若い頃は無尽蔵と思われたニシン漁に明け暮れていたものの、連れ合いにも実の娘にも先立たれ、気がつけば年老いた身に残されたのは、孫娘が一人だけ。
そして、その孫娘を再就職のために都会に出そうとするところから、タダオとハルとの、あたかも遍路のような寄る辺ない旅が始まる―。
もともと折り合いが悪かったという長兄は、自分が子供たちに面倒をかけないように施設への入所を控えていて、むろん力にはなってくれなかった。
姉は、後継者候補としてのハルには関心を持つものの、肝心のタダオの身の上については、心配する素(そ)振りすら見せない。
そして、兄弟では最後の最後に会うことのできた弟も、将来の「ビジネスプラン」について大言壮語するばかりで、否、自分の生活すら安定していない様子。
これから施設に入るという長兄はもちろんのこと、自分の家業の行く末だけを案じるかのような長女、そして年齢を重ねつつも、なかなか自分の生活を建てることのできないジレンマに悩む弟―。
本作は、劇場公開時にも観ていましたが、改めて、始まったばかりの若い映画祭・第一回苫東映画祭の上映作品の一本として鑑賞したものでした。
タダオや、タダオをめぐる兄弟たちの姿を通じて、人が老いることの切なさ、哀しさを描いた一本として、充分に佳作と評せると、評論子は思います。
(追記)
少しでも兄弟たちへの印象を良くしようと考えたのか、トイレ(?)の洗面台で無精ひげを剃るタダオの姿には、滑稽さを通り越して、一抹の「哀れさ」も、評論子には感じられました。
また、思い出の蕎麦屋で、ハルと二人で一心に蕎麦をたぐるタダオの姿は、一生懸命に蕎麦をたぐることで、過去の記憶から逃れようと足掻(あが)いているようにも思われ、本作の中でも意味のあるシーンだったのではないかとも、評論子は思います。
(追記)
本作のこの結末には、賛否の両論がありそうです。
ただ…。
別れは悲しかったとしても、客観的に考えれば、これから自分の人生を歩んでいかなければならないハルにとっては、悲しくはあったとしても、第三者目線としては、必ずしも悲劇的な結末でもなかったのではないかと、評論子は思いました。
(前記のとおり、賛否の両論はあることとも思います)
(追記)
タダオが旅立った季節は、春また浅い時期だったようです。
(ハルが勤めていた学校が廃校になるというのは、おそらくは年度末=3月31日だったことでしょうから。)
春は出会いの季節であるとともに、別れの季節でもあります。
タダオがハルと別れたのも、ちょうどこの季節ということで、作品のタイトルは、ひょっとするとダブルミーニングになっているのかも知れないとも、思いました。評論子は。