八日目の蝉のレビュー・感想・評価
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こんな悲しい物語見たことない
ここまでの物語を書ける人、角田光代さんは最大限の褒め言葉としてサイコパスなんだと思う。
どの登場人物の立場になっても悲しい。
ただ、言えるのは最高の映画。
美しいものを与え続ける愛に染まる
誘拐された子どもを取り戻した母との溝を埋めていくのかというとそうはならない
生みの親より育ての親というメッセージでもない
ただ、自分を好きになって欲しいなど実母のように求めることはなく、限られた時間をひたすらに与え続ける愛に気づいたときに、自分の子育ての不安は吹き飛び、愛おしさが込み上げてくる
そんな育ての沢山の愛を表現された永作さんはとても素敵でした
切ない
私の子供と映画の最初の場面が重なり物凄く切なくなりました。
特に希和子は母乳が出ないため子供にミルクをあげますがなかなか飲んでくれず大泣きしているシーンが印象に残りました。
どうにか落ち着かせてあげたい気持ちとどうしてやったらいいのか当時の私とかぶさって更に切なく涙が出ました。
希和子は一般的に悪人と言われると思いますが、私はあれだけ愛情込めて子供を育てる希和子に感動しました。
改めて自分の子供としっかり向き合って愛情込めて育ていこうと考えさせられる映画です。
【客観的に描かれているからこそ勝手に考える面白さがある】
・2011年公開の日本のサスペンスドラマ映画。
・不倫相手の妻が生んだ赤ん坊を誘拐し4歳ごろまで育てた母「希和子」が誘拐から逮捕されるまでの4年間の話、「希和子」が逮捕され生みの親の元にもどり成長し21歳の大学生になった娘「恵理菜」が突然現れたルポライターと自分の過去について巡る話。その2つが織り交ざって進んでいく物語 という大枠ストーリー。
[お薦めのポイント]
・誰かと語りたくなる物語
・登場人物の達の気持ちや考えが気になる余韻
・役者さんの演技が抜群
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
[物語]
・物語(登場人物の行く末)の結論は出ますが、登場人物たちの「気持ち」に結論は出ません。ですが、一連の物語の流れを見終わるとそれぞれが「どういう気持ち」で「何を考え」て「なぜそういう行動や言葉を発したのか」が気になって、勝手に考えを巡らせてしまいます。なんといいますか、善悪で白黒つけてしまうとそれまでなんですが、それがつけ難くなってしまう物語の面白みがありました。
[演出]
・終始、ほの暗い空気でしーーんとした感じを創り上げていました。そんな中で、小豆島からの絶景や虫送りと呼ばれる伝統行事の美しさが垣間見える。重いテーマだからただ暗い、というわけではなく。絶望と希望が常に入り混じった世界、を画で表現されているようなそんな風に感じました。
[映像]
・際立って感じたことはありません。
[音楽]
・際立って感じたことはありません。
[演技・配役]
・皆さん、うますぎて。個人的には、永作博美さん、小池栄子さん、井上真央さん、余貴美子さん、田中泯さん、特にこの5名の方々が痺れました。永作さんは、ホテルで薫(恵理菜)が泣きじゃくるシーンで、母親としての苦悩だけでなく、「誘拐してしまってごめんね」という葛藤の涙を感じました。観ているだけで生い立ちが普通じゃないことが伝わるキャラクター千草役の小池さん、うますぎでした。一見、エンジェルホームという新興宗教の悪徳教祖っぽいエンゼルさんですが、実はそんな安っぽいだけの設定でない役を演じられた余さん、さすがですね。田中さんは、写真屋さんの無口な店主。そして、井上さん。過去の生い立ちによって、自分の「本当の気持ち」を出すことも自身で感じることも難しくなっているところから、ラストシーンの言葉を発するまでの流るような演技が秀逸すぎます。何かドカン!とした行動や変化があるわけではないのですが、恵理菜にとっては本当の自分を取り戻したかのような言葉に聞こえました。
[全体]
・それぞれに癖があり、行動の善悪を問われやすい設定となっている登場人物たち。そのすべてのキャラクターが、客観的に映像に収められています。物語の主軸はもちろん、「希和子」と「恵理菜」。でも感情や思いに関しては、終始、客観的。対比として、よく映画では誰か(主に主人公)の視点で見える景色や感じる思いを中心に表現されていますが、そういう感じがかなり少ない。どちらかというと群像を上からカメラで狙っている感じ。だからこそ、誰の頭の中も覗き見ることができず、ただただ起こっている出来事や行動だけが見える。その出来事が気になってしまう。よって、どうしても観ながら観終わったら、考えざるを得ない状態にさせられてしまいました。この辺も非常によくできた映画だなぁと思いました。子を持つ親御さんなら、いっそ考えてしまうことでしょう。心に響く2時間半、楽しませていただきました。ありがとうございました。
