八日目の蝉のレビュー・感想・評価
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美しいものを与え続ける愛に染まる
切ない
【客観的に描かれているからこそ勝手に考える面白さがある】
・2011年公開の日本のサスペンスドラマ映画。
・不倫相手の妻が生んだ赤ん坊を誘拐し4歳ごろまで育てた母「希和子」が誘拐から逮捕されるまでの4年間の話、「希和子」が逮捕され生みの親の元にもどり成長し21歳の大学生になった娘「恵理菜」が突然現れたルポライターと自分の過去について巡る話。その2つが織り交ざって進んでいく物語 という大枠ストーリー。
[お薦めのポイント]
・誰かと語りたくなる物語
・登場人物の達の気持ちや考えが気になる余韻
・役者さんの演技が抜群
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
[物語]
・物語(登場人物の行く末)の結論は出ますが、登場人物たちの「気持ち」に結論は出ません。ですが、一連の物語の流れを見終わるとそれぞれが「どういう気持ち」で「何を考え」て「なぜそういう行動や言葉を発したのか」が気になって、勝手に考えを巡らせてしまいます。なんといいますか、善悪で白黒つけてしまうとそれまでなんですが、それがつけ難くなってしまう物語の面白みがありました。
[演出]
・終始、ほの暗い空気でしーーんとした感じを創り上げていました。そんな中で、小豆島からの絶景や虫送りと呼ばれる伝統行事の美しさが垣間見える。重いテーマだからただ暗い、というわけではなく。絶望と希望が常に入り混じった世界、を画で表現されているようなそんな風に感じました。
[映像]
・際立って感じたことはありません。
[音楽]
・際立って感じたことはありません。
[演技・配役]
・皆さん、うますぎて。個人的には、永作博美さん、小池栄子さん、井上真央さん、余貴美子さん、田中泯さん、特にこの5名の方々が痺れました。永作さんは、ホテルで薫(恵理菜)が泣きじゃくるシーンで、母親としての苦悩だけでなく、「誘拐してしまってごめんね」という葛藤の涙を感じました。観ているだけで生い立ちが普通じゃないことが伝わるキャラクター千草役の小池さん、うますぎでした。一見、エンジェルホームという新興宗教の悪徳教祖っぽいエンゼルさんですが、実はそんな安っぽいだけの設定でない役を演じられた余さん、さすがですね。田中さんは、写真屋さんの無口な店主。そして、井上さん。過去の生い立ちによって、自分の「本当の気持ち」を出すことも自身で感じることも難しくなっているところから、ラストシーンの言葉を発するまでの流るような演技が秀逸すぎます。何かドカン!とした行動や変化があるわけではないのですが、恵理菜にとっては本当の自分を取り戻したかのような言葉に聞こえました。
[全体]
・それぞれに癖があり、行動の善悪を問われやすい設定となっている登場人物たち。そのすべてのキャラクターが、客観的に映像に収められています。物語の主軸はもちろん、「希和子」と「恵理菜」。でも感情や思いに関しては、終始、客観的。対比として、よく映画では誰か(主に主人公)の視点で見える景色や感じる思いを中心に表現されていますが、そういう感じがかなり少ない。どちらかというと群像を上からカメラで狙っている感じ。だからこそ、誰の頭の中も覗き見ることができず、ただただ起こっている出来事や行動だけが見える。その出来事が気になってしまう。よって、どうしても観ながら観終わったら、考えざるを得ない状態にさせられてしまいました。この辺も非常によくできた映画だなぁと思いました。子を持つ親御さんなら、いっそ考えてしまうことでしょう。心に響く2時間半、楽しませていただきました。ありがとうございました。
#映画 #サスペンス #ドラマ #2011年 #八日目の蝉 #成島出監督 #角田光代 #永作博美 #小池栄子 #井上真央 #余貴美子 #田中泯 #小説原作 #母性 #考えさせられる #小豆島
#全体3.6 #物語3.7 #演出3.6 #演技3.8 #配役3.8 #映像3.5 #音楽3.5
主題歌だけは良い。
ずっしりと胸にくる物語。
【”八日目の蝉にしか見れない、美しきモノ”そして”様々な家族の姿” 】
■久方ぶりに鑑賞した感想
<Caution! 内容に触れています。>
