八日目の蝉のレビュー・感想・評価
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ほんとうの主演女優賞は
皆さん、こんにちは(いま3月19日pm5:15頃です。
日本アカデミー賞をとりましたね。
僕は日本の映画はそれほど見ないのですが、どれくらいのレベルかな
と思って見てみました。
それに永作博美も井上真央も好きな女優ですだから。
特に井上真央はNHKの朝のドラマ「ひまわり」で、うまい役者だな〜と
思っていました。永作博美は前に3本くらい見ていて、独特の存在感を持ってましたね。
でも、この映画のほんとうの主役はかおる役の渡辺このみちゃんでしょう。
男の子の洋服を着た5歳くらいの女の子。
この可愛さがなければこの映画が成立しない。
そして、その後のかおるになる井上真央も生きてこない。
そのお母さんたる永作博美の思いも生きてこない。
そんなこのみちゃんこそ、この作品の主役だと思いました。
それとそのルーツの場所を旅するときの船上で流れた曲
ビーチハウスの「ゼブラ」。
去年のフジロックで見た聴いた曲だ。
アルバム全体で聞くとちょっと重たいのだが、
こういう場面ではすごくいい曲だなと再発見したのでした。
とにかく、この映画。ストーリーテリングといい、
映像といい、役者の熱演といい3拍子そろった映画でした。
心に残る名作!
原作を読んだ人にも
臨終の蝉よ世の美しさを唄え
観よう観ようと思ってたのに何故か毎週都合が合わず、
公開から随分経ってようやく鑑賞。
さて本作、
現在と過去とが巧みにリンクする後半の畳み掛けは見事だが、
中盤やや冗長だったかな。
あと映画の雰囲気から浮いてる場面や人物がいる気がする。
特に“天使の家”のエピソードはちょっと異様な気がしたなあ。
(余貴美子が映画『サイレントヒル』のアリス・クリーグに見えた。怖い……)
けれど主人公の希和子と薫(この呼び名で統一させていただく)の
奇妙な絆には、心を強く強く揺さぶられた。
希和子のあの行為が正しいとはとても言えまい。
同情の余地はあれど、やはり身勝手極まりないと僕は思う。
だが彼女が娘に与えた愛情は、真っ直ぐで綺麗な本物だった。
人間てのは厄介だね。
薫の実父母もそうだったが、
単純に善か悪かで括る事ができない。
満天の星、夕焼け、広い海、暗闇の中の灯火、または歌、詩、絵画、
僕らはどうしてそれらに触れた時に“美しい”と感じるのか。
どうしてそこに、生きる事の価値を感じ取るのか。
理由は知らないし、知る必要があるとも大して思わない。だが、
世界には確かに“空っぽのがらんどう”な人生を
価値あるものだと信じさせてくれる美しいものがある。
そして誰もが、それを大切な人に伝えたいと考える。
この世はこんなに美しいもので溢れてる、と。
だから、
この美しいもので溢れた世界に生を受けたあなたは
決して無価値な存在なんかじゃないんだ、
空っぽのがらんどうなんかじゃないんだ、と。
僕は最初、『八日目の蝉』とは“特殊な境遇”に
置かれた薫の事を指していると考えていた。
しかし“蝉”とは希和子の事ではと考えた時に、
ようやくこのタイトルと物語がカチリと噛み合ったように思えた。
いつ果てるとも知れぬ娘との絆を必死に繋ぎ、娘にありったけの
“美しいもの”を伝えようとする彼女の姿は、
とっくに臨終の時を迎えた蝉が、
それでも死にもの狂いで生命を繋ごうと啼くイメージとダブるのだ。
どんなに辛い境遇に置かれた人間でも、
人生を価値あるのに換える美しい感情を
知ること・伝えることはできる。
愛し方が分からないと泣いた娘にも
それはしっかり引き継がれていた。
監督の前作と比べるとややまとまりが悪い印象を受ける本作だが、
それでもこの映画には、胸の奥底をズドンと揺さぶる感動がある。
良い映画でした。
<2011/5/28鑑賞>
はらはらどきどき
七日目でイイ
