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どうも「愛のむきだし」から意固地に逃れよう、逃れようと「冷たい熱帯魚」やこの「恋の罪」を無理やり撮ったという印象がある。
「愛のむきだし」は「勃起を恥じるな」という名セリフがあるように、虚にまみれた世界から自分を解放するドラマだった。
しかし園監督自身がどうもそういう人ではないらしく、「冷たい熱帯魚」では実は虚にまみれた世界こそが実は人間を人間らしくもさせているという、真逆の世界観を描いた。社本は覚醒したのではない、ただ単にキレただけで、それ以前の虚にまみれた生活こそが社本にとって、真実だったのだと言える。
それらの前の作品である「紀子の食卓」はその両方を一つの家族の中で描いた傑作である。
「冷たい熱帯魚」は「愛のむきだし」で「らしくない」結果からのプレッシャーか、単なる天邪鬼か、必要以上に自由に撮れる環境になったせいか、下らないエログロで画面を汚し、それらが先行してしまい、上記のテーマすら汚してしまう結果となった。中身はかなり危ない内容だが、エログロがなければもっとそのテーマが色濃く出たはずで、つくづく残念だった。
さて「恋の罪」。
中身は「冷たい熱帯魚」と全く同じテーマだと思う。ていうかまるっきり一緒。
虚から抜け出し、自分を解き放て、とは言うが、虚にまみれた世界で人は守られてもいる。
今回もエログロ祭りなんだが、これありき、ってだけの監督と思ってなかったんだが、どうもこう2作つづくとやっぱりこういう人なんかあ、とは思ってしまう。
そして今回さらに輪をかけて映画が饒舌すぎる。そのくせ「冷たい熱帯魚」と同様にテーマがすっかり埋没してしまっている。
家族と虚と実の世界は彼のこれまでの得意分野なはずで、2作続けて、エログロにかまけすぎているのをみると、「ヒミズ」の出来が心配になってくる。