・恵里菜(成長期:井上真央)の生後の時代と、彼女が大学生になった10数年後の時代を交互に映し出しながら物語は進むが、鑑賞していて全く違和感がない。
監督の手腕なのか、脚本のレベルの高さなのか・・。
この二つの時代を生きる幼き無垢な恵里菜の姿と、心に傷を負って虚無的に生きる恵里菜を演じる井上真央の姿が心に残る。
・不倫相手(田中哲司)の幼子、恵里菜を衝動的に誘拐し、4年もの間”母”として暮らした野々宮希和子(永作博美)の行為は、当然許されるべきモノではないが、鑑賞側は、ヒステリックな実の母(森口瑤子)よりも、和子に寄り添った気持ちで彼女の逃亡劇を観てしまう・・。
それは、希和子にも勿論責任はあるのだが、不倫相手の子を身籠った際に、説得され堕胎し、子を産めなくなってしまった身体に”させられた”ことが起因していると思われる。
・大学生になった恵里菜が虚無的に生き、希和子と同じように責任感のない男(劇団ひとり)の子を宿すシーン。
”負の連鎖か・・”と思ってしまうが、これが、最後に感動的なシーンとなる切っ掛けになるとは・・。
作品構成の妙であろう。
・押し掛けジャーナリスト千草(小池栄子:当時は現在の様な凄い役者さんになるとは思わなかったが、再見するとその片鱗は十分に伺える。)の存在。
過去の恵里菜との関係性が隠されていたとは・・。
そして、現代の恵里菜を小豆島に誘った切っ掛けになったとは・・。
彼女の描き方も又、作品構成の妙であろう。
◆過去パートの素晴らしさ
・希和子が、恵里菜と共に逃亡する中、
”事情があって、女性達だけで子を育てる「理想と共生の家、エンジェルホーム」”
に身を寄せ、女性達と生活するシーン。
男としては、存在を全否定されたような気分になるが、逆に観れば女性の逞しさを表現したのだろうか・・。
・「エンジェルホーム」を離れ、一緒に暮らしていた女性の故郷である、小豆島を訪れる希和子と恵里菜。
ー 現代の恵里菜は、幼き時の事を覚えていないが、確かに彼女は小豆島で”母”と楽しき時を過ごしていたのである。小豆島の美しき風景や民族と併せて、印象的なシーンの数々である。ー
・希和子と恵里菜が島の写真館で二人で写真を撮るシーン。写真館を営む主人を演じる田中泯が素晴しい。
そして、成長した恵里菜が写真館を訪れるシーン。
少し老いた、写真館を営む主人が、恵里菜に
”顔を見せて・・”と言い彼女の顔を凝視し、希和子と恵里菜のネガを探し出し、暗室で溶液の中から浮かび上がって来た、希和子と幼き恵里菜が長椅子に座っている姿。
ー 今作の白眉のシーンである。ー
<過酷な運命を辿りながら、成長した恵里菜が口にした言葉。
”パパもママも・・、皆好きだったんだよ・・。””この子を産んで幸せな経験を沢山させるよ・・”
重厚で、心に沁みる映画である。
キャストの方々も素晴らしい。>
複雑
でも結局母親って女なんだよなぁ
人が育つために必要なもの
波止場の場面、泣かせてくれます。
でも… でも… 心に楔が突き刺さる…。
☆ ☆ ☆
慈母だけでも賢母だけでも子どもは被害を受ける。
優しさって心地よいけど、その有様によっては一番残酷。
どの人の立場に立つか、感情移入するかによって様々な感想が産まれる。
たくさんの人と語り継ぎたい物語。
☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡
人の奥底に眠る何かを動かす映画なのだろう。
たくさんのレビューを拝見して、こんなにいろいろな視点があるのかと愕然。自分の見識が広まったような、深まったような。そしてたくさん考えさせられました。たくさんのレビュアーさんに感謝。
原作未読、NHKドラマ未視聴なので、この映画だけの感想です。
八日目の蝉=マジョリティとは違う経験を望まぬのにさせられた…それをどう自分の人生に位置付けるか、その過程の物語と思いました。
千草が言う。「普通に育ちたかった」と。
悪い誘拐犯に育てられて母を苦しめるようになった悪い自分、だから人を本当に愛せない。そう思っていた恵里菜が、自分の過去をなぞっていく。…そして見つけたもの…。
でも、恵津子があまりにも悪者に描かれていて片手落ちで手放しで称賛できなかった、と言うのが初見での感想。
けれど、他の方のレビューを読むうちに希和子の愛は本当に母性なのかと思うようになってきた。
がらんどうの自分を埋める為にたんに家族ゴッコしているだけ?幸い薫は希和子に似ていた。もし、薫に恵津子の面影が感じられたら、希和子はあんなに可愛がることができたのだろうか?