本意で見に行ったわけではなく(別のが見たかった)、あまり期待をしていなかったのだが、良い意味で大きく裏切られた。
タイトルの「八日目の蝉」というのは、翻って、「他の人とは違う人間」、「他の人とは違う人生」という比喩のようだが、この作品を見ると、改めて自分が「七日目の蝉ど真ん中ストライク」の人生を送ってきたことの幸せを感じさせられる。不意に他人の「苦労話」なんかに憧れてしまうこともある自分を一喝。
作中では“八日目の蝉”の苦労と希望を共に描いてはいるようだが、どうしても「苦労」や「痛々しさ」ばかりが感じられ、“八日目”達全員が哀し過ぎる。
それでもこの作品がわりと清々しく感じられ、暗くなりすぎていないのは、主演二人の好演はもちろん、後半に風吹ジュン、田中泯(毎度あの雰囲気はズルい)あたりが出てきて、物語をギュっと引き締めてくれる点や、途中多少間延びしているように感じられる場面さえも、それが後々しっかりと意味を持ち、バッチリ効いてくるところだろうか。
(近年の四国各地域のフィルムコミッションの頑張りを勝手に感じてしまいました。小豆島是非行ってみたい)
また、全体のバランスも“動”の前半と“静”の後半といった感じでうまく配分されていて単調でない。
何より、スッと気持ちが入り、自然に泣かせてくれる無駄のないラストは秀逸。
そして改めて、改めて改めて痛感する。母強し・・・と。
育ての愛
ガラス細工のような映画
永作さんメインにしてれば評価上げですが・・・
八日目には何があるのか?そして、蝉とはだれか?
恵里菜(=薫)の人格はどこで育まれたか?
4歳で自分の親が入れ替わった恵里菜にとって、希和子は憎むべき犯人か、それとも育ての親か、無意識のうちに忘れようとしていたものが、千草(小池栄子)の出現をきっかけに紐解かれていく。この作品は、記憶から消えていた自分の過去を取り戻していくロード・ムービーの形態を取る。
過去と現代を交互に描きながら恵里菜と希和子の4年を辿るが、千草が何者なのか正体がなかなか明かされないじれったさも混じえて飽きさせない。糸を手繰るような編集がうまい。
カメラも構図やフォーカスにうまさを感じるが、プリントのせいか色彩がやや偏り気味で、瀬戸内の美しさを十分に楽しめなかったのが残念。
小豆島でのイベントのてんこ盛りがややご当地フィルム的なのが気になったが、島での生活が恵里菜(=薫)の人格育成に果たした影響が大きかったと汲み取れる。後日、自転車の乗り方がそっくりなところは紛れもなく母子である。
誘拐という行為は許されるものではないが、おおらかで明るく、自分を見失わない恵里菜の人格は希和子が育てたと言っていい。
自分の過去と向きあう勇気を取り戻した恵里菜は、きっと強く優しい母になることだろう。八日目の未知の体験が始まる。
本篇終了後、暗転してからエンドロールが始まるまでの間のとり方が絶妙。
成島出という監督さん、「孤高のメス」といい実直な人と見受けられる。作品から人に対する優しさと思いやりが感じられる。重いテーマをサラッと描き、それでいて余韻を残す。
おかあさんの為の映画、女性のための映画
原作も読まずに見に行きましたが秀作と感じました。
井上真央、永作博美の主人公はもちろん
森口瑤子、平田満、余貴美子などなどベテランさんも
当たり前に作品にはまっていて、アラを探すのは
難しい良い作品です。
最近女優さんとして評価があがっている(?)小池栄子も
少しおかしいジャーナリストの卵役を好演してましたし
壊れた女性を演じると怖すぎる森口遥子も相変わらず
怖すぎました。
話の流れは過去と現在が同時に進みますが
過去は小道具やニュースなど少し前の
現実がリアルに描かれていて40代の自分には
興味深いものでした。このあたりに手抜きはないです。
全般的に丁寧に作られているヒューマンドラマなので
飽きることなく最後まで見ることができましたが
生んだ子供、育てた子供、家族、絆という問題になると、