#映画 #サスペンス #ドラマ #2011年 #八日目の蝉 #成島出監督 #角田光代 #永作博美 #小池栄子 #井上真央 #余貴美子 #田中泯 #小説原作 #母性 #考えさせられる #小豆島
#全体3.6 #物語3.7 #演出3.6 #演技3.8 #配役3.8 #映像3.5 #音楽3.5
主題歌だけは良い。
永作の悪を和らげる為に実父母の駄目さを対置したらしき作劇は甘い。
あのショーケンのような駄目人間の不潔な外道を永作に期待したが。
実母もあの秋吉の悶絶狂気と比べて緩い。
火曜サスペンスフルな主題歌(だけ)はイイ。
よって予告編が最も泣けた。私見。
ずっしりと胸にくる物語。
永作博美、井上真央、小池栄子の
圧巻の演技力。
映像のフィルムのかかり方も
ストーリー背景を写していてよかった。
きわこと大人になってから
再会して欲しい、、でもそのラストはないか、、
と後半期待半分もちながら
だったけれど
ある意味再会したような、
感動的なラスト。
母親の愛って
人格形成において本当に大切なんだろうなぁ。
【”八日目の蝉にしか見れない、美しきモノ”そして”様々な家族の姿” 】
■久方ぶりに鑑賞した感想
<Caution! 内容に触れています。>
・恵里菜(成長期:井上真央)の生後の時代と、彼女が大学生になった10数年後の時代を交互に映し出しながら物語は進むが、鑑賞していて全く違和感がない。
監督の手腕なのか、脚本のレベルの高さなのか・・。
この二つの時代を生きる幼き無垢な恵里菜の姿と、心に傷を負って虚無的に生きる恵里菜を演じる井上真央の姿が心に残る。
・不倫相手(田中哲司)の幼子、恵里菜を衝動的に誘拐し、4年もの間”母”として暮らした野々宮希和子(永作博美)の行為は、当然許されるべきモノではないが、鑑賞側は、ヒステリックな実の母(森口瑤子)よりも、和子に寄り添った気持ちで彼女の逃亡劇を観てしまう・・。
それは、希和子にも勿論責任はあるのだが、不倫相手の子を身籠った際に、説得され堕胎し、子を産めなくなってしまった身体に”させられた”ことが起因していると思われる。
・大学生になった恵里菜が虚無的に生き、希和子と同じように責任感のない男(劇団ひとり)の子を宿すシーン。
”負の連鎖か・・”と思ってしまうが、これが、最後に感動的なシーンとなる切っ掛けになるとは・・。
作品構成の妙であろう。
・押し掛けジャーナリスト千草(小池栄子:当時は現在の様な凄い役者さんになるとは思わなかったが、再見するとその片鱗は十分に伺える。)の存在。
過去の恵里菜との関係性が隠されていたとは・・。
そして、現代の恵里菜を小豆島に誘った切っ掛けになったとは・・。
彼女の描き方も又、作品構成の妙であろう。
◆過去パートの素晴らしさ
・希和子が、恵里菜と共に逃亡する中、
”事情があって、女性達だけで子を育てる「理想と共生の家、エンジェルホーム」”
に身を寄せ、女性達と生活するシーン。
男としては、存在を全否定されたような気分になるが、逆に観れば女性の逞しさを表現したのだろうか・・。
・「エンジェルホーム」を離れ、一緒に暮らしていた女性の故郷である、小豆島を訪れる希和子と恵里菜。
ー 現代の恵里菜は、幼き時の事を覚えていないが、確かに彼女は小豆島で”母”と楽しき時を過ごしていたのである。小豆島の美しき風景や民族と併せて、印象的なシーンの数々である。ー
・希和子と恵里菜が島の写真館で二人で写真を撮るシーン。写真館を営む主人を演じる田中泯が素晴しい。
そして、成長した恵里菜が写真館を訪れるシーン。
少し老いた、写真館を営む主人が、恵里菜に
”顔を見せて・・”と言い彼女の顔を凝視し、希和子と恵里菜のネガを探し出し、暗室で溶液の中から浮かび上がって来た、希和子と幼き恵里菜が長椅子に座っている姿。
ー 今作の白眉のシーンである。ー
<過酷な運命を辿りながら、成長した恵里菜が口にした言葉。
”パパもママも・・、皆好きだったんだよ・・。””この子を産んで幸せな経験を沢山させるよ・・”
重厚で、心に沁みる映画である。
キャストの方々も素晴らしい。>
複雑
原作未読
登場人物に皆変わった境遇があり、今思えばそれがミソだったのだろうけども、とにかく複雑に感じた。母になることで生まれる感情のぶつかり合い、軽くは飲み下せない濃い内容であった。
所々セリフをガーッと喋るシーンがあり、変に目立っているように感じた。
GYAO!