恵津子は単に被害者なの?。
恵津子の心は希和子に殺されたけど、恵津子も希和子の心を殺した。
お腹を痛めた子どもと夫を奪われた辛さは共感できる。
でも、恵津子は、恵理菜の中に希和子を見つけ、競争し、失ったものを憐れんでいるだけ。
血が繋がらない子を育てている人はたくさんいる。
一番かわいい幼少期を知らないままに子育てに奮闘している人はたくさんいる。
子どもの中に、自分が愛した人でない人の面影―時に憎んでいる存在―を感じながらも、家族になろうとしている人はたくさんいる。
―養子、再婚相手の連れ子…。
そんな家族で育った人が、全て恵理菜のように人を愛せない人に育っているわけじゃない。
反対に乳幼児期から実の両親に育ててもらっても人を愛せない人はいる。有名な冬彦さんのように。
ひたすら子どもに愛をそそぐ慈母。
子どもの将来を見据え子育てをする賢母。
希和子は慈母ではあったが、賢母ではなく、結果薫を苦しめた。もし、成人するまで育てたとしても、人の目をはばかる生活…それがどんなふうに影を落としたやら…。
恵津子は慈母・賢母になりたかったのになり損ねてしまった。
その二人の悲しみ・苦しみが観ていて辛い。
慈母だけでも子を潰す(子が自立できない)が、賢母だけでも子は潰れる。慈母と賢母の程よいバランスが難しい。
そんな母性を抱える環境。
母性を支えて、時に修正する役目、新しい世界へ子どもに与え、社会適応を促す役目の父性。
そんないろいろな機能が子どもに関わって、皆で子育てできればいいのだけれど…。
希和子と薫は小豆島が、沢田夫妻が抱えてくれていた。穏やかな時間があった。
でも恵津子にはあったのだろうか。丈博は恵津子や恵理菜に優しかっただろうが、しっかりと向き合って抱えているようには見えなかった。父性がなかった。そして、丈博が職場を何回も変わったというような世間からの好奇心。これじゃ母性が空回りして、鬼子母神になるしかない。守られていないのだから。やたらに綺麗で立派でおしゃれなキッチンが寒々しかった。
胸がしめつけられた。
☆ ☆ ☆
同時に、希和子、恵津子にとって子どもってどんな意味を持っていたのだろう。
ともにがらんどうな自分を埋めるためだけのもの?夫の愛人・妻を見返す為の道具?
でも、それだけではなく、理屈では説明できない感情で、無性に子どもが欲しくなる感覚はわかる。神様からの贈り物、世界の全て。自分と置き換えても構わない存在。その感覚はただ自分の空虚感を埋めるためだけのものではない。その人にとっての本能なのだとしか言いようのない感覚。それが、希和子に誘拐をさせてしまったのだと思いたい。
柏木著『子どもという価値』中公新書を読み直したくなった。
☆ ☆ ☆
ストーリーは、長い話をまとめただけに、若干、ぶつ切りのところもある。
もっと、夫・妻・愛人等のいろいろな側面を見たかった気がする。ちょっと、希和子が善人に描かれすぎて、恵津子と丈博のダメな部分が強調されているような気がする。
それでも、
映画としての出来は、役者のすごさに尽きる。
小池さんの怪演は色々な方がすでに絶賛されている。
永作さんと森口さんはたぶん役柄入れ替えてもきっちり魅せて下さるのだろうなと思う。
余さんと田中泯さんも、香辛料のようなインパクト。ないと色褪せる。
田中哲司さんは少ない出番の中で、秋山の人となりを演じ、
平田さんと風吹さんの普通さがとても小豆島にあっていて心安らぐ。
乾杯(完敗)です。
愛とは何ぞや
※原作小説未読
客観的に見たら恐ろしい犯罪なのだけれど(そしてもちろん正当化されることはないけれど)、「親とは、子とは、家族とは、愛とは何ぞや」を問いかける作品ではなかろうか。
誘拐した娘を心から愛し慈しんだ希和子、
娘を奪われたことで心に傷を負い我が子の愛し方を見失った恵津子、
肯定的な感情で(?)不倫しつつも現実からは逃げたい父丈博や岸田、
希和子と過ごした地を訪れ過去と向き合ったときの恵理菜の心 etc...
千草の登場およびそのキャラクターには最初「んんん??」と感じたのだけど、小池栄子がよく演じたと思う。元グラビアアイドルが見事にちゃんと女優になったもんだと感心。
そして言うまでもなく主演の永作博美、やはりポテンシャル高い。彼女もアイドルだったことをすっかり忘れそう。
それと、二人の薫(子役ちゃん)たちもカワユイねぇ😍
娘とダブった 感涙です
三つ子の魂百まで
うーん、どうなんだろう
普通に考えたら、罪を犯し子育てしたとしても
それは全てが罪深き事。
幼児には何も非はないのだか、4歳までママに育てられた子には生みの母親には馴染めない
しかしである、
母親の性格の悪さが永作裕美の罪を無きものとしてしまう感情が出てしまう。
大事に育ててもらえた4年間と
帰ってからは母親からは育て方も接し方も不安定な為、余計に馴染めない。
これ、誘拐だけが原因ではない所が悲しい。
たまたま、昨日は青天の霹靂の見て、
そして今日のダメな不倫相手が劇団ひとり。
館長が風間杜夫で、今日は平田満
こんな形だけどちゃんと愛情をもって育てられたんだと強く生きてほしいと願った。
小池栄子は上手いなぁほんと。
かなり重くのしかかる映画でした。
美しい思い出
切ないし誰も幸せにならないし。エンドロールの曲があっててさらに涙だ...
小豆島へ行ったら
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