルエポックの時代のパリまで…
もっと19世紀〜20世紀初頭のパリの文化や歴史的背景を深く知りたくなる映画だった。
一言で言うと月並みだがパリにとても行きたくなった。
主演のオーウェン•ウィルソン、
「君に読む物語」のレイチェル•マクアダムス、
アドリアナ役のマリオン•コティヤール、
アーティストを演じる俳優の演技にも引き込まれたが、
特にレア•セドゥの笑顔がとても可愛かった。
レイニーデイを観てから観たためか、
やや展開は読めたものの
最後はハッピーな未来を想像させる終わり方で良かった。
ウディ•アレン作品は個人的に観ていて
とても心地良く感じるため、
彼のスキャンダルは非常に残念…
タイムつながり
黄金時代?
『古きよき日本』
年齢を重ねると、よく使う言葉だが、いつの時代も、どこの国でも昔を懐かしみ「あの頃は良かった」と愚痴るものなんですね
でも本当の黄金時代は今!
なんとも哲学的なテーマを雨のパリを舞台に考えさせる映画だったとは……
時、あたかもオリンピック
雨が似合うパリで行った雨の開会式になぜか縁を感じた
この映画は、前にも観たのだけど、後半からラストを観ていなかったのか、ただの忘却なのか、抜け落ちてた
そんな中でダリが自己紹介する場面は、面白くて記憶に残っていたけど、素敵なHAPPY ENDだったんですね
実際に、現在パリに住むとしたら、家賃だけでも高過ぎて夢のまた夢
シャワーもチョロチョロ
お湯もまともに出ず、
エレベーターもなく、
クーラーもなかなか稼働しない
そして渋滞の街でもあるパリは、今も昔も愛の街・恋の街・芸術の街、世界中が憧れる街でもあるんだよね
出来ることなら、もう1度訪れてみたい
そう思わせる映画でした
ウッディ・アレンの世界に住める?
2011(日本は2012)年公開のアメリカ映画。
監督・脚本:ウッディ・アレン
主演:オーウェン・ウィルソン
”ファンタジー・コメディ” とでも言えるだろうか。
ウッディ・アレンが得意とする懐古調。
ウッディ・アレンが大好きな雨。
この世界観に共鳴できる人、できない人、
評価は真っ二つに分かれそう。
オーウェン・ウィルソン演じるギルはハリウッドの脚本家だが、小説にも挑戦しようとしている。
婚約者、その両親とパリに旅行に来たのだが、ある夜、
思いがけずタイムスリップし、ヘミングウェイやピカソなどと交流するようになる。
婚約者とは仲違いしてしまうが、
ついにパリに移住することを決意する。
「雨のパリは一番美しい」
新たな恋の始まりを予感させながら終わる。
私はウッディ・アレンの世界に住めるほど大好きなので、☆4.0
いま私たちが生きる時代も黄金期
パリを満喫
残念だ
文芸の偉人たちに
時空を超えて会える
まさに夢のような時間の話。
こう言ったオールスター的な映画は
いくつかあって、そりゃ好きな偉人たちなら
ワクワクは止まらないだろうと思う。
しかし過去にウディ・アレンは憧れの映画スターが
スクリーンから出てきて恋に落ちる、
それこそこの手のものの究極ともいえるものを
生み出している。
ここに至って、また?
パリも当時の風俗もオシャレです、でも、また。
老いたのだろうか、ウディ・アレン。
好きな監督だったのだが。
憧れの芸術家たちに出会えて高揚する
純朴な文学青年の目を通しつつも
こういう文化芸術をわかるんだぜ?と言わんばかりな
いやらしさも鼻につく。
昔は良かった、ここではない場所に自分の居場所が
あるんじゃないかと思う気持ちは
若者らしいし、自分だけでなくみんなそうだったというのも
シニカルで自虐的。コミカルでもある。
その点は面白かった。
でもこの手の内容であれば、
アニメの「ディリリとパリの時間旅行」のほうをお勧めする。
過去への憧憬。 フランス🇫🇷絡みの高評価で、難解なお前らにわかるか...
いつの時代だって現在が不満なんだ。それが人生だ
小説家を目指す脚本家のギルは婚約者と彼女の両親とでパリを訪れるが、ある晩、彼が憧れてやまない1920年代のパリへタイムスリップをする。
パリの街並みを小粋に瀟洒に描くウディ・アレン作品。
作中、ギルが好む「街を歩く」という行為には、観光地から観光地へ渡り歩いてスケジュールをこなす時間的速度や、先人の作品に結論めいた解釈を与える思考的速度といった、ある種の「速度」へのさり気ない抵抗が込められている。
ゆっくりと歩くスピードで文字通り足跡を辿ることで初めて、先人の息遣いを感じ、思いを馳せることができるようになる。そして、そのうえで、ギルがアドリアナに放つ一言に集約される「(いつの時代だって)現在が不満なんだ。それが人生だ」といった眼差しを得る。
時代が人を創るのではなく、人が時代を創る。そんな人生観を、押しつけがましくなく描く。お見事。
言葉に触れたいときはウディ・アレン
パリの街並みと監督の好きな音楽。
街の雑踏と監督の言いたい台詞。
現代のパリの街の姿を背景にし
映画の物語は進んでゆく。
主人公は映画の脚本家であり初めての小説を執筆中の男。
アメリカから婚約者とその両親と憧れのパリにやってきた。
「雨のパリこそ素敵なのだ」と思っている。
仕事も私生活も順調そのもので、未来も明るい。
幸せなはずが、どうもしっくりこない。
ある夜、ひとり道に迷い路地にいるところへ
クラシックカーに乗る男が彼を呼び止める。
車に乗り込んだその先には
信じられないほどエキサイティングな
彼の望むものが揃った世界だった。
時代をさかのぼり物語は楽しくも切ない展開へ。
1920年代の文化芸術
1890年代の文化芸術
そして有名店のいくつか
その辺りを知っていると
ものすごく楽しめる。
雨の降るパリの街を
傘もささずにあるく。
何度観てもロマンチックな映画だと
何度も何度も、何度も思ってしまう。
※
映画になったときには
すでにその全ては現実ではない。
※
新婚旅行でパリはダメだ笑
ウディアレンは性格が悪い、ヒロインをとことん嫌な女として描き、フランスで出会う女をかなりいい女に描く笑。
パートナーが本当にやりたい事から目を背け、自分の理想を押し付ける人はこの世に多くいるし、映画でもよく描かれるテーマだ。
主人公はパリという恋愛の街で、本当に自分と価値観が合い、自分をリスペクトしてくれる女と出会う
個人的にはレアセドゥがかなり好きなため、ラストの展開は大満足。
主人公は作家な為、おそらくウディアレン本人だが、この監督とは女性の好みも考え方も非常に好感が持てた。
過去に戻る映像は、作品に集中するために起こった幻覚だと感じたため、ウディアレンの頭の中を覗いているようで非常に楽しさがある。
真夜中のパリに、魔法がかかる
過去への憧憬
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