独身男性の俺では共感するには難しい内容となりました。
おかあさんの為の映画だと思います。
なので星は4つにさせてもらいました。
幸せになれる
はじめはあまり興味ありませんでしたが、評価が良いので観てきました。
日本映画の良い部分が出た良作でした。
特にラストシーン。彼女は大人達に振り回さた被害者だと思うんですが、結果、誰よりも人を愛する事、愛する喜びを知る事が出来た。
きっとこれから、つらい事も沢山あると思うけど、彼女なら乗り越える事ができると思います。
役者も皆良かったです。
井上真央ってテレビ的スケールの役者だと思っていましたが、あんなに抑えた演技ができるなんて、驚きました。
後、小池栄子。前から何気にうまい役者だと思ってましたが、今回は更に進化した演技をみせてくれます。
自分も昔、あるカルトを取材した事があり、そこから抜けた後で苦しんでいる人を沢山見てきましたが、そこをリアルに演じてました。
ある意味、この映画のキーパーソンになっています。
最後に劇団ひとりは唯一のミスキャスト。お笑いの人は演じていてもコントにしか見えません…
八方ふさがりのせつなさ。
今作の最たる悲劇は、母親と呼べる女・父親と呼べる男が1人も存在できなかった事
前代未聞の赦されざる重罪に対し、
「赤ちゃんを残し外出した森口瑤子も悪いが、奪い取った永作博美はもっと悪い」
という単純な感情は禁句である。
むしろ、そんな想いは邪念として、簡単に振り払い、世界観に引き込まれてしまう。
永作、井上、2人とも望まれない命を宿した母親である共感性に尽きるからだ。
“この宿無き揺りかごに果たして愛は存在していたのか?”
封印された遠き記憶を紐解こうと井上真央が事件現場を辿る度に、答えを見失い、空白の4年間の長さに打ちのめされる。
そして、全てが蘇った時…。
自然と涙がこぼれ落ちた。
なぜ泣いたのかは、未だに不明確のままだ。
それは、最後まで井上真央にとって、永作博美は愛すべき相手でも憎むべき相手でもない人物のままやったからやと思う。
うやむやな後味の重さは、客自身の母親への感情と照らし合わせている気がしてならない。
母の日を前に、フィクションとはいえ、彼女の可能性を応援したくなる5月の帰り道であった。
では最後に短歌を一首
『愛奪ひ 宿失き嵐 産み堕とす 懺悔ぶつけし 揺りかごの壁』
by全竜
見る側を洗脳させず、客観的に見た映画
八日目の蝉とは誰なのか?
最初の誘拐するシーンや写真屋のシーン、ただ暗いのではない人間の心を表したかのような照明。サウンドもピアノメインで、飾り気のない状況を上手く作っている。
飾り気のない状況と何もしないのとは違う。見る側を洗脳させずどう思うかを問うような意図があった。
井上真央も永作博美もよかった。そしてなにより小池栄子が良い。
そしてタイトルの複雑さ。八日目の蝉は可哀相だが幸運。何度か「八日目の蝉」というキーワードが出てくるが、時間が経っていくにつれ八日目の蝉に対する考えが変わっていく。
またその八日目の蝉とは誰のことを言っているのか。
改めてこの映画のテーマとは、「母性」である。
形だけで見ると、ごく普通の家族の子供を誘拐した人が捕まる。それだけ見ると誘拐犯は悪者だ。だが見てみればわかるが、最後のクライマックス、自然に誘拐犯の側から見てむしろ誘拐犯を肯定的に見てしまっている。母性で誘拐したなら許されるのか、そうではない。じゃあ母性とはなんなのか。これは母性ではないかもしれない。なぜなら誘拐犯は母親ではないのだから。でも人の赤ちゃんを見て自分の全てを捧げても幸せにしてあげようと思う誘拐犯はもう最後の方は完全に母親になっていた。
考えさせられる映画といえる、作品賞候補に相応しい作品だ。欠点は最後の方はだらだらしてしまったか、それくらいだろう。
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