「飯と乙女」を配信している動画配信サービス(VOD)
「飯と乙女」の動画配信サービス(VOD)・視聴方法をまとめてチェック!

自宅で、旅先で、移動中に…、
見放題やレンタルなどサブスクで「飯と乙女」を楽しむ方法をまとめて紹介します!
「飯と乙女」の配信サービス一覧
配信サービス | 配信状況 | 料金 | |
---|---|---|---|
| 購入 | ¥1,100 | 今すぐ見る |
「飯と乙女」の配信サービス詳細
おすすめポイント
Prime Videoで幅広い種類の映画、TV番組、ライブTV、スポーツを今すぐ視聴。いつでも、どのデバイスでも、高品質なコンテンツをストリーミング再生。
配信形態
見放題 / レンタル / 購入
無料期間
30日間
月額料金
月額プラン600円(税込)/年間プラン5,900円(税込)※広告フリー月額390円
ダウンロード可否
可能
複数端末同時視聴
可能
※会員特典対象動画を同時に3本までストリーミング再生可能/同じ動画は一度に2台までの端末でストリーミング再生可能
特典
(ポイント付与等)
Prime会員となり、無料のお急ぎ便で購入したり、100万曲以上の音楽が揃っているPrime Musicへのアクセス、容量無制限のAmazon Photosも利用できる
支払い方法
クレジットカード(Visa/Mastercard/JCB/American Express/Diners)、携帯決済(docomo/au/SoftBank)、あと払い (ペイディ)、PayPay(ペイペイ)、Amazonギフトカード、パートナーポイントプログラム(JCBのOki Dokiポイント)
映画作品数
20,300本以上
ドラマ作品数
3,200本以上
アニメ作品数
1,200本以上
※2025年5月時点の情報です。最新情報は各社サイトにてご確認ください。
作品紹介

解説・あらすじ
ダイニングバーで働く砂織は人に料理を振る舞うのが好きだが、物静かな常連客・九条が食事をしてくれないことに悩む。もう1人の常連客・美江は同せい中の彼氏がまともに働かないストレスから過食症になるが、ある日、妊娠していることに気がつく。美江の務める会社の社長は経営難から食べることができず、空腹に耐えかねて娘のための弁当を食べてしまい……。4組の男女がおりなす「食」についての人間模様を、シューベルトの弦楽四重奏第14番「死と乙女」にのせて描く。
レビュー

津次郎さん
投稿日:2020-07-11
日本のインディー映画──だと思うが──に感心したのは初めてだった。とても印象に残っている。以来、しばしば監督の栗村実や主演の佐久間麻由の名前を映画を検索した。監督自身の書き下ろしになる脚本がとてもしっかりしている。ほとんどびっくりするほどの起承転結だった。
わたしも青かったころ、食べることに対して卑しさを感じたことがある。その概念が重篤なばあい、拒食や過食や、潔癖に至ることがある。顕在化しなくても、個人としてずっと抱えている人もいる。先鋭なヴィーガンに対して、青さの名残りではないか──と感じることもある。
バラエティだったかもしれないしテラハかあいのりだったかもしれない。忘れてしまったが、とある若い女性アイドルが、みんなで食べようって時に「わたし人のにぎったのは食べられないの」と言った。おにぎりか何かだったのだろう。それで周囲は「そういう人っているよね」という感じですんなり理解して、まとまった──というシーンだった。
シーンは収まりがついたわけだが、厳密に言うなら「わたし人のにぎったのは食べられないの」は作り手に失礼であろう。言うなら「おなかすいてないの」とか「ごはんは抜いてるの」とかにするべきだと思う。
唐揚げとレモンしかり、食にたいする個人的な考え方は、ときとしてそれを披露する必要がない。必要がないばかりか、集合体の協調性をみだすばあいもある。
ただ、そういう人っているよね──と、なんの抵抗もせず解せるのは、わたしたちが、食べることに対して、良きにつけ悪しきにつけ、執心してきたからだと思う。
その普遍性がこの映画にはあった。登場人物の潔癖も拒食も過食も、そこまで重篤ではないにせよ、わたしたちが何となく自分のなかにも見いだせるものだった。それらのオブセッションを乗り越えるできごとがここには描かれている。ドラスティックなほど鮮やかにまとまる。
エピソードには映画的な象徴がありヒロインには女神的な過介入の魅力があった。酢臭からは汗を連想するゆえ、酢飯をにぎった手をして「この匂いがすき」と言わしめるのは大きな人間度だ。人の癖っぽさを越えて共感できるところに乙女の所以があったと思う。
わたしも青かったころ、食べることに対して卑しさを感じたことがある。その概念が重篤なばあい、拒食や過食や、潔癖に至ることがある。顕在化しなくても、個人としてずっと抱えている人もいる。先鋭なヴィーガンに対して、青さの名残りではないか──と感じることもある。
バラエティだったかもしれないしテラハかあいのりだったかもしれない。忘れてしまったが、とある若い女性アイドルが、みんなで食べようって時に「わたし人のにぎったのは食べられないの」と言った。おにぎりか何かだったのだろう。それで周囲は「そういう人っているよね」という感じですんなり理解して、まとまった──というシーンだった。
シーンは収まりがついたわけだが、厳密に言うなら「わたし人のにぎったのは食べられないの」は作り手に失礼であろう。言うなら「おなかすいてないの」とか「ごはんは抜いてるの」とかにするべきだと思う。
唐揚げとレモンしかり、食にたいする個人的な考え方は、ときとしてそれを披露する必要がない。必要がないばかりか、集合体の協調性をみだすばあいもある。
ただ、そういう人っているよね──と、なんの抵抗もせず解せるのは、わたしたちが、食べることに対して、良きにつけ悪しきにつけ、執心してきたからだと思う。
その普遍性がこの映画にはあった。登場人物の潔癖も拒食も過食も、そこまで重篤ではないにせよ、わたしたちが何となく自分のなかにも見いだせるものだった。それらのオブセッションを乗り越えるできごとがここには描かれている。ドラスティックなほど鮮やかにまとまる。
エピソードには映画的な象徴がありヒロインには女神的な過介入の魅力があった。酢臭からは汗を連想するゆえ、酢飯をにぎった手をして「この匂いがすき」と言わしめるのは大きな人間度だ。人の癖っぽさを越えて共感できるところに乙女の所以があったと思う。
鑑賞日:2020年7月11日 で鑑賞
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