でも結局母親って女なんだよなぁ
妊娠中にみて、子供を育てることについて考えさせられた。
本当の母親が、けっこう酷い感じの演出になってたけど、
結局は"女"だとあんな感じになっちゃうのかな。
そう考えると誘拐犯の方が母親をしていたんだろうけど
本当の母親にももうちょっと愛を感じれる描写が欲しかったな...母親からも、娘からも。
人が育つために必要なもの
波止場の場面、泣かせてくれます。
でも… でも… 心に楔が突き刺さる…。
☆ ☆ ☆
慈母だけでも賢母だけでも子どもは被害を受ける。
優しさって心地よいけど、その有様によっては一番残酷。
どの人の立場に立つか、感情移入するかによって様々な感想が産まれる。
たくさんの人と語り継ぎたい物語。
☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡
人の奥底に眠る何かを動かす映画なのだろう。
たくさんのレビューを拝見して、こんなにいろいろな視点があるのかと愕然。自分の見識が広まったような、深まったような。そしてたくさん考えさせられました。たくさんのレビュアーさんに感謝。
原作未読、NHKドラマ未視聴なので、この映画だけの感想です。
八日目の蝉=マジョリティとは違う経験を望まぬのにさせられた…それをどう自分の人生に位置付けるか、その過程の物語と思いました。
千草が言う。「普通に育ちたかった」と。
悪い誘拐犯に育てられて母を苦しめるようになった悪い自分、だから人を本当に愛せない。そう思っていた恵里菜が、自分の過去をなぞっていく。…そして見つけたもの…。
でも、恵津子があまりにも悪者に描かれていて片手落ちで手放しで称賛できなかった、と言うのが初見での感想。
けれど、他の方のレビューを読むうちに希和子の愛は本当に母性なのかと思うようになってきた。
がらんどうの自分を埋める為にたんに家族ゴッコしているだけ?幸い薫は希和子に似ていた。もし、薫に恵津子の面影が感じられたら、希和子はあんなに可愛がることができたのだろうか?
恵津子は単に被害者なの?。
恵津子の心は希和子に殺されたけど、恵津子も希和子の心を殺した。
お腹を痛めた子どもと夫を奪われた辛さは共感できる。
でも、恵津子は、恵理菜の中に希和子を見つけ、競争し、失ったものを憐れんでいるだけ。
血が繋がらない子を育てている人はたくさんいる。
一番かわいい幼少期を知らないままに子育てに奮闘している人はたくさんいる。
子どもの中に、自分が愛した人でない人の面影―時に憎んでいる存在―を感じながらも、家族になろうとしている人はたくさんいる。
―養子、再婚相手の連れ子…。
そんな家族で育った人が、全て恵理菜のように人を愛せない人に育っているわけじゃない。
反対に乳幼児期から実の両親に育ててもらっても人を愛せない人はいる。有名な冬彦さんのように。
ひたすら子どもに愛をそそぐ慈母。
子どもの将来を見据え子育てをする賢母。
希和子は慈母ではあったが、賢母ではなく、結果薫を苦しめた。もし、成人するまで育てたとしても、人の目をはばかる生活…それがどんなふうに影を落としたやら…。
恵津子は慈母・賢母になりたかったのになり損ねてしまった。
その二人の悲しみ・苦しみが観ていて辛い。
慈母だけでも子を潰す(子が自立できない)が、賢母だけでも子は潰れる。慈母と賢母の程よいバランスが難しい。
そんな母性を抱える環境。
母性を支えて、時に修正する役目、新しい世界へ子どもに与え、社会適応を促す役目の父性。
そんないろいろな機能が子どもに関わって、皆で子育てできればいいのだけれど…。
希和子と薫は小豆島が、沢田夫妻が抱えてくれていた。穏やかな時間があった。
でも恵津子にはあったのだろうか。丈博は恵津子や恵理菜に優しかっただろうが、しっかりと向き合って抱えているようには見えなかった。父性がなかった。そして、丈博が職場を何回も変わったというような世間からの好奇心。これじゃ母性が空回りして、鬼子母神になるしかない。守られていないのだから。やたらに綺麗で立派でおしゃれなキッチンが寒々しかった。
胸がしめつけられた。
☆ ☆ ☆
同時に、希和子、恵津子にとって子どもってどんな意味を持っていたのだろう。
ともにがらんどうな自分を埋めるためだけのもの?夫の愛人・妻を見返す為の道具?
でも、それだけではなく、理屈では説明できない感情で、無性に子どもが欲しくなる感覚はわかる。神様からの贈り物、世界の全て。自分と置き換えても構わない存在。その感覚はただ自分の空虚感を埋めるためだけのものではない。その人にとっての本能なのだとしか言いようのない感覚。それが、希和子に誘拐をさせてしまったのだと思いたい。
柏木著『子どもという価値』中公新書を読み直したくなった。
☆ ☆ ☆
ストーリーは、長い話をまとめただけに、若干、ぶつ切りのところもある。
もっと、夫・妻・愛人等のいろいろな側面を見たかった気がする。ちょっと、希和子が善人に描かれすぎて、恵津子と丈博のダメな部分が強調されているような気がする。
それでも、
映画としての出来は、役者のすごさに尽きる。
小池さんの怪演は色々な方がすでに絶賛されている。
永作さんと森口さんはたぶん役柄入れ替えてもきっちり魅せて下さるのだろうなと思う。
余さんと田中泯さんも、香辛料のようなインパクト。ないと色褪せる。
田中哲司さんは少ない出番の中で、秋山の人となりを演じ、
平田さんと風吹さんの普通さがとても小豆島にあっていて心安らぐ。
乾杯(完敗)です。
愛とは何ぞや
※原作小説未読
客観的に見たら恐ろしい犯罪なのだけれど(そしてもちろん正当化されることはないけれど)、「親とは、子とは、家族とは、愛とは何ぞや」を問いかける作品ではなかろうか。
誘拐した娘を心から愛し慈しんだ希和子、
娘を奪われたことで心に傷を負い我が子の愛し方を見失った恵津子、
肯定的な感情で(?)不倫しつつも現実からは逃げたい父丈博や岸田、
希和子と過ごした地を訪れ過去と向き合ったときの恵理菜の心 etc...
千草の登場およびそのキャラクターには最初「んんん??」と感じたのだけど、小池栄子がよく演じたと思う。元グラビアアイドルが見事にちゃんと女優になったもんだと感心。
そして言うまでもなく主演の永作博美、やはりポテンシャル高い。彼女もアイドルだったことをすっかり忘れそう。
それと、二人の薫(子役ちゃん)たちもカワユイねぇ😍
娘とダブった 感涙です
これは泣けました。
10年位前の日記をもとに、このレビューを書いていますが、ラストシーンで「この子はまだご飯を食べてないんです」というセリフが、娘を思う母なんだと、更に涙したのを覚えています。
私の娘が2才の時にに観た映画で、ダブったのが追い打ちですね。
そういう境遇でなくても、きっと泣けますよ。
三つ子の魂百まで
うーん、どうなんだろう
普通に考えたら、罪を犯し子育てしたとしても
それは全てが罪深き事。
幼児には何も非はないのだか、4歳までママに育てられた子には生みの母親には馴染めない
しかしである、
母親の性格の悪さが永作裕美の罪を無きものとしてしまう感情が出てしまう。
大事に育ててもらえた4年間と
帰ってからは母親からは育て方も接し方も不安定な為、余計に馴染めない。
これ、誘拐だけが原因ではない所が悲しい。
たまたま、昨日は青天の霹靂の見て、
そして今日のダメな不倫相手が劇団ひとり。
館長が風間杜夫で、今日は平田満
こんな形だけどちゃんと愛情をもって育てられたんだと強く生きてほしいと願った。
小池栄子は上手いなぁほんと。
かなり重くのしかかる映画でした。
美しい思い出
冒頭の雰囲気からいっきに引き込まれた。
犯罪は絶対に許されない行為であるが、それぞれいろいろな事情や思いを抱えているのだと感じられ、とても考えさせられた。
これはドラマ「ナオミとカナコ」で感じたおもしろさと同じでした。
幼少期の経験っていうものは子供にとってとても重要な事だとあらためて思いました。
美しい景色や美しい生活は子供の自己形成に大きな影響を与えているいるのでしょう。
自分も将来、そんな景色を見せてあげたい。
切ないし誰も幸せにならないし。エンドロールの曲があっててさらに涙だ...
切ないし誰も幸せにならないし。エンドロールの曲があっててさらに涙だった。小池栄子の演技が最初意味わからなくてライターなのになんでこんなに暗いのって思ったけどストーリーが続くにつれて納得。全部不倫して子供つくってほっとくクソ男のせい。悪い男を好きになると人生狂うのね。
クソ男滅びてほしい。
小豆島へ行ったら
「二十四の瞳」映画村でこの映画の展示があり
ここで撮ったんだ…と 帰ってから観ました
それは小豆島の風景が初めて行ったのに本当に懐かしく思えたから
内容はしんどかったけど
よく撮れていた〜
小豆島でたくさん映画を撮って欲しい
怨恨。嫉妬。復讐。罪悪感。 痛いほどに切ない。 でも、八日目の蝉に...
怨恨。嫉妬。復讐。罪悪感。
痛いほどに切ない。
でも、八日目の蝉にしか見えない世界は
きっとあの海のように
キラキラと輝いているのだろう。
映画制作者たちの罪
一人一人、大変なものを背負わされた人たちを丹念に描いた映画です。
ただ、おそらくは原作者の分身であるはずのライター(小池栄子)のご都合主義が描かれていないのが、たぶん作品解釈の限界なんだろうなと思いました。
だって、この作品は、一から十まで、このライターの都合によって作られた作品なのですから。
主人公の女の子(井上真央)にとって、幸せとはなにか。
それは、育ての親(つまり誘拐犯)のところに戻ることではないのかと、観る者は感じます。
ところが映画では、主人公が育ての親の写真にめぐり合ってオシマイ、となっています。
写真と出会った後にこそ、本物のドラマが待ち受けているはずなのに、どうして尻切れトンボで終わったのでしょうか。
映画のなかでライターが告白しています。
主人公に対して彼女がきわめて特殊な感情を抱いていることを。
この感情に流されてしまって、ライター本人には、主人公の気持ちが読めなかったのでしょう。
そして、語り手側のこの特殊な事情を、映画の制作側もまた見落としていたのでしょう。
ライターは、小豆島での写真発見のシーンまでは、主人公を心理的に支配下に置こうとする行動をしています。
しかし、この写真の発見をきっかけにして、主人公が育ての親を探し始めたなら、ライターはせっかく確立していた心理的支配権を放棄する方向に頭を切り替えざるを得ません。
主人公の幸せを探すなら、それがライターにとって唯一の方法ですが、これはライターが自分自身を高度に客観視できていなければ出来ないし、書けない話です。
だから、映画のシナリオライターも書けなかったのだろうし、もしくは気がつかないふりをしたのでしょう。
ここにこそ、主人公・ライター・誘拐犯三者に重層的に奏でられる、最高のドラマの材料が詰まっているはずなのですが……。
永作博美(誘拐犯)も井上真央も熱演で、佳作であっただけに、尻切れトンボ感が非常に残念でした